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この世界の美しいは間違っている  作者: ゆう
第五章:選び続ける世界

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第五章 第2話 理解しに来た人々

第五章 第2話 理解しに来た人々


 公爵領に、見慣れない視線が増えた。


 街路の端で立ち止まり、工房の中を覗く者。学舎の掲示板を黙って読み、通り過ぎてはまた振り返る者。市場の値札を確かめるように指でなぞり、交渉の声を聞き取ろうと耳を澄ます者。彼らは移住者ではない。荷を持たず、列にも並ばず、ただ“見ている”。


 視察――という言葉が、庁舎の廊下で小さく囁かれ始めていた。


 ミリアは受付台に置かれた名簿を閉じ、窓の外を見やった。馬車が一台、中央庁舎の前に止まる。装飾は控えめだが、質のいい布。国の紋章は掲げていない。来訪者の意図は、最初からはっきりしていた。


「……理解しに来た人たち、ですね」


 隣に立つ若い職員が、声を潜める。


「ええ。質問は多いでしょう。でも、答えはいつも同じよ」


 ミリアはそう言って、応接室へ案内する準備を整えた。


 応接室に通された一行は、男女混じりの四名だった。北方の国から来たという彼らは、挨拶も簡潔で、すぐに本題へ入る。


「この領では、女性が働き、学び、判断を下すと聞きました」


 代表格の女性が、率直に言う。


「はい。必要だからです」


「男は?」


「働いてもいいし、働かなくてもいい。ただし、尊大でいることは価値になりません」


 言い切りに、相手の眉がわずかに動いた。


「……反発は?」


「あります。最初は」


「統制は?」


「していません」


 沈黙が落ちる。彼らは“仕組み”を探している。強制や罰則、階級や命令。だが、ミリアの答えはそれを与えない。


「私たちが示したのは基準だけです。生き方を測る基準。選ぶのは人それぞれ」


「それで、秩序が保てると?」


「保てています」


 事実だった。だから、付け足す必要はない。


 応接室の窓の外で、工房から出てきた女性が手を拭き、隣の店へ声をかける。値を決めるのは彼女だ。相手は男だが、頭を下げるでも威張るでもない。必要なやり取りが、必要なだけ交わされる。


「……不思議な光景ですね」


 代表格が、ぽつりと漏らす。


「不思議なのは、最初だけです」


 ミリアは微笑んだ。


「慣れれば、ただの生活になります」


 同じ頃、街の反対側では、レオンが視察者たちとすれ違っていた。護衛はいない。必要ないからだ。彼らはレオンに気づき、足を止める。名乗りはしない。だが、空気が変わる。


「あなたが……」


「ええ」


 それ以上の言葉は要らなかった。


「質問は?」


 レオンが先に促す。


「……どうして、争いにならない?」


 男が聞いた。声には警戒と期待が混じっている。


「争う理由を、作らないからだ」


「それは……理想論では?」


 レオンは、遠くの学舎を見た。


「理想は、守ろうとすると争いになる。ここでは、守らない。選べるようにするだけだ」


 男は言葉を失った。彼が求めていた答えは、制度の名前や規則の条文だったのだろう。だが、返ってきたのは“態度”だった。


「……理解するには、時間が要りそうだ」


「それでいい」


 レオンは頷いた。


「理解できないまま、真似をしないでください。それだけで十分です」


 視察者たちは互いに視線を交わし、深く礼をした。去り際の足取りは、来たときよりも重い。軽々しく持ち帰れるものが、何もなかったからだ。


 夕刻、庁舎の一角で短い報告会が開かれた。リリアナは行政区の反応を、マリアは取引の増加を、ソフィアは技術交流の問い合わせを、カトリーナは治安の変化を、それぞれ淡々と述べる。


「……増えますね」


 ミリアがまとめる。


「来訪者も、質問も」


「問題ない」


 レオンは即答した。


「理解しに来る者が増えるのは、悪くない」


「誤解も増えるわ」マリアが言う。


「それもいい」


 レオンは首を振った。


「誤解のまま真似をすれば、すぐに壊れる。壊れるなら、根づいていない証拠だ」


 リリアナは小さく息を吸った。


「……ここが特別だと思われるのは、少し怖いですね」


「特別でい続ける必要はない」


 レオンの声は穏やかだった。


「普通になればいい」


 夜、街に灯りがともる。視察者たちは宿で帳面を広げ、言葉にできない違和感を整理しようとする。規則は書ける。だが、空気は書けない。選び続けるという感覚は、文章に落とし込めない。


 その一方で、公爵領の人々は、いつも通り眠りにつく。今日も選び、明日も選ぶ。その連なりが、いつの間にか世界の端に波紋を広げていることを、彼らは大げさに意識しない。


 レオンは窓辺で、遠くの灯りを眺めた。


(理解されなくていい。だが、理解しようとする者がいる限り、続けられる)


 選ばれるための物語は、もう要らない。

 選び続ける日常が、静かに世界へ滲んでいく。


 それが、この領のやり方だった。

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