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人間VS豆腐

作者: ほかほか
掲載日:2026/05/27


神奈川県H市、西公民館、17時開幕




「さぁ、伝統VS人類の頂上決戦が今始まろうとしていますッ。私たちが目にするのは、日本伝統、古来より親しまれてきました。伝統食品、そして何よりH市にて代々つくられてきましたッ豆腐。そして同国、日本が生み出した王者、五輪三冠、レスリングの申し子ッ。いや、神。巽金次郎ッ。身長189Cm体重93Kg。」




 雛人形のように並ぶ観客たちが、歓声に沸き、テープが投げられ、スポットライトが交差する。なのに、なぜか満たされない。俺は常に勝ち続けてきた。今年の五輪だってそうだ。いつものように組み、打ち負かし、壇上に立つ。それが俺だ。俺にだってヒーローはいる。でも、ヒーローにはいつだってライバルや悪役がつきものだ。でも俺はヒーローじゃない。父であり王者だ。




 拳を叩き合わせ、ファイティングポーズをとってリングへの花道を進む。豆腐だろうと同じことだ。皿の上で組み、打ち負かしてやる。




「豆腐、体積6859000立方センチメートルッ体重6,8トンッ」




 リングはいつもよりも大きく、豆腐は皿に盛られてはいなかった。レフェリーが目配せをする。もうすぐ試合開始だ。




「その戦いがッ、いま、始まるッ」




 ゴングとともに思い切り駆けだす。まずは小手調べに、組む。面で、押す。会場に、クジラが水面へと体を打ち付ける音が一拍。お、おかしい。これほどまでにもろく、組んだその手にすら欠片がついているというのに、まったくもって動かない。




「おおーっと、王者勇猛に突撃するも、豆腐は微動だにしません。これは一体どういうことなのでしょうか。この怪物を作り出した、現代のフランケンシュタイン、中野豆腐店のご主人にお話を聞いてみましょう」




 その時、ねじり鉢巻き、紺エプロン、黒長靴の男が姿を現した。そう中野豆腐店の主人だ。




「一言でいえば、多重結合ですかな」




思わず息を飲んだ司会者が聞き返す。




「多重結合」




口髭一つない、清潔感にあふれた主人の口元が動く。




「そう、化学ですよ。大豆を粉砕し豆乳へ。そしてにがりを入れるだけ。道具さえあれば誰でもできるんです」




会場のだれもが安堵した。たったそれだけのことか。そんな簡単な、誰でも夕方のクイズ番組で答えられるようなシンプルな化学の話。いたって特別でもない。しかし、観客席の中で一人の男だけが不敵な笑みを浮かべ、高笑いを始め語った。




「ここんいるやつぁ、全員節穴かよ。お前ら、ただのおっさんが6,8トンの豆腐。あの崩れやすくって、水に入ってるやつだぞ。あれをお前らが作れると思ってんのかよ。」




 静まり返る会場とは裏腹に男は話をつづけた。




「あのおやじの手を見てみろッ」




会場の全視線が解説席にいる中野へと向けられた。




「そうまで言われては仕方ない。ククッ」




中野がゆっくりと挙手する。その手はあまりに白く、豆腐のようにきめ細やかであった。そして、あまりに異様であった。




豆腐屋の朝は早い。店頭に並ぶ前日、午後9時よりその作業は始まる。まず、大豆の浸水。中野豆腐店で使われる大豆の品種は、国のほほえみ。その100gあたりのたんぱく質含有量は、通常の約2.5倍の85g。当然その浸水時間も長くなる。夏場は10~15時間が相場だ。圧搾、この手間さえ、一筋縄ではいかない。老舗のみそ樽を思わせる、巨大な圧搾機。そこへ浸水させた、国のほほえみを注ぐ。そして、中野豆腐店一族が集まり圧搾機を回す。圧搾機から舵輪の如く伸びるそれを回す。浸水させたとはいえ、国のほほえみはあまりに固い。圧搾機の中で、暴れ、粉砕、飛び散る音が町内へと響き渡る。それが町内での目覚ましなのだ。次に火入れだ。火入れは地下にて行われている。その製法は誰にも明らかにされていない。一説によれば、それは地獄窯と呼ばれている。蒸気あふれる暗室で、巨釜をへら一つで回す職人芸。漆黒の窯の中で、揺れる純白の豆乳が地獄の窯で煮られる罪人にも見えることからその名がつけられた。その機密レベルはあまりに高く、江戸時代、一目見ようと蔵へ忍び込んだ町人が200年で40人失踪したという。そして現在まで明らかにされていない。そして、絞り。クロスバイクやスポーツカーにも使用されている、特殊カーボンファーバー繊維を編んで作られた自動絞搾機。このフィルターを通し、じっくりと時間をかけ豆乳とおからが分けられる。この時できるおからは、毎朝地元の神社の豊穣神への感謝の証として奉納されている。ここまでの工程を経て、初めて豆腐作りが始まる。第二中野豆腐工房は、沖縄県沿岸部にある。琉球の海水。サンゴと密林に囲まれたそれを極限までろ過、のちに完全天日。これを2か月間行うことにより、独自のにがりを製造している。このにがり、そして豆乳を組み合わせる。ここからが職人の腕の見せ所である。精密機械ですら図れぬ、0.0000013gの壁。指紋の隙間、空気上に舞う数ミクロの粉塵これらを完全に制御しかき混ぜる。この動きだけは代々受け継がれてきた中野家だけがなせる業であり、その所作の美しさから蓮華地蔵の名をほしいままとしている。にがりを混ぜるまでの工程は、この所作一つを行うためのいちルーティンにすぎないのだ。豆乳の上澄みをすくいあげ捨てる、そこに残った下澄みを握る。万力のような力で脱水しつつ、手の感覚だけの柔らかな力で固める。その独特な反復運動により、広背、僧帽、三角、三頭、前腕は奇妙な盛り上がりを見せ、西洋彫刻にも見ることのできない肉体美を生み出していた。豆腐と密着する手には、湯葉にも似た水かきが生え、手のひらから余るほどである。




 中野はその手を自慢げに見せつけると呟いた。




「それを6,8トン」




 観客席はその姿にやはり蓮華地蔵を見た。そしてリングへ再び目をやり見えてしまった。巽が戦っているのは、つるりとしていて箸でも崩れて取りにくい、いつものあれじゃない。あれは、神仏だッ。これは、王者と挑戦者の王座防衛戦でもなんでもない。人間が神へ行う、宣戦布告だッ。同時に巽は、地蔵の影を感じながら、ある背中を思い出していた。





 20年前、巽金次郎21歳。日本最年少の金メダル獲得より2日後、実家のリングにて




「お前、金メダルとってチョーシ乗ってんじゃないのか」




 冗談気に笑いながらはっぱをかけるのは、巽の父、金太郎52歳。




「そんなに言うなら、一回」





「じゃあ、いくぞぉッ」




体と体がぶつかり合う、はずだった。久々に組み合った父はあまりにも軽くて、こんなものかとどこか悲しかった。




「はぁーっ、つよいねぇ~」


 


 やっぱり調子のいい父




「そりゃそうだよ、メダリストだ」




 当たり前にそういった。




「でっかく、本当にでっかくなりやがって」




 背を向けながらも、父は続けた。




「ま、俺たちの子供だし、そりゃそうか」




 あんなに軽かった父の背中は、あの壇上から見た景色より大きかった。




 これを越える。そう思った。だからせめて、あの時できなかった、すべてを込めて。




「おおーっと、巽が戦法を変えたようです。これはフォールを決めに行ったッ」




 どこに何があるかなんて関係ない。締め上げて落とすッ。大胸筋に力が入る。腱からはミシミシと音がしはじめ、だんだんと自分の顔が酸欠で赤くなるのを感じる。落ちろッ、落ちろッ、落ちろッ。




「巨大豆腐は顔面蒼白ですが、これは試合開始前からのことだッ」




息が切れる、いつぶりだ、こんなに喉が血生臭いのは。今度は足を刈るッ。




「だぁーッ、巽今度は投げに出たァー」




 あまりの重さに歯を食いしばる。崩れろッ。浮けッ。飛べッ。




「しかし、持ち上がらないーッ」




こうなったら、基本に忠実に行くしかない。まずは向き合って、それから、、、




「巽選手、構えなおして、ん、これはァー、最初と同じ構えです。つまりまた」




 そうタックルだ。心から組んでやるよッ




「突っ込んだーッ」




水面へと吸い込まれるクジラの音、そして地面を荒く擦りつけ削り取られるような




「動いていますッ、今、人間の手によって6,8トンの立方体がッ。崩れる、もうすぐ崩れるぞッ」




 その時、持ち上がった空気が、水から漏れだすような音が会場を包んだ。豆腐は揺れを止め、水を打ったような静寂が支配した。最初にレフェリーがリングへ上がり、次に医療スタッフが駆け上がった。




 巽のタックルは、豆腐を打ち抜き、その中に巽は閉じ込められて意識を刈り取られていたのである。担架で運ばれる巽、その顔はどこか満足気で、観客、スタンド、解説、すべてがその雄姿を称え湧き上がっていた。




「試合終了―ッ。すべてのリングが豆腐色に染まり、神への挑戦、人類の到達点、その熱き戦いが終わりまリた。結果は豆腐の勝利に終わりましたが、あの巨壁、人類が生み出した技術の暴走にヒビを入れ、その力を存分に示しましたッ。この試合は歴史を変えるッ。巽選手、豆腐に今一度大きな拍手をッ」


 





 後日、H病院にて




 負けてしまったな、でも全力を尽くせた。多分次やったら勝てるかもななんて考えながら、寝転がっていると学校帰りの子供たちと妻が見舞いに来た。




「ほらパパに言うことあるんでしょ」




長男長女の背中に手を当て妻が言う。




「パパなんか一番かっこよかった」




「そうかも」




 子供たちよ、そこは嘘でも断言するものだ。




「ありがとう、パパも負けたけど、なんか楽しかった」




 血は争えんな




おわり

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