第二章 第28話 出生率の異変・前兆
第二章 第28話
出生率の異変・前兆
最初に異変に気づいたのは、公爵領の診療所だった。
白い壁に囲まれた簡素な部屋で、数人の女性医療官たちが帳簿を広げ、いつも通り月ごとの記録を確認していた。その作業は淡々としたもののはずだったが、ある一行を境に、空気が変わった。
「……これ、数字が合わないわね」
年配の医療官が眉をひそめる。
「先月の出生記録、確認し直してちょうだい」
「はい」
若い補佐官が別の帳簿を取り出し、照らし合わせる。
そこに並んでいたのは、生まれた子どもたちの性別の記号だった。
女、女、女、男、女、女――
いつもと比べて「男」の割合が、明らかに多い。
「……増えてる」
「え?」
「男児の割合が、です」
診療所内に、静かな緊張が走った。
この国では、生まれてくる男は極めて少ない。
その希少性が、男の地位を支えてきた根幹でもあった。
だが、公爵領ではどうやら、その常識が崩れ始めている。
「偶然かもしれないわ」
「でも、先々月も微妙に多かったですよね……」
「記録を過去一年分、洗い直しましょう」
そうして開かれた古い帳簿にも、同じ傾向が見え始めていた。
“男児の出生率が、わずかだが上昇している”
その事実は、確かにそこにあった。
***
その報告はすぐに、公爵邸へと届けられた。
広間で集まった数名の管理官と医療官たちの中で、レオンは静かに資料を眺めていた。
「確証はまだ取れません」
医療官が硬い声で言う。
「ですが、他地域と比べても公爵領の数値だけが明らかに異なっています」
「原因は」
「現段階では不明です。
ただ……」
言葉を濁した後、続ける。
「男児が生まれている家庭の多くが、“かつて醜女と蔑まれていた女性”であることは確かです」
空気が、一瞬張りつめた。
沈黙の中、レオンが問いかける。
「それは異常か?」
「……いいえ。
医療的には、何の問題も確認されていません」
「なら、公表する必要もない」
淡々とした声だった。
「過度な注目は混乱を生む。
今はただ、事実を積み重ねよ」
「はっ」
だがその場にいた者たちは理解していた。
これは単なる偶然では終わらない。
何かが、この地で確実に変わり始めているのだと。
***
一方、診療所の片隅ではミリアがその話を耳にしていた。
「男の子が増えている……?」
「ええ。確証はまだですが……」
医療官の声にも、戸惑いがにじんでいた。
「この国では考えられないことです。
男は希少であるほど価値が高くなるのに……」
ミリアは、ふと考える。
(もしそれが本当なら……この社会の根幹そのものが変わる)
“男が少ないから偉い”
その常識が崩れたとき、何が起こるのか。
(……でも)
視線の先にいたのは、赤子を抱く女性だった。
華やかさとは程遠い顔立ち。
だが、腕の中の命を見つめる眼差しは限りなく柔らかい。
男でも女でも――
ただ「生まれてきた命」であるという事実に変わりはない。
ミリアは胸の奥で、静かに息を吸った。
***
同じ頃、王都では。
「公爵領で男児が増えているらしい」
「まさか……そんな馬鹿な話があるか!」
酒場に響く男たちの声は、どこか荒れていた。
「もし本当なら、男の価値が下がるじゃないか!」
「ありえない。醜女の腹から価値ある男が生まれるはずがない」
笑いながらも、その目には動揺が見えていた。
「……だが噂は広まっている」
「もし嘘じゃなかったら……」
誰もそれ以上言葉を続けなかった。
***
夜、公爵領の静かな丘の上。
ミリアは星を見上げていた。
風は穏やかで、遠くから赤子の泣き声がかすかに聞こえる。
(世界は、静かに形を変えている)
努力が。
誇りが。
生きる意志が。
目に見えない形で積み重なり、やがて数となり、事実となる。
そしてそれが、未来を塗り替えていく。
この地で生まれる命たちは、誰の価値観に縛られることもなく育っていくのだろう。
それが男であっても、女であっても。
ミリアは静かに呟いた。
「……この子たちは、どんな世界を見るのかしら」
問いに答える者はいない。
だが夜空に瞬く星々は、確かにその変化を見守っていた。
否応なく進み始めた、新しい時代の兆しを。




