元通りの生活を送れますね?
異界に行って怪我をして戻ってきてから早二ヶ月が経とうとしていた。それだけの期間を使用して、私はようやく怪我をする前の生活に戻ることができていた。
ちなみに、怪我をして最初の一月はセフィリアは仕事を休んでずっとそばについていてくれたらしいのだが、次の一月は仕事に行っていたものの、比較的休みが多かったらしい。あの頃の私にそれを考える余裕は無い。
フリードさんは、最初の三日ほどは仕事を休んでセフィリアたちと一緒に私についていてくれたらしいのだが、それ以降は休めなかったらしい。
「アサヒに何かあったら、絶対に連絡をするように」
そう言って毎日仕事に出ていたそうだ。そして私が目を覚ました日、セフィリアがフリードさんに連絡を入れると飛ぶように帰って来たらしい。まぁ、私は寝てたからフリードさんが戻ってきたのを知らないんだけどね。
そして、ようやく元通りの生活を送れるようになった今日、私は久しぶりに街を歩いていた。あ、もちろん無理しないようにゆっくりだよ?
「グラディウスのちっこいお嬢様じゃないか。もう怪我は大丈夫なのかい? 無理はいけないよ?」
「うん、もう大丈夫だよ、心配かけてごめんね」
街に出ると、目が合う人全員に怪我の調子はいいのか尋ねられた。それに大丈夫と言う言葉と、心配かけてゴメンと言う言葉を返す。
そして、疲れない程度に街を歩き回る予定だったのだが、やっぱり疲れた。体力落ちすぎ。
「ただいま、戻りましたぁ……」
「お帰りなさい、アサヒ。大丈夫?」
家に帰るとまずはユーリさんが出迎えてくれた。それに大丈夫だと返し、自分の部屋へと戻る。だって、疲れてるから休みたいし?
そして部屋に戻り、メイドさんに夕飯の用意ができたら起こしてもらえるよう頼んでベッドにダイブした。
最近は、魘される回数も減った。眠っていてもあまり魘されなくなった。まだ魘されはするが、それも微々たる回数。
「アサヒ、起きている?」
そうしてベッドに横たわっていると、セフィリアが部屋の扉をノックした。セフィリア、先に戻ってきてたのか。
「まだ起きてるけど、どしたの?」
「久しぶりに街に出てるから、大丈夫かなと思ってね」
大丈夫だっての。疲れてるけど、本気で大丈夫だよ。だからさ、とりあえず寝かせてくれる? 体力を回復させてくれる?
「あぁ、ゴメンね。ゆっくり休んでて」
するとセフィリアはそう言って部屋を出て行った。さ、寝よっかな。お昼寝なら夢を見なくていいだろうし、悪夢を見なくて済む。もう、あんな夢を見たくない。
それからどのくらい眠っていたのだろうか。メイドさんに起こされて目を覚ました。
「おはようございます、アサヒ様。夕飯のお時間ですよ」
そう言って起こされ、リビングへと向かった。すると、そこには既に三人が待機している。やべ、やっぱ待たせてた。
「久しぶりの街はどうだった?」
「楽しかったです」
「そうか、それはよかったね」
私が椅子に座るとフリードさんがニコニコと微笑みながら声をかけてきた。それに私もにっこりと微笑みながら返事を返す。
そしてそれから少し話しをしていると、メイドさんが夕飯の用意を整え、テーブルに並べていく。……おなかすいた。
「フリードさん、お腹空いた……」
「よしよし、食べようか」
うん、いっただきまーす! 久しぶりに街を歩いて疲れたからか、お腹が空いてるんです!!
それから食後、のんびりとお風呂に入る。お風呂に入ると、私の体に残った無数の火傷の痕に目が止まる。傷痕はセフィリアの治癒魔法のおかげで大体は消えたのだが、少しは残ってしまった。
お風呂についてきていたメイドさんは、その痕を見ながら悲しげに呟いた。
「火傷の痕、残ってしまいましたね」
「うん。でも、かなり消えたし、きれいになったからいいんじゃない?」
「そう、でしょうね。本当に随分ときれいになりましたね。特にひどかった腕意外は殆ど消えましたもんね」
そう、私の体に残る火傷の痕は、特にひどかった腕に傷以外は大体消えた。腕はガードのために前に出していたせいか、火傷がひどかった。結果、腕だけはまだ痕が残っているのだ。
まぁ、あくまで痕であって、傷ではないから日常生活では何の害もないんだけどね。
「さあ、早くお風呂に入って、髪が乾いたらすぐに休んでくださいね。今日はお疲れでしょう?」
「うん、そうだね。ホント、疲れちゃった」
そう言って風呂に入り、髪が乾いたらすぐに就寝した。うん、きちんとメイドさんに言われたとおり早く寝ましたよ。ってか、実は髪が乾ききる前に既に寝ようかとも考えたのだが、それはメイドさんに止められました、残念。
そして翌朝、目が覚めると、通信機にメールが着ているのに気がつく。……あれ? トリス兄様だ、どうしたんだろ。
『調子はどうだい? 今日から授業を再開させても大丈夫そうかな? やるもやらないも君次第。ただし、無理はしないように。早めの返信を待っているよ』
……あぁ、そうだね、ずっと授業も休みだったし、そろそろやった方がいいのかな。怪我のせいでずっと中断してもらってたからね。
でも、今やったらまた知恵熱出しそうな気がしなくも無いと言うか、何と言うか……。よし、相談しよう!
「あら、おはようアサヒ。今日は早いのね」
「おはようございます、ユーリさん。相談したいことがあるんですけど、いいですか?」
私が相談と言う言葉を発した瞬間に、ユーリさんの目が輝いた。そしていそいそと私の座る椅子の隣へ移動し、私を抱き締めた。
「で、どうしたの? 何を相談したいのかしら」
「今朝通信機見たら兄様からメールが来てたんですけど……」
私は言いながら通信機を取り出し、そのメールをユーリさんに見せる。
「どうすればいいのかなーって」
分からないから相談しようと思って来たんですよね。授業の再開は早くしたほうがほかの子供たちにも早く追いつけるんだろうけど、ぶっちゃけるとやりたくないって言う気持ちもあるんだよね。だから、ユーリさんやフリードさん、セフィリアに相談したかったんだ。
「アサヒの望むようにすればいいわ。アサヒはどうしたい? 授業、してほしい? それとも、いや?」
「して欲しくない!」
勉強嫌い! 私が即答すると、ユーリさんはにっこり微笑み、私の頭を撫でる。
「なら、そう送ればいいじゃない。大丈夫、怒られたりなんてしないからね」
「うん! ありがとうユーリさん大好きー!」
そう言って、私からユーリさんに抱きついてみた。……考えてみれば、自分から誰かに抱きつくって、こっちの世界じゃ初めてじゃね? やったことあるかな? ……やばい、今考えると恥ずかしくなってきた。
「アサヒ、可愛いわね」
「ユ、ユーリさん? 離して、恥ずかしい……」
「全然恥ずかしくなんてないわよ。いいじゃない、アサヒから抱きついてくれるなんて殆ど無いんだから」
あわ、あわわわわ。ホント恥ずかしい、顔真っ赤! くう、どうやって逃れるか……。……! そうだ。
「ユーリさん、忘れる前に兄様にメールしたいから離してー」
「あら、そうね。じゃあ、はい」
そしてユーリさんに開放された後は、通信機を取り出してメールの入力を始めた。ちなみに、この通信機は二代目だ。初代の通信機は、異界に行ったときに壊れてしまったから、あの炎で燃えてしまったから。
お兄ちゃんたちと同じ顔をした少年たちの攻撃で、初代の通信機は原型は何とかとどめてはいたが、使い物にならないほどに溶けてしまった。
それを、怪我が少し善くなって起きておける時間が大分できた頃に、セフィリアに知らされた、現物を見せられた。さすがにもう直すことができなかったらしい。
そしてメールを送信して少しすると、セフィリアとフリードさんが一緒にやってきた。めーずらし。
「おはようございます、お母様、アサヒ」
「おはよう、ユーリ、アサヒ」
「おはよう、フレッド、セフィリア」
「おはよーございます、フリードさん、セフィリア」
セフィリアとフリードさんは、朝の挨拶をするとすぐに席に着いた。それを確認したメイドさんたちは朝食の準備を急ぐ。うん、お腹空きました。
そして食事を終え、部屋に戻る途中に通信機を見てみると、兄様から返信が来ていた。何々?
『分かった。じゃあ、明日からまた始めようね。今日はゆっくり休むんだよ』
うん、ありがと兄様。ゆっくり休んで、明日に備えるね。てか、今日は無茶したら筋肉痛とかになりそうだし、なりかねないから最初から無理するつもりは無いんだ。とりあえず明日は知恵熱が出ないことを祈っておく。……私の心身両方の健全のためにも。
だから、今日はゆっくりと本を読んですごすことにした。そのほうが平和だし、それに、年相応の本も大分読めるようになったしね。
まあ、難しい単語が出てくると分からなくて止まって、辞書とにらめっこになるけどそれもまた楽しいんだ。
結局今日は、一日中本を読んで過ごすことになった。ほかの事もしようかなーと考えないことは無かったのだが、本を読むことに集中しすぎてほかの事をする余裕を失ったのだ。
そして翌日、いつもの時間に兄様がやってきた。
「やあアサヒ、今日から授業を再開させるけど、大丈夫だね? 辛くなったらすぐに言うんだよ」
「大丈夫ですよ、………多分」
断言はできない、分からないから。でも、多分大丈夫だとは思う。
私の返事を聞いた兄様はにっこりと微笑み、そして怪我をする前に教科書として使っていた古文書の復刻版を取り出し、ページを捲った。
「ずっとやっていないから忘れているだろうね。最初から少しずつ見直していこうか」
「はーい」
確かに、二ヶ月くらいずっと勉強してないから忘れてそう。そういうのって、やらないと忘れるものだしね。
だから、兄様のその言葉が嬉しかった、気遣いが嬉しかった。だって、この状態で先に進んでも恐らく理解できず、また知恵熱を出しかねなかっただろうしね。
そうして授業は少しずつ進んでいった。うん、最初から見直すことになってよかったよ。だって、ホント、結構忘れてるんだもん。
「結構忘れているようだね。今度は忘れないよう、しっかり覚えるんだよ?」
「はぁい」
兄様には私の忘れ度合いがしっかり伝わっている模様。次は忘れないようにとの注意を頂いてしまったよ。
うん、頑張るよ? 今度こそ忘れないようにしっかりと覚えるに決まってるじゃありませんか!!
それからしばらく頑張り、いつもよりも早い時間に今日の授業は終了した。
「病み上がりでいつもどおりは辛いだろうから、少しずつ戻していくよ」
兄様曰く、いつもどおりやったらまた知恵熱を出しそうで怖い、とのこと。事実、今日は授業が終わってすぐに兄様の手は私の額に伸びてきた。いやいや、今日は熱出てないって、大丈夫だって。
「今回は大丈夫のようだね、よかったよ」
「大丈夫ですって、元気だもん」
「この間もそう言っていたけど熱があっただろう? 今日は熱も出ていないようだから安心した」
だから大丈夫だってば! 今度こそ力強くそれを告げると、兄様は微笑み、私の頭にぽんと手を置いて帰っていった。
さて、兄様も帰ったし、後は本でも読もうかな。本なら自分のペースでいけるし、この国の言葉の勉強にもなるからちょうどいいね。
それに今日は授業も早く終わったから、本を読む時間もその分多くある。ゆっくり読むことにしよう。
それから数日後、私にとって一番辛い日だった。その日、通信機を見るとハリー兄様からメールが届いていた。そのメールの内容を見た瞬間に、腕に痛みが走る。ひどい火傷を負った腕。もう治っているはずなのに、それがずきずきと痛む。
『彼の国の作り上げた異界の場所が分かった』
そのメールが、痛みを走らせる。そのメールの内容が、私の心を揺さぶる。その、
メールが―――
私が入り込んでお兄ちゃん、お姉ちゃんと同じ顔をした少年たちに生死の境を彷徨わされた、異界。今もまだ、火傷の痕の残る腕に痛みが走り続けている。耐えられない痛みではない、でも、痛い。
腕が痛い、そして―――心が痛い。私は痛む腕を押さえる。少しでも痛みがマシになるように。でも、でもそれでも……痛いのはかわらないんだ。
そうしていると、突然部屋の扉をノックする音が耳に届いた。返事をせず黙っていると、扉の向こうから遠慮がちな声が聞こえてきた。……セフィリアか。
「アサヒ、大丈夫? 入ってもいい?」
「……いーよ」
メールの話だろうね、きっと。セフィリアもきっと分かっているのだろう、私の心に残っている傷に。目に見える傷は全て癒えた、残るは痕だけとなった。だが、私の心の中にはまだ傷が残っているんだ。
―――お兄ちゃんたちに殺されかけたと言う恐怖。
実際に私を殺そうとしたのはお兄ちゃんたちではない。でも、お兄ちゃんたちと同じ顔だから、どうしても別人とは割り切れないんだ。
「アサヒ、大丈夫? 今日は家で休んでなさい、ね? 話は私が聞いてくるから」
「大丈夫、私も行く。話、ちゃんと聞くから……」
やっぱり心配かけてたか。でも、大丈夫、話を聞くだけなら問題は無いから。異界にいくのは怖いからまだ無理だけど、聞くだけなら大丈夫だよ。
私が異界に行かないと言う選択肢は無い。だって、私がいないと異界には入れないんだから。だけど、行くのはもう少し待ってよ、怖いよ。
また、お兄ちゃんたちと同じ顔のケリーと言う少年と、ナッチと言う少女に会いそうで怖いから、あったらきっと、また魔法攻撃を受けたり剣を突きつけられたりと、殺されそうで怖いから。
ほかの人に殺されかけたのならば、ここまではならない。私を殺そうとしたのがお兄ちゃんたちと同じ顔と言うのが、一番辛い、痛い。
私は、お兄ちゃんたちに嫌われたら生きていけないから。
「本当に大丈夫? 無理しなくていいんだからね?」
「大丈夫だよ。ヤバイと思ったら、耳ふさいで聞かないようにしてるから」
心配そうに私を見て尋ねてくるセフィリアに、私はにっこりと微笑みながら大丈夫だと答える。……まぁ、空元気だけどさ。
確かに、私の心の中はまだ危険な状態だろう。でも、セフィリアたちに全部頼りたくは無いから、ちゃんと聞くから。
「もうダメだと思ったら、限界が来る前に言ってね? 無理したらダメだからね? いい?」
「分かってるよ」
そう言って私はいく準備のために、メイドさんに手伝ってもらうように頼みに行ったのだが、しっかりととめられた。
「まだ無理はなさないほうがいいではないですか?」
「そうですよ。お嬢様にお頼みすればよろしいではありませんか」
「大丈夫だってば」
メイドさんにまでここまで心配されるとは………。私の怪我とか何とか、どれだけひどかったんだ?
そんなメイドさんたちを黙らせて用意を終わらせてリビングへ向かうと、今度はユーリさんとの勝負の時間だ。
「アサヒ、本当に大丈夫? 今からでもお断りできるのよ? 無理しないで、一緒にお茶でも飲んで、セフィリアを待ちましょう?」
「大丈夫ですよ。無理だと思ったら耳を塞いで聞かないようにするつもりですし」
「本当に、大丈夫なの?」
「大丈夫ですよ」
支度を終えてリビングの椅子に座り、セフィリアの支度の終了を待っていると、今度はユーリさんに捕まった。思いっきり心配された。
だから大丈夫ですってば、大丈夫です大丈夫です大丈夫です大丈夫です。何度も何度もその言葉を紡いで、ようやくセフィリアの準備が整い、私は逃げも兼ねて急いで外へ出た。………が、まだ馬車が来ていなかった。
「さっき連絡を入れたばかりだからまだ来ないよ。寒いから、家の中で待っていようね」
結果、馬車が来るまでそうやって未だ心配し続けるユーリさんの横でココアを飲んで待つことになった。
うー、心配そうに見てくるユーリさんの視線がマジで痛い。
それからしばらくしてやってきた馬車に乗り、城へ向かい、執務室の扉をノックした。
「どうぞ」
扉を開くと、驚きで目をまん丸にした瞳が三対目に映る。いやいやいや、そこまで驚かなくて言いと思わないかい?
「アサヒも一緒に来たのか」
「来ないかと思っていたよ」
「大丈夫か? 辛くなったらすぐに言うんだよ? いいね?」
王様、ハリー兄様、トリス兄様、どこまで心配ばかり……。大丈夫だよ、聞くだけなんだから。
「大丈夫です。ヤバイと思ったら耳ふさいで聞かないようにします」
「セフィリア、ちょっと……」
私が大丈夫だとはっきり告げると、ハリー兄様が手招きしてセフィリアだけを呼ぶ。。それに王様とトリス兄様も加わって小さな声で話をし始めた。………が、丸聞こえです。
「アサヒを連れて来るかどうかの判断は任せたが、本当に大丈夫なのか?」
「私には大丈夫そうに見えないよ?」
「本人は大丈夫だと言い張っているが、顔色は悪そうに見えるな」
「……本人に大丈夫だと、強く言われたしまったのです。そこまで言われると、連れて来ざるを得なくて……」
……みんな、心配してくれてたんだね。でも、大丈夫。顔色が悪いのはお兄ちゃんたちと同じ顔のあの少年たちのせいだよ、きっと。あの二人のことを考えるとどうしても嫌な考えにしか行かないから、そのせいだよ。
だから、セフィリアを責めないでよ兄様たち。
「私は大丈夫だよ」
今回はとめる術がある。以前セフィリアが初代国王に叱られているときは痛みで声が出せなかったけれど、今回は痛みも無い、声が出せる。
だから、とめる、絶対にとめるよ。だって、セフィリアは何も悪くないんだ。
「大丈夫だから、セフィリアを責めないで、兄様たち。セフィリアは悪くないよ、悪いとしたら私だから」
「聞こえて……いたか?」
「うん」
私が答えると、兄様たちはしまったと言う顔をする。いやいや、そんな場所で話されると普通に聞こえるからね?
そしてそれからは私に聞こえないように、先ほど以上に声を抑えて四人は話していたが、少しして元の位置に戻ってきた。
「アサヒ、本当に大丈夫なんだな?」
「大丈夫ですって」
「なら、いい。ただ、無理だけはするな、それだけは守ってくれるね?」
「はい。心配かけてごめんなさい」
私がしっかりと返事をすると、兄様たちはようやく納得してくれたのか、話を進め始めた。うん、長かったね。
「以前、カロライナ嬢から本を借りただろう? それに、異界を作った場所が書いてあったよ。地名は今と一致していないが、今の地図と照合させて、やっと場所が判明した」
「どこ……なんですか?」
セフィリアが問うと、ハリー兄様はどこからか地図を取り出してある一点を指差した。そこが、彼の国が異界を作り上げた場所、初代国王のピアスがある場所か。
「………それと、もう一つ分かったことがある」
ハリー兄様はそう言って私のほうを見る。……何ですか?
「異界と言うものは、繋がっているらしい」
それは、衝撃で。それは、私からほかの思考を奪うには十分な言葉で。
「つまり、ある一点で作られた異界と別の一点で作られた異界同士で行き来ができる、そういうこと……ですか?」
「………そうだ」
それを聞いたトリス兄様がハリー兄様に問うその言葉が重たくて。それに答えるハリー兄様の言葉も重たくて。
ハリー兄様が言いづらそうに私のほうを見た理由がよく分かった。異界同士で行き来が出来るということは、私たちが初代国王の指輪のある異界に入ったとき、またあの二人に会う可能性があるということだ。
―――全身が熱い、火傷を負った全身が、熱い………
―――腕が痛い、心も、………痛い。
「大丈夫か? 無理しなくていい、辛いなら辛いと言うんだ」
「セルド、医者を呼べ! 早く!!」
王様とトリス兄様が焦ってる。ねぇ、王様、兄様、医者は要らないよ、大丈夫。だって、恐怖で痛むだけなんだから。だから、大丈夫。
そう、言いたいのに口が動かない。体が言うことを聞いてくれない。……いつの間にか、体が震えていた。
「セフィリア、アサヒを落とせ! ショックが大きすぎる! このままじゃ壊れるぞ」
「はい! ……ゴメンね、アサヒ」
トリス兄様が何か言ってる。……落とすって何だろ、私、壊れないよ? もう、何も分からないんだ。
そうしていると、突然セフィリアに謝罪され、その謝罪の意味を考えていると、不意に首をちょっとした衝撃が襲った。
それが、私の記憶の最後。それ以降、私の意識は深い深い、闇の底へと沈んでいった。
気がつくと、私はグラディウス邸の自分の部屋のベッドに横にされていた。そして、そのそばにはセフィリアとユーリさん、フリードさんがいる。……うわお、勢ぞろいだ。
「アサヒ、気がついたのね。大丈夫?」
「……うん、へーき……」
何が、あったんだっけ。ハリー兄様が、何かについて分かったからって城に呼び出されて、その何かの話を聞いていたはずなのに、何で自分の部屋に戻されて、しかもベッドに寝かされてるんだろ。
何かって、何だっけ。何について、話をしに行ってたんだっけ……?
(お前を今から僕たちが殺してあげる)
殺して……コロス? あれ、誰だっけ。そういわれたのは、いつ、どこで、誰に言われたんだっけ。
―――それは、異界。
―――私を殺そうとしていたのは、お兄ちゃんと、お姉ちゃん。
「う、ああぁぁぁぁぁぁああぁぁぁ!!!」
「アサヒ!」
嫌だ、嫌だ、嫌だ。思い出したくない、思い出すな。私は頭を抱えながら叫び続ける。
(さっきの炎で焼け死んでれば、少しは楽に死ねたのにね。……痛みに苦しみながら死んでよ)
嫌だ、嫌だよ。お姉ちゃんは朝陽のことが嫌いだったの? だから、私を殺そうとするの? お姉ちゃん、朝陽はお姉ちゃんのこと大好きだよ、だから、殺さないで。
銀色に輝く剣にお兄ちゃんたちの顔が映ってる。二人とも、楽しそうに微笑んでる。
ねぇ、何で微笑むの? お兄ちゃんも朝陽が嫌いなの? 朝陽はお兄ちゃんも大好きだよ、だから、朝陽を殺さないで。
「ああああぁぁぁぁぁあぁぁぁああぁぁ!!」
「大丈夫! 大丈夫だから落ち着いて!!」
怖い、怖いよ、とても怖い。
辛い、辛いよ、とても辛い。
痛い、痛いよ、とても痛い。
―――火傷を負った全身が、そして、心が。
「大丈夫。もう大丈夫だからね、アサヒ」
誰かが私を優しく抱きしめてくれる。温かくて、とても気持ちがいい。この感じ、何だろ。何だかとっても懐かしい。
………あぁ、そっか、この感じって、あれだね。
「………お母さん」
会いたい、お母さんに会いたい。お父さんに会いたい。
お父さん、お兄ちゃんたちを止めてよ。お兄ちゃんたちが、朝陽を殺そうとするんだ。
お母さん、お兄ちゃんたちを止めてよ。朝陽は、まだ死にたくないから。お願いだよ。
そして、私はその考えを最後にまた深い闇へと堕ちて行った。
*****
また、夢を見た。異界にいた少年たちが、完全にお兄ちゃんたちになって私を殺そうとしてくる。また、炎の魔法が放たれる。でも、私はもう抵抗しない、完全に受身だ。
あぁ、体がどんどん焼けていく、痛い。でも、もうこの火を消そうとも思わない。だって、お兄ちゃんたちに殺されるなら、それでいい。お兄ちゃんたちに嫌われたら生きていけないんだから、それなら、お兄ちゃんたちに殺されたほうがよっぽどいい。
「なら、殺してやるよ。兄ちゃんたちに殺されるんだ、嬉しいだろ? 朝陽」
うん、ほかの人に殺されるくらいなら、大好きなお兄ちゃんたちに殺されたほうが嬉しいよ。だから、ね? もう殺して、楽にして。これ以上朝陽を苦しめないで、お願い。
「分かった。目を瞑って」
「うん」
これで、楽になれる。お兄ちゃんたちが、朝陽を楽にしてくれる。大好きなお兄ちゃんたち。そんなお兄ちゃんたちが殺してくれるんだ、受け入れるさ。
『馬鹿なことを考えるな、言うな』
え? この声、初代……国王?
「馬鹿なことを言うんじゃない、お前は生きるんだ」
今度ははっきりと聞こえた。気のせいだと思えないほどにはっきりと。
ねぇ、初代国王。どうして止めるの? だって、私を殺そうとしているのはお兄ちゃんたちだよ? 私の大好きな、お兄ちゃんたちなんだよ? だからいいんだよ。
「よくない。お前がここで死んだら、我が子孫たちがどうなるとおもう。お前はあの子らを悲しませるのか?」
「だって、苦しいよ、辛いよ。……どうせ一度は死んでるんだから、今度こそ死なせて」
「いいや、死なせない。お前は生きるんだ」
どうして? もういいじゃないか、楽になりたい。どうせ一度は果てた命、それが二度になろうが、何もかわらないでしょう?
せっかく、お兄ちゃんたちが殺してくれるって言ってるんだから、死なせてよ、邪魔をしないで。お兄ちゃんたちは優しいから、きっと楽に死なせてくれると思うんだ。
「……そうか、あいつらがお前に死を選ばせるのか。ならば」
初代国王はそう言ってお兄ちゃんたちに向けて手を向ける。何を……するつもりだ!?
「この世界から消えろ。アサヒを惑わせるな」
初代国王がそういうと同時に、目の前は光に溢れ真っ白になり、そしてその光が晴れた頃にはお兄ちゃんたちの姿はなくなっていた。
……ねぇ、初代国王、あなたはお兄ちゃんたちを殺したの? 私の大事なあの二人を、お前は殺したのか!! 許さない、絶対に許さない!!
「落ち着け。アレはお前の兄姉でも何でもない、お前の想像で作られたモノだ」
「違う!!」
お兄ちゃんたちはモノなんかじゃない! それなのに、貴様はモノ扱いをして殺したのか!! くそう、一発殴らせろ! お兄ちゃんたちの敵として、貴様を殺させろ!
「落ち着けといっているだろう。それに、仮にアレがお前の兄姉だとしても、それは実体ではないのだから実際には害はないはずだ」
実体じゃないってなんだよ。お兄ちゃんたちは幽霊でも何でもない、正真正銘生きてるんだ。なのに、どうして実体じゃないとか言えるの?
―――そっか、言い逃れだね。だって、貴様があの二人を殺したのだから。
「違う、いい加減にするんだ。ここはお前の夢の世界なんだから、目を覚ませ」
「夢なんかじゃない!!」
コレが夢なら、どうして痛いの? 私の体はお兄ちゃんの放った炎の魔法で火傷だらけでそれが痛いし、ほかにやられた場所も痛みを訴えている。これが夢なら、痛みなんてないはずだよね?
だから、コレは夢なんかじゃない、現実なんだ。
「痛いのはお前が痛いと思っているからだ。よく耳を澄ましてみろ、聞こえるだろう? お前を呼ぶ声が」
そう言われて、痛みの中で静かに耳を澄ます。……確かに、何かが聞こえた。
『アサヒ、しっかりして』
『お願いだから目を覚まして』
『アサヒ』
この声……誰だっけ。聞き覚えはある気がするけど、分からない。お父さんやお母さんとは違うし、お兄ちゃん、お姉ちゃんとも違う。
ねぇ、この声は一体誰なの? 初代国王に尋ねると、初代国王は淡く微笑みながら答えをくれた。
「コレはお前の父と母、そして姉だ」
「お父さんとお母さん、それに、お姉ちゃん?」
「ああ」
違うよ。この声はお父さんじゃないし、お母さんでもない、お姉ちゃんでもないよ。違うよ。
「違わないさ。これはお前の両親、そして姉だ。お前がそれを選んだだろう?」
……選んだ?
………あぁ、そっか、思い出したよ、やっと。あれはフリードさんとユーリさん、そして、セフィリアの声だ。
確かに、フリードさんは私の父であり、ユーリさんは私の母、そしてセフィリアは私の姉だ。あの日、私は養子になる道を選んだのだから――
「思い出したようだな。なら、戻れ、目を覚ますんだ。そして、しばらくは異界には近寄るんじゃない」
*****
「アサヒ!」
目を開くと、涙を流しながら私を見下ろすセフィリアと目があった。顔を動かすと、今度は泣いているユーリさんと目があう。
「おはよ………、セフィリア、ユーリさん。もう、大丈夫だよ。心配かけて、ゴメン」
私がゆっくりと、一文ずつはっきりと言い終えると同時に、部屋の扉が荒々しく開かれた。部屋に入ってきたのはフリードさんだ。
フリードさんは扉を開き、私を見るや否や、安心してか安堵の息をつく。私はフリードさんにも心配をかけたことをしっかりと謝罪した。
『アサヒ、本当に、あなたが無事でよかった』
泣きやんだセフィリアとユーリさん、そしてフリードさんにほぼ同時にその言葉を投げられた。相当心配をかけていたようだ。
心配かけてごめんなさい。でも、もう大丈夫だよ。異界にはしばらく行けないだろうけど、それでも、大丈夫だから。