第1幕
目を覚ますと、見知らぬ部屋にいた。
どこだ、ここ。
寝ぼけ眼を手の甲でこすりながら、再度室内を見渡す。
部屋は壁一面、雪化粧したみたいに真っ白に覆われていた。
そこかしこに星のごとく散りばめられた装飾品は、壁付きの燭台や姿見の縁囲いに至るまでありとあらゆるものが黄金色に瞬いていた。
白と金で埋め尽くされていて目が眩みそうになる部屋。
室内の家具も革のソファとか、木目調のテーブルとか、毛皮の絨毯とか、お洒落で気品あふれる調度が趣味良く据えられている。
遠目から眺めただけだったが、そのどれもが一級品なのは素人目にも明らかだった。
そして今、自分がいるのもその一級品の一つである天蓋付きの真っ白なベッドだった。
視線をそのまま真下へ落とし、ベッドに沈み込んだ"その体"をまじまじと見つめる。
ぼやけた視界が定まってくるにつれて、しだいにあの時の記憶がぼんやりと蘇ってきた。
そうだ、思い出した。
仕事から帰る道すがら、交差点で信号待ちをしていたときに大型のトラックが突っ込んできたのだ。
あまりに突然だった。
成人男性の血液の量はおよそ5Lほどであり、その1/5以上が失われると生命の危機に瀕するとどこかで聞いたことがあったが、途切れゆく意識の端で捉えたあの血溜まりの量は明らかにそのボーダーラインを超えていた。あれで助かるはずがない。
あの時、確かにおれは死んだはずなのだが……
「とりあえず……」
ずるずるとベッドから這い出て、モコモコとした白い毛皮の絨毯を踏みしめながら進み、先ほど視界に入った姿見の前に立った。
「おぉ……!!」
黒髪の美少女がいた。年は中学生ほどだろうか、髪は肩にかかるくらいのミディアムストレート、肌は雪のように白く、柔らかいタレ目から綺麗な海色の瞳がこちらを覗いていた。
「………… 」
鏡の中の少女と視線を交わしたが、すぐに気まずくなって目を逸らした。
なんというか、他人の体を勝手に操るというのは、中古のゲームデータでコンティニューするのに似た後ろめたさがある。
しかも、それが異性となるとさらに罪悪感がすごい。
身に覚えのない罪の意識に苛まれていると、
(……ん?)
突然、ふと微かに違和感のようなものを感じた。
なんだろう、この変な感じ。
鏡に顔を近づけながら眉をひそめた。
ぱっと見、不自然なところはなさそうに思えるのだが……
言いようのない違和感の原因を探るように回ったり跳ねたりしてみるが、特におかしなところはない。
普通の体だ。おれの元の体と大差ない。
「……元の体と大差…ない?」
ゆっくりと寝間着の下方に目を落とす。
「いや、まさかそんなことは……」
そう呟きながら、おそるおそるパジャマパンツの中央部へと手を伸ばすと、
………あった。
見目麗しき少女にないはずのそれが確かにあった。
男の娘だった。
「嘘だろ…こんなカワイイのに」
絹のように滑らかな頬に手を当てながら呟いた。
顔の造りが中性的な上に髪がやたらと長いので完全に女の子だと思ってしまった。
正直、付いていることを確認した後も鏡に写るその顔は、かわいらしい少女にしか見えない。
そして、なぜか性別が男であったことに少し安堵する自分がいる。
いや、現状においては性別どうこうよりももっと気にするべきことが多々ある気がするのだが、寝起きだからか頭がぼやぼやとしていてどうも考えがまとまらない。
ゾンビのように手をぶらつかせながら、よろよろと部屋を徘徊しつつ、目についた革のソファに倒れ込んだ。
肘掛けを枕にしながら、体を伸ばしてひと息つこうとしたところでーー
「……なさいよ!……でしょ!!」
「……下さい。……ですので」
ドアのすぐ向こうで何か言い争うような声。
急いでソファから降り、近づいてドアに耳を当てる。
「はぁ!?あなたがそうやって甘やかすから引きこもりになったんでしょ?今、何時だと思ってるの?もう昼食の時間よ、いつまでぐーすか寝てんの?!」
一方がまくし立てると、
「エルピス王子の身の回りのことは王子の母君様からわたくしに一任されております。ですのでロザリア様は、先に応接室にお戻りください」
もう片方は落ち着き払った口調でそれを諭す。
明らかに、この部屋の前で口論をしている。
……というか、この子やたら豪奢な部屋に住んでいるなとは思っていたが、王子様だったのか。
名前は"エルピス"というらしい。
まだ言い合いは続いているようでピリピリとした雰囲気がドア越しに伝わってくる。
会話の内容からして争点がこの男の子であることは間違いない。
色々整理したいところではあるが、とりあえずまずは二人の口論をとめなくては。
軽く深呼吸するとノブを回し、ガチャリとドアを開けた。
「っっ!?」
突然、右手首にしめつけられるような痛み。
次の瞬間、体が宙に浮いた。
「起きてるなら早く出てきなさいよ」
尻もちついたおれを鋭く見下ろす眼光。
金髪ロング、白い肌、長いまつ毛、赤い瞳のつり目。
真っ黒なワンピースに身を包んだ姿はいかにも気が強そうなお嬢様という感じだった。
華奢な体からスラっと伸びた左手がおれの右手首を掴んでいる。
(今、この子に引っ張られたのか!?)
中学生ほどの男子を片手で軽々と持ち上げる腕力もさることながら物凄い反射神経だった。
ドアを開けるや否や手首を掴まれた。
あのタイミングで開けるのが分かっていたのかと思うほどに。
とても高校生くらいの女の子にできる芸当ではない。
彼女を見上げて呆けていると、
「王子!お怪我はありませんか!?」
真後ろから声がした。
振り向くと、メイド姿の少女がしゃがみながらおれの左手を両手で優しく掴んでいた。
(メイド服…!!)
足首まであるロングスカートに着飾らないモノクロのシンプルなデザイン、いわゆるヴィクトリアンメイドというやつだ。
年はちょうどこの体と同じくらいだろうか。
肩口まで伸ばしたまっすぐな黒髪、日に焼けたようなラテ色の肌、そしてアーモンド型の大きな猫目が光に反射して黄色く光っている。
「軽く引っ張っただけじゃないの、大げさね。そんなことより、ほら早く来なさい」
そのまま右手を引きずって行こうとするお嬢様。
「待ってください!身だしなみを整えてからです!!」
逆側から左手を掴んで止める少女メイド。
綱引きのような形になる。
「そんなの待ってたら日が暮れるでしょ!?別に来客に会うわけじゃないんだから身だしなみなんてどうだっていいのよ!」
さらに強引に引っ張るお嬢様。
「城の中とはいえ、寝間着はダメです!王子に恥をかかせるわけには…!!」
負けじとひっぱり返すメイド。
「痛いい…ちぎ…れる…ぐえぇっ」
絞り出すように叫ぶと、パッと軽くなる左手。
ぐんとお嬢様の方へ引き寄せられると勢いそのままに体ごとずるずると床を引きずられてゆく。
「アハハハハッ!『ぐえぇっ』ですって。あんたいつからそんな素っ頓狂な声上げるようになったの?」
流し目にこちらを見ながら嗜虐的な笑みを浮かべるお嬢様。
これが、本物のサディストなのか。
幼女がぬいぐるみを引き回すように体を引きずられながら、悪魔のような笑みを浮かべる彼女の顔をみて思わず身震いした。
一体、どこに連れていかれるのだろうか。
まさか、円形闘技場で猛獣と闘わされたりしないだろうな。
……このお嬢様なら余興とか言って本当にやりだすかもしれない。
恐ろしい未来を憂いつつ、迷いない足取りでズンズンと歩いていく背中に目を遣る。
なんとか立ち上がったのは良いのだが、気を抜くと引っ張られた拍子に肩の関節が外れそうになるので、必死に彼女の後ろに張り付いて歩かねばならなかった。
さっきまで抵抗の意思をみせていたメイドももう無理だと悟ったのか止めようとはせず、真横にピタリとついてただただ心配そうな顔でこちらのようすを窺っている。
そんな状態のまま5分ほど歩いていると、突然観音開きのドアの前で先導者の足が止まった。
「ここよ、入りなさい」
入室すると同時に目に飛び込んできたのは、出迎えるように手を揃えて深々とお辞儀をする中年の女性だった。
先ほどのメイドより落ち着いた色のメイド服を着ており、佇まいからベテランの風格が漂っている。
こちらもお辞儀を返しながら横目でチラリと室内に目を滑らせた。
部屋は、応接室のようで中央に大きなテーブルがあり、それを挟むようにして向かい合わせにソファが置かれている。
壁には、息を呑むほど美しい絵画や迫力たっぷりな野生動物の剥製など目を引くような美術品や装飾品が並んでいた。
そのまま視線を真正面に戻すとちょうど顔を上げた中年のメイドと目が合った。
「おはようございます、エルピス王子殿下。お忙しい中、わざわざご足労いただきありがとうございます。
お久しぶりでございますね。最後にお会いしたのはーーー」
「前置きはいいから早く本題に入りなさい」
腕を組んだまま、ぴしゃりと言い放つお嬢様。イライラしているのか肘のところを指先で小刻みに叩いている。
「早く用件を聞きたいのに、あなたが『エルピス王子も同席していただいた方がよろしいでしょう』と言うから、わざわざ部屋から引っ張り出して連れて来たのよ。
話したいことがあるのなら、勅令を伝えた後にして頂戴」
水を打ったように静まり返る部屋。
一瞬、間が空いて、
「……そうでございますね。配慮が至らず申し訳ありません、ロザリア王女殿下」
涼しげな顔でそう言うと、中年メイドは懐から円筒状に巻かれた紙を取り出して丁寧に広げた。
「…ゴホン。ロザリア様がおっしゃった通り、今日お呼び立てしたのは勅令をお伝えするためです。内容についてはエルピス王子殿下ご自身に直接関係があるというわけではございませんが、エルピス様にとっても重要な事柄であると判断したため、今回ご同席いただきました。
お二人ともお忙しい身であると存じますので、前置きもそこそこにさっそく勅状の方を読み上げさせていただきます。
以下原文。
『王位継承戦中の帰省について、政情不安によりウルスス人魔王国とその近隣国への入国禁止令が発令された。
よって、第七王女ロザリア・フローガおよび第八王女マグノリア・フローガ、両名は帰国の許可が下りるまでは、タージル共和国に滞在先を変更せよ
以上 』
……とのことです。
ですので、マグノリア王女殿下には……」
言い淀んでチラリとロザリア王女の方を見る。
「分かってる、こっちで伝えておくから」
王女は溜め息混じりにそう言うと、身を翻して颯爽と部屋から出て行った。
取り残されたおれが呆気に取られていると、開け放たれたドアの向こうで手を揃えて立っている例の猫目のメイドと目が合った。
「王子、食堂にて昼食の準備が整っております」
(……さて、これからどうしたものか)
顎に手を当てながら、内窓から中庭が観える長い回廊を歩いてゆく。
頭は混乱していても腹は減るらしく食後のデザートまでしっかりご馳走になった後、メイド娘に先導されながら部屋に戻る道中である。
(分からないことだらけなのだが……)
メイド娘の後ろについて歩きながら、このカオスな現状に頭をめぐらせていた。
今のところ、わかっているのはおれがエルピスという名の王子であること、そしてサディスティックな姉妹(たしか"ロザリア王女"と呼ばれていた)がいることだけ。
だんだんと頭が冴えてくるにつれ、見知らぬ地に一人放り込まれるという事態の深刻さを実感し始めた。
ここはどこなのか、なぜおれはここにいるのか、さっぱり見当がつかない。
やはり、無理に一人でなんとかしようとするよりも誰かに現状を打ち明けたうえで、教えを乞う方がよいのだろうか。
しかしその場合、おれが王子の体を乗っ取ったなんていうあらぬ誤解を招いてしまう可能性がある。
もしそうでなかったとしても、王子という立場上かなりの大事になってしまうのは避けられないだろう。
「お疲れ様でございました、エルピス王子」
突然の声に驚いて顔を上げると、そこには扉の脇で両手を揃えながら軽く会釈するメイド娘。
ぐるぐると考えを巡らせているうちに、いつのまにか自室へ戻っていたようだった。
「また、すぐに戻ってまいりますので」
彼女はすまし顔のまま恭しくお辞儀をすると、長い廊下を足音も立てず、滑るように歩いていった。
身のこなしに無駄がなく所作ひとつひとつが美しいので思わず魅入ってしまう。
「ふぅ……」
彼女の背が見えなくなると、安堵の吐息を漏らしながら、ゆっくりと自室のドアを開いた。
「おっっそいわね、何やってたの?」
聞き覚えある声、驚いて室内に目を走らせる。
声の主は不機嫌そうに腕と足を組んでソファに鎮座していた。
「……………… 」
静寂に包まれる部屋。
アニメ然り漫画然り、異性と部屋で二人きりというのは大抵、胸がときめく展開なはずなのに、何なのだろう、このライオンの檻にぶち込まれたみたいな緊張感は。
違う意味で心臓がどきどきしていたが、何はともあれ、とりあえずあまり刺激しない方向で話を進めた方がよいのは確かだろう。
「昼食で食堂へ行っておりまして…ええと、僕に何かご用でしょうか……ロザリア王女」
おれが質問を交えつつ返答すると、
「……『ロザリア王女』…ねぇ」
王女は問いかけに応じることなく、おれの言葉を反芻するように呟きながら眉をひそめた。
しばらくジッとこちらをみつめた後、
「あなたエルピスじゃないでしょ、誰?」
「えっ!?」
予期せぬ返しに、思わず声が漏れた。
なんということだ、よりによって一番知られてはいけなそうな人物に真っ先に看破されてしまっているではないか!
どこかで気づかないうちに何らかの失言をしてしまっていたのか?
いや、でもメイドの子の方は気づいているような素振りなかったはずなのだが……
「フフ…その反応を見るに図星だったみたいねぇ」
王女は得意げにニヤリと笑うと、目をつぶって人差し指をぴんと立てた。
「まず、おかしいと思ったのは応接室での会話ね。帰省先の変更は、以前からエルピス自身が直訴していた提案だったんだから、実現したら多少なりとも喜ぶのが普通でしょ?
けれど、勅令を聞いたときのあなたは無反応だった。
あれは、かなり不自然よね。
それともう一つは、私の呼び方。
エルピスは、パーティーや式典みたいなフォーマルな場所以外ではいつも『ロザリィ』って呼ぶのよ。
二人だけのこの場面で『ロザリア王女』だなんて絶対言わないわ」
腰に手を当てつつ、胸を張り「どうよ?」と言わんばかりに得意げな顔になる王女。
なるほど、それで不自然に思ってカマをかけた結果、正体を看破するに至ったというわけか。
でも、いくら不自然さを感じたとはいえ、「ようすがおかしい→中身が別人になっているのかも」と発想するのはなかなかぶっ飛んでいる気がするが。
「……フフフフッ」
不敵な笑い声を漏らしながら腕を組んで真っ直ぐこちらを見据える王女。
新しいおもちゃを見つけた子供みたいに、おれを見下ろす三白眼の奥に好奇の色が差した。
「どういうことなのか、教えてもらえるのよね?」
「……はい」
こうなってしまった以上、首を縦に振るより他なかった。
「……ということなんです」
「……それだけ?」
王女は退屈そうに返事をすると、気だるげに欠伸しながら目を細めた。
(あれ?なんか反応が……)
今朝、自分の身に起こったこと(ただし、おれの前世については話がややこしくなりそうなので伏せた)を伝えたのだが、彼女の反応は思ったよりも薄かった。
というよりも、悪かった。
序盤は目を爛々と輝かせていたのに話が進むにつれてだんだんと顔つきが険しくなり、終盤はもうほとんどうわの空といったようすで興味なさげに虚空を見つめていた。
今は、しらけ顔でつまらなそうに足をパタパタとぶらつかせている。
「ハァ……ただの平民と偶然中身が入れ替わっただけだなんて…ホント拍子抜けもいいところだわ。"天能持ち"が王国の侵略でも企んでいるのかと思って期待してたのに…」
「テンノウモチ??」
聞き馴染みのないワードにはてなマークを浮かべていると、半目になった王女と目が合った。
「無学にも程があるでしょ。獣かなんかに育てられたの?」
呆れ顔で悪態をついた後、王女は突然ぶらつかせていた足をピタリと止めて不意にスッと顔を上げるとおもむろに後ろを振り返った。
「さっきからなんか寒いと思ってたら、火付いてなかったのね」
彼女のすぐ後方に目を遣ると薪は組まれているが、肝心の火が付いていない暖炉があった。
王女は黒い長袖のワンピースを着ていたが、スカートの丈が少し短く、足首あたりは肌が露出していた。
確かに少し肌寒そうにみえる。
(なにか火を付ける物は……)
おそらく暖炉の近くにマッチかなにかあるのだろう、そう思いソファから腰を浮かせようとしたところで座ったまま上半身だけを捻った王女が右手を暖炉の方へ伸ばしているのが見えた。
何をやっているのだろうか。
「えーと…これくらいかな…」
"ボウッ"
小さな破裂音とともに眩い光が彼女の右手から放たれ、視界を真っ白に覆った。思わず目を瞑ると、同時に熱風が肌を伝う感触があった。
「はぁ〜生き返る〜」
陽気な声に呼応するようにゆっくりと目を開けると、そこには暖炉の前にしゃがみ込んでパチパチと火花を散らす焚き火に両手をかざす王女の姿が。
「…今の……何…?」
口をぽかんと開けたまま彼女と暖炉を交互に見遣った。
驚嘆のセリフを口にしてはいたものの、実のところ何が起こったのかは理解していた。
疑問形になったのはその事実があまりにも浮世離れしたものだったからだろう。
一瞬ではあったが、はっきりと見た。
目をつぶる瞬間、彼女の伸ばした手のひらから突如火の玉が現れたのだ。
そして、暖炉のなかでゆらゆらと燃える炎の存在が、それが見間違いではなかったことを証明していた。
あまりの衝撃に放心していると、王女は暖炉の方へ向いたまま顔だけをこちらに捻った。
「何って、魔法に決まってるじゃない。あなた、入れ替わる前の記憶ないの?」
彼女は、訝しむように眉をひそめた。
真剣なまなざしとその声色から彼女が冗談を言っていないことが直感的に感じ取れた。
「なんか……そんな感じ…らしい」
なんとか言葉を搾り出したものの、驚きと興奮で声が震えた。
(これって、"異世界転生" じゃないのか!!!)
興奮を抑えつつ、心の中で叫んだ。
内心どこかで期待しつつもそんなわけがないと自分に言い聞かせていたのだが…まさか本当に異世界なんてモノが存在していたとは…
青天の霹靂とはまさにこのことである。
「それで、あなたはこれからどうするの?」
王女は、ふたたび暖炉の方へ向き直った。
彼女の声が先ほどより一段低くなったような気がした。
(これから…?)
高揚していた脳みそは、その一言で一気に冷静さを取り戻した。
これからおれがすべきこと…そうだ、まず何よりも先にやらなければならないことがあった。
「とりあえず、エルピス王子にこの体を返さないと」
偶然の事故とはいえ、やはり人様の体を勝手に操るのは気持ちの良いものではない。
エルピス王子本人もそれを望んでいるはずだ。
「体を返すって……エルピスの魂を盗んだ犯人をとっ捕まえるってこと?」
彼女は探るような目つきでそう言った。
「えっ?魂を盗んだってどういうこと?」
「これがテーブルに置いてあったのよ」
王女は、人差し指と中指で挟んだ紙切れをテーブルの上へ滑らせた。
『旧都プロペテヤに来られたし』
紙上には、ひと言そう書かれていた。
文面だけみると、果し状かなにかだと勘違いしそうだが、これが王子の部屋に残されている現状を考えれば、この置き手紙とエルピス王子の消魂にはなにかつながりがあるとみるのが自然だろう。
ともすれば、ここにいけばエルピスの魂の所在やおれの異世界転生?の理由もわかるのかもしれない。
「というか、わざわざここに行くよりも、犯人がこの国にいるうちに、とっ捕まえる方が手っ取り早い気がするけど」
「何の手がかりもないまま、探し回っても見つかりっこないわよ。犯人は秘密裏に王宮内へ忍び込めるほどやり手なわけだし、当然逃げる算段もつけてるでしょ」
「なるほど…」
言われてみれば、確かにそうかもしれない。
それに魂が抜かれた時刻が昨夜であるとしたら、もうかなりの時間が経過していることになる。
すでに王宮の外へ逃げてしまっている可能性が高い。
それらを考慮すると、やはり一人で探し回るというのは現実的ではないだろう。
うーんと唸り声を上げつつ、顎に手を当てた。
「それじゃあ、いっそのこと事件を公表するのはどうかな?王子の魂が盗まれた、となれば国も動かざるを得ないんじゃない?」
おれがそう言うと、彼女は横目でチラリとこちらを一瞥して、またすぐに暖炉の火へ視線を戻した。
「……三ヶ月ほど前に国王陛下が突然寝たきりになられたの。
優秀な医者や回復術師を呼び寄せたけど、原因が特定できずどうにもならなかった。
それ以来、水面下で王位継承戦がおこなわれるようになったのよ、この王領地内で。
王位継承権者を中心とした派閥争いが日を追うごとに露骨になっていって大人はみんな人が変わったようにピリピリしてる。
どの王子や王女につくかで今後のキャリアが大きく変わるからね。
さて、そういう切迫した状況で私たちみたいな王位継承権をもたない王子や王女の世話を焼いてくれるお人好しがこの王宮内に一体何人いるでしょうね」
王女は自嘲気味に鼻で笑うと、
「ほんとうに、どいつもこいつも……」
一瞬、目を伏せながらぼそっと独り言のように呟いたが、すぐに顔を上げて流し目にこちらを見た。
「だから、国王陛下が崩御して表立った争いに巻き込まれる前に、勅令をだして王位継承権のない王子や王女を母方の親族がいる国へ退避させようとしてるわけ。それがさっきの勅令の話。だから、私たちも近いうちにこの国を出ることになっているし、受け入れ先の国で保護されることになっているのよ」
王女はそう言うと再び目を伏せて、
「……まぁ、体良く『保護』なんて言ってるけど、要するにこれって…厄介払いなんだよ」
彼女は恨みがましい口調でそう吐き捨てると、拗ねた子どもみたいに膝を抱えたまま背を丸めた。
トゲトゲしい口調ではあるが、言っている内容についてはすごくまともで筋が通っていると思った。
思わず首を縦に振りたくなるところだが、ここで引くわけにはいかない。
せっかく異世界に転生できたのに保護されて城外へ出られないなんて、それでは前世の二の舞ではないか。
「……勅令って絶対従わないとダメかな?」
それを聞いた王女は、腕にうずめていた顔を少しだけ浮かせた。
「……どういうこと?」
彼女は不思議そうに大きな緋色の目をパチパチとしばたたかせた。
「勅令の目的は、厄介払いなんだよね?王位継承権のない王子や王女が邪魔だから国外へ追放するのが目的なら国外へ出た後に僕たちがどこで何をしたって問題ないと思うんだけど…」
「…………………… 」
問いかけに対して王女は罵るわけでもなく、否定するわけでもなく、ただただ目を丸くしてこちらを見つめていた。
眉ひとつ動かさず、キョトンとした顔で固まっている。
(なんかまずいこと言ったかな…)
瞬き一つしないのでさすがに心配になり、声をかけようとした瞬間ーーー
「アハッアハハハハハハハッ!!」
突然、せきを切ったように笑い出す王女。
地面にへたり込んだまま、お腹を抱えて笑っている。
彼女の突拍子もない反応にただただ呆然としていると、
「ハァ…ハァ…久しぶりだわ、こんなに笑ったの」
王女は、肩で息をしつつ、ワンピースの袖で目もとを拭った。
「私も、それ賛成。……そうよね、別に体裁を気にする必要なんてなかった。
どうせもうここに居場所なんてないんだし。
それに、これまで散々イイ子にしてきたんだから、家出するくらい許されて当然よ!」
彼女は勢いよく立ち上がると、腰に手を当てながら自分の言葉にうんうんと相槌を打った。
理由はよく分からないが、ご機嫌な王女のようすから察するになんとか説得することができたらしい。
「そうと決まれば、いろいろ準備しないとだけど……」
王女が振り向いた視線の先、テラスの遥か向こうにそびえ立つ山脈の稜線に、ちょうど夕陽がさしかかるところだった。
ガラス張りのテラスドアから差し込んだ光が室内をオレンジ色に染めている。
「夜通し、その計画についてじっくり話し合いたいところなんだけど、わたしやらなきゃいけないことがあるから、詳しい話はまた明日ね」
楽しげな声につられて振り返ると、先ほどの鬱屈とした雰囲気はどこへやら、どこか憑き物が落ちたような穏やかな目で夕陽を眺める王女の顔。
感慨深げな表情をしていたが、こちらの視線に気がつくと、取り繕うように口角を上げてニヤリと妖しく微笑んだ。
悪役令嬢顔選手権があれば、圧倒的一位を狙える逸材ではないだろうか。
「自己紹介が遅れたわね。私は、フローガ天王国第七王女 "ロザリア・フローガ"よ。
これから私を呼ぶときは"ロザリィ"でいいわ。そっちの方が呼びやすいでしょ?」
流れるような口上でそう言い終えると、閉口して何かを待つようにじっとこちらを見つめていたが、すぐに「あっ」と小さく声をあげて首を左右へ振った。
「そうだ、あんた記憶喪失なんだっけ。自分の名前も思い出せないなんてかなり重症みたいね」
ロザリィは、眉をハの字に寄せながら気の毒そうな顔で腕を組んだ。
名前まで思い出せないと言った覚えはないのだが、訂正して話がとっ散らかってしまう状況は避けたかったので、彼女の言葉に同調するようにこくこくと相槌を打った。
「まぁ、どちらにしてもその体でいるうちは"エルピス・フローガ"を名乗らざるを得ないんだけどね」
そう言いながら、彼女は肩をすくめて苦笑した。
今のところ、エルピス王子の顔に泥を塗りたくる未来しかみえないけれど、何にしても、そんな不安をひとりで抱え込まなくてもよくなったのはかなり大きな進歩だろう。
ロザリィに問い詰められたときはどうなることかと思ったが、ひとまず大事にならずに済んで安堵した。
「それじゃあ、私もう行くけど、最後になにか聞いておきたいことある?」
そのセリフを言い終わる前に、すでに彼女の足はドアの方へと歩き出していた。
(せっかちすぎる、この子)
今にもドアノブに手をかけそうな彼女を見て、あわてて頭にあったいくつかの質問のうちの一つを引っ張り出した。
「この世界のことについて簡単に教えてほしい。じゃないと、またどこかでボロ出しそうな気がするから」
彼女は、ノブに手をかけたまま、こちらに振り向いて薄い笑みを浮かべた。
「そのくらいのことなら私に聞かなくても」
そこで言葉を区切るのと同時に勢いよくドアを引いた。
「あっ…」
という小さな叫び声とともにごろんと音を立てながら誰かが部屋に転がり込んできた。
「この娘に聞けばいいわ。エルピス専属の女中みたいだし」
ロザリィの言葉に促されるようにその娘に目を遣る。
健康的な褐色肌に黄色の猫目……
「…って、さっきのメイドの子だよね?」
当の本人は、予想外の出来事に頭が追いついていないのか地面にへたり込んだまま、ぽかんと口を開けてこちらを見上げている。
そういえば、さっき「すぐに戻ってくる」と言っていたような気がするが、まさかこんなに早く戻ってくるなんて。
「すぐに戻る」と言ってすぐに戻ったためしがなかったので盲点だった。
「盗み聞きとは、いい趣味をお持ちなのね」
放心状態の彼女を見かねた金髪王女が嫌味たっぷりに皮肉ると、ようやく事態を把握したのか、メイド娘はびくんと体を震わせた。
「い、いえ…あの…そういうわけでは…」
消え入るような声量でそう言うと、所在なさげに目を伏せた。
強く否定しないところをみると、盗み聞きというのは、やはり図星だったようだ。
そうなると問題はどこまで話を聞かれていたのか、ということなのだが。
「で、どこらへんから聞いてたの?」
間髪入れず、ロザリィが猛禽類のような鋭い目でそこを問い詰める。
「……ロザリア王女殿下の『どういうことなのか、教えてくださるのよね』あたりからだったかと…」
「結構、序盤から……てことは、当然その後のくだりも全部聞いてるよね」
彼女は目を逸らしながら遠慮がちにこくりと小さく頷いた。
その後のくだりとは、もちろん脱城計画のことである。
「あら、それはよかったわ」
ロザリィは目を細めながら意味深な笑みを浮かべた。
「それじゃあ、これからあなたがどういう行動をするべきなのか、いちいち説明しなくても分かるわよね?」
そう言いつつ脅迫めいた笑顔でメイド娘に差し迫る。
助けを求めるように涙目でこちらを見られてもおれにはどうすることもできない。
気まずくなって、そっと目をそらした。
「うぅ……」
助けてもらえないことを悟ったメイド娘は、観念したように肩を落として小さく頷いた。
こうして、何の関係もなかったはずの彼女は、半ば強制的に家出計画の協力者もとい、共犯者になったのである。
「大変なことになっちゃいましたね」
猫目のメイド少女は、悲壮感のある声でそう呟くと、スープをすくった匙を口へと運んだ。
ロザリィが、あの後すぐに「やることがある」と言い捨ててどこかへ行ってしまったので、とりあえず部屋で夕食をとりつつ、改めて二人だけで顔合わせをすることになった。
「あっ、そういえば名前言ってなかったですね。私、"フェーレス"と言います。気がねなく"フェレス"と呼んでください」
彼女は、ぺこりと頭を下げると、上目遣いでこちらを見ながら、
「あの〜、これ着けてると落ち着かないので取っちゃってもいいですかね」
白いフリルのついたカチューシャを指先でつついた。
サラリーマンで言うところのネクタイのような物なのだろう。
そう思って、前世の頃の記憶を少し思い出した。ネクタイをつけたまま、夕食を取るなんておいしい食事も味気なくなってしまう。
「ふたりでいるときは、かしこまらなくて大丈夫だよ」
「どうも、助かります。ずっとつけていると耳がムズムズするんですよね」
「耳?」
"ピョコン"
カチューシャを外すと同時に、毛むくじゃらの猫耳が頭の上から飛び出した。
「うへぇ?」
予期せぬ猫耳で変な声が出た。
テーブルを挟んで向かいの彼女は、不思議そうに小首を傾げたが、すぐにはっとした顔つきになって、
「あぁ!ごめんなさい、驚かせるつもりじゃなかったんです。うっかり言い忘れてました」
と、両手のひらをこちらへ向けて振ると、呼応するように獣耳がふにゃりと垂れ下がった。
「実は私、獣人族と人族のハーフなんです」
「獣人族……」
フサフサの耳と猫目を交互に見ながら、なぞるように呟くと、こちらの戸惑いを感じ取ったのか、彼女は少し俯きつつ人差し指を唇に添わせた。
「……これは、計画についての議論を交わす前に話しておいた方がいいかもしれませんね」
彼女は、ナプキンで口元を軽く拭って、コホンと一つ咳払いをした。
「今朝、この世界に新しく生を受けた貴方様は、言うなれば生まれたての赤子のようなもの。ですので、もっと根本的な話から始めましょう」
「根本的な話?」
顔の前で人差し指をぴんと立てると、ゆっくりと口を開いた。
「この世界のことについて、です」
黄色い瞳の奥に蝋燭の炎が揺れた。
「……今を去ることニ百年、神の御業によりて天と地は創られ、人界、ここに産声をあげたり。
されど人の子ら、未だ智を得ず、ただ混沌の原に彷徨い、影の如く生を営めり。これを憐れみ給いし主は、ここに、天の御座より御使を遣わし、光翼の者、地に降り立たしめ給う。神語を携えし御使は、夜の底を彷徨う影に智を啓き、天力を授け、人の世に黎明の火を灯せり。
『天伝史』"天使降臨"の一幕より」
今から1000年前のことです。
天使様の深き慈悲によって、私たちの遠い先祖は、知恵と魔法、2つの尊き力を授かりました。
それらの恩恵のもと、人々は政治、経済、教育、文化、倫理、そして社会を支える仕組みに至るまで、多くの分野で革新を成し遂げ、それまでの社会の在り方を根本から塗り替えるような飛躍的な進歩を遂げていったのです。
現在、私たちが暮らす"ウラヌス大陸"には当時、7つの大国が存在し、互いに覇を競い合っておりましたが、天使様が議長を務められる王国連合議会"天環会議"で取り決められた条約や国際規則、そして集団安全保障方式と呼ばれる抑止力システムの構築によって、国家間の武力衝突は次第になくなり、社会の発展と人族の繁栄を主とする争いなき太平の世が築かれるに至ったと伝えられています。
……エルピス王子、退屈な話なのは分かりますけど、目の前でそんなに大きなあくびをされると、さすがの私も傷つきますよ?
大丈夫です。要点だけなのですぐに終わります。
あまり面白くない話ですが、今後の理解をスムーズにするために重要なので、もう少しだけお付き合いください。
では、話に戻ります。
そのようにして長らく平和の時代が続いていましたが、天暦252年(天暦は、冒頭の天使降臨を天暦0年とした紀年法のことですね)に突如、大規模な地殻変動が起こり、未知の大陸"亜大陸"が出現しました。
この亜大陸の発生により、ウラヌス大陸は暗黒の時代に突入することになります。
侵略者の襲来です。
地続きになった亜大陸から"悪魔の使者"を名乗る蛮賊どもが現れ、ウラヌス大陸に侵攻し始めたのですが、この者どもは魔法が使えるだけでなく、悪魔から授かった"亜能"という力を有していました。
この亜能によって、姿かたちは同じ人族であるにもかかわらず、彼らは並外れた身体能力を手にしていました。
野生の草食動物並みの速さで野を駆けたり、手の力だけで四肢をちぎり取って大地を紅く染める姿は、まさに"悪魔の使者"そのものだったと言われています。
このような急襲は想定外の事態ではあったものの、先に述べた技術革新で社会インフラや建築のレベルがかなり高まっていたこともあり、物資の輸送・運搬、水源の確保、施設管理、情報伝達など防衛戦や籠城戦において求められる機能が充実していたため、長期的な戦況においては優位に立ち回ることができていました。
しかし一方で、攻撃手段が遠距離魔法や投石機、弓矢などの飛び道具しかなかったために、攻め手に乏しく、防衛一辺倒という状況でもありました。
ちなみに、身体能力の差があまりにも開きすぎていたせいで、白兵戦では全くと言っていいほど勝ち目がなかったそうですよ。
そのようなこう着状態のまま、侵攻が始まってちょうど1年が経とうとしていた頃でした。
その日は、戦争における均衡状態の打開策について協議する天環会議が執り行われたのですが、話し合いはかなり難航していました。
それまで何度も同様の協議が行われていたものの、どの対策も十分な戦果を上げるには至らなかったからです。
例のごとく行き詰まる会議をお聞きになられていた議長である天使様は、痺れを切らしたように各国の国王たちへ、ある天啓が為されたそうです。
「天使の肉を食しなさい」
それが最も有効な対抗手段になる、天使様はそう仰せになったと伝えられています。
「3日のうちに、7つの王国すべてへ、生贄の天使を遣わすゆえ、汝らはその肉を余す所なく食しなさい」とーー
そして、その宣告どおり、2日後にはこの国にも生贄の天使様が連れられて参りました。
生贄として選ばれたのは、炎の天使 フローガ様というお方でした。
ええ、そうです。"フローガ天王国"は、その犠牲となられた天使様の聖なる御名に由来するものでございます。
そして、そのような過程(あまりにも残酷なため詳細は差し控えます)を経て、天使様から受け継いだ能力、それこそが"天能"だったのです。
天能は、生物的に遺伝する性質を有していたため、王族内で継承されるとともに、王族の血筋であることを示す一種の象徴になっていきました。
もちろん、国王自身も継承しましたが、実際に戦線に立ったのは国王ではなく、その当時王位継承権が認められていなかった側室の子である王子や王女たちだったそうですが。
天能の継承。
それが契機となって、連合王国側の反撃が開始されました。
それまでの守勢から一転、果敢なる攻勢へと転じるようになり勢いづくと、ついには亜大陸への報復侵攻がおこなわれるようになりました。
これが後に"天魔戦争"と呼ばれる大陸間戦争へと発展していくことになるのですが、細かく説明していると、きりがないので大事なところだけお話ししますね。
結論からいうと、停戦協定によって、天魔戦争は終結しました。
というのも、天魔戦争中にまた大規模な地殻変動が起こり、"第3大陸"と呼ばれる新大陸が現れたのです。
そして例のごとく、そこには先住の人型生物が存在していました。
わたしがその生物のことを「人族」ではなく、「人型生物」といったのは、それらが言語をもたないどころか、社会性さえもたない殺戮に特化した生物兵器だったからです。
この凶悪生物は、"異害"と名づけられました。
総個体数はおおよそ40から50体ほどであり、生殖器官を持たないため個体数が増えることはありませんでしたが、たった1体でも甚大な被害を及ぼす脅威でした。
外見が人族と見分けがつかないほど酷似しているうえに、人族と同等かそれ以上に知能が高いというところも恐ろしい生態の一つでした。
人々が気づかないうちに街や村に溶け込んで、内側から機能を破壊する、それが異害の常套手段だったそうです。
調査記録によると、異害によって総人口のおよそ4割が死亡したとされています。
事態を危険視した連合王国側と亜大陸側の両陣営は、この圧倒的な脅威を排除すべく、一時的な停戦協定を結び、共闘戦線を形成して対異害掃討作戦を遂行しました。
戦いは苛烈を極め、血で血を洗うまさに死闘が大陸全土で繰り広げられました。
莫大な戦費、計り知れぬ犠牲、そして20年という歳月を費やして、ようやく作戦は完遂され、この未曾有の大災厄は終息を迎えたそうです。
当然ながら、被害は壊滅的でした。
建物は骨組みが剥き出しになり、田畑は黒く焼け焦げ、街中を歩いていると昼夜問わず、至る所からうめき声やすすり泣く声が聞こえてきたそうです。
第3大陸に近づくにつれ、その傷跡は凄惨さを増していき、最も近くにあった都市は、もはや街そのものが消滅していました。
散乱した瓦礫と地を赤黒く染める死人の海だけが全方位見渡す限りに広がっていた、と。
そのような地獄絵図を目の当たりにした両陣営には、もう争う余力も、そして気力も残されてはいませんでした。
背中を預け合い、共に死地をくぐり抜けたことで、すでに両者の間には堅固な信頼関係が築かれていました。
こうした経緯を経て、連合王国と亜大陸は無期限の停戦協定を締結し、大陸の垣根を超えて手を取り合いながら、復興への道を共に歩み始めたのです。
「手短にお話しするつもりが、ずいぶん長話になってしまいました」
語り終えたフェレスは、小指ほどの大きさまで縮んだ燭台の蝋燭に目を落として、肩の力を抜くようにふぅと小さく息をついた。
当然のことながら、元の世界の歴史とはかなりかけ離れた異質の変遷だった。
話を聞く限り、かなり物騒な世界ではあるようだが、自分の中にある冒険への期待感は、静まるどころかむしろ高まっていた。
命懸けの旅であるからこそ意味があるのだ。
リスクのない冒険なんて旅行と同じではないか!
……まぁ、こんな風に意気込んではいるが、まだ城から出られていない、というのが現状である。
とりあえず、早いところこの城から抜け出すために、明日からの作戦会議でしっかりその計画を練っていかなければならない。
夕食を済ませて、空になった銀食器やカトラリーをワゴンに片し終わると、フェリスはこちらへ向きながら、仕事モードに切り替えるように背筋をピンと立てつつ姿勢を正した。
「もうそろそろ夜も更けてきましたので、今晩の会はここらへんでお開きといたしましょうか」
「そうだね。明日は朝から忙しくなるだろうし、早めに寝た方がいいかもしれない」
テーブルナプキンで口を拭いつつ、彼女の言葉にうなずいた。
薄暗い室内は、月の光に照らされて青白くぼんやりと浮かび上がっていた。
夜の海底のように淡く光る室内を横目で眺めながら、引き寄せるようにして羽毛の柔らかな掛け布団にくるまった。
目まぐるしい一日をなんとか無事に乗り切り、異世界生活の初期スポーン地点である天蓋付きのベッドへと戻ってきたのだった。
ほんとうに、嵐のような一日だった。
異世界転生、王子の消魂、暴力王女、ケモ耳メイド、魔法、王位継承戦、天使と悪魔、天能と亜能、大陸間戦争、生物兵器…
少年漫画のようなスケールと超展開に振り回されっぱなしで何がなにやらまだ分からないことばかりである。
そこらへんの異世界事情を把握するためにも明日からは情報収集にも力を入れていかなければなるまい。
しかしながら、そんな右も左も分からない現状でも迷いなく確信できていることが1つだけあった。
異世界という未知の領域にやってきて初めて分かったこと。
それは、この世界が前世の誓いを果たすうえで、これ以上ないほどに最高の舞台だということだ。
安寧ではなく冒険。
死にゆくなかで、そう心に誓った。
"彼女"のように茨の道を歩みたいと願った。
そして今、奇跡的にそれが叶えられる場所にいる。
ならば、やることは一つだ。
とことんまで冒険しつくそう、この異世界を。
やりたいと思ったことをとことん貫いて。
もう、二度と後悔しないように。




