公爵領の影――最初の争いの予兆
公爵領が動き始めたことで、
かつて迫害された女性たちの間にも“差”が生まれ始める。
不安、焦り、嫉妬。
それはとても人間らしい感情だった。
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第二章 第7話 公爵領の影――最初の争いの予兆
新しい制度が動き出して三日が過ぎたころ、公爵領には少しずつ活気が満ちていた。工房の炉は途切れることなく燃え、訓練場には剣の音が響き、文官室では大量の書類が整えられていく。
昨日まで居場所のなかった“醜女”たちが、それぞれの力を試し始めていた。
だが、その活気の裏側で、わずかなざらつきが生まれ始めていた。
「……なんであの人ばっかり……」
工房から漏れる声に、レオンは足を止めた。ソフィアの姿は見えず、炉の近くで数人の女性が集まっているのが見える。
「ソフィア様って、公爵様に気に入られてるよね」
「工房の中心にいるのも、最初に声をかけられたのも、全部……」
「私たちだって、技術では負けてないのに」
言葉は小さくても、棘のように鋭い。
ソフィアが一歩抜きん出てしまったことで、焦りが生まれているのだ。
王都で散々蔑まれ、同じ痛みを共有したはずの彼女たちにも、弱さはある。
「……怖いよね」
ひとりの女性が、炉の赤い光を見つめながら呟く。
「また置いていかれるんじゃないかって……美しくもなく、才能もないって言われて……。あの人みたいに認められなかったら……」
「もう二度と、あんな場所に戻りたくない」
「だから……だからこそ、必死になってしまうのよ」
必死さは、時に人を鋭くする。
レオンは胸の奥に痛みを覚えた。
誰も悪くない。
しかし、誰もが傷ついている。
――このままでは、亀裂になる。
そう思った瞬間、工房の奥から焦った声が聞こえた。
「わ、わたし……そんなつもりじゃ……!」
ソフィアの声だった。
不器用な少女は、何かを言われてしまえば正面から受け止めてしまう。
「あなた……公爵様に褒められてたでしょう?」
「羨ましくないほうがおかしいわよ」
「あなたばかりが選ばれるのは……不公平よ」
ソフィアの手が震えているのが、遠目からでもわかった。
(止めないと――)
だが、レオンが歩み出ようとしたそのとき、訓練場のほうからカトリーナの怒声が響いた。
「やめろ!!」
鋭く張り詰めた声に、工房の女性たちが一斉に振り返る。
カトリーナは汗をぬぐいながら現れ、ソフィアの前に立ちはだかった。
「ソフィアは悪くない! 誰よりも努力してる。
お前たちだって必死なのはわかるが、足を引っ張るな!」
「カトリーナ様……」
ソフィアが小さく声を漏らす。
だが、女性たちの表情にも必死の色が浮かんでいた。
「……努力なら、私たちだってしてきた」
「公爵領に来るまで、何度も、何度も拒絶されて……」
「ここで認められなければ、生きる場所がなくなるのよ……!」
胸を締めつけるような声。
その痛みは、けして偽物ではなかった。
レオンがその輪へゆっくりと歩み寄ると、女性たちの動きが止まり、音が消えた。
男が近づくだけで、世界が静まる。
この国では、それが当たり前だった。
「……皆、よくここまで来てくれた」
レオンの声は、ただ静かに響く。
「君たちが抱えてきた苦しみは、形は違っても同じだ。
ここに来た誰もが、居場所を奪われてきた。
だからこそ……奪い合う必要はない」
ひとりが涙をこぼした。
「でも……でも、怖いんです……。また否定されるんじゃないかって……」
「否定なんてしない」
レオンはその女性に近づき、そっと膝を折った。
同じ目線に立つという行為だけで、女性たちの息が止まったようだった。
「俺は、ここに来た君たち全員を信じている。
ソフィアだけではない。
マリアも、カトリーナも、リリアナも……そして君たちも。
君たちの努力が、必ず公爵領を支える」
レオンの言葉は、どんな命令よりも強かった。
男に言われる言葉は絶対――それもある。
けれど、今の彼の声には、もっと深い“信頼”があった。
「……ごめんなさい……ソフィア様」
「わ、わたしたち、あなたを責めたいわけじゃなかったの……」
「ただ……不安で……」
ソフィアは涙を浮かべながら首を振った。
「ううん……わたしも、もっと頼ればよかった……
みんなで一緒に……作りたい……」
レオンは深く頷き、その様子を少し離れた場所から静かに見つめていたリリアナにも気づいた。
彼女は胸の前で手を組んだまま、震えるように笑っていた。
(みんな……大切な仲間なのですね)
その気づきは、彼女自身を少し変えた。
亀裂は生まれかけたが、まだ壊れてはいない。
むしろ、その痛みを分け合ったことで、
新しく生まれた絆さえあった。
ただ、その気配を遠くから見つめている影があったことに、
この場の誰も気づいていなかった。
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最初の争いは、傷の深さが生んだもの。
しかしその影は、やがて遠く王都へと広がっていく。
次回・第8話
『王女の策謀――届くはずのない手』




