第二章 第33話 理想という脅威
第二章 第33話
理想という脅威
王宮の奥深く、重々しい扉が静かに閉ざされた。
円卓を囲むのは、王の名代として集められた重臣たちと、第一王女セレスティア、そして数名の高位貴族。
天蓋から下がる燭台の灯が、沈んだ顔を照らしている。
「――アルディス公爵領の件だ」
白髪の宰相が、低く切り出した。
「女に過剰な自治を与え、男の権威を形骸化させている。
このまま放置すれば、王国全体の秩序に影響が出る」
誰も否定しなかった。
むしろ、その場の空気は「ようやく問題として認識した」と言わんばかりの緊張を孕んでいる。
「最近では、王都の女たちまでもが公爵領を目指しております」
「仕事があると聞いた、と」
「顔で拒まれないと噂しているそうだ」
嘲りの混じった声がいくつも重なる。
「愚かだな。女は選ばれる側であればよい」
「そうとも。誇りを持つなど、身の程知らずだ」
だが、その奥にわずかな恐れが潜んでいるのは、誰の目にも明らかだった。
***
「問題は」
宰相の声が一段と低くなる。
「公爵領が“機能してしまっている”ことだ」
重い沈黙が落ちた。
「成果をあげている」
「住民の不満も少ない」
「経済も、物流も、むしろ安定している」
それが何よりも、厄介だった。
ただの狂気であれば、容易く切り捨てられる。
だが、それが成果を生み、他者を惹きつけ始めているとなれば話は別だ。
「理想が……形を持ち始めている」
誰かがぽつりと呟いた。
“理想”
それはこの国において、最も忌避すべき言葉でもあった。
秩序とは、固定されるものであるべきだからだ。
「レオン・アルディスは危険だ」
宰相が断じる。
「彼は武力でなく、思想で国を揺るがそうとしている」
***
「……同感ですわ」
セレスティアがゆっくりと口を開いた。
「女に働きがいを与え、誇りを与え、居場所まで与える……
その上で、“男に選ばれなくても価値がある”などと教えている」
細い笑みを浮かべる。
「そんな考え、国を腐らせる毒ですわ」
だが、その声には微かな苛立ちが混じっていた。
(なぜ、あの男の名は何度も私の耳に入るの?)
関心を向けたくなどない。
だが、無視もできない。
それほどまでに、アルディス公爵の存在は王宮の空気を変え始めていた。
「対策は必要でしょう」
誰かが言う。
「ですが軍を動かせば反発を生みます」
「ならば、社会的に孤立させる方がよい」
「視察を送り、粗を探す」
「正当性を失わせるのだ」
次々と策が並ぶ。
だがその間にも、誰も触れない事実があった。
――公爵領では、女たちが静かに、確かに幸せそうに生きている。
それが、施策以上の“現実”として存在していること。
***
一方その頃、公爵領では。
畑から立ち上る土の匂いと、打ち鳴らされる金属の音。
女たちの声が交錯し、仕事の指示が飛び交う。
誰も王宮の会議など知らない。
だが確実に“理想”は日々、形として積み上げられていた。
「次の収穫分、仕分けをお願いします!」
「はい、こちら三十箱です!」
「魔導陣の修正、確認してくれる?」
「今行くわ!」
ミリアはその様子を少し離れた場所から見つめていた。
(私たちの生き方が、“脅威”になるなんて)
皮肉にも思えたが、それ以上に確信があった。
(でも、これを止めたくはない)
***
夕刻、レオンのもとに一通の報告が届いた。
「王家会議が開かれたとの情報です」
「当然だ」
レオンはそれ以上、驚きもしなかった。
「いつまでも見過ごすはずがない」
「警戒が強まるでしょう」
「ああ」
だがその表情に揺らぎはない。
「理想が脅威になるなら、それはもう一歩進んでいる証だ」
窓の外では、女たちが今日の作業を終え、夕日の中で笑い合っている。
それは誰かに見せるための笑顔ではなかった。
ただ、満ち足りた時間の中にある自然な姿だった。
「ここは、引かない」
その言葉に、側近も頷いた。
***
王宮の冷たい策謀と、公爵領の静かな営み。
その距離は、確実に広がっている。
そしてその中心で揺れているのは、
“支配されるだけの世界”か、“自ら立つ世界”かという選択だった。
理想は、もはや幻想ではない。
それは現実となり、
王家すら無視できぬ“存在”へと変わりつつあった。




