幸願病 —after story—
死願病を叶に伝えてからしばらく。春になって、会社に入ってから三年目になり。
「えぇ……?」
毎年見る異動の紙に今年も驚かされている。
退職には、寺山さんの名前。
そして経理課にやってくることを示す場所には、
空下叶の名前。
え、戻ってくるの?? 嬉しいけども。
「どういう話なのこれ……」
「いろいろあったんだよ~……」
「実先輩」
後ろからやってきた先輩に促され、ひとまず廊下を歩き始める。エレベーターへと向かう途中でさっきのことを聞いてみた。
「あの、いろいろって?」
「ふふ、聞きたい?」
「うーん、聞きたいような聞きたくないような……。泥沼ですか?」
「……いろんな意味で?」
なんでそこで遠い目になるの。こわいなこれ。
「ちょ、ちょっと怖いです」
「とりあえず、願ノさんはしっかり巻き込まれたとだけ」
「ますますこわい……」
「まぁ本人から聞いてみるのもいいんじゃない。言うかわかんないけど」
にこっと笑って、エレベーターへと一緒に乗って。私たちが所属する経理課へと向かった。
叶に死願病を告げてから、日々が急に変わった。
まず初めに、隣に座ってた寺山さんが数日後から来なくなった。体調不良と聞かされていたけど、実先輩や叶の様子を見るに違うらしい。
そして私の隣には実先輩がやってきた。彼女の「一時的」という言葉には首を傾げつつ、死願病で遅くなる仕事を彼女は何も聞かずにたくさんフォローしてくれた。
叶とは、また前のように出かけたり、会社で逢うことも多くなった。
会社ではなぜか経理課に様子を見に来るようになり、私を見ては仕事に戻る。出社の時は駅で待ち合わせしようと誘われ、帰りは駅まで送ってくれる。そして休みの日に映画やカフェに行く。そんな気を使わなくてもいいと言ったのだけど、本人は「今までできなくて幸不足だから」となんとも勘違いしてしまいそうな言葉を言ってきた。
そうしてまた、前のように叶との時間が増えて。
それに伴って、半年経った今では死願病の症状は激減していた。
たまによぎることはある。でも、当時に比べたらこんなに世界は生きやすいのかと思うくらい楽になって。前よりもまたハンドメイドをできる時間も増えて、心穏やかな日々を過ごしていた。
きっと私の、死を願った罪は消えないけれど。病を治して、そうしてから死を願った分、償いをしていこう。
そう、思えるようになった。
「幸」
「叶」
経理課につけば、先に来ていたらしい叶がいた。
自然と顔がほころんで、足取りも軽くなる。そんな幸福を受ける資格はないと知っていつつ、一瞬だけは、と自分に甘くして。陰った心を見透かされないように叶に笑った。
「えーと、おかえり?」
「ただいま」
うれしそうに笑って、私の頭を撫でる。けれど、”あの人”のように嫌悪感はない。ほっと心に広がる安堵感に、口角は緩んで。
「びっくりしたよ」
「驚かせようと思って。知ってるのは姉ちゃんくらい」
「言ってくださいよ先輩」
「正直悩んだよ~。弟の驚きか後輩の驚きか」
今回は私の驚きかとくすくす笑って、三人で経理課へと入っていく。そうして、私の机までやってきてから。
「じゃあ私は今日から向かい側に移動するから」
段ボールにいれられていた荷物を持って、彼女は私の斜め前――元の彼女の席へ。そして隣には。
「え」
「またよろしく?」
昔のように、叶。
待って頭が追いつかない。
「ほんとどういうこと……」
「話してあげなよ叶」
「気は引けるけど」
そっと、いつかの日に私があげたマスコットを撫でて。
「落ち着いたら、な」
笑う叶に、自然と頷いていた。
そうして叶の異動もあってバタついた経理課が落ち着いたのは、数週間後。ようやっと一息つけると思いきや。
「で、嫉妬で俺は飛ばされたわけ」
「なんてこと……」
休みの日。叶の家にお邪魔させてもらって、彼から真実を聞いて。
私はあんぐり口を開けている。
叶の異動から、今までにあったこと。
寺山さんが私に恋していたらしく、嫉妬して上司権限使って叶を異動させて、私の隣へとやってきて。さらにすれ違いを起こした、と。
「しょ、証拠は……」
「防犯カメラにお前へのセクハラと受け取れる映像が」
「あぁ……」
「ま、そもそも聞いたら本人があっさり認めたしな。それで退職」
「叶は昇進?」
「別にそれを告発したからじゃねぇから」
そんな日々を経て帰ってきた叶は、一つ階級が昇進して、実さんと同じく経理課のリーダーになっていた。さっき言ったのは当然冗談で、彼がとても頑張っていたのは知っている。
「風のうわさでも聞いてたよ」
「……」
「すごいね」
ただ、一つ疑問。
「でも営業課のままじゃないんだね」
「……まぁ」
「営業で頑張って、経理で昇進ってなんか不思議」
笑いながら言えば、居心地悪そうにタバコに火をつけた叶。それに、首をかしげれば。
「……奪われたところ、取り戻したかったから」
なんて言うから。
ギッと自分が緊張してしまうのがわかる。
少し、甘いような雰囲気を感じる。こちらを流し目で見る叶は、どこか、甘い。ふっと吐いたタバコの灰を落として、少しこちらに寄ったのがわかった。
だめ。
「そ、そういえばさ!!」
「ん?」
どことなく、ソファに乗せた手がすぐ叶に抱きしめられてしまうような位置に置かれて、反射的に少し後ずさってから、言葉を発する。いつも通りの雰囲気になったのを確認してから、咄嗟に思いついたことを聞いた。
「死願病のこと」
「うん」
「なんか、その、すごい気にかけてくれてたよね」
ありがとう、と。
これまでの日々に、改めてお礼を言った。本人は埋め合わせとは言っていたけど、なんとなくわかる。私が考えすぎないよう、外に連れ出してくれたり、なるべく一人の時間にならないようにしてくれたこと。そのおかげで、ここまでよくなったから。
「本当に助かった、ありがとう」
「どういたしまして」
ようやっと落ちついた今日、お礼を言えば、優しく返ってきた。それに微笑んで。その日々の中で、疑問に思ったことも聞いてみる。
「なんか、こう、すごい手慣れてる感じがした」
「ん?」
「こう、不安とか、こわいっていう人に対する感じ。死願病って聞いても、嫌な顔一つしなかったし」
そう、これまでの叶はずっと優しくしてくれた。
たまに、飲み込まれるなとか、しゃきっとさせるように強めに言うことはあったけど。どこか、経験したことあるような。そんな雰囲気を感じて聞けば。あぁ、と納得したように。
「母さんがなったことあったから」
意外な事実に、目を見開く。
「え……」
「当時の、ちょうど流行りの時期にな。軽めではあったけど」
身近にいたから、よく知っていて。
「今じゃ調べても出てこない、対処法と改善法も、知ってたから」
だから、特に驚きもしなかったと、叶はこぼした。
「そう、なんだ」
「うん」
「その、お母さんの病気は」
治ったの? 心配で、聞けば。彼はふっと笑う。
「そりゃあもう。今はめちゃくちゃ元気。症状も軽かったし、今は出てねぇんじゃねぇかな」
その言葉に、ほっと息をついて。
少しだけ、うらやましくなった。
治ったこと、そして死を願ったことが許されているであろうこと。いいな、と思ってしまう。だって私はきっと、許されないだろう。どのくらい軽かったのかはわからないけれど、きっと私は、願いすぎたから。償ってもきっと、許されることはないのだと思う。
「……」
「……」
そう考えて、少し気持ちが落ちてしまって。雰囲気も少し暗くなる。話題変えなきゃ。
話すことを考えてたら、先に叶が口を開いた。
「うちの母さんも職場が原因でさ」
「? うん」
「内容は違うけど、職場のストレスで発病して」
「うん」
ぽつり、ぽつり。タバコの火を消した叶は話していく。
「ずっと怖がったような感じになって、たまに叫びながら起きて。三か月くらいかな」
短いようで、けれど決して短くない時間。
「子供のころは、すげぇこわかった」
その表情を見て、話を聞いて。ついさっき思ったことを恥じる。本人は軽かったって言うかもしれない。けれど苦しんだのは確かで。本来軽いも重いも、他人が判断できるものじゃないのに。
軽かったから許されてうらやましいなんて。
なんてこと思っちゃったんだろう。
そんなこと、思っちゃだめだ。
それに叶を見る限り、言うほど軽いものじゃなかったんじゃないだろうか。私よりもひどいんじゃないかと思う、苦しかったはずのその病。
「……どうやって、治ったの?」
聞けば、ふっと叶は笑った。
「うちの父親はそれはもう愛妻家で」
「へ」
「その死願病を知った日に、うちの母親のとこと自分の職場に休暇届を出して。とにかく母親を仕事から離れさせた」
家事をして、自分たちの世話をして。
「逆に、いつか父さんがなるんじゃねってくらい母さんがやってたことを全部引き受けて、母さんのことも、前よりもっと大切にして」
そうして、愛し続けた結果。
「医者も驚くくらい、早く回復したんだと」
――なんて、
「すごい……」
なんて素敵な話だろう。支えてくれる人がいて、その人のおかげで早く回復して。
まるで、おとぎ話みたいな。
いいな、とまた。
違う意味でうらやむ自分が出てきてしまう。そんな資格ないと、心の中で頭を振れば。
「幸」
「、え」
名前を呼ばれて、手にあたたかな体温が乗せられる。見れば、叶は私の手に自分の手を乗せて、真剣な目で私を見てた。
「か、なた?」
「俺も、そうやって支えられるようになりたい」
「え」
そっと、握られて。
「ずっと好きだった。幸を、これからずっと支えられるような存在になりたい。付き合ってほしい」
まっすぐな声に、言葉に。
心臓が痛いくらいに響いて、呼吸が苦しくなる。
――嬉しい。
最初に思ったのは、素直なその感情だった。けれどすぐに、だめだと思い至る。
私も好き。
ずっと好きだった。
いないと寂しくて、逢えたら嬉しくて。距離感が心地よくて、ずっとずっと一緒にいたいと願った。
でも。もう私にそんな資格はない。
私は、悪いことを願いすぎた。悪い子だから。
「だ、だめ、だよ」
「なんで」
身を引けば、叶も寄ってくる。それに抵抗するように、空いてる手で叶を押しながら、こぼす。
「この病気で、嫌なことたくさん願った」
「うん」
「叶にまで、し、しね、って」
「うん」
そんな私が、
「幸せになっちゃだめだよ」
こんなうれしいことは、受け入れちゃいけない。たとえ病気でも、脳のSOSでも。思ったことは、確かなんだから。
確かに、甘えてた。叶がしてくれること。もう少しだけって。
でも、これ以上はダメ。今日だって、これで終わりって気持ちで来たの。
だから、
「幸」
「ダメ」
手を伸ばしてこないで。私を抱きしめないで。
けれど言葉にしない思いは当然届かなくて。叶は私を抱きしめてしまう。
だめだよ。
「十分戦ったろ」
「……」
私を許さないで。
「もういいんだよ」
そんな風に、優しくしないで。そう、思うのに。
「頑張った分、一緒に幸せになろう」
強く、強く抱きしめられて、甘やかされて。涙が勝手にあふれてくる。
――いいんだろうか。
許されて、甘やかされて。
でも、と思う自分がいる。
何回人に「し」を願ったかと聞いてくる自分がいる。
それに、数えきれないくらいと答えが出てしまう。
だから幸せになるなんて、とても贅沢なことなのに。
優しく頭を撫でられて、あたたかな温度に包まれて。
「幸」
大好きな人に、名前を呼ばれて。
そんな風に、まるですべてを許してほしいという私の願いを叶えてくれるような、そんな優しさで呼ばれてしまったら。
「……」
また、「今だけ」と自分に甘くしてしまう。
「……」
弱いなぁと、自嘲しながら。自然とあふれてくる涙の間だけ。そう、甘くして。
私は叶の腕の中で、また涙を流した。
「死願病の奴が幸せになっちゃいけないなんて決まりはないだろ」
「だって……」
たくさん泣いた後。一度落ち着いて、私は再び叶と向き合っている。
叶はどうしても今返事が欲しいと私の腕を離さず、なぜダメかと聞いてくる。今はそれに答える時間になってた。
「俺の母さんはどうなんだよ」
「い、一旦置いといて、その……嫌なこと思ったら償いしなきゃいけなくて」
でも私は数が多すぎてもうできないと言えば。――ちょっと。
「何その呆れ顔」
「いや呆れるだろ……」
「真剣なんだけど」
「お前がなんで死願病になったかわかるわ」
まじめすぎる、と頭を小突かれた。
「そもそも脳のSOSだから」
「それでも、悪いこと思ったのは確かだよ」
「それは罪に問われんのか?」
「……思考は、問われないって」
「調べたのか……」
叶のあきれた声に違う意味で涙が出てきてしまう。こっちは真剣に悩んでたのに。また勝手にあふれてくる涙を見た叶は、一度ため息をつきながら私の涙をぬぐって。
「じゃあ自分の意志で言ってるやつらはどうすんだよ」
「それは、わかんない……」
「自分の意志で言ってるやつらは何も問われなくて、死願病は問われんの?」
「……」
「そんなのおかしいだろ」
そう言う叶はどこか悔しそうで。これはもしかして、いつかの日、お母さんが言われたんだろうかと勘繰ってしまう。その叶の手を、そっと握り返して。ぽつり、こぼす。
「……罪悪感があるの」
「……」
「幸せに、なること」
これまでずっと、人の不幸を願ったのだから、幸せになりましょうと言われても気が引けてしまうことはどうか許してほしい。それは伝わったのか、息を吐いてわかったと言って。
「……それでもひとまず、気持ちだけは聞きたいんだけど」
覗き込むように、聞いてくる。その目は、少しの期待。
「俺は、少しうぬぼれてんだけど?」
「……」
「これまでのお前との距離と、反応に」
幸、と頬を撫でられて、身をよじる。
「……」
「……」
伝えなきゃ、きっと逃がしてくれない。だから、素直に言った。
「……好き、です」
「……」
なんとか目を合わせて言えば、叶は笑う。
「そ」
「ね、だからもう――わ!?」
離してと言おうとしたら、逆に抱きしめられた。え、なんで。
「叶っ!?」
「両想いなんだろ」
「そうですけども!!」
だからと言って抱きしめていいわけではないのでは。そう思いを込めて背を叩けば、拘束は緩まって。
「っ」
代わりに、額がこつりと合う。距離が近くて、どきどきする。このままでは、キス、できてしまいそうな。
「……かなた」
そんなのはダメだと咄嗟に理性が働いて、叶を押す。けれど叶は私の腰に手をまわしたまま。
「そのさ」
「?」
「さっきの話」
「うん」
「罪滅ぼしって、具体的になにすんの」
あたたかな温度を感じながら、考えてみる。
罪滅ぼし。
なんだろう。幸せを願うこと?
死願病なら、死の反対? 生きるとかのお手伝いとかかな。
あとは、
「幸せになるような、活動、すること……?」
ふんわりした回答になってしまったけれど、思いついたことを言えば。
「じゃあさ」
また、強く抱きしめられて。
「その第一回目ってことで、俺のこと幸せにしてくんない」
思わぬ言葉に目を見開いた。
「かな――」
「お前がいると、幸せで。ずっと一緒にいたいからさ」
頼むよ、と。小さく言われてどうしていいかわからなくなってしまう。どこか子供のような叶に困惑していたら、ぽつり、呟いた。
もう、二度と、と。
「二度と、失いたくない」
隣という居場所も、私自身も。
そう、強く、痛いくらいに抱きしめられる。あたたかいはずなのに、どこか悲しさが伝わってきた。
そんな彼から落ちてくるのは、後悔。
「あのときお前に伝えてたら、少しでもお前が苦しまずにいれたかもしれない。うぬぼれかもしれないけど」
「かなた」
「席替えの件も姉ちゃんにもっと聞いときゃよかった。お前に嫌われてもちゃんと聞いておけば、あんなひどくならずに済んでたかもしれない」
後悔の言葉が、たくさんたくさんこぼれ落ちて。
「何もしてやれなかったことが、悔しい」
もしかしたら、失ってたかもしれないと呟く声は、震えていて。
「お前が償いとか言うなら、俺にもさせてよ。何もできなかった俺に、償わせて」
「……」
「お前のこと治して、前みたいに隣で笑っていてほしいんだよ」
顔が見えないけれど。もしかしたら叶も泣きそうなのかもしれない。それに、私も何故かまた喉元が熱くなって。
「……かなた」
自然と、声が震えた。
「……」
「……」
どのくらい、そうしていたんだろう。
痛いくらいの叶の腕の強さにただただ彼の背をあやすように撫でていた。
何度か繰り返していくと、ふっと叶から笑みがこぼれる。
「……ふは、必死すぎだな俺」
「……」
「もうちょいかっこよくしたかったんだけど」
照れ隠しの声は、まだ震えてた。
「……かっこいいよ」
それに、反射的に声が出る。
「叶はかっこいいよ」
ずっと支えてくれたこと。それだけじゃない、前からずっと、しぐさ、すべても。そうして、今も。
「私の好きな叶は、ずっとかっこいい」
「幸」
彼の背をなでながら、まだ伝えていない本音をこぼす。
「叶、私ね。幸せになっていいかはやっぱり、わかんない」
「……」
でもね。
「もし、それがいつか許されるなら、私も、叶の隣にいたい」
これから先も、ずっと。
また涙を流しながら言えば、そっと体が離れていく。
「……幸」
「……」
「もっかい聞いていい?」
「、」
「俺と、恋人になってくれませんか」
やさしく、けれどどこか逃げられないような目で、見つめられた。
「……」
正直言うと、まだ怖い。
本当にこのまま、幸せになっていい?
そう思う自分がいる。
けれど、と。
今度は前向きにそう否定の言葉を出せる自分もいて。
あなたが言う、償いの第一歩になればいい。
そうして、どうか、叶うのならば。
いつか許される時が来るのなら、あなたの傍で笑っていたいと、私も思うから。
叶の問いに、今度は、
「はい――」
小さく、頷いて。
近くなる距離に目を閉じれば、その唇にあたたかな温度が触れた。
目を閉じて、真っ暗になるときがいつの日からかこわかった。
みんなが私を責めていたように思う夢。眠るのが怖いし、起きていても、ずっとその光景が忘れられなくて。大好きな人も、この病気のせいでいなくなってしまうのかと不安だったけど。
「……」
「おはよ」
「……おはよ」
目を開けたら、その人はいて。やさしく笑ってくれる。
「よく寝てたな」
「うん、心地よくて」
「へぇ」
甘くキスを落とされて、心地よさに身をよじる。もっと浸ってたいけど、でも行かなきゃ。
「会社……」
「うん」
「叶」
「もうちょい」
そのもうちょいで何をしようというのか。ぺしっと、おいたしそうな手をはたく。
「いって」
「さんざんその”もうちょい”をしたでしょ」
「足りない」
殺す気なのかこの人は。恐怖を感じて、ガバリと身を起こした。
「幸」
「ダメ、死んじゃう」
「平気だって」
「叶しつこいんだもん」
「へー? 試してみる?」
「お断りっ」
甘いような、そんな攻防を繰り返す中で、叶はふと安堵したように私を抱きしめた。
「? なに」
「いや? お前が良くなってきたなって」
すり寄る叶に、ふとさっきの言葉を思い出し。そうかも、と叶にすりよった。
「前は”死んじゃう”なんて冗談でも言えなかった」
「言ったらパニックになったもんな」
「あの時も叶が助けてくれたよね」
「当然」、とくすくす笑いあって。少しだけ昔を振り返る。
恐怖に悩まされた半年と少し。死の言葉に振り回されて、うまく生きれなくて。このまま一生この不安と生きていくんだと思っていた日々。それを叶が救ってくれた。
互いの償いに、という叶の言葉に甘えて、それにうなずいて。彼と付き合い始めて半年。
あの日々が嘘のように、幸せを感じて、その罪悪感もゼロと言っていいほどなくなった。
たまに、こんなに幸せでいいのかと自問するときがある。前はそのまま恐怖に戻ってしまっていたけれど。
今は、大丈夫と。昔の自分に言える気がした。
思ってしまった事実は、変えられない。たとえ病気であっても、よくないことはよくない。それを忘れずにいることももちろん大切だけど。自分を許してあげることも大切だと、叶と一緒にいて理解した。
そうなってしまったまでの自分を振り返って、そこに至ってしまった自分を許してあげて。
いつか自分に、その思った分、悪いことが巡ってくるかもしれない。それを甘んじて受けると決めながら。
幸せになっていいと、許そうとどこかで思えた。
それからは楽になって、前に叶が言っていたように、自分の意志で言う人はどうなるんだとか、たしかにそうかもと笑えるくらいになって。前よりもずっと、前を向いて歩けている。それは周りの人と、
「……」
「ん?」
叶の、おかげだ。
改めて感謝だなぁと見つめていれば、叶は何を思ったのか近づいてくる。
「幸」
「……」
そうして名前を呼ばれて。自然と目を閉じれば、優しくキスが落ちてきた。
「……」
「……」
目を開けて、キスみたいに優しく笑う叶に。
「――叶」
「ん? っ!」
私からも一度、キスをする。
「珍しい」
「ありがとうを込めて」
「じゃあもう一回」
「調子乗らない」
また甘くなった手をもう一度はたき。残念なふりをしている叶に、舌をべっと出す。
くすくすと二人きりなのに小さく笑いあってから。
「もう、行こ」
「はいはい」
今日も今日とて、幸せを願いに行こうと。
叶と二人、ベッドから出ていった。
『幸願病 after story ―あなたと共に、幸せな日々を歩もう―』/願ノ幸




