第4幕
「この香草エリアでは、百を超える種類の香草が食、医療、美容などのさまざまな用途を目的として育てられています。今朝、エルピス様が召し上がられたハーブティーも、実はここで栽培されたものなんです」
「へぇ〜そうだったんだ。なんか勝手なイメージだけど、食糧生産は国民に丸投げしてるのかと思ってた」
おれの不遜極まりない返答に、フェレスは「あはは……」と気まずそうに苦笑いした。
「昔はそうだったらしいのですが、税として取り立てた収穫物の中に毒物が仕込まれていたことがあったそうで、その事件以降はできるだけ王宮内で食糧生産をおこなうようになったそうです。
この香草エリアもそのときに造園されたと聞いています」
「自給自足に切り替えたんだ。でもそうなると、管理がかなり大変じゃない?
これだけ広いとそれなりに人手がいるだろうし」
石畳の小道を数歩歩くたびに鼻に抜ける香りが移ろいでゆくのを感じながら、両脇に生い茂る香草群を眺めた。
「エルピス様、あそこ見えますか?」
彼女は、香草畑に空いた隙間を指差した。
畑に少し近づきながら目を細める。
そこにあったのは、地面を這う金属のパイプ。
よく見てみると、香草畑の至るところに血管のように張り巡らされていた。
「実はあれ、"魔具"と呼ばれる"自動魔法"生成アイテムなんです」
彼女は、畑のそばにしゃがみ込んで香草の葉っぱに手をそわせた。
「水やり、土づくり、温度・湿度の管理に至るまですべてが魔具によって自動化されています。ですので、この広大にみえる香草エリアもなんとたった二人で管理・運営できてしまうのです」
「自動化することで人手を削減して異物混入のリスクを下げたってことか」
「おっしゃる通りです。魔具が導入されて以降、毒殺による暗殺は極端に減りーー」
そこでフェレスの言葉がぴたりと止まった。
と同時に、彼女の頭の上に生えた猫耳がなにかを受信したようにピクピクと上下する。
「今、誰かが……」
そう呟きながら立ち上がるフェレス。
ダウジングに使えそうなL字型に折り曲がった両耳が左右に揺れ動いたと思ったら、ある一点の方向でピタッと定まった。
彼女の視線の先にあったのは、裏庭のシンボル的な存在であり、一昨日ロザリィとの待ち合わせ場所になっていた巨大な噴水。
ではなく、そこから100メートルほど離れた白い東屋だった。
半球型のドームを白い柱が支えている構造で、遠目からはクラゲのようにみえる。
そのクラゲドームの下で米粒大の人影がこちらへ向かって大きく手を振っていた。
クラゲの脚は6本だった。
もちろん本物のクラゲではなく東屋のこと。
半球の胴体を支えながら一直線に地面へと伸びている。
等間隔に並んだそれらの脚は、中心にある丸いテーブルを取り囲んでいた。
そのテーブルの周りには、これもまた等間隔に3時、6時、9時、12時の位置に四つの椅子。
そして、それぞれの席の目の前にはケーキと紅茶があった。
「あっ、口にクリームついてるよ〜っと♪」
甘い香りとともに指先が伸びてきて口端を拭う。
そのまま、彼女は何の躊躇もなくクリームがついた指先をぺろりと舌で舐めとった。
呆気に取られているおれを見て、とぼけ顔で首を傾げる彼女に思わずどきりとしてしまう。
フローガ天王国第5王女"イクシア・フローガ"
には、目が合うだけで男を勘違いさせてしまう魔性の雰囲気があるのだ。
人の内面は外見の写し鏡であるとよく言われるが、彼女がまさにそうだった。
薄ピンク色の髪、紫色の狐目、薄い唇、卵型のなめらかな輪郭、スレンダーな体躯、それら全てが絶妙なバランスで組み合わさることで男が憧れる「理想の女性像」を体現していた。
おれが見つめているとその視線に気付いたのか、彼女はテーブルにずいっと身を乗り出した。
「昨日はびっくりしたよ!3年ぶりに帰って来たら、弟妹たちがみーんないないんだもん。
今朝探してもいなくて、仕方ないからふたりでお茶してたの、"トゥーリ"と」
「ね?」とイクシアが同意を求めるようにアイコンタクトすると、テーブルを挟んで向かいの席に座ったメイド服姿の女性がこくりとうなづいた。
メイド服姿の女性、トゥーリ。
ここで彼女のことを「メイド」ではなく、「メイド服姿の女性」と呼称したのはおそらく、いやほぼ間違いなく彼女がメイドではないと直感したからだった。
明らかに、人に仕える人間が出してよいオーラではない。
動物的本能が忌避を訴えかけてくるようなレベルなのだ。
おれの対面に座っているフェレスも多分同じことを感じているのだろう、先ほどから全く彼女と目を合わそうとせず、怯えたように身を縮こまらせている。
そんなフェレスの様子を見て心中を察したのか、イクシアがジトッとした目で、
「トゥーリ、顔こわすぎだよ。無表情気をつけてっていつも言ってるでしょ?ほら、フェレスちゃんが怖がってるじゃん」
「王女よ、お忘れですか?以前、私が表情改善しようと一生懸命笑顔の練習をしているときに『笑顔、こわっ!』と吐き捨てるようにおっしゃったことを。あれ以来、私は人前で笑うことをやめたのです」
と、うらめしそうな顔で言い返すトゥーリ。
王女相手にも強気な姿勢がまさに強者という感じがする。
ふたりの視線の交錯が火花を散らす導火線のように見えた。
「いえ、あのっ!全然っ、顔こわくないです、大丈夫です!ただ、"ダークエルフ"の方にお会いするのが初めてだったので少し緊張してしまって……」
「たしかにダークエルフ=戦闘民族って先入観でこわいイメージあるよね。私も最初そうだったし」
フェレスの気の利いたフォローに、イクシアが感じ入るようにしみじみと首を縦に振る。
ダークエルフが戦闘民族というのは少し意外だった。
漫画やアニメの異世界では、鬼族や竜族が戦闘民族として描かれているイメージがあるが、この世界ではダークエルフもかなり強い種族らしい。
それに、切れ長の目や青黒い肌、長身から伸びる長い手足など、外見的にもかなり近寄りがたさがあった。
「でもね、トゥーリは見た目がこわいだけで中身はすっごく乙女なのよ」
正面に座るトゥーリが無言で相槌を打つ。
「甘いもの大好きだし」
「ええ、自覚はあります」
平坦な声がして彼女の方へ目を遣る。
よく見ると、先ほどまでトゥーリの前にあったケーキ三切れがいつの間にか消えていた。
「それにね、実はこう見えて恋多き女なのよ」
イクシアは周囲を確認しつつ囁き声になった。
「私と出会う前は、結構名のある貴族のボディガードをやってたらしいんだけど、護衛を任されてたその家の跡取り息子と関係を持っちゃったらしくて。結局、それが原因で解雇されたんだって」
「よく解雇で済みましたね。普通なら死罪になってもおかしくないと思うのですが……」
と、フェレスは神妙な面持ちで顎に手を当てた。
「旦那様とも関係がありましたので、それでご容赦いただいたのだと思います」
トゥーリの一言で水を打ったように場が静まり返った。
その後一瞬遅れて、
「……まさに禁断の恋というやつですね、あはは…」
引き攣った笑みを浮かべながら言葉を絞り出すフェレス。
フォローの名手である彼女もさすがにキャパオーバーのようだった。
イクシアの言った通り、クールな見た目とは相反する中身でなかなか興味深い。
もしかすると、種族によって恋愛観というものも多少違ってくるのかもしない。
「禁断の恋……」
そのとき、イクシアがフェレスの言葉を小さく繰り返したのが聞こえた。
声色がそれまでにない真剣味を帯びていた。
先ほどまで楽しそうだった表情も、今はどこか物憂げで心ここに在らずといった感じがした。
「イクシア姉様、どうかなされましたか?」
「……え?あぁ、ごめんね。ぼーとしちゃってた!」
一声をかけると、彼女はパッと我に返ったようすで明るく返事を返した。
そして、こちらに向いたまま首を傾げてニコリと微笑んだ。
「ロエル君はそこらへんどうなのかな?」
「そこらへん?なんのことですか?」
「ほら、舞踏会とか晩餐会とかの集まりでさ、気になる子とかいないの?」
なんとなく話の流れでこっちにきそうだな、とは思っていたが、本当にきてしまった。
おそらくこういう問答は、あらぬ誤解を招かないように「それはいくらお姉様にも言えませんよー」的な感じであやふやな返答をしておくのが無難なのだろう。
そうすれば、話が間違った方向に進むことはなく安全に切り抜けられる。
がしかし、それは一般的な会話に限った話。
これは、女子会だ。
アンケート用紙でよくみる「どちらとも言えない」は通用しない。
曖昧な回答は、相手の好奇心をくすぐることになり、その結果「はい」か「いいえ」に着地するまで永遠に追及され続けることになる。
これは、女子会に一度も参加したことのない人間の完全なる偏見だが、おそらく合っていると思う。
ということで、
「うーん、今はまだいないかな。もし好きな子ができたら一番最初にイクシア姉様に相談するね」
しっかり「いない」と伝えつつ、イクシア王女へのフォローも忘れない、模範のような回答ではなかろうか。
もし、エルピス王子の想い人がフェレスだったときは、体を返した後に誠心誠意謝ろう。
「じゃあさ、ロエル君ってどんな子が好みなの?」
「へ?好み??」
「いいえ」で着地したつもりになっていたので、完全に不意をつかれて素っ頓狂な声が出た。
突然、地面の底が抜けたような感覚だ。
「私こう見えて結構顔広いから色々紹介できると思うよ!」
引くどころか瞳をキラキラと輝かせながらテーブルに身を乗り出すイクシア王女。
まずい、話をさらにややこしくさせてしまっている?
おれは、転生四日目の異世界転生者であってエルピス王子の幼馴染ではない。
当然ながら、そんなおれに王子の好きなタイプなんて分かるはずがないのだ。
しかし、だからと言ってここで適当に答えてしまうと、イクシア王女に縁談をセッティングされてしまう恐れがある。
「……ロエル君?」
イクシア王女が不思議そうにおれの顔を覗き込む。
不審に思われる前に、何か言わなければならない。
が、何も言葉が出てこない。
頼みの綱のフェレスは、目の前に置かれたケーキと紅茶に夢中でこちらの緊急事態には気づいてもいない。
助け舟も期待できないまさに八方塞がりの状況。
もう、こうなれば最終手段を使うしかないようだった。
一時の恥にはなるが、背に腹は変えられない。
両手でお腹を抑えつつ、上半身をくの字の折り曲げて呻き声を上げようとしたそのとき、
「私、『噴水に集合』って言ったはずよね?」
突然声がして尻に鈍い痛みが走った。
気づくと、おれは、自分が椅子ではなく地べたにへたり込んでいた。
なぜか目の前には、先ほどまで自分が座っていたはずの椅子がある。
イクシア王女、フェレス、トゥーリ、三人の呆気に取られた顔。
食べかけのケーキと飲みかけの紅茶が置かれた丸いテーブル、クラゲのような六本柱の白い東屋、巨大な石の噴水。
それら全てが来たときの逆再生のようにどんどんと小さく遠のいていく。
そしてそのまま200mほど離れた地点で、突然景色の移り変わりがぴたりと止んだ。
どうやら小さな芝生の広場らしかった。
ここには、花卉や香草などは植えられていないようだった。
芝生と青空以外何もないので風通しがよく、休日にフリスビーやキャッチボールをする家族連れで賑わいそうな雰囲気がある。
そのとき、襟首を引っ張り上げていた力が失われて地面にどさりと尻もちをついた。
「…………」
「ロザリィ、ごめん。つい話し込んーー」
瞬きの刹那、視界が青一色に染まった。
耳元で鳴るヒュウヒュウという風の音で、自分が今、上空に放り出されているのだと気づいた。
王宮のてっぺんが目と同じ高さにあった。
自分自身の叫び声が耳を掠めながら空へ吸い込まれていく。
頭を下向きにした直立不動の姿勢で、銃弾のように風を切って進む。
速度が増せば増すほど、落下の恐怖も増大し、思わず反射的に目をつぶった。
まさにその瞬間だった。
体全体が柔らかいクッションに包まれたような感覚。
おそるおそる目を開く。
体は、無重力下の宇宙船内を漂う飛行士並みのスローモーションで空中を舞いながら、緩やかな弧を描いてふんわりと地面に着地するところだった。
「着地する直前は目を開けなさいよ。練習にならないでしょ」
地上に両足がついた途端、背後から不機嫌そうな声が飛んでくる。
振り返るとそこには腕をL字型に組んで頬杖をついたロザリィが、ジトリとした目でこちらを睨めつけていた。
「そもそもの話、なんでおれは今、空へ打ち上げられたんだよ!新手の拷問か何か!?」
バクバクと鳴る心臓を押さえつつおれがそう叫ぶと、
「拷問?何の話よ。魔法の練習に決まってるじゃない。決行日までの一週間で基礎を教えるって言ってたでしょ」
それを聞いて一昨日の作戦会議での一幕を思い出した。
フェレスがおれに魔法を教えると言ったとき、リアとフェレスがすごく不安そうな顔をしていたが、その理由が今になってよくわかった。
「なんで教える側が教え子を空に吹っ飛ばしちゃうのよ!」
ツッコミ口調の叫び声とともに、イクシア、フェレス、トゥーリの3人が慌てた様子で広場に飛び込んできた。
肩で息をしながら顔面蒼白のイクシアがこちらに駆け寄る。
「大丈夫!?痛いところない??」
傷や痣がないかを確かめるように体全体を見ながら丹念に触診するイクシア王女。
おれが体に問題がないことを伝えると、彼女は安堵の溜め息を漏らした。
が、すぐに何かを思い出したかのようにスッと立ち上がってロザリィの方へ振り向いた。
「風の魔法は、小さい物から浮かせていくのがセオリーじゃん!!家庭教師にそう教わったでしょ?!」
「そんなの知らない。私、家庭教師の言うことは基本聞かない派だから」
不良王女は、なぜか誇らしげな顔で腰に手を当てた。
「それはね、胸を張って言うようなことじゃないのよ?」
そう言って引き攣った笑顔でロザリィを嗜めるイクシア王女。
この常識人で慈しみ深い姉の下にいて、どうしてこんなに破天荒な妹が育つのか。
もしかして、イクシア王女の上にロザリィ並みにネジが外れた王子王女がいるのだろうか。
ああ、一人でも手に負えないのにまだ増える可能性があるだなんて考えるだに恐ろしい。
今はとりあえず、できるだけ他の王子王女にはエンカウントしないよう気をつけておいた方がよさそうだ。
「まぁとにかく、この魔法の授業は私が引き継ぐからね」
そう言い放ったイクシア王女の語勢には、断固として譲らないという気迫が満ち溢れていた。
彼女は何か言いたげなロザリィを片手で制しながら、もう一方の手の平を前方に突き出す。
「ユリンユマラ・エブロギア」
唐突に謎の呪文、しかし何も起こらない。
失敗したのか、そう思った次の瞬間。
"ボウッッ"
破裂音とともに暖かい熱気が肌を伝った。
手のひらから約5メートルほどの距離。
そこにサッカーボール大の火球が、火の粉を散らしてひとりでに浮いていた。
ロザリィが以前、部屋で暖炉に火を付けたときのものと同じだった。
「ユリンユマラ・パラウトゥス」
そして、また呪文詠唱。
今度はコンマの時差もなく唱え終わるのと同時に火球が消失した。
火球が消えると、イクシア王女はくるりとこちらに向き直った。
「さて、今の現象はロエル君の目にどう映った?どんなふうに見えたかな?」
「呪文を唱えたら火球が現れてまた別の呪文を唱えたら火球が消えた、ように見えたよ」
「その一連の動きのなかで、何か気になったことはなかった?どんな些細なことでもいいよ」
教育番組のお姉さんのような柔和な口ぶりで尋ねるイクシア王女。
先ほどの映像をもう一度脳内で再生してみる。
そう言われれば、一つだけ気になったことがあった。
「最初の呪文詠唱から火球が出現するまでに少し時間のズレがあったような……」
「そう!まさにそれを答えて欲しかったの!」
おれが答えると、イクシア王女は、合いの手を打つように声を弾ませた。
「実はね、魔法の発動手順は、『①トリガー詠唱→②魔力プールの構築→③魔力タンクの生成→④魔法路の接続と魔力の充填→⑤魔法の設定→⑥セーフティ詠唱』の6つのステップで構成されているんだけど、②〜⑤は頭の中で処理してるから外見上は、呪文詠唱だけで魔法が発動しているように見えちゃうんだよ」
「てことは、呪文詠唱から発動までのあの空白は、その②〜⑤をやってる時間だったのか」
「大正解!」
彼女は手を叩いて褒めそやすと続けざまに、
「じゃあ次、今度はロエル君の番ね」
そう言ってイクシア王女は、おれの真横についた。
「まずは、①トリガー詠唱『ユリンユマラ・エブロギア』からね。詠唱は、声に出しても出さなくてもいいよ」
「ユリンユマラ・エブロギア?」
その瞬間、脳が頭を飛び越えて何十倍もの大きさに拡張されるような不思議な感覚に襲われた。
脳の領域が「自己」と「世界」の境界である体という物理的な隔たりを凌駕したような、転生前の世界では体験したことのない感覚だった。
「目をつぶってイメージしてみて。大きくて透明な直方体の容れ物があって、その中は赤色の液体で満たされています」
「赤色の液体で満たされて……あれ、何だこれ。なんかイメージした容れ物の下に、もう一つ小さくて透明な容れ物が勝手に出てくる」
「それが『③魔力タンクの生成』だよ。『②魔力プールの構築』が完了すると、容れ物の比率に応じて自動でイメージ化されるの」
と、すぐ耳元でイクシア王女の声がした。
「大きい容れ物に入った赤い液体が、その人の『総魔力量』を表していて、小さい方の容れ物は、『一回あたりに消費できる最大魔力量』だよ」
「じゃあ、次は赤い液体を小さい方の容れ物にうつすの?」
「その通り!大きい容れ物の底と小さい方の容れ物の側面を湾曲させた円柱でつなぐの。ただ、普通に繋いじゃうと魔力が流れっぱなしになっちゃうから、流す魔力量を調節できるように小さい方の容れ物の取り付け口に開閉できる仕切りを付けてみて」
開閉できる仕切りとは、おそらく水道の蛇口やバルブみたいなイメージだろう。
つまり、大小ふたつの容れ物をバルブ付きのパイプで繋げばよいということだ。
「容れ物から溢れないようギリギリまで魔力を注ぐ。大体、9割くらいが目安だよ」
「9割くらい……あっ」
勢いよく注ぎ込みすぎた上にバルブを回すのが少し遅くなってしまい、赤い液体状の魔力が数滴容れ物から溢れた。
と同時に、先ほどの脳の領域が広がった感覚と脳内にある想像物がパッと頭から霧散した。
集中の糸が切れて思わず目が開いた。
「やっぱり初めてだと難しいよね。私、魔法を習得してもう8年くらい経つけど、いまだに失敗するときあるもん」
いつの間にか背後へ回っていたイクシア王女が優しく慰めるようにおれの両肩にぽんと手をおいた。
「魔力が一滴でも溢れると一定時間(約5〜10秒)魔法が使えなくなる、"バースト現象"が起こるの。逆に、魔力量が足りないと不完全な魔法になっちゃったりするから調節がすごく繊細で難しいんだよね」
「魔法ってもっと簡単に出せるものだと思ってた」
その後、何度か失敗を繰り返しつつも『④魔法路の接続と魔力の充填』をクリアして最後の手順である『⑤魔法の設定』までたどり着いた。
イクシア王女の説明によれば、魔法の⑴初期位置⑵属性(火、風、土、水、木、雷)、形状⑶向き⑷速度をイメージすることでようやく魔法が発動するらしい。
(5m先、火球、上向き、20km/h)
と適当にイメージしたところ、突然5m先に野球ボール程の火球が出現し、そのまますぐに打ち出されたように飛び上がって10mほどの高さまで垂直に上昇したのち、跡形もなく消失してしまった。
「剣術と同じで魔法にも間合いがあってね。その範囲外に出ると魔法が消えちゃうんだ。間合いは、魔法を発動させるたびに少しずつ範囲が広がっていくの」
「じゃあ、今の間合いは10mくらいってことか」
「大体、20mくらいが平均って言われてるから、対人戦闘になったらまず最低でも20mは距離をとるのが鉄則なんだって。たしかそうだったよね?」
イクシア王女の問いかけにフェレスと横並びで授業見学していたトゥーリが無言でコクコクとかぶりを振った。
「1回の魔法発動に10秒もかかってるようじゃあ、対人戦闘なんて遠い先の話だなぁ」
おれの独り言を聞いたイクシア王女は、意味深に「フフフ」と含み笑いをした後、きらりと目を輝かせて、
「こうなることを予想して、私はコレを持って帰ってきていたのです!」
そう言ってポケットに手を差し入れた後、掲げ上げた手に握られていたのは、銀色のブレスレット。
緑色の宝石が埋め込まれているところからみて、かなり高価な装飾品のようだったが、それを除けばさして特別なところはない普通の腕飾りのようにみえる。
彼女はその腕飾りを右腕につけると、そのまま手を正面に突き出して、
「ユリンユマラ・エブロギア」
その瞬間、直径1メートルほどの巨大な火球が目にも止まらぬ速さで天高く打ち上げられた。そして、そのまま20mほどの高さに達すると、蝋燭の火を吹き消したように跡形もなく消滅した。
驚いたのは、トリガー詠唱から魔法発動までのその時間である。
1回目は5秒ほどのラグがあったが、今回は最後の「ア」を発音し終わるのとほぼ同時のタイミングで火の玉が現れた。
先ほどの②〜⑤の手順を終えるには、物理的に到底あり得ない早さだった。
「どう?びっくりした?」
満足気なイクシア王女の顔は、おれの呆気に取られた表情が期待通りだったことを楽しんでいるようにみえた。
「今のって、そのブレスレットの恩恵なの?」
と、先ほどまで少し離れた場所で6、7個の火の玉をジャグリングのように回して一人遊びしていたロザリィがいつのまにか隣にいて、ジッとイクシア王女の手首に巻かれた銀のブレスレットに熱い視線を注いでいた。
「このブレスレットね、実は魔具なんだ〜♪」
「そのブレスレットが魔具?」
「そう、見えないでしょ?フローガ天王国で魔具っていうと、複雑な魔法回路が刻まれてる大きな金属板ってイメージが強いからね」
彼女は、思い出を懐かしむような目つきで銀のブレスレットに手を添えた。
「この国は、魔具の原材料である"コップラ鉄"が地質的に産出されにくいし、輸入した分は全部、国が農業やインフラ整備に回すから市場にはほとんど出回らないでしょ?
逆に、私が留学した国では、輸出しても余るくらい豊富に採れるから、市場にもたくさん流通してるんだ。
そのおかげで貴族や大商人じゃない平民でも安価で買うことができちゃうわけさ。
そうして、魔具は魔法を自動化できる便利アイテムとして、すぐに人々の生活必需品になっていったんだけど。
そうしたらね、だんだんと街の中で面白いことが起き始めたの。
初めは従来通り、家事を効率化するために魔法回路が刻まれた金板を台所やお風呂場、農地とかに設置するようになって、下層階級の家庭にも行き渡るほど整備されてたんだけど、それだけ大量に消費しても周辺の鉱山からコップラ鉄がまだまだたくさん採れるから、その街の職人や魔具愛好家たちが趣味で勝手に正規の魔法回路をいじくり回したり、好きな形に加工したりし始めるようになったんだって。
童心に帰った大人の好奇心と遊び心は侮れないもので、そうやって遊んでるうちに、いつの間にか魔法回路が最適化されて誰とも知れず自然発生的な形で『魔具の小型化』が実現しちゃったんだ。これってすごい発明だと思わない?」
説明口調だった語りがだんだんと熱を帯びていく。
興奮気味の彼女はさらに言葉をつないだ。
「そして、その『魔具の小型化』が"冒険者"という新たな職業を生み出すきっかけになったの。
元々、ウラヌス大陸の中央部、西部、南部は異害による被害がかなり深刻な地域だったらしくて。特に、中央部のいくつかの国が分散所有してた、天使様からの知恵が書き記された重要文書とその複製が、戦争でほとんど焼失しちゃったんだ(まぁ、利権がらみでそれらの知恵を独占してた中央諸国の自己責任でもあるんだけどね)。
結局それが尾を引いて、戦禍から今日に至るまでの720年余りの間、多くの国々は復興で手一杯になってしまっていたわけなんだけど、最近になって、それらの国々が未開拓エリアにある迷路状の古代遺跡ーー"ダンジョン"と呼ばれる巨大建造物の調査をおこなうようになったんだ。
調査の理由は、自国の安全管理のため。
異害みたいな国の存亡を脅かすような生物が生息してるかもしれないからね。
そうして、内部を詳しく調査するために探索チームを派遣してみたら、ダンジョンの奥深くに特別な力を宿した武器とか防具とさか装飾品が眠っていることが明らかになった。
最初、国はその事実を隠したまま、それらを独占するために自国の兵士で探索チームを編成してダンジョンへ取りに行かせてたらしいんだけど、遠征のたびにあまりにも費用と時間がかかるのに加えて、たまに全滅するなんて事故も起こってたから独占業務にするのは断念して、"ギルド"っていう職業斡旋所にダンジョン探索業務を委託することになったんだ。
ここでようやく『魔具の小型化』の話につながるの。
それまでギルドで仕事を受けていたのは、主に魔法が高水準で扱えるプロの傭兵で一般の人々は立ち寄りもしなかったらしいんだけど、『魔具の小型化』が実現したことによって、魔法の練度が高くなくても魔具化した武器や防具、その他装飾品を身につけることでプロの傭兵たちとも同等に渡り合える戦力を得られるようになったんだ。
一つの革新が環境をガラリと変えてしまったわけです。
魔具を装備することで、戦闘中のバースト現象や魔法発動のスピードがネックになってギルドの仕事に参入できていなかった層が、ダンジョン探索という一攫千金の宝探しを目当てにギルドへ押し寄せるようになったの。
そしてその結果、『ダンジョン探索業務』を生業に生計を立てる人のことを新しい職業として"冒険者"と呼ぶようになったのです……」
イクシア王女は話終わると満足げに息をついた。
彼女が語ったのは、この異世界における一つの歴史だった。
魔具化された装飾品、ギルド、ダンジョン、そして冒険者の誕生。
知らない時間の、知らない場所の、知らない人々の生活の営みがちゃんと歴史を紡いでいる。
そんな当たり前の事実が、ここが夢幻の世界ではなく、地に足ついた現実世界であることを強く実感させてくれた。
なぜかロザリィの火の魔法を実際に見て魔法の存在を知った瞬間よりも異世界に対するリアリティを感じていた。
自分が知らない王城の外には一体どんな世界が広がっているのだろうか。
期待と不安が入り混じった頭でこれからの行く末を想像していると、唐突にイクシア王女が自身の右手首からブレスレットを取り外して、
「はい、じゃあこれ、ロエル君へのお土産」
そう言って、慣れた手つきでおれの右手首に銀の腕輪を巻きつけた。
若木を連想させる華奢な腕には不釣り合いな重厚感で、見れば見るほど中学生くらい子がつけてよい代物ではないと分かる。
「これってすごい高価な物じゃないの?ほら、宝石とかもついてるし……」
「ううん、全然そんなことないよ。この宝石、中央の鉱山ではよく採れるタイプの石でそんなに高い物じゃないから大丈夫。それに、元々ロエル君にプレゼントするつもりで買った物だから遠慮せずもらってくれると嬉しいな」
「そっか。じゃあ、大事に使わせてもらうよ。ありがとう」
「いえいえ、どういたしまして」
嬉しそうに相槌を打ったイクシア王女は、また懐に手を差し込みながら、今度はおれの少し斜め上に視線をずらした。
「あはは、そんなやさぐれた顔しないで。ロザリィとリアちゃんの分もちゃんとあるから。これ、二人で一つずつになっちゃうけど」
そうして広げた手のひらの上にあったのは、金色の繋ぎ金具の先端に赤い雫型の宝石がついたイヤリング。
よく目を凝らすと、宝石の内部は赤、黄、橙の3色が、雪舞うスノードームのように小さな雫の中をぐるぐると畝りながら循環していた。
「14才にもなって子供扱いされるのは正直、癪だけど、物に罪はないからプレゼントはありがたく受け取っておく」
「あはは、素直じゃないなぁ」
イヤリングを受け取ったロザリィは、その場で片方を右耳につけて、もう片方は懐に収めた。
「ちなみに、そのイヤリングは魔具じゃなくて普通のアクセサリーね。ロザリィとリアちゃんは、機能性重視の魔具よりもデザイン重視の珍しいアクセサリーとかの方がいいかな〜と思って」
「そうなの?まぁ、可愛いから私はこっちでいいけど」
彼女は、フルフルと上下左右に頭を振ってイヤリングがちゃんと着けられているのかを確認した後、
「で、そっちのブレスレットはちゃんと扱えそうなの?試しにもう一回火の玉つくってみなさいよ」
「わかった、火の玉ね」
まだセーフティ詠唱を唱えていなかったので、そのまま①〜④のステップを省略し、⑤魔法の設定で先ほどと同じ入力を繰り返した。
(5m先、火球、上向き、20km/h)
火球は、想像した通りに空めがけて打ち上がると、そのまま進んで間合い10mほどの境界でパッと音もなく消失した。
ほんとうに一瞬だった。
魔法発動まで、おそらく1秒もかかっていなかったのではないだろうか。
これにはロザリィも驚いたようで、
「誰がやっても同じように扱えるのね」
と、目を丸くして呟いた。
課題だった「魔法発動時間」と「バースト現象」、そのふたつの課題を同時に解決する思いがけない便利アイテム「魔具」の登場で、一週間かけておこなうはずだった魔法の特訓をたった1日でほぼマスターしてしまったのである。
「はい、てことで魔法の授業はおしまいにして、ティータイムの続きしよ〜」
イクシア王女は、こちらに背を向けて少し歩いた後、桜色の髪をふわりと宙に泳がせ、ひらりと舞いながら振り返った。
「まだまだ話したいこと、たくさんあるんだから♪」




