第四章 第3話 旧き者たちの影
第四章 第3話 旧き者たちの影
王都・貴族議院――かつてこの国の権力と栄華の象徴とされた場所。その広い会議室に、いまはどこか薄暗い淀んだ空気が漂っていた。
重厚な机の上には、色とりどりの宝石の指輪をはめた手が並び、香水の甘い匂いと、嫉妬と焦りが混ざった息遣いが交錯する。それでも、誰も胸を張って座ってはいなかった。まるで“自分たちの時代が終わろうとしていること”に、薄々勘づいているかのように。
「……で、あの“公爵領の件”はどうなっているのだ?」
最年長の侯爵が震える声で問いかけた。皮膚は丸く膨らみ、ぶつぶつが浮いた顔立ち。だがこの国ではそれこそが“美”の象徴とされてきた。
隣の伯爵が扇を震わせながら答えた。
「毎日、醜女どもが公爵領へ流れております。すでに王都の工房や農地では人手が足りない状況です。わ、わたしたちはどうすれば……」
「どうすれば、ではないだろう!」
別の貴族が机を叩いた。
「問題はあの男――レオン=アルディスだ!」
その名を言った瞬間、部屋にいた貴族たちが一斉にざわめいた。
「あの者のせいで、醜い女たちが働こうなどと……!」
「働く者が減れば、我々の生活はどうなる!」
「美を持つ者が優位であるべき。これは神が決めた秩序だ!」
彼らは自分たちが“美しい”と疑っていない。その基準が世界の常識だと信じ切っている。
「公爵領のような価値観など、あってはならんのだ……」
呟きは震えていた。
王国の価値観は“絶対”だと、彼らは思い込んで生きてきた。
そこへ、ひとりの若い子爵が手を上げた。
「ですが……あの公爵が広めている思想は、すでに王都でも静かに広がっています。働いている女性たちが……皆、目を輝かせていると……」
「黙れ!!」
老人たちが一斉に怒号を返す。
「希望など必要ない!!」
「女は働くから醜くなるのだ!!」
「美は特権であり、我々が守らねばならん!!」
――その声は、まるで恐怖にしがみつく亡霊の叫びのようだった。
(この人たちは……変わることができない)
若い子爵は口を閉ざし、目を伏せた。
本能で理解していた。
この場にいる者たちは、もはや世界の変化についていけない。
しかし会議は続く。
侯爵がネチっとした唇を歪め、陰湿な声を漏らした。
「……いっそのこと、公爵を失脚させるか……?」
その言葉に、部屋の空気が一瞬で冷えた。
「しかし、軍を動かすなど……王妃殿下が許すはずが……」
「第一王女殿下は公爵領に不満を抱いておられる。姫様の名で命令を出せば――」
「いや、それは危険すぎる。あの四人の婚約者全員が優秀だと聞く。侮れん……」
ふと、若い子爵が震えながら呟いた。
「……聞いた話ですと、公爵領は一日に数百人の移住を受け入れ、すでに“自治国家のような形”になっているとか……」
「国家!? 何を言っている!!」
だが叫びは、もはや空虚なものだった。
貴族たちの目の奥に宿るのは、怒りではなく恐怖だ。
恐怖――
それこそが、公爵領の存在が生み出した真の影響。
「わ、我々の時代は……どうなるのだ……?」
侯爵の声が震えた。
その震えは彼一人ではなく、部屋の全員のものだった。
彼らが守ろうとする“美の階級社会”は、すでに崩れ始めている。
女が働き、能力で評価される世界。
男性を媚びへつらわなくても、堂々と自立して生きられる世界。
醜いと言われた者が、希望を持って歩ける世界。
それは彼らにとって、恐ろしく、理解できず、受け入れがたい変革だった。
「……レオン=アルディス。
あの男さえいなければ……!」
侯爵の呪詛のような声が静かに響く。
「この国は平和だったのだ……
醜女は働き、美しい者は選ばれ……
男は尊ばれ……
――それが正しい世界だったのだ……!」
しかし若い子爵は、心の中で小さく否定した。
(平和……?)
彼は街に溢れる疲れた女性たちの顔を思い出した。
涙を拭きながら公爵領へ向かったあの列の背中を。
(これは……滅びゆく側の言葉だ)
貴族たちは気づかない。
もうこの世界は変わり始めており、王国に戻る流れは存在しない。
会議が終わり、皆が部屋を出ようとしたとき、若い子爵はふと窓から外を眺めた。
王都の空はどんよりと曇っていた。
そこへ一筋の光が差し、街外れの方角を照らした。
(あの光の先に……新しい世界が生まれている)
彼は気づいてしまった。
王都はもう“中心”ではない。
中心は――公爵領へ移っている。
そして、その事実を認めない者たちは滅びていく。
旧き者たちの影は、静かに崩れ始めていた。




