第6話 揺らぐ価値――レオンとリリアナの距離
公爵領の改革が動き始める中、
レオンとリリアナの距離もまた静かに近づいていく。
美醜と価値が揺らぐ世界で、
彼らは互いの本当の姿に触れ始める。
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第二章 第6話 揺らぐ価値――レオンとリリアナの距離
工房の炉が温まり、訓練場の剣の音が響き、文官室の紙がめくられる音が重なり、公爵領の一日はゆっくりと、しかし力強く動き始めていた。そんな中、中庭に咲く白い花の前でレオンは足を止めた。石畳を照らす朝日が、薄い花弁を透かしながら風に揺らす。静かにその花を見つめていると、背後から小さな足音が聞こえた。
「レオン様……」
振り返ると、リリアナが両手に書類を抱えたまま立っていた。白い髪は朝の光を受けて柔らかく輝き、薄い肌は透けるほどに繊細で、この国では“病の象徴”と恐れられる容姿が、レオンの目にはどことなく尊く見えた。彼女は視線を落とし、細い指をぎゅっと握りしめている。
「少し、よろしいですか……?」
「もちろん」
レオンは歩み寄り、書類の束をそっと受け取った。驚いたようにリリアナが顔を上げる。
「わ、わたくしが持ちます……」
「落としそうだったから。無理はしなくていい」
その何気ない気遣いに、リリアナの頬がかすかに赤く染まった。けれどすぐにその色は、不安の影に覆われていく。
「……レオン様は……どうして、そんなに優しくしてくださるのですか?」
小さな声が、朝の空気に震えとともに消えていく。
「優しく……?」
「わたくしは……この国では“醜い”とされる存在です。
他の令嬢たちのような美しさも……誇れるものもありません。
ソフィア様には技術があり、マリア様には知識があり、カトリーナ様には強さがある。
でも、わたくしには……なにも……」
言葉の先が震え、喉の奥でとぎれていく。
胸の奥に沈んでいた棘が、痛みの形を取って現れたようだった。
レオンはしばらく花を見つめていたが、そっと一輪を指先でなぞり、リリアナを振り返った。
「……リリアナ。君は、美しいよ」
「……っ」
リリアナの瞳が大きく開かれ、息すら忘れたように動きを止める。
「この世界がどう言おうと関係ない。
君の白い髪も、細い指も、静かな目も――すべて、俺には美しく見える」
「レオン様……でも、それは――」
「君は、自分の価値を“見た目で決められてきた基準”で測ろうとしている。
でも俺は、この領地を“その基準”から変えたいと思っている。
だから……君がその美しさを信じられなくても、俺は信じる」
リリアナの胸にある棘は、ゆっくりと熱を帯びて溶けていくようだった。
けれど同時に、別の不安が静かに顔を出す。
「わたくし……レオン様の期待に応えられるでしょうか。
もし、なにもできなかったら……」
「できなくてもいい」
レオンはすぐに答えた。
「無理に役割をつくらなくていい。
君は君のままでいい。
“できるようになりたい”と思うことだけで、もう十分だ」
その言葉は、胸の奥に柔らかく触れた。
これまで誰にも向けられなかった、温かい眼差しだった。
「……レオン様は、どうして……」
リリアナが言いかけた瞬間、工房の方から賑やかな声が聞こえた。
ソフィアが興奮して騒いでいるのだろう。訓練場からはカトリーナの怒声、文官室からはマリアの指示が響いてくる。
その声にリリアナが小さく笑った。
ほんの一瞬、あどけなさを感じる笑顔だった。
「皆さま……本当にすごい方々ですね」
「うん。でも、それだけじゃない」
レオンはリリアナの横顔を見つめた。
「彼女たちは“信じてもらえる場所”を得たから、あれほど輝いているんだ」
「……信じて、もらえる……」
「リリアナ。君にもその場所がある。
俺は君がここにいることを、嬉しく思っているよ」
言葉は静かで、強くもない。
ただ、その優しさはまっすぐに胸へ届いた。
リリアナは顔を伏せ、胸に手を当てた。
そこに宿った温かさは、もう棘ではなく、やわらかな灯りだった。
「……ありがとうございます。
わたくし……もう少し、自分を信じてみたいと思います」
レオンは頷き、彼女が抱えていた書類を静かに返した。
朝の光を受けた白い指がそれを受け取り、震えを止めていく。
新しい一日が始まろうとしていた。
レオンの隣で歩き出したリリアナの足取りは、昨日より少しだけ軽かった。
価値が揺らぐとき、人の心は初めて自分自身を問い始める。
その問いの先にある答えは、まだ誰も知らなかった。
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嫉妬、不安、そして初めて向けられた優しさ。
リリアナに宿り始めた小さな光は、
やがて彼女自身を変えていく力となる。
次回・第7話
『公爵領の影――最初の争いの予兆』




