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「黄金のアウレリア」シリーズ

灼熱の記憶 ー黄金のアウレリア外伝ー

作者: 北峰
掲載日:2026/05/02

こちらは「黄金のアウレリア -セルディア王国記-」内にあります番外編のシングルカット版です。

独立した短編ですので、ご興味を持たれましたら、是非とも本編にお越しください。


本編「黄金のアウレリア -セルディア王国記-」

https://ncode.syosetu.com/n8315lp/


今回の主役は、この作品内に出てくるミリアという女性です。

舞台はアテネに似た架空の都市、エピオナです。

 その日、ミリアは夜遅くまでヴァルクレウス国内の貴族の屋敷へ往診に行っていた。


「今夜はもう遅い。我が家に泊まっていってはいかがかな」


 ミリアが診察した患者は、屋敷の主の母親だった。なかなか熱が下がらず治療に時間がかかり、終わった時にはすでに日は暮れていた。


 それもあって、屋敷の主は帰宅しようとする彼女を脂ぎった笑顔で呼び止めたのである。

 だが、ミリアはその申し出をあっさり断った。


「いえ、結構です。父がお腹を空かせて待っておりますので、早く帰りませんと」

「それは実に残念だな。せめて我が家で食事でもと思ったのだが」

「恐れ入ります」


 まったく恐れ入らない表情で、ミリアはしおらしい台詞を返した。

 だが、相手の貴族はそれでもまだ完全にはあきらめていなかった。厚い脂肪に覆われた腹を揺らして、実に口惜しそうな視線を向ける。


「まあ、今宵こよいは引き止めぬとしよう。また次の往診では是非とも晩餐に招待したい」

「それはどうも、身に余るお言葉です」


 頭を下げてさっさと退去しようとするミリアに、貴族の男はまだ話しかけてきた。


「それにしても、女の医師とは珍しいな。エピオナには多いのか?」

「私が変わり者なだけです。多いわけではありません」

「そうか……しかし若い身空みそらでずいぶんと大変なことだ。できることなら我が家の専属医師に召し上げたいものだ」


 そう口にした瞬間、男の目は細く歪められた。その暗い微笑に、ミリアは寒気をこらえながら気丈に答える。


「私は多くの人々を助けたいので、申し訳ありませんがお抱え医師にはなれません」

「ふむ、ずいぶんと殊勝な心掛けだ」

「それでは失礼いたします」


 これ以上呼び止められぬよう、ミリアは足早に屋敷の玄関を後にした。

 待たせてあった馬車に飛び乗ると、彼女は石畳の暗い街道を揺られながら、はらに蓄積された罵倒を放った。


「あー、気持ち悪っ! しつこいんだよ、あのクソジジイ」


 馬車の車輪音で馭者には聞こえないはずではあるが、一応は気にして声をひそめている。だが、発言の中身にはまったく遠慮がなかった。


 往診に呼ばれ、屋敷に着いて以降、あの貴族の男は終始ミリアの全身をなめ回すように見つめてきた。

 口には出さなくとも、その気色悪い視線はさすがに察知できる。


 そして、遅い時間になったことを口実に、わざわざ泊まらせようとしてくる――その意図は明白だった。


 エピオナ人で、医師で、しかも女。

 この要素がすべて集まれば、特に貴族階級からの扱いは粗雑になる。


 特にあの男は最低でも三人は妾がいるとの噂で、新たに女の医師もそこに加えようと考えていたのかもしれない。無論、ミリアがそれに付き合う義理などないが。


 そんなことを考えているうちに、何の前触れもなく馬車が急停止したため、ミリアはつい車内で額をぶつけてしまった。


「ちょっと、何なの!? 誰か人でも轢いたわけ!?」


 物騒なことを口にしながら馬車から降りたミリアは、問い詰めようとした馭者ぎょしゃの様子がおかしいことに気づいた。


「いったいどうしたのよ?」

「あ、あれを見てくだせえ……!」


 馭者が眼を見開いて指差す方向を見やり、ミリアは呆然とした。


「何あれ……」


 そうつぶやいたきり、彼女は言葉を失った。

 すでに貴族の屋敷からは遠ざかり、もうすぐ家に帰りつく頃合い。馬車道からはエピオナの街並みが見えるはずだった。


 たとえ夜中でも、エピオナの白亜の街は月明かりと街の灯に照らし出され、闇の中に浮かび上がる。それが彼女の見慣れた風景だった。

 だが今は、その街が闇をも焼き尽くすような灼熱色に染まっていた。


 ――エピオナは、街一帯が燃え盛る炎に包まれていたのである。



     ※



 時は二か月ほどさかのぼる。

 日暮れ時、ミリアが自宅の診療所で治療した患者を玄関先で見送っていると、不意に声をかけられた。


「おう、ミリア。今日もまだ働いてんのか?」


 その声の主は、彼女の幼馴染のカリアスだった。


「まあね。あんたの仕事はもう終わり?」


 カリアスは小さくうなずいた。

 彼は駆け出しの船大工である。大工仕事は明るいうちに仕事が終わるため、彼は現場から帰ってくる途中であった。


「どうしたの、金づちで指でも潰した? それとも、のこぎりで脚でも切った?」

「んなわけねえだろ! 何年やってると思ってんだよ!」


 ミリアの雑な問診に、カリアスは思わず力いっぱい言い返した。

 そして、すぐにまた表情を引き締め直すと、不意に真剣な眼差しを向けてきた。


「……ミリアは本当に医者を続けるのか?」

「何でそんなこと訊くのよ」


 ミリアに不審な眼を向けられ、カリアスはやや慌てたように手を振った。


「いや……だって女の医者なんてそうそういないだろ」

「別に他人なんか関係ないでしょ」

「そりゃまあそうだけどさぁ……でも何もおまえがわざわざ親父さんの跡を継ぐことはないだろ?」

「別にうちのお父さんは私に継げなんて言ってないよ。ただ、私が勝手にやってるだけ」


 ミリアの母は彼女が幼い頃に病没し、以降は父が男手一人で育ててくれた。他に兄弟もいないため、家を継げるのはミリア一人。ミリアの父は娘に家業を継がせる気などなかったが、娘の方が父の背を見て自分も当然に医者になるべきと思い、育ってしまったのである。


「……まあ、おまえは昔っからおせっかいだったもんな」

「何なの、あんたは。さっきから人に喧嘩売ってるわけ?」


 ミリアにじろりとにらまれ、カリアスは肩をすくめる。


「いや、そうじゃなくてさ……医者ってどこで一人前って認められるんだ?」

「そうだねぇ、一人で診療を任されるようになってからかな。とっくの昔にやってるけど」

「そ、そうか……早いな……」


 彼女は幼い頃から父の手伝いをし、自ら努力して知識と技術を身につけ、すでに十年以上も医療に携わってきている。今さら一人前どころではないのだが、その事実を知らされてカリアスはやや戸惑った。

 そんな不器用な幼馴染に、ミリアは溜息とともに問いかけた。


「で、あんたが独り立ちするのはいつなの?」

「え!?」

「何よ、それが言いたかったんじゃないの?」


 言いたいことを先回りされ、ばつの悪そうにカリアスは口を開いた。


「その、実は今度、親方から監督を任されてさ……それでようやく一人前って言えるのかなって」


 カリアスはそこまで手先が器用なわけではなかったが、少年時代から見習いとして努力を重ね、ついには造船監督まで任されるようになったのである。それはもはや完全な独り立ちと呼ぶべき快挙であった。


「だったら、もったいつけずにさっさと言いなさいよ。ちゃんと今度お祝いしてあげるから」


 ミリアに強く背を叩かれ、カリアスは嬉しげに表情をほころばせていた。




 そうして二月ほどの時が過ぎ、一隻の船が完成した。

 港に接岸された、木の真新しい香りのする新造船を、ミリアは満足そうに眺めていた。

 その隣で得意げな顔をするカリアスに、ミリアは手にしていた小さな包みを渡した。


「じゃあ、これお祝いね」


 手渡された袋をカリアスが開けると、中から出てきたのは銀の腕輪であった。

 そこには海神の姿と祈りの言葉が刻み込まれている。

 見事な細工と意匠に、カリアスは目を丸くした。


「お、おい、いいのか? こんな高そうなの……」


 カリアスはようやく独り立ちしたとはいえ、稼ぎはまだそれほど良くはない。だからこそ、いかにも高価な贈り物に喜びよりもためらいがあったのだが、ミリアは彼のそんな不安を一蹴した。


「そりゃ一人前になったお祝いだからね。この程度奮発するのは当然でしょ」

「……ありがとうな、ミリア。俺……」


 カリアスが何か言いかけたその時、彼らの背後からミリアを呼ぶ声が上がった。

 その声の主は、彼女が呼び寄せていた馬車の馭者であった。


「あ、お迎え来ちゃった。私、行かないと」

「ああ、うん。貴族の往診だろ? ちゃんと金稼いで来いよ」

「じゃ、続きはまた後でね」


 軽くそう言いおいて、ミリアはカリアスに手を振ると馬車に乗り込んだ。

 それが、二人の最後の会話であった。



     ※



 目の前の景色はすべて炎に包まれていた。

 何時間か前にはいつもと同じようにあったはずの街が、今は灼熱に飲まれている。


「どういうこと……」


 自失したままふらふらと歩き出すミリアを、馭者が慌てて止めた。


「お嬢さん、どこ行くんですかい! 燃えちまいますよ!」

「でも、あの中には――……!」


 ミリアはそれ以上の言葉を失った。


 街一帯を飲み込むほどの火災。

 失火なのか?

 放火なのか?

 理由はわからない。

 だが、もし失火からの延焼ならば、燃え広がる前に多くの人間は避難しているだろう。


 それに、父は自分と同じように往診に出掛けているはずだった。ならば巻き込まれている可能性は低い。

 カリアスは――いくら要領の悪いあいつでも、海辺での仕事なら船で脱出するのは容易なはず。親方たちもいるのだから当然逃げ出しているだろう。


 ――そう、きっとみんな無事なはず。


 ここで取り乱して炎の中に飛び込んでも、自分が焼けるだけで何一つ成果などない。

 改めて気を引き締め直し、ミリアは馭者に向かって毅然きぜんと告げた。


「……そうだね。じゃあ、このまま西に向かって走ってくれる?」

「何で西に?」

「国境近くまででいいよ。できるだけ急いで。お金は倍払うから」


 最後の言葉に、馭者は力強く頷いた。


「ま、そのくらいはお安い御用ですぜ」


 そうして馬車はエピオナから遠ざかり、西側国境を目指して駆けていった。

 本来ならば近くの街へ向かうのが筋である。だが、ミリアはこの時、嫌な予感が胸をよぎっていたのだ。


 ここ最近、東の聖職者たちがやたらと改宗を促してきたり、不気味な兵士たちが街中をうろつく姿が目撃されていた。

 だからこそ、彼女は本来の宗主国であるヴァルクレウス王国を脱し、西セルディア王国を目指したのである。


 そして、その予感が的中したことを、後に国境付近の検問で知ることとなった。



     ※



 嫌味で口うるさい補佐官からの依頼で焼け跡の調査を引き受けたミリアは、散乱する焼死体を黙々と検分していた。

 すでに父の遺体は発見している。往診先で難を逃れていればという願いは届くことはなかった。


 そして、もう一つの願いも――


 病院の建ち並ぶ街道跡を丹念に調べ、ミリアは焼死体を一つずつあらためていく。その中に、黒焦げになった腕輪をした遺体があった。

 火災の高温でその一部は溶け、焦げついてはいるが、残った部分から彫られた意匠はわずかに読み取れる。


 ——海神の姿と祈りの言葉。


(――カリアス)


 握ればもろく崩れてしまうその手を、ミリアは指先でそっと撫でた。


 ――わかっていた。


 ここに来るまでに、もうわかってはいたのだ。


 ただの失火による火災ならば、住人の多くは逃げられただろう。だが、実際には兵によって意図的に火を放たれ、住人はほとんどが逃げることもできずに焼かれて死ぬことになった。


 そのことを知っていたからこそ、街の中心部に住むカリアスも逃げられなかったことは想像に難くなかった。

 昼間ならまだしも、襲撃のあった夜半に船大工が海辺になどいるはずがないのだから。


 炭になった手を壊さないようにそっと触れながら、ミリアは黒く変形した腕輪をそっと抜き取った。


「おい、どうかしたのか?」


 ともに現場調査をしていたユリウスに声をかけられ、ミリアは軽く首を振った。


「いや、何でもないよ。調査の続きをしようか」


 ユリウスにも、アウレリアにも、あえて話すことはない。

 自らの胸の内に記憶と腕輪を抱きしめて、ミリアは灼熱に焼かれた焦土を強く踏み出した。

お読みいただき、ありがとうございました。

ミリアとは誰なのか?

エピオナがなぜ燃えたのか?

ご興味を持たれましたら、是非とも本編へお立ち寄りください!


本編「黄金のアウレリア -セルディア王国記-」

https://ncode.syosetu.com/n8315lp/

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