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この世界の美しいは間違っている  作者: ゆう
《第四章:揺らぐ王国と集う風》

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第四章 第7話「レオンの価値観に共鳴する“男たち”の影」

王都の外れ、夜の霧が低くたれこめる街道に、火の粉みたいな明かりが点々と揺れていた。荷車の車輪が湿った土を踏み、馬の鼻息が白く滲む。昼の喧騒とは違う、逃げるような静けさがその一行にはあった。


先頭を歩く男は、肩に外套を掛けたまま振り返らない。名をユリウスという。二十歳を少し過ぎたばかりの若さにしては、目だけが妙に疲れていた。男が働く必要のない国で、働く女を笑って生きる方が楽なはずなのに、彼はその“楽”に耐えられなかった。


背後の荷車には、同じように黙り込んだ男が二人。いずれも貴族の次男三男、あるいは下級官吏の家の出だ。王都では男というだけで尊ばれ、何もしなくても周囲が勝手に整えてくれる。だからこそ、少しでも“違うこと”を口にすれば、目立つ。目立てば狙われる。男が上で女が下、という秩序の上に、彼らは生きてきたのだから。


「……公爵領が、そんなにいい場所だっていうのか」


荷車の脇で、ひとりが小さく言った。声に威勢はない。あるのは不安と、わずかな期待だけだ。


ユリウスは歩きながら答えた。


「いい場所、というより……息ができる場所だ。少なくとも、俺はそう聞いた」


「男が息ができない国なんてあるのかよ。俺たちはずっと、息を吸って吐くだけで価値があったじゃないか」


その言葉は、この国の真実だった。男は少ない。だから至上。女は多い。だから競争し、媚び、嘲られ、働いて支える。男は働かない。必要もない。必要とされるのは“存在”そのもの。どれほど傲慢でも許され、どれほど怠けても咎められない。


だが、ユリウスはその真実の中に、息苦しさを感じていた。何もしないまま尊ばれることが、いつの間にか“檻”になっていたのだ。


「……価値があるのは“男”だからじゃない。あの公爵は、そう言ったらしい」


「誰が? レオン=アルディス?」


後ろの男が眉をしかめる。半ば嘲笑の形だったが、笑い切れない。公爵領という言葉はもう噂ではない。王都の醜女たちが消え、工房が止まり、食糧加工場が回らなくなった。誰もが知っている。王都の“当たり前”が、崩れ始めたことを。


「レオンは男を崇めない、って噂だぞ」

「男を崇めない? そんな馬鹿が国を作れるわけが……」

「作れてるから、こうなってるんだ」


ユリウスは口を閉じた。言い争うつもりはない。言葉で勝ちたいわけでもない。彼が求めているのは、確かめることだった。自分の胸の奥にずっと引っかかってきた“違和感”が、あの領には答えとして存在するのか。


王都で、ユリウスは一度だけ、支援局の列からこぼれた醜女を見たことがある。夜の路地裏で、荷物を抱えて震えていた。周囲の男たちは笑い、女たちは目をそらした。彼は足を止め、声をかけようとして――やめた。自分が声をかければ、次に彼女が受ける嘲笑はもっと酷くなる。男が“情け”を見せるのは、女にとっても侮辱になる。そう教えられてきた。


(俺は、あのとき何もしなかった)


それが、ずっと胸に残っていた。


やがて一行は、王都から遠ざかった森道で、火を消す合図を交わした。追跡を恐れているのではない。男が移住するなど前代未聞だから、誰かの興味を引けば、その瞬間に玩具になる。笑いものにされ、引き戻される。彼らは“男の身で”逸脱する罪を犯しているのだ。


朝が近づくと、街道に人影が増えた。多くは女だった。荷車を引き、赤子を抱き、老女を支え、黙々と前へ進む。公爵領を目指す流れが、もう川ではなく海になっているのがわかる。


女たちは男たちを見ると、一瞬だけ警戒の色を見せた。男は支配者で、気まぐれで、尊大で、上から目線で、当然のように人を選び、当然のように人を傷つける。そういう存在として生きてきたのだから、無理もない。ユリウスは手を上げもせず、ただ道の端に寄った。邪魔にならないように、視線も落とす。


すると、列の中のひとりの若い女が、彼の足元に落ちていた水袋を拾った。肌は荒れているが、整った顔立ちだ。王都なら“醜女”として扱われ、笑われた種類の顔。だがその目には、妙な強さが宿っていた。


「……落としましたよ」


ユリウスは一瞬、言葉に詰まった。男が女に礼を言うのは、この国では“おかしい”。だが、彼女はそれを気にしていないようだった。


「ありがとう」


そう言っただけで、隣の男が肩を揺らした。笑うでもなく、息を呑んだような反応だった。女のほうは淡々としている。


「公爵領に行くんですか」


「……ああ」


「男の人が? 珍しいですね」


嫌味ではない。ただの事実としての言葉だった。ユリウスは、胸の奥が少し軽くなるのを感じた。王都では“男は上”という前提が全てを汚していた。ここでは、まだそれが薄い。少なくとも、この列の中では。


「あなたたちも?」


「はい。私たち、働きたいんです。……笑われない場所で」


彼女はそう言って列に戻った。言葉の余韻が残る。“笑われない場所”。それは、ユリウスがずっと欲しかった言葉だったのかもしれない。男としての尊厳ではなく、人としての息ができる場所。自分が“何もしないこと”で女が傷つく世界から、少しでも遠ざかりたい。


昼前、公爵領の境に近い検問所が見えてきた。だが、そこは王国の兵が立つ場所とは違う。立っているのは女性の治安隊員たちだ。整列した姿勢、無駄のない動き、目の光に怯えがない。カトリーナの訓練が行き渡っているのが一目でわかった。


「止まれ。目的を言え」


隊長格の女性が、淡々と問う。声は低いが、侮りがない。ユリウスは、ここで初めて深く息を吸った。


「移住希望だ。……俺たちは、男だが」


「男だろうと女だろうと、手続きは同じだ」


その答えに、隣の男が目を見開いた。“同じ”。その言葉を聞いたことがない者が、驚くのは当然だった。


「働く場所が欲しいんじゃない。働かせてくれ、というわけでもない。……ただ、この領の価値観を見たい」


ユリウスは正直に言った。自分でも驚くほど、声が真っ直ぐだった。


隊長格の女性は、少しだけ目を細めた。


「価値観、ね。……なら、中央庁舎で話を通す。勝手な振る舞いは許されない。身分を振りかざすのも禁止だ。ここでは“男だから偉い”は通じない」


「……わかった」


「よし。次」


手続きは淡々と進んだ。彼らは“選ばれる男”として入るのではなく、“移住者”として列の中に混じる。その事実が、胸に奇妙な熱を生んだ。誇りではない。安堵だ。


中央庁舎へ向かう途中、街の景色が目に入る。工房からは槌の音。市場では女たちが値段を交渉し、笑い合っている。学舎の建設現場では、女の手で柱が立っていた。男がいなくても街が回っている。いや、男がいないからこそ、街は速く、強く、しなやかに動いているようにすら見えた。


「……本当に、女だけでこんなに……」


隣の男が呆然とつぶやいた。王国の常識では、女が働くのは醜女の役目で、誇りではなく恥だ。なのにこの領では、働くことが誇りになっている。その逆転は、ユリウスの頭を少しずつ解きほぐしていった。


庁舎に通されると、応接の間にはすでに一人の女性が待っていた。ミリアだ。きびきびした目つきで書類を整え、こちらを見た瞬間、判断する光が走った。媚びはない。恐れもない。ただ、責任がある。


「移住希望者ですね。……男性。珍しい」


ユリウスは言い訳をしなかった。


「俺たちは、王都の空気に耐えられなかった。男だから尊ばれるだけの世界が……息苦しかった」


言った途端、背後の二人が固まるのがわかった。王国では、その発言だけで“異端”だ。だがミリアは驚かなかった。紙に何かを書き込みながら、静かに返す。


「この領で何を望みますか。保護? 地位? それとも……学ぶこと?」


ユリウスは少し考えた。ここで“地位”と答えれば、王国の男と同じだ。彼はそれを望んでいない。


「……償いたい、とは言わない。そんなのは偽善だ。でも、せめて同じ空気の中で生きたい。自分が何もしないことで誰かを傷つけない場所で」


ミリアはペンを止め、初めてユリウスの目を正面から見た。


「あなたは、ここで“男としての特権”を捨てられますか」


胸が鳴った。問われているのは覚悟だ。ユリウスは、ゆっくりとうなずいた。


「捨てたい。……捨てなきゃ、ここに来た意味がない」


沈黙のあと、ミリアは小さく息を吐いた。


「わかりました。あなたたちは“男の移住者”として登録します。公爵領では、働くことは義務ではありません。ただし、尊大にふるまって誰かを傷つけるなら、ここに居場所はありません」


「……当然だ」


その言葉が自然に出たことに、ユリウス自身が驚いた。王国なら、男はどれほど傲慢でも許されたのに。ここでは許されない。その不自由さが、今は心地よかった。


手続きが終わり、外へ出ると、夕陽が街の屋根を赤く染めていた。遠くで女性の治安隊が巡回し、工房の煙がゆっくりと空へ溶ける。人々の表情に、怯えよりも意思がある。


ユリウスは、その景色の中で初めて理解した。


ここに集まっているのは、醜女と呼ばれた女たちだけではない。古い秩序に息が詰まり、言葉にできない違和感を抱えていた者たちもまた、少数ながら確かに流れ込んでいる。男ですら、例外ではない。


(レオン=アルディス……お前は何を作ろうとしている)


その名を思い浮かべた瞬間、胸の奥が熱くなる。憧れではない。恐れでもない。理解したい、という欲だ。


ユリウスは空を見上げた。夕焼けの向こうに、まだ知らない明日がある。


王国では、男は選ばれるだけで生きられた。だがここでは、選ばれることではなく、どう生きるかが問われる。


彼はその問いに、今度こそ逃げないと決めた。


公爵領に吹く風は、確かに国境を越え始めていた。

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