#24 優妃子(1)
夜明け前。
深い眠りについていた少女は強引に暗い淵から引き上げられた。
「ユキちゃん、起きて」
「お母さん・・・どうしたの?」
よそ行きの洋服を身にまとった母は滅多につけない香水の香りがした。
「新しいお家に行くの。早く仕度してちょうだい」
「新しいお家・・・?」
「さとみおばちゃんの所よ」
ここ1ヶ月の間、家の中に不穏な空気が淀んでいたことは少女にも分かっていた。
一時入院していた父親の身体は骨と皮だけになり一人では立って歩けないほどに衰弱していたし、毎日知らないおじさんがやって来ては冷たい言葉を浴びせてゆく。
少女は母の言う通りに着替えた。机の引き出しから写真を一枚ポシェットに入れるとそれを肩にかけ部屋を出て行った。
僅かばかりの荷物を手に持ちながら母は「早くしなさい」と投げかける。
ふと少年の顔が目の前に浮かんだ。
(あした、またな)
(うん、またあした・・・)
「お母さん、行かなきゃだめ?」
「我侭言わないで。お父さん、車で待ってるから、ね」
足取りは重く、少女は玄関でまた呟いた。
「ナオ君にお別れ言いたいよ」
母は少女の両肩に手を沿えたしなめるように言った。
「ユキちゃん。お願い。時間が無いの」
昨日買って貰ったばかりの靴を履き家を出た。
父は車の助手席でぐったりしており目を瞑って微動だにしない。
車は青白くなった道を走った。
少女は後部座席で写真をじっと見詰めていた。
僅か三年の間に少年との掛け替えのない思い出ができたこの町を今出て行く。
少女は窓の外に何かを見つけ、何を思ったか突然大きな声を出した。
「お母さん、止めて!」
母は驚いて急ブレーキを掛けた。
ドアを開けるのももどかしく、少女はこぼれ落ちるように車から降り、
母の制止する声も聞かず走り出した。
(ここの神様はすごいんだぜ。お願いは何でもきいてくれるんだ)
(うそぉ)
(本当だよ。母ちゃんが言ってたもの)
(じゃぁユキちゃんもお願いする)
(お金あるのか)
(なきゃだめ?)
(いくら神様でもただじゃだめださ)
(じゃぁ今度にする・・・)
少女はポシェットから全財産の110円を取り出し賽銭箱に投げ入れた。
綱を大きく揺らして鈴を鳴らし拍手を打った。
合わせた両手はやがて指を絡ませて胸に置いた。
叫びにも似た願いを心の中で何度も繰り返す。
「ナオ君とまた逢えますようにナオ君と逢えますように、逢えますように・・・」