第四章 第10話 王国の外側で
第四章 第10話 王国の外側で
公爵領の朝は、これまでと何ひとつ変わらず始まった。
鐘の音が街に響き、市場では露店が並び、工房からは槌と歯車の音が流れてくる。学舎へ向かう女性たちの足取りは軽く、治安隊の巡回もいつも通りだ。特別な儀式も、誰かの演説もない。ただ、穏やかな日常がそこにあった。
だが、その「変わらなさ」こそが、すでに王国とは決定的に異なっていた。
中央庁舎の一室で、ミリアは書類に目を通しながら、ふと手を止めた。
王国からの通達は、昨日を最後に途絶えている。抗議も命令も、問い合わせすら届かない。
(……終わったのね)
胸に浮かんだ言葉は、怒りでも勝利でもなかった。
関係が自然に切れただけ。
それ以上でも、それ以下でもない。
扉が開き、マリアが入ってくる。表情はいつも通り冷静だった。
「今月分の税収よ。
王国経由の流通はゼロ。領内と他国との取引だけで完全に回っているわ」
それは、公爵領が王国の経済圏から外れたことを意味していた。
「行政区の再編も落ち着きました」
続いて入ってきたリリアナが、静かに報告する。
「各区での揉め事は、ほぼ内部解決できています。
もう王都の裁定を求める声はありません」
「技術者たちは国籍なんて気にしてないよ」
ソフィアは楽しそうに言った。
「北方連合国の人たちも、地元の人と一緒に改良始めてる。
ここでは、どこから来たかより、何ができるかの方が大事だから」
最後にカトリーナが短く締める。
「治安は安定。
王国軍の動きはなし。……来る気があるなら、もう来ている」
五人の間に、短い沈黙が落ちた。
そこにあるのは高揚ではなく、静かな理解だった。
「……誰も、独立を宣言していないのに」
ミリアの呟きに、レオンは窓の外を見つめたまま答えた。
「だが、もう誰も王国の判断を待っていない」
それがすべてだった。
国とは、線や旗で決まるものではない。
人がどこを自分の居場所だと感じるか――それだけで形作られる。
一方、王都は沈黙に包まれていた。
工房は止まり、働く女の姿は少ない。議会は開かれず、命令も飛ばない。誰かが決めるべきことを、誰も決められなくなっていた。
玉座の間で、セレスティアはひとり座っていた。
怒鳴る力も、誰かを責める言葉も、もう残っていない。
鏡に映る自分の顔は、この国で「絶対の美」とされてきたものだ。
だが、その美に群がる視線は戻らなかった。
「……外へ、行ったのね」
それは問いではなく、事実の確認だった。
王妃エレオノーアは、相変わらず何も言わない。
王国はまだ存在している。
だが、中心ではなくなった。
夕暮れ、公爵領の広場に人が集まる。
仕事帰りの者たちが自然と足を止め、輪を作っただけだ。
その中心に立ったレオンは、大きな声を出さなかった。
「今日も、一日お疲れさま」
その一言に、誰かが笑い、誰かが頷く。
拍手も歓声もない。だが、そこには確かな安堵があった。
選ばれるために生きてきた者。
嘲られ、削られ、黙らされてきた者。
特権に息苦しさを感じていた少数の男たち。
彼らは今、同じ場所に立っている。
誰かの下でも、誰かの上でもない。
ただ、ここで生きる者として。
夜、公爵領に灯りがともる。
その数は、王都よりも多かった。
国境は引かれていない。
独立の宣言もない。
それでも世界は理解していた。
――ここは、もう王国の中ではない。
王国の外側で、
新しい秩序は、静かに、しかし確かに息づいていた。
第四章・完
第四章では、戦争も宣言もないまま、
それでも確実に「王国の外側」が成立してしまう瞬間を描きました。
この章で起きたことは、誰かが勝ったとか、誰かが負けたという話ではありません。
ただ、選ばれる側であることに安住していた世界と、
自分で選び続けることを始めた人々の距離が、静かに、しかし決定的に開いただけです。
レオンは最後まで王になりませんでした。
命令もせず、誰かを導こうともしていません。
それでも公爵領が「国のように機能してしまった」のは、
人々が“従う”のではなく、“納得して動いた”からです。
四人の婚約者たちもまた、
誰かの庇護の下にいる存在ではなく、
それぞれがこの領を支える柱として立ちました。
そして王国側――
特にセレスティアは、罰も救済も与えられないまま、
ただ世界に置いていかれます。
それは残酷ですが、同時にこの物語が選んだ誠実さでもあります。
変わらない者を無理に変えない。
世界は、先に進むだけです。
第四章は「独立の章」ではありません。
独立してしまったことに、あとから皆が気づく章です。
次の第五章では、
この価値観がどう根づき、どう広がり、
そしてレオンと四人が「伴侶として」どこへ向かうのかを描いていきます。
革命の物語は、ここで終わりました。
ここからは――
選び続ける物語が始まります。
第五章も、どうぞ最後までお付き合いください。




