第二章 第30話 セレスティアの焦燥
第二章 第30話
セレスティアの焦燥
王宮の窓辺に差し込む午後の光は、第一王女セレスティアの肌を艶やかに照らしていた。
丸みを帯びた頬、吹き出物の残るきめ細かい肌、甘く歪んだ笑み。
この国の基準では「理想の美」の象徴とされる顔立ちを、彼女自身は誇りに思っていた。
――少なくとも、つい最近までは。
「もう三度目ですわ……」
扇の骨をきしませながら、小さく舌打ちする。
話題に上るのは、相も変わらず“アルディス公爵領”ばかり。
女たちが働き、評価され、誇りを持つ土地。
醜女と蔑まれる者たちが、居場所を見つける地。
「下らないにもほどがあります」
侍女たちは一斉に視線を伏せた。
「顔も整わぬ女たちが、働いているだけで褒められ、必要とされる……
そんな滑稽な世界、長く続くはずがありませんわ」
だが、その声にはわずかな揺らぎがあった。
***
手元の報告書を乱暴に放り投げる。
「王家の指導を拒否ですって……?」
「は、はい……アルディス公爵は、あくまで領の方針を貫くと」
「傲慢にもほどがあるわ!」
セレスティアの表情が歪む。
「男でありながら、第一王女である私にすら、媚びを見せない……
なぜ、あの男は私を“選ばない”のです?」
周囲の空気が凍りつく。
セレスティアにとって、男に選ばれないことは屈辱だった。
それは自分の価値を否定されることに等しい。
(私は美しい。誰よりも価値がある。そうでしょう?)
鏡に映る自分の顔を睨みつける。
だが、胸の奥に浮かぶのは、冷静な眼差しを向けていたあの男の姿。
(あの視線……)
値踏みでも欲望でもない、ただの観察。
対等でもない、崇拝でもない。
“関心がない”
それが、何よりも腹立たしかった。
***
「第一王女様、最近になって王都の貴族夫人たちの間でも……
公爵領への視察を希望する声が増えております」
「視察? あの醜女の集落を?」
吐き捨てるように言う。
「笑わせないで。
あんな場所、見る価値すらありませんわ」
侍女は言葉を選ぶように続けた。
「ですが……“働く姿が凛としている”という声も……」
「黙りなさい」
一言で封じた。
「そんな言葉を信じるのは、自分の価値に自信のない女だけです」
振り返ると、その目には焦燥が滲んでいた。
王宮は、自分の舞台でなければならない。
話題の中心でなければならない。
それなのに今、人々の口に上るのは
“誇りを持って働く醜女たち”。
屈辱だった。
***
夜、静まり返った自室で、セレスティアはひとり鏡の前に座っていた。
「私は……間違っていない」
そう呟いて、唇を引き結ぶ。
これまでの教育も、美しさへの信念も、誇りも。
すべてが正しいはずだった。
それなのに。
(なぜ、焦るの……?)
答えはわかっていた。
自分が信じてきた価値観とは別の世界が、確かに“機能している”ことを知ってしまったからだ。
成功している。
評価されている。
支持され始めている。
それが、何よりも恐ろしい。
「……認めない」
セレスティアは静かに言う。
「私は、この国の美の象徴。
あのような女たちが崇められる世界など――絶対に認めません」
指先が鏡に触れる。
そこに映るのは、王宮が作り上げた“理想”。
けれどその奥で、小さな不安が確かに蠢いていた。
(もし、あの公爵が……本気で世界を変えようとしているのなら)
その時、自分はどうなるのか。
第一王女としてではない。
ただの“かつて美しかった女”として扱われる未来。
それだけは、耐えられなかった。
***
王都の夜は華やかだ。
だがその中心で揺れているのは、誇りではなく不安だった。
一方、公爵領は静かだった。
女たちは働き、男たちは沈黙し、変革は着実に積み重ねられている。
セレスティアは唇を歪め、ひとつの結論にたどり着く。
「……一度、確かめなければならないわね」
視察という名の、監視。
美しき第一王女の“降臨”。
その胸に宿るのは、誇りか、それとも焦燥か。
答えは、彼女自身にもまだわからなかった。




