第5幕
料理は、「誰と食べるか」が重要だ。
そんな言説をよく耳にするが、しかしその一方で、食事においては「どんな状況で食べるか」もそれと同等に評価されるべきではないだろうか。
どんなに美味しい料理でも、それを台無しにするようなシチュエーションというものが存在する。
想像してみれば当然のことで、
例えば、上司に叱責された後の飲み会とか。
例えば、プロポーズ失敗後のディナーとか。
例えば、目の眩むようなシャンデリアの光と、耳を塞ぎたくなるような高笑いと、酔いそうなほどキツい香水の匂い、それらが同時に立ち籠める晩餐会とか。
「……ほんとにこいつら全員死なないかな」
隣から恐ろしい独り言が聞こえてきて、思わずテーブルのステーキからふっと目を離した。
ロザリィは、宴が始まってからずっとこんな調子で挨拶しようと近寄ってくる来賓客を鋭い眼光と呪詛のような言葉で追い払っていた。
そのおかげで、おれたちふたりのテーブルは完全に離れ小島と化しており、ホール内は肘と肘が擦れあうほどの人混みであるにもかかわらず、このテーブルの周りだけはぽっかりと不自然な空白ができていた。
そんな具合で、グラスを片手に挨拶し歓談する紳士淑女たちを遠目に眺めながら暇を持て余していたところ、
「やっほ〜♪ふたりとも楽しんでる〜?」
陽気な声がして振り返ると、暗色のドレスに身を包んだイクシア王女とトゥーリがグラスを片手にこちらへ手を振りながら近づいてきた。
彼女たちのテーブルはかなり離れたところにあったはずなのだが、どうやらここら辺の空気が凍てついているのを察して声をかけにきてくれたらしい。
「ええ、こんなに楽しい晩餐会は生まれて初めて。もうほんとにサイコーよ」
ロザリィは、光のない虚ろな目でそう答えながら、テーブルのうえに投げ出した上半身を気怠げに起こした。
「というか、私たちの心配より自分自身の心配をしなさいよ。王位継承権を持ってる王女がこんなところで油売ってていいの?」
「ん〜?まぁなんとかなるでしょ。私、要領いい方だから、大体なんでもそつなくこなせちゃうんだよね♪」
そう茶化して指でVの字をつくるイクシア王女に対して、ロザリィは険しい顔で続けた。
「……勝算はあるの?」
「勝算?う〜ん、どうだろうねぇ」
イクシア王女は腕を組んで首を傾げた。
「王位継承戦ってさ、繰り上げ制度があるじゃない?だから、どんなに平和的に治めようとしても、結局、バトルロイヤル型のデスゲームになっちゃうんだよね。つまりは、戦争と同じで『資源』と『コネ』と『情報』の勝負になっちゃうの。
その結果、必然的に早く生まれた王子王女の方が有利になってしまう。
そこらへんを考慮すると、私の見立てでは」
彼女は、ホール内で一番人だかりができている中央の円卓に視線を向けた。
「やっぱり、第1王子のゾフォス兄さんが最有力候補かな。有力な貴族とか地方領主からの後ろ盾が厚いのも理由の一つだけど、何より叔父さんが騎士団の副騎士団長やってるのが大きい。もし暗殺が上手くいかなくても、騎士団を使った実力行使っていう力技があるからね」
解説が終わると、今度はホール中央にあるおれたちの円卓を挟んで第1王子の円卓と真反対の位置にある2つの円卓へ視線を移した。
「次席は、第2王子のラズーム兄さんかな。ゾフォス兄さん側の貴族と対立関係にある貴族とか、貿易商や大地主みたいな中流階級層の資産家から資金援助を受けてて、その資金力で私設の傭兵部隊をつくってるらしいね。かなり遠方からも兵を募ってるそうで、噂によれば、亜能持ちの傭兵も何人かいるみたい」
彼女は目で語るように、そのまますぐ隣のテーブルに視線をスライドさせた。
「3番手は、第3王女のクロヴェル姉さんね。昔から信心深い人だったから教会関係者との結びつきが強いイメージかな。教会のツテで遠距離魔法が扱える魔法練度が高い人材をたくさん集めてるみたい。籠城戦でもやるのかな?
ちなみに、クロヴェル姉さんは、ゾフォス兄さんの戦力をかなり恐れてるみたいで一時的にラズーム兄さんと協力関係を結んでるっぽい」
「そして」とイクシア王女は胸に手を当てた。
「4番手が私。で、5番手が……」
「僕かな?」
唐突に真後ろから声がして思わず椅子から飛び上がりそうになった。
慌てて振り返ると、そこにはイクシア王女と同い年くらいの青白い顔をした気弱そうな青年が微笑を浮かべて立っていた。
「久しぶりだね、イクシア。5年ぶり…かな?また会えて嬉しいよ」
「……そうね、正直もう会うことはないと思ってたからびっくりした。戻ってきてたのね、あなたも」
と返事を返す彼女の姿は、いつもの柔和で陽気なイクシア王女ではなかった。
表情も声色もぞっとするくらいに冷たくなっていて、あまりのギャップに別人ではないかと疑ってしまうほどだった。
一方、青年の方はそのことを特に気に留める様子もないまま今度はおれとロザリィを見て、
「君たちふたりは、久しぶりと言うよりも初めまして、かな?僕の記憶では、ふたりとは会話した覚えが一切ないんだよね」
彼は人差し指で額を規則的にトントンと叩きながら、おれたちを交互に見やると、
「改めまして、フローガ天王国第5王子ゲニウス・フローガです。以後お見知りおきを」
「エルピス・フローガです。よろしくお願いします」
握手を交わす瞬間、ゲニウス王子と目が合った。
ジッとこちらを凝視する彼の瞳は、なんとなく目の前の「エルピス・フローガ」ではなく、瞳の奥にいる「おれ」のことをみているような気がした。
「それにしてもーー」
と握手を終えたゲニウス王子は、冷ややかな目で閑散としたこちらのテーブルとは対照的な、来賓客たちで賑わう他の王子王女たちのテーブルの方を見渡した。
「僕らと彼らの間に一体何の違いがあるんだろうねぇ」
彼の声色には明らかに侮蔑的な含みがあった。
イクシア王女もそれを感じ取ったようで、不機嫌そうに眉をひそめつつ、
「違い?今さら何を言っているのかしら。そんなのこれまでの積み重ねに決まっているでしょう。彼らは民の信用と信頼を私たちよりも多く勝ち得てきた、それだけのことよ」
「は?民の信用と信頼?」
王子はイクシア王女の言葉に深くため息をついた後、やれやれといったふうに首を左右に振った。
「一国を治める王の座が『民の信用と信頼』で決まるなんておもしろい冗談だね。王は金貸し屋か何かなのかな?」
「傲慢なあなたには理解できないかもしれないけれど、私たちがこれまで何の不自由もなく暮らしてこられたのは、民が懸命に働き、支えてくれたおかげなのよ。その恩義を忘れて民からの信用と信頼を失えば、どんな大国だろうとすぐに亡国と化してしまうわ」
「へぇ、じゃあこうやって上流階級や資産家を晩餐会に招いてもてなすことがその恩義とやらに報いることになるのかい?
君はこれまで一度でも下層階級の人間と食卓を囲んだことがあるのかな?」
そう言った後、トン、トン、トンと指でテーブルの縁を苛立たしげに叩いていた彼の無表情が、突然、何かを思い出したような「あ」という小さな叫び声とともに、ニタリとした不気味な笑みに変わった。
「ああ!そういえば、君のことを慕っていたカレンデュラ王女は民の恩義に報いるために名前も知らないどこかの小国へ嫁いだらしいじゃないか」
"カレンデュラ王女"という単語に呼応するようにそれまで沈黙していたロザリィの体が一瞬だけぴくりと動いたのがみえた。
顔はゲニウス王子の方へ向けたまま目端で彼女の様子を窺うが、垂れた髪で表情がみえない。
「……それ以上はやめなさい」
イクシア王女は静かだが、腹に響く迫力のある声で彼を制そうとしたが、それは全くの逆効果だった。
彼女の声を聞いたゲニウス王子は鬼の首を取ったかのごとく瞳を黒く輝かせながら口を歪めた。
「恩義という建前で政略結婚して安全な国へ逃げ込んだのは賢い選択だったね。嫁ぎ先で男に媚びていればそれなりに安定した暮らしができるだろうからねぇ。王位継承権のない王女は気楽でいいもんだ。ああ、全く羨ましい限りだよーー
意気揚々と勝ち誇ったようにまくし立てていたゲニウス王子の口がそこで突然ぴたりと止まった。
三日月型にほくそ笑んでいた彼の目がみるみるうちに引き攣って恐怖の色に染まっていく。
彼だけでなくその場にいた全員の視線がある一点に釘付けになっていた。
心臓がどくどくと早鐘を打ち、開いた毛穴からじっとりと嫌な汗が流れる。
全身の筋肉が硬直し、張り詰めた空気で息が詰まったとき初めて、それが殺気であると理解した。
遠目から見ても分かるくらいに浮きでた血管とノコを引いたときのようなギリギリという歯軋り、そして、ブロンドの前髪の間からのぞく飢えた獣のように血走った赤い眼が青ざめたゲニウス王子の顔を水晶体に映していた。
火花一つで爆ぜてしまいそうな一触即発のまさにその瞬間、パシャンと何かが弾けるような音が鳴った。
「ごめんなさい、手が滑ってしまったわ」
イクシア王女の声だった。
彼女の右手には空になったグラス、そしてその傾いたグラスの先には頭から葡萄酒を滴らせるゲニウス王子の姿があった。
髪や顔はもちろんのこと、服にも紫色のシミが飛沫状に広がっていた。
イクシア王女は、素早く空のグラスをテーブルの上に置くと、おれとロザリィの手を掴んで椅子から引っ張り上げて、そのまま人の群れをかき分けつつ、早足でホールの出口に向かって一直線に突き進んだ。
ただならぬ空気に気づいたのか背後で少しざわめきが起こった。
彼女に手を引かれてホールを出る直前、ふと後ろを振り返った。
慌てふためく女給たちのその中心で、棒立ちになったゲニウス王子が能面のような無表情でこちらをみつめていた。
○●○
黒い服に身を包んだ老年の男が手を組んで棺の前に跪くーー
映像が切り替わる
たくさんの人々に囲まれながら棺を運んでいるーー
映像が切り替わる
穴に納まった棺に土がかけられる。
棺が地面に埋もれてどんどんとみえなくなってゆくーー
目を覚ます
目を開けると、首を傾げたイクシア王女が不思議そうにこちらを見つめていた。
「おはよう。部屋、勝手に入っちゃってごめんね。一応、ノックはしたんだけど返事がなかったから」
彼女は顔の前で合わせた手を少しずらして、
「それはそうと、なんだかうなされてたみたいだったけど大丈夫?」
「うなされてた?……あんまり覚えてないや。なんの夢みてたんだろう」
「ロザリィと魔法の特訓してたんじゃない?」
イクシア王女が目を細めてイタズラっぽく微笑むと、
「別に嫌がらせでやったわけじゃないわ。あれが一番手っ取り早い方法だったのよ」
聞き慣れた声がしてベッドから体を起こした。
予想したとおり、そこには猫のように体を丸めたロザリィが暖炉の火に手をかざしていた。
「そんなことより早く身支度しなさいよ」
「身支度?今日、何か予定あったっけ?」
「ああ、違うの」
イクシア王女は、苦笑いしながら両手を胸の前で小さく振った。
「今朝、ふと思いつきで城下町にあるカフェに行きたくなってね。それでふたりもどうかなと思って声かけることにしたんだ」
彼女は、アイコンタクトでテラスの方へ視線誘導した。
王城を取り囲む城壁のその向こう側に、茶色や赤褐色の屋根が不規則に入り組み合う雑多な街並みが見える。
それらの屋根屋根に綿のような雪がふわふわと舞い降りていた。
「あんたが全然起きてこないから様子を見に来たのよ」
暖炉脇にいたロザリィは、火にかざしていた手を襟元に持ってきて、白い毛皮のコートの中に顎をうずめた。
「だから、早く着替えなさい」
彼女はドレッシングルームからパパッと何着か衣類を抜き出してベッドの上にまとめて放り投げた。
寝ぼけた頭でよろよろと起き上がると、寝巻きを脱ぎ捨てて、ロザリィが投げてよこした服を顔の前で広げながら一つ一つ順に身につけてゆく。
これは、レギンス。
「そういえば、トゥーリとフェレスがいないみたいだけど」
「ふたりなら外にいるよ。さすがに就寝中の王子の部屋に入るのはいかがなものか、って話になって部屋の前で待ってもらうことにしたの」
毛皮のコートに袖を通し終えると、イクシア王女が首にマフラーを、手に手袋を、そしてシンデレラのガラスの靴のように足にブラウンのムートンブーツを履かせてくれた。
年下の娘に着替えを手伝ってもらう成人男性。
こんな光景を親が見たら一体なんと言うだろうか。
あまりに情けなくて泣かれるかもしれない。
これからは絶対に早起きしようと心に誓いながら部屋を後にした。
「じゃあ、そろそろ行こっか」
外で待っていたトゥーリとフェレスに挨拶し終えるのを見届けた後、イクシア王女は先頭切って廊下を歩き始めた。
すると、ちょうどそのタイミングで、
"ボーン、ボーン、ボーン……"
低い鐘の音が廊下に響き渡った。
窓の外に目を遣ると、黒い服に身を包んだ神父風の男が時計塔の上にある巨鐘を打ち鳴らしているのがみえた。
ロンドンのビッグ・ベンを彷彿とさせるあの大きな時計塔は、今おれたちがいるこの左宮(男性の王族やその親類の居住エリア)とロザリィやイクシア王女の寝室がある右宮(女性の王族やその親類の居住エリア)の間に建設された中央宮(儀式や催事を執り行うエリア)のてっぺんに位置しており、朝の4時から夜の22時まで3時間おきに時報として鐘が鳴らされることになっている。
これは、城で働く使用人たち時間管理が目的であり、王族の居住フロアである最上階の部屋には音が響かないよう入念な防音加工が施されている。
という話をついこの間、フェレスから教えてもらった。
その情報をもとに考えると、ロザリィが昼過ぎまで寝かせてくれるわけがないから、今の時刻はおそらく10時だろう。
ちなみに、ロザリィやイクシア王女がこんなふうに気軽に左宮へやってこられるのは、それぞれ左宮、中央宮、右宮の最上階が渡し廊下で繋がっているからだそうで、そのおかげで王族の居住フロアである最上階の9階にも比較的短時間で行き来することができるらしい。
フェレスから聞いた王宮全体の見取り図を脳内でイメージしながら歩いているうちに、いつの間にか階下に降りる折り返し階段までたどり着いていた。
しかし、イクシア王女はその階段を降りずに、階段正面にある扉の前で足を止めた。
「ここに来ると小さかった頃を思い出すなぁ」
彼女は、懐かしむような手つきで扉に添わせた手をするりとドアノブの上へ落とした。
"ガチャ……"
と扉が開いた瞬間、その室内の異様な光景に思わず唖然とした。
そこには、入り口の扉を中心として10人ほどの兵士が弧を描くような陣形で等間隔に配置されていた。
彼らの背には、犯罪映画さながらのいかにも防御力が高そうな金属製の金庫の扉があった。
イクシア王女が部屋に足を踏み入れるや否や、兵士たちは片膝をつき、抜き身の剣を体の前で立てた。
「そんな仰々しい挨拶しなくたっていいのに」
軍隊らしい一糸乱れぬ敬礼に気まずそうな苦笑いするイクシア王女。
すると、正面にいた一人の兵士がおもむろに立ち上がり、一歩前へ進み出た。
「おはようございます、イクシア王女殿下」
と銀色の甲冑の中から壮年らしい男性の声が聞こえてきた。
「どこかへお出かけですか?」
「ええ、ちょっと城下町の方に用があってね」
「では、お手数ですが、城外外出届と護衛許可申請書に署名をお願いいたします」
イクシア王女は部屋の端に置かれた木製の事務机の上でさらさらとペンを走らせ始めた。
しかし、どうしてこんなところで外出届を書くのだろうか。
ここよりも、国境での入国審査みたいに城門近くにある詰め所か何かで記入する方が事務作業の手順としては自然だと思うのだが……
それと、もうひとつ気になるのはあの金庫だ。
あの中に一体何が保管されてーー
そのとき、突然、コートの裾がぐんと引かれる感覚で我に返った。
後ろを振り返ると、目の前にロザリィが立っていた。
彼女の右手はおれの服を、左手はフェレスのメイド服の裾を掴んでいる。
フェレスも全く同じような状態らしく、何事かと驚嘆した顔でロザリィとおれの顔を交互に見ていた。
ロザリィは警戒する目つきで周囲に目配りした後、
「今日の外出は、計画実行前の予行演習よ。本番も同じルートで行くから道順を頭に入れておきなさい」
彼女はおれたちだけに聞こえるよう小声でそう囁いた。
おれとフェレスが「了解」の意を込めて軽く頷いたちょうどそのタイミングでイクシア王女が手続きから戻ってきた。
彼女の手には、3つの大きな鍵を束ねた銀輪が握られている。
「お待たせ♪じゃ、出発しよっか」
イクシア王女は、そう言いながらすたすたと金庫の扉の前まで歩いていくと、そのまま手に持っていた鍵の一つを鍵穴に差し込んで時計回りにぐるりと一回転させた。
"ガチャンッ"
と錠が外れる音とともに扉が開いた。
金庫の中にあったのは、光り輝く金銀財宝。
……ではなく、床下を突き抜けるように掘られた石造りの螺旋階段だった。
そこでようやく先ほどの外出届の疑問が解けた。
これはいわゆる緊急避難用の非常階段だ。
おそらく火事などの事故や災害、そして戦争で城攻めに遭ったときなどに、王族やその親族たちがいち早く安全なルートで逃げられるよう設計されたのだろう。
今回は緊急事態ではないものの、水面下で王位継承戦が起こっているという事情がある。
特に、王位継承権を持っているイクシア王女は、出先で事件に巻き込まれてしまう可能性が高いのであまり目立たない避難用の経路を利用するのは安全面を考えるととても理にかなっている。
「暗いから足下気をつけてね」
イクシア王女のかけ声とともに、手持ちランプを持った護衛の兵士を前後に2人ずつ付けた状態で薄暗い階段を降りてゆく。
一段降りるたびに、カツンカツンと乾いた足音が石壁に反響し合って暗闇の底へ落ちていった。
10分ほど経つと階段が途切れて、代わりにまた部屋にあったのと同じような金属製の金庫扉が現れた。
が、それもイクシア王女が慣れた手つきで解錠した。
そして、その先の石で組まれた長廊下をひたすら歩き続けること1時間余り、ようやく出口らしい鉄扉にたどり着いた。
残っていた3本目の鍵を回すと、扉の向こう側から白く眩い光が飛び込んできて反射的に目を細めた。
「やっと着いたよぉ〜」
前方からイクシア王女の声がして目を開いた。
だんだんと焦点が定まり物の輪郭がはっきりしてくるにつれて、そこが大きな祠の入り口であることに気づいた。
石階段の上にある鉄格子から漏れ出た光がこちらへ差し込んでいた。
先頭にいた護衛の兵士が鉄格子越しに何かを囁いた途端、外でガシャンガシャンと何やら金属同士が激しく擦れ合うような音が騒がしく鳴り響いていたが、10秒ほどですぐにぴたりと止んだ。
それを確認した階段下の兵士が壁に取り付けられた大きなハンドルを体全体で回し始めると、それに連動してガガガッと鉄格子が音を立てて開いた。
映画のワンシーンのようだった。
祠の入り口から左右にずらりと整列した兵士たちが、地面に片膝をつきながら胸の前で剣を立てていた。
花道は小中高の卒業式で経験済みだったが、拍手が剣になると緊張感が段違いだ。
予想外の出迎えに驚きつつも、イクシア王女の後ろに付きながらその花道に沿って進んだ。
横目で周囲を探ってみると、兵士たちの背後に、テントや馬小屋、倉庫、櫓などがいくつかみえることから、ここが軍の拠点の一つであろうことが察せられた。
駐屯地と呼ぶにはにはやや規模が小さいので、おそらく警備・監視のための小規模拠点、いわゆる分屯地というやつだろう。
安全面だけを考慮すれば、この脱出口の位置はとても頼もしいけれど、逆に、隠密に脱城する場合を考えるとかなり危険な位置にあるように思えるが、果たしてどうやってここを抜けるのだろうか。
強行突破だけはやめてほしい。
計画について頭を巡らせているうちに、拠点の玄関口らしい鉄門をくぐり抜けて拠点の外へ出ていた。
そこでもう到着した気になっていたのだが、外の景色はどう見ても城下町ではなく、木々並び立つ森の中にあって家はおろか人っ子一人見当たらない。
疑問を抱えたまま、そこからさらに20分ほど進み続けて、いよいよロザリィに現状の説明を乞おうとしたそのとき、突然、森の木々が途切れて視界一面がパッと開けた。
粉雪降る曇天の下、足の短い枯れ草が揺れる広大な平原地帯とその地を分つように走る石畳の街道、そして何より目を引いたのは外壁で囲まれた丘上都市の街並みと頂上にそびえ立つ王城の景色だった。
荷台一杯に樽を積んで馬車を引く行商人、剣や盾を身につけたガタイの良い傭兵風の男たち、
黒装束に身を包んだ巡礼者の一団、野菜や果物を載せて荷車を引っ張る農民、老若男女問わずさまざまな身なりの人々がその城下町を目指して歩いている。
川の支流が本流へと流れ込むように、おれたちもそこへ合流し流れに身を任せていると、すぐに街の玄関口らしい街門へとたどり着いた。
門の横にある詰め所の前に馬車引きや大荷物を背負った人々が長蛇の列をつくっていたが、おれたちと同じ軽装の人たちはもう一つの脇の門から自由に出入りできるようで、おれたちも護衛に先導されながらそちらの門から街へ入った。
「かなり混雑してるみたいだから、迷子にならないようについて来てね」
そう言って前方を歩くイクシア王女の後に続きながら人で溢れ返った広場を縦断して、勾配のある大通りを上っていく。
通りの両側には路面店がずらりと軒を連ねており、宿屋や酒場、八百屋、肉屋、武具店、さらには教会までもが、昼前とは思えぬほどの盛況ぶりをみせていたが、その雰囲気はどこか異様で、どちらかと言えば街の明るい活気というよりもどことなくきな臭い空気を孕んだ、祭前夜の熱狂に近かった。
どこでそう感じたのか、それを正確に説明するのは難しいが、あえて言うならば人々の「目つき」だろうか。
アドレナリンに侵されて黒く開いた瞳孔は、前世で見たあのときの光景を彷彿とさせた。
そんな熱に浮かされた人々の間を縫うようにして大通りの坂を登っていくと、街の領域を区切るための内壁と門が現れた。
が、そこの検問も特に何の検査もなく、先ほどの街門のようにすんなりと通過してさらに壁の内側へと進むことができた。
内側のエリアは、街の住民が住む居住区域のようで、外側と比較すると本当に同じ街なのかを疑ってしまうほど閑静な雰囲気だった。
そのまましばらく通りを歩いているうちに、だんだんと街の景色も雑多に移ろいでいった。
道幅も徐々に狭くなっていき、迷路のように入り組んだ薄暗い路地をあみだくじするみたく歩いている途中で、前方を歩いていたイクシア王女がある露店の前で唐突に足を止めた。
傾斜がついた陳列棚、その棚の上に宝石が嵌め込まれた指輪やネックレス、ブレスレットなどの装飾品が売り物とは思えない乱雑さで投げ売られていた。
「昔、クロヴェル姉さんがさ、こういうところで買ったアクセサリーをロザリィの誕生日プレゼントにしてたの覚えてる?ほら、子供だから分からないだろうって」
「そういうの日常茶飯事だったから、あまり覚えてないわ」
ロザリィは宝石群を眺めながらあっけらかんとした口調でそう答えた。
「でもさ、ロザリィってそういうの見抜くんだよね。本物の宝石なんてまだあんまり見たことないくらいの年なのに」
自分が付けている指輪と店の指輪を交互に見比べるイクシア王女。
残念ながらおれの目に真贋を見極める才はないらしく、どちらの指輪の宝石も等しく真に映った。
前世の日本で普通に生きていて、宝石を身に纏う機会なんてあるはずがないので当然といえば当然なのだが、大した審美眼も持ち合わせていない自分が一級品の衣服や装飾品を身に纏っているのはなんだか恥ずかしくもあり、申し訳ないような気持ちにもなった。
その後、さらに思い出話を続けようとするイクシア王女をロザリィが口で急かすように追い立てつつ露店があった路地を抜けると、2台の馬車がギリギリすれ違えるくらいの少し広い通りに出た。
目的地のカフェはその通りを挟んですぐ向かい側にあった。
なかなかインパクトのある外装で、壁には青々とした苔がわんさか生い茂り、屋根の上には、出所不明の蔦が好き放題に絡まり合った挙句、拠なくなった蔦先が軒下へだらりと垂れ下がっていた。
ポストアポカリプスがテーマのコンセプトカフェかと思ったが、中へ入ってみると、特に荒廃したようすもなく、木の温もりが感じられるログハウス調の落ち着いた空間が広がっていた。
例の森の洋館といい、普段、煌びやかで広々とした部屋にいる王族の人たちは、逆にこういう隠れ家みたいな場所を好む傾向があるのかもしれない。
料理に関しても、王宮のものより味付けが濃くてジャンキーな揚げパンやフライなどが多く、彼女はこういう世俗的な味が楽しめるところを気に入っているのだろうと肌身で感じた。
そうして、2時間ほどカフェでゆったりと過ごした後も、同じ通りの服屋やら雑貨屋やらを何軒かハシゴしてそろそろ帰路につこうという頃にはもう辺りが薄暗くなっていた。
「楽しい時間は過ぎるのが早いねえ」
イクシア王女が名残惜しそうな顔でふぅと空に白い息を吐いた。
真上の方の空はだんだんと藍色に染まって、ぽつぽつと小さい星が見え始めていた。
「色々落ち着いたらまた来ればいいでしょ」
先頭を歩くロザリィが前を向いたまま答える。
「それに、ここじゃなくても街なんて世界中に数えきれないほどあるんだから」
「……うん、そうだよね」
言葉では肯定して頷いたイクシア王女だったが、一方で表情には翳りがみえた。
王位継承戦中に継承権を持つ王女が不安がるというのは至極当然のことだとは思うけれど、しかしここ数日を通して人前では常に明るく振る舞っていた分、そのギャップに少し違和感を感じた。
「何か気になることでもあるの?」
なぜか、妙な胸騒ぎがして反射的に口が動いた。
彼女は一瞬目を泳がせて話すかどうかを逡巡していたようだったが、すぐに何かを振り払うように首を振って、少し苦笑いしながらこちらに向き直った。
「……笑わないで聞いてほしいんだけどさ、昨日の夜、ちょっと怖い夢みたんだ。それ、思い出しちゃって」
「怖い夢……」
夢。
何か重要なことを忘れているような気がする。
たしか昨日、夢を観たはずではなかったか?
意識の底に沈んだ記憶の断片に手を伸ばしかけたそのときーー
「止まって」
前方からロザリィの鋭い声。
顔を上げると、そこは先ほど露店があった路地。
なにかがいた
影から分離、蠢く何か
足は、足が、動かない、足が
後方も鏡写し、つまり、囲まれていた
護衛が1人、わけのわからない奇声を伴い、それに向かって駆けた
体、ブレて
下半身、地面に立って
上半身、地面に這って
ない、目が、両目が
迫る、影、影、影、影、影
ーー耳と目を塞いで地面に伏せてください
耳に飛び込む言葉、無意識に動く体
地響きが全身を這う
数秒間の沈黙の後、優しく背中を揺すられる感触がして目を開いた。
おそるおそる顔を上げると、横にいたイクシア王女がほっとした顔で胸を撫で下ろした。
「よかった。大丈夫みたいだね」
彼女は怪我がないことを確認して前方に目を向けた。
直径5mほどの真っ黒な焦げ跡。
歪に広がるその円の中心に、白煙立ち上る黒い塊があった。
振り返えれば、後方にも全く同じ光景がもう一つ。
大きな円形の焦げ跡と黒塊。
通りにいる誰もが状況を飲み込めないまま茫然自失で地面に膝をついていたが、その中で1人悠然とした佇まいを崩さぬ者がいた。
「咄嗟のことで、ついやってしまいました。生け捕りにした方がよろしかったですか?」
トゥーリは、通りと平行に伸ばした両手を静かに下ろした。
「いいえ、大丈夫。相手の見当はついてるから」
「痛み入ります」
軽く言葉を交わしたイクシア王女は、再び前方に転がった黒い物体に視線を移した。
どうやらそれは人型生物のようだった。
上から順に、頭、腕、胴体、脚、らしき部位がみられたが、しかし両脇腹の辺りからそれぞれもう一本ずつ腕らしきものが生えているところ、腰辺りから爬虫類のような尻尾が生えているところから、人族と同種ではないことが判別できた。
「魔族……」
イクシア王女の呟きは、ガシャンガシャンと金属同士がぶつかり合う音の集束でかき消された。
通りの両端にパッと火が灯る。
「イクシア王女殿下、ご無事ですか!?」
松明を揺らして近づいてきたのは警備兵らしい一団。
先頭にいた隊長と思しき甲冑が集団から一歩前へ進み出た。
「大きな音がしたので駆けつけたのですが、これは一体何があったのでしょうか?」
「状況説明は後にしましょう。今は王城に戻るのが先決です」
イクシア王女はそう言い終えると、厳しい顔つきから一転していつもの人好きする笑顔で首を傾げた。
「ここからは護衛してもらえるのかな?」
「え?」
兵士は、一瞬だけ時が止まったように硬直したが、すぐに兜を縦に揺らした。
「もちろんですよ。我々はフローガ天王国軍の兵士なのですから」
彼は部下たちに遺体と証拠品の回収を命じた後、すぐに先ほどのカフェに面した広い通りの方へおれたちを誘導した。
彼に付いて通りへ出ると、なぜかもうすでに正面の往来に大きな馬車が用意されていた。
「では、王宮まで責任を持って護衛させていただきます」
おれたちと何人かの護衛が乗り込むと、御者の掛け声が通りに響いた。
馬車はゆっくりと坂を登り始めた。
目を瞑ろうとするたびに、あの恐ろしい影が瞼の裏に浮かぶ。
冴え切った目を天蓋へ向けた。
「……まだ起きてる?」
しんと静まり返った部屋。
三拍ほど空いて、
「寝てる」
彼女の場合、おそらくその言葉は「話しても良い」に変換できるのでそのまま話を続けることにした。
「さっきの路地のやつ、どう考えても暗殺だよね」
「そうね」
間を置かずに短い返事が返ってきた。
「計画のことなんだけどさ、イクシア王女も一緒に逃げるよう説得するのはダメかな」
「なんで?」
「余計なお世話かもしれないけど、さっきみたいな暗殺がこれからも続くって考えると、なんかすごく心配になってきて……」
「真逆ね。私はさっきの戦いを見て、彼女への心配は杞憂だと思ったわ」
彼女はリラックスした様子で一つあくびをして、
「さすがダークエルフね。上位種族なのは知っていたけれど、まさかあんなに法外な強さだとは思わなかった」
「トゥーリの魔法ってそんなにすごかったの?」
「火の魔法で路地全体を照らして敵の位置を把握しつつ、動き回る的めがけて雷魔法を正確に打ち込んだ。しかも暗殺のプロである魔族を二体同時にね。その上、避雷対策で私たちに頭を低くするよう指示を出す余裕っぷり。正直、今の私じゃ勝てるイメージが全く浮かばないわ」
「そんなことになってたの!?目も耳も塞いでたから全然分からなかった」
思い返してみれば、地面に伏せた瞬間、軽い地響きのような感覚があった。
まさかあれが落雷の衝撃だったとは。
初対面のときに感じたただならぬオーラはやはり気のせいではなかったらしい。
トゥーリが味方陣営に居てくれてよかったと安堵する一方で、それを聞いて逆に気がかりになることもあった。
「敵陣営の方にもダークエルフみたいな上位種族が雇われてる可能性はないの?」
「ない。とは言い切れないけれど、可能性はかなり低いわね」
そして、彼女はレポートを書くように「根拠としては」と言葉尻を繋げた。
「上位種族は能力が高い代わりに繁殖力が低いから個体数が異常に少ない。その上、どの種族も極端な排他主義だからそもそもどこに生息しているのかさえ分からない。
つまり、彼らをリクルートするコネそのものが存在しないのよ」
「種族集団から独立してるトゥーリはかなり特殊なケースなんだ」
「そういうこと。だから、戦力面で心配する必要はないし、もし仮に戦況が悪化しても、あのダークエルフがいればいつでも安全に継承戦から離脱できる。
一緒に逃げるプランは守る人数が増える分、むしろ私たちの方が足手まといになりかねないのよ。さっきの路地みたいにね」
14歳とは思えない理路整然とした語り口。
普段の感情的な見かけの言動に反して、中身が意外と冷静で理屈っぽいところに少し驚いた。
これまで短いやり取りしかしてこなかったので気づけなかったが、こうして腰を据えて会話してみると、かなり大人びていて頼りになる印象がある。
現に、彼女の声を聞いていると、張り詰めていた緊張の糸がだんだんと解けていくような感覚があった。
「私に左宮殿へ移るよう言ったのは、もちろん、護衛の意味合いもあるだろうけれど、一番はあのダークエルフが余計な気を遣わずに戦える環境を作るためだと思うから」
自然と目蓋が重くなる。
どんどんと彼女の声が遠くなってゆく。
「まぁつまり、何が言いたいかって言うと」
もう目蓋の裏に影はなかった。
安心して眠りなさい
「ありがとう……ロザリィ……」
絞り出した声とともに、意識は深い無意識の底へと沈んでいった。
「おやすみなさい」




