#18 小春(1)
秋の空。うららかな陽のぬくもり。
街路樹の葉はまだ緑色を保っていたが時折吹くたおやかな風に力なくさざめいた。
朝、珍しくホームルーム前に登校した尚也は自分の席に座るなり机に覆いかぶさるようにして寝た。しかし直ぐに起きて周りの様子を伺い何か腑が落ちない顔をしながら振り向いた。
「おい、良介、なんかこう、いつもと違うような気がするんだけど」
良介は大きな欠伸をしてだるそうに答えた。
「ああ、小春がいないからなんじゃねぇの」
いつもであれば尚也が教室に入ってくるなり直ぐに駆け寄って来てどうでもいいような話をするか、或いはどこからともなく陽気な笑い声が聞こえて来るはずだった。
身体だけは丈夫だし、人一倍学園生活を楽しんでいる奴だから風邪ぐらいでは休むことはないだろう。
「そういえば亜季もいないな」
「さっき小春に電話してくるって廊下に出てった」
そのとき亜季が携帯電話をポケットに入れながら戻って来た。
「小春、どうしったって?」
尚也が尋ねると亜季は曇った表情で答えた。
「出ないの。何回鳴らしても・・・。いったいそうしたんだろう」
始業のチャイムが鳴ると一抹の不安を残しながら亜季は自分の席に着いた。
担任の田口が教壇に着き、日直の号令のあとホームルームが始まった。
「実は皆に知らせておきたい事があるんだが・・・、寺島小春のことだ」
田口は言葉を選びながら慎重に話し始めた。
開業医をしている小春の父親が告訴された。
原因は院内感染。
生後8ヶ月の女児が気管支喘息で入院した際、麻疹患者の男児と同じ病室に入った。
直ぐに気づいた医師は病室を分け、投薬治療を勧めたが両親は拒否した。
医師の説明義務違反と診療上の過失も認められた。そして一ヵ月後麻疹を発症し急性心筋炎で女児は死亡した。
その他にも男児と接触したと考えられる乳児が2人おり現在他の病院で治療中であるが予断を許さない状況だそうだ。
「遅かれ早かれマスコミを通じて知ることになるだろう。このことで寺島は暫く休むが、いずれ登校してきた時には余計な詮索はしないでいつも通り接してくれ」
小春は父親を尊敬し、父親のような医師になりたいがためにこの学園に入学した。
その父親がいま窮地に立たされ小春は今どんな思いでいるのだろうか。
亜季も尚也もまるで自分の事のように辛い気持ちになり授業中も心が浮ついてた。
休み時間。
「やっぱり出ないか」
「うん」
廊下で亜季が何度も小春に電話をするがやはり出ず、メールの返信もない。
尚也は少し苛ついた様子で呟く。
「全く、なにやってんだよ、あいつ」
「まぁ、別に病気になった訳じゃないんだからそんなに心配しなくてもいいんじゃないか?」
良介が暢気に言う。
「そうかも知れないけど・・・」
尚也は開け放たれた窓に両肘をついて校庭を見た。
確かに時間が過ぎればほとぼりが冷め、またいつものように小春の陽気な笑い声が教室に戻るかも知れない。
しかし尚也は釈然とせず最悪の事態が想像されて不安が膨らんだ。
「俺さ、あいつの家に行く」
亜季もそのつもりであったが尚也の言葉には少し複雑な気持ちになった。
「私も行く。でも柴田君、部活は?」
「そんなのどうでもいいよ」
「けど、大会も近いんだし・・・」
「なんだよ、俺が行くと迷惑か?」
「そんなことないよ。一緒に行こう」
亜季は尚也の家で過ごした夏休みのあの夜の事が脳裏に浮かんでいた。