第2章第10話 公爵領の夜――届きはじめる心の声
夜の静けさの中、公爵領での生活が少しずつ形を変えていく。
四人の少女の想いもまた、レオンに向かって静かに動き始める。
第2章第10話 公爵領の夜――届きはじめる心の声
公爵領に夜が訪れるころ、昼の喧騒が薄れていき、代わりに静かな灯りが邸内の廊下を照らし始めた。工房から漏れていた金槌の音も止み、訓練場の掛け声も途絶え、文官室からの紙の擦れる音さえも消えて、領地はようやく深い息をつくように静まり返った。
レオンは回廊を歩きながら、夜風に揺れるランプの光を眺めていた。
昼間はあれほど騒がしかった場所も、今は静かに落ち着き、星明かりだけが邸を包んでいる。ここに集まった数百の女性たちが、それぞれ不安を抱えながら眠りにつく時間でもあった。
回廊の曲がり角を曲がると、白い髪が揺れる影が見えた。
リリアナがひとり、中庭の花を眺めていた。
「リリアナ。眠れないのか?」
呼びかけられたリリアナは驚いたように振り向き、胸の前で手をそっと重ねた。
「す、すみません……少し、考え事をしていました。
今日、文官室で……マリア様がわたくしを褒めてくださったのです。
“丁寧で、間違いがない”と……」
その声には喜びよりも、戸惑いが混じっていた。
「褒められたのが……信じられなくて。
こんな顔のわたくしに、役割があるなんて……」
「あるさ」
レオンは迷いなく言った。
「君の役目は、これからもっと増える。君はそれだけの力を持っている」
リリアナは目を伏せ、言葉にならない息をもらした。
胸の奥の棘は溶け、代わりにそっと灯る炎だけが残った。
そこへ小さな足音が近づいてきた。
ソフィアが少し大きめの外套を羽織り、ランプを手に持って現れた。
「あっ……レオン様……! えっと……夜の工房を見てほしくて……その……」
声は震えていたが、瞳は夜空の星のようにきらきら光っていた。
「明かりの試作品が、できたんです……。
街灯にもできて……夜道が明るくなるから……みんなが安心できると思って……」
「見せてくれ。きっと素晴らしいものだ」
「ぁ、ぁのっ……! はいっ……!」
嬉しさを抑えきれないソフィアの表情に、リリアナは優しく微笑んだ。
(……みんなが、レオン様のために何かをしている)
その思いが胸に流れ込み、静かに熱を灯した。
遠くから、控えめな足音が近づく。
マリアが書類を抱え、眼鏡を直しながらこちらへ向かってきた。
「レオン様。夜分に失礼いたします。
新政庁の職務分担案がまとまりましたので……ご確認を」
「マリア、今日はもう休んだほうがいい。無理をしてはだめだ」
「……いえ、これは私の意志です。
“あなたの理想”を形にすることが、私の誇りですから」
淡々とした声なのに、その言葉は深く温かかった。
マリア自身も気づいていない変化が、確かにあった。
さらに、訓練場のほうから風を切るように歩いてくる影。
カトリーナが肩に外套をかけ、少し疲れた顔をしながらも、鋭い瞳でレオンを見つめていた。
「……今日の訓練、見に来なかったな」
「すまない、やることが多くてね」
「……別に怒ってはいない。ただ……」
カトリーナは言いにくそうに言葉を探し、少し口元をゆがめた。
「お前に見てほしいんだ。私は……お前の隣に立てるくらい強くなりたい」
彼女の声は、誰より不器用で、まっすぐだった。
四人が自然にレオンの周りに集まり、夜の中庭には淡い光の輪ができた。
花の香りが静かに漂い、星空が頭上に広がる。
胸を締めつけるような静けさの中で、
レオンは四人の顔を順に見つめた。
白く美しいリリアナ。
不器用な天才ソフィア。
冷静に支える賢者マリア。
まっすぐに守ろうとするカトリーナ。
彼女たちの目に、同じ光が宿っている。
信頼、決意、そして――恋。
「……ありがとう。
君たちがいることが、俺には何よりの支えだ」
ただそれだけの言葉で、四人の胸に一斉に熱が広がった。
誰もまだ言葉にはしない。
けれどその想いは、まっすぐにレオンへと伸び始めていた。
夜風がそっと吹き抜け、花が揺れた。
その静かな夜は、四人と一人の距離を確かに縮めた夜だった。
公爵領の夜は優しく、その優しさが四人の心をゆっくりとほどいていった。
だがその裏で――
この領地に集まった“一般女性たち”の胸にも、
ここで生きたいという願いと、新しい不安が芽生え始めていた。
次回・第11話
『新しい朝――公爵領の女たちが見た希望』




