第二章 第31話 偽りという名の献身
第二章 第31話
偽りという名の献身
王都の裏通りには、選ばれるために生きる女たちがいる。
艶やかな髪に薬草の油を塗り込み、肌の荒れを隠す粉を重ね、男たちの好む笑みを鏡に向かって何度も練習する。声の高さ、視線の角度、歩き方のしなり――すべては「選ばれるため」に整えられていた。
「可愛く見えなければ、存在する意味がないのよ」
そう言って、若い女が震える指で唇に紅を引く。
同じ部屋で身支度を整える女たちの表情は、どれも似通っていた。
怯えと焦りと、諦めきれない希望。
男に尽くし、男に選ばれ、男の機嫌ひとつで価値が決まる。
それが、この国の常識だった。
だが最近、その常識に小さなヒビが入っている。
「あのね……公爵領の話、知ってる?」
「……女が働いてるって?」
「違うの。
“男のために尽くさなくても、生きていける”って……」
その言葉は、ひそやかな毒のように広がっていた。
***
公爵領の朝は静かだった。
石畳を踏みしめるのは、今日も女たちの足音だけ。
だがその表情は、王都の女たちとはまるで違っている。
焦りはない。
媚びもない。
ただ、真っ直ぐに前を見ていた。
ミリアは支援局の窓から、その姿を眺めていた。
(誰かに愛されるためじゃない……
ここでは、自分の役割のために動いている)
それは、あまりにも根本から違っていた。
***
その日、公爵領にひと組の姉妹が訪れた。
姉は王都で「男に尽くすことだけで生きてきた女」。
妹は後を追い、噂だけを頼りに公爵領へやってきた。
「本当に……ここで働けるの?」
「顔が悪くても?」
震える声で問う妹に、ミリアは静かに頷いた。
「ここでは、誰のために尽くすかではなく、
何のために生きたいかが問われます」
姉は唇を噛んだ。
「私は……ずっと男の顔色を見て生きてきました
それでも、愛されたことはありません」
「ここでは、誰かに“愛されるため”に働くのではありません」
ミリアはやさしく告げる。
「まず、自分を粗末にしないことです」
その言葉に、姉は息を飲んだ。
(粗末にしない……?)
それは彼女にとって、あまりにも新しい概念だった。
***
支援局を出た後、姉妹は畑を通り抜けた。
そこでは女たちが汗を流し、土を耕し、声を掛け合っている。
誰も彼女たちを値踏みしない。
誰も容姿を嘲らない。
「……綺麗」
妹がぽつりと呟く。
「何が?」
「働いてる姿が」
姉は言葉を失った。
あれほど憧れてきた“男に愛される女”の姿より、
今目の前にある光景の方が、ずっと眩しく思えた。
***
夕暮れ時、ミリアはレオンの姿を見かけた。
「女たちの様子は?」
「変わり始めています」
「偽りを脱ぎ捨てた者から、自由になる」
レオンの言葉は簡潔だった。
「この地では、“尽くす姿”ではなく
“立つ姿”が価値になる」
ミリアは深く頷く。
***
夜、姉妹は一部屋を与えられた。
鏡の前で、姉は化粧道具を見つめていた。
今まで必死に塗り重ねてきた「男に気に入られる顔」。
だが今、それが急に重たく感じる。
ゆっくりと、紅を拭った。
粉を落とした。
髪を整えただけの素顔が、鏡に映る。
「……これが、私?」
そこにいたのは、誰かのために笑う女ではなく、
ただ息をしている一人の人だった。
妹が微笑む。
「姉さん、そのままでも……いい顔してるよ」
それは誰かに言われるための言葉ではなかった。
ただ、心からの一言。
***
翌朝、彼女たちは畑に立っていた。
慣れない鍬を握りながら、土を耕す手は震えている。
それでも顔には、今までになかった穏やかさがあった。
(誰かのためじゃない)
(自分のために、生きている)
それだけで、胸が熱くなる。
公爵領において、
偽りの尽くしは、役に立たない。
だが、偽りのない姿は――
確かに、根を張り始めていた。
男に選ばれるために生きてきた女たちが、
ようやく、自分の足で立とうとしている。
その変化は、静かで、確実だった。
そしてそれこそが、
この地が生み出している最大の“革命”だった。




