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この世界の美しいは間違っている  作者: ゆう
第三章: 風が集う地 ―目覚めの公爵領―

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第三章 第1話  扉を叩く者たち

第三章 第1話 

扉を叩く者たち


 朝の公爵領は、静かだ。


 王都のような、男たちの笑い声や甲高い賛美の囁きは聞こえない。

 代わりに、まだ淡く白んだ空の下で、女たちの足音と、遠くから響く鍬の音が小さく重なっている。


 それが、この地の「いつもの朝」になっていた。


(……本当に、変わったわ)


 支援局の窓辺に立ちながら、ミリアはそっと息を吐いた。


 石畳を行き交うのは、今日も仕事に向かう女性たち。

 粗い布の作業着もいれば、事務用の簡素な衣服もいる。

 彼女たちはすれ違いざまに軽く挨拶を交わし、それぞれの持ち場へと散っていく。


 そこに、男の姿はほとんどない。

 椅子に座って茶を飲む者。

 縁側で欠伸をする者。

 顔を上げて女たちの働く姿を眺めるだけの者。


 ――この国では、それが「当たり前」だった。


 だが、この領だけは違う。


 男が働かないのは同じ。でも、彼らが「偉そうに指図する」ことは、ほとんどなくなった。

 命令しなくても、世界は回る。

 むしろ、女たちが自分の頭で考え、自分の意思で動いた方が、うまく回る。


(もう、誰も疑わなくなっている……)


 ここに来たばかりの頃の自分を思い出して、ミリアは苦笑した。


 選ばれるために笑い方を覚え、捨てられないために化粧を重ねた毎日。

 男に価値を決められるのが普通で、それ以外の生き方など想像したこともなかった。


 それが今ではどうだろう。

 この窓の外には、男に媚びるためではなく、「自分のために」働く女たちがいる。


 それが、不自然でも異常でもなく――

 ただ、ここではそれが「当たり前」になりつつある。


「ミリア、門番から連絡よ」


 扉がノックされ、クララが顔を出した。


「今朝も?」


「ええ。“噂を聞いて来た人”がまた何人か門に並んでいるって」


「……また増えたのね」


「嬉しい悲鳴よ。相談窓口、今日もパンパンね」


 クララは肩をすくめて笑う。


「正直、最初はここまで増えるとは思ってなかったわ。

 王都から流れてくる醜女が少し――その程度かと」


「でも、実際は違った」


「ええ。王都だけじゃない。

 他の領、そして……他国からも」


 クララの言葉に、ミリアは目を瞬かせる。


「他国?」


「訛りが強いらしいわ。

 “王都から”じゃなく、“海の向こうから”という話も出てる」


 そこまで来たか、とミリアは胸の奥がざわつくのを感じた。


(もう、王国の中だけの話ではないのね……)


 公爵領は、ただの一地方ではいられなくなりつつある。

 価値観そのものが違う場所として、世界に認識され始めている。


「行きましょうか」


「ええ、支援局の顔として」


 ミリアは机に置いていた筆記用具と帳簿を手に取り、小さく頷いた。


 ***


 門前は、朝の光の中で薄く靄がかかっていた。


 石造りの頑丈な門の前に、十数人の女性が列を作っている。

 寒さでも、緊張でもない震えを抱えながら、しかし足だけはしっかりと地面を踏みしめていた。


「お待たせしました。支援局のミリア・フローレンスと申します」


 声をかけると、列の視線がいっせいにこちらへ向く。

 その中に、王都で見慣れた貴族街の服装はほとんどない。

 粗末な布、擦り切れた袖、日焼けした肌――そして、どこか見慣れない服飾の形。


(……本当に、違うわ)


 王都の女として暮らしてきた自分とは、まるで別の世界から来た者たち。

 それなのに、目だけは同じものを宿している。


 ――居場所を求める、切実な光。


「順番に、お話を伺います。

 まず、お名前と……どこからいらしたのかを」


 先頭に立っていた三十代ほどの女が、少し戸惑いながら口を開いた。


「……リサ。

 南のサルヴァから来ました」


 耳に届く発音が、王国の共通語と微妙に違う。

 抑揚、母音の伸び方、子音のくぐもり方。そのどれもが、ミリアの知る「王都の言葉」とは違っている。


「海の……向こう、ですか?」


 リサはこくりと頷いた。


「港で聞きました。醜い女でも、働ける土地があるって」


 彼女の顔は、この国の基準で言えば確かに「整ってはいない」。

 頬はこけ、皮膚にはいくつもの傷痕が残り、目元には深い隈が刻まれている。


「私の国では、醜い女は“男の影”にもなれません。

 働くことも許されず、ただ、家の奥に押し込められるだけです」


 淡々とした口調だった。


「でも私は……働きたかった。

 誰かの役に立ちたかった。

 顔ではなく、手の動きで価値を決められる場所に行きたかった」


 ミリアは自然と、彼女の手に視線を落としていた。


 指は硬く、節は太い。

 ひび割れた皮膚の隙間に、染み込んだ油のようなものが黒く残っている。


(この手で……何をしてきたのかしら)


「あなたは、何ができますか」


 問いかけると、リサは少しだけ顔を上げた。


「機械の……ええと、歯車。

 回らなくなったものを、直すことができます」


 片言の共通語で、懸命に探した言葉。


「本当は、女の仕事ではないと、何度も叱られました。

 ですが、手を動かしていると……ここだけは自由でいられる気がして」


 その言葉に、ミリアはかすかに胸が熱くなった。


 王都の女とは違う世界を生きてきた。

 けれど、「自分の手で生きたい」と願う感情は同じだった。


「ここでは、機械を見られる人材が不足しています」


 ミリアははっきりと言った。


「詳しい話は支援局で伺いましょう。

 あなたの手は、きっと役に立ちます」


 リサの目が、驚いたように大きく開かれる。


「……追い返さないのですか。

 顔を見て、気味が悪いと……」


「ここでは、顔で人を選ぶことはありません」


 口にした瞬間、自分自身の言葉に少しだけ驚いた。


(そう……本当に、そう思っているのね、私)


 昔の自分なら、そんな言葉を口にすることすらできなかっただろう。


 ***


 二人目、三人目と話を聞くうちに、ミリアはひとつの共通点に気づいていった。


 彼女たちは皆、自分の世界では「逸脱者」だった。


 男に媚びなかった者。

 美しく装うことを拒んだ者。

 顔のせいで嘲られ、働くことすら許されなかった者。


 そんな彼女たちが、海を渡り、国境を越え、噂だけを頼りにこの地へたどり着いている。


(この門は、ただの入口じゃない)


 ここは、「選び直したい」と願う者たちが叩く扉だ。


 それを受け止める責任の重さに、ミリアはゆっくりと息を吐いた。


「次の方、どうぞ」


 列の最後尾近くで、ひとりの女が小さく肩をすくめた。


 先ほどまでの誰よりも痩せた体。

 ぼさぼさの髪をひとつにまとめようとしてうまくいかず、首元で不格好な結び目になっている。

 顔は上げない。視線を落とし、指先だけがぎゅっと布を握りしめていた。


「……名前を、聞かせてください」


 沈黙が数秒続いたあと、小さな声がこぼれた。


「……ノエル」


「ノエルさん。

 どこから来ましたか?」


「山の……向こうの、小さな村」


 震える声だったが、嘘の響きはない。


「村では、“呪われた顔”と言われました。

 私が生まれてから、男の子が一人も生まれなかったから」


 この国では、男児の出生は極端に少ない。

 そうでなくとも、男児が生まれないことを女のせいにする風習は、多くの地方に残っている。


「だから私は、家の外に出ることを許されませんでした。

 それでも……」


「それでも?」


「本を、拾いました。

 川に流れ着いた、誰かの捨てた本を」


 ノエルの指が、ぎゅっとさらに強く布を握る。


「読めるようになりたくて……

 誰にも見つからないように、夜にこっそり……」


 言葉を探しながら、途切れ途切れに続ける。


「あの村では、女が字を覚えるのは“身の程知らず”でした。

 だから、隠して……でも、読みたいという気持ちは止まらなくて」


 そこまで言って、ノエルは俯いた。


「……すみません。

 働けるような技は、ありません。

 ただ、読みたいと、知りたいと……それだけで」


 普通なら、ここで話は終わる。


 王都であれば、「役立つ技を持たない醜女」は即座に弾かれる。

 顔も悪く、財もなく、技もない。

 そんな女に与えられる居場所など、これまで存在しなかった。


 けれど――ここは公爵領だ。


「ノエルさん」


 ミリアは、自然と一歩近づいていた。


「あなたは、自分で本を開こうとしたのですね」


 ノエルが小さく震える。


「誰に言われたからでもなく。

 誰かに褒められたかったからでもなく」


 それは、この領が何よりも重んじる「始まり」の姿だった。


「ここには、読み書きを教える場を作る計画があります」


 ミリアははっきりと告げた。


「まだ十分には整っていません。

 けれど――あなたのように“知りたい”と願う人がいるなら、きっと形になる」


 ノエルが、信じられないものを見るように顔を上げた。


 その顔はたしかに、どこか歪んでいる。

 左の頬に走る大きな傷痕、左右でわずかに高さの違う瞳。

 王都なら迷いなく「醜い」と切り捨てられる顔。


 だが、ミリアには別のものが見えていた。


(この目は――諦めきれない目だわ)


 閉じ込められ、呪われ、否定されながらも、

 それでも「知りたい」と願い続けた目。


「ここでは、あなたの“知りたい”という気持ちを、無駄だとは言いません」


 ミリアは穏やかに微笑んだ。


「働きながら、学ぶことができます。

 それが、この公爵領の約束です」


「……本当に?」


 ノエルの声は震えていた。


「私のような……呪われた顔でも?」


「顔は、条件ではありません」


 ゆっくりと首を振る。


「ここでは、“どう生きたいか”だけが問われます」


 その言葉に、ノエルは、堰を切ったように涙を零した。


 誰かの前で泣くことなど、きっとずっと許されてこなかったのだろう。

 肩を震わせながら、声にならない嗚咽をこぼし続ける。


 ミリアはそっと、彼女の肩に手を置いた。


「ようこそ、公爵領へ」


 それは、儀礼の挨拶ではなかった。

 ただ、心からの迎え入れだった。


 ***


 門前の受け入れが一段落した頃、支援局の前には新たな名簿が積み上がっていた。


「……今日は、二十人」


 クララが感嘆まじりに数字を読む。


「本当に、風が集まってきてるわね」


「風?」


「そうよ。行き場のない人たちの想いって、たぶん風みたいなものだから」


 クララは、少しだけ誇らしげに笑った。


「ここは、“風が行き着く場所”になるんだと思う」


 ミリアは窓の外に目を向ける。


 門をくぐった女たちが、それぞれの持ち場へ案内されていく。

 まだ不安そうな顔も多い。

 けれど、その足は確かに前へと向いている。


(ここは――誰かに選ばれなかった者が捨てられる場所じゃない)


(自分で選び直すための場所)


 胸の中で言葉を噛みしめる。


 この領で働くと決めた日、ミリアもまた、同じ扉を叩いたのだ。


 それを思い出すと、自然と背筋が伸びる。


「レオン様に、今日の受け入れ報告を上げておくわ」


「お願い。それと……」


 ミリアは少しだけ迷ってから、言葉を継いだ。


「読み書きを教える場の計画、そろそろ本格的に動かしたいです。

 ――ノエルさんだけじゃなく、ああいう人がきっと増えるから」


 クララは目を細め、すぐに頷いた。


「いいわね。第三章の幕開けにふさわしい仕事だわ」


「え?」


「……なんでもないわ。支援局長の独り言よ」


 冗談めかして笑い、クララは書類を抱えて部屋を出ていった。


 残された静けさの中で、ミリアはひとり窓の外を眺める。


 公爵領の空には、今日も風が吹いている。

 遠くから、迷って、傷ついて、それでも諦めきれない想いたちを運んでくる風が。


(――ようこそ)


 声には出さず、心の中でそっと呟く。


 ここは、目覚めたばかりの公爵領。

 まだ小さく、まだ頼りないけれど、それでも確かに「新しい何か」が動き出した場所。


 その扉を、今日もまた誰かが叩いている。

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