第30話 姉妹の影
完璧な美を誇った王女が、
初めて“欠け”を見た。
それは妹ではなく、
彼女自身の心にあった。
第一章 学院にて ――歪んだ楽園の門出
第30話 姉妹の影
鏡の中に映る自分の顔を、セレスティア・アークレインは見つめていた。
丸い頬、ふくよかな顎、艶を帯びた肌。
完璧――のはずだった。
けれど今日は、なぜかその艶が鈍く見える。
厚く塗った白粉の下に、心のざらつきが透けて見えた気がした。
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「……リリアナ。」
小さく名前を呟く。
唇の紅が、鏡の中でひび割れたように見えた。
あの妹が、公爵に“選ばれた”という報せ。
最初は笑い飛ばした。
滑稽だと思った。
だが、心の奥で何かが軋んだ。
あの骸骨のような女が、どうして自分の知らない光を宿す?
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侍女が入ってくる。
「殿下、本日の化粧直しを――」
「いいわ、今は。」
セレスティアは鏡から目を離した。
ふと視線を下ろすと、テーブルに置かれた手紙があった。
封蝋には、公爵家の紋章。
手紙は公文ではなく、学院の視察報告だった。
そこに記された一文が、彼女の胸を刺す。
『第三王女リリアナ殿下、学院にて見事な立ち振る舞いを示す。
その姿に、多くの者が息を呑んだ。』
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カッと血が上る。
手紙を握りつぶし、机に叩きつけた。
「息を呑んだ? なぜ? あんなものに!」
侍女が怯えて下がる。
「……笑わせるわ。
あの青白い肌が、あの冷たい瞳が……美しいですって?」
自分でも気づかぬうちに、声が震えていた。
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彼女の頭の中で、リリアナの笑顔が浮かぶ。
学院で、男たちがあの“骸骨王女”に向けて微笑んでいたという噂。
(なぜ……? なぜあんな目で見られるの?)
思考の奥に、得体の知れない痛みが滲む。
それが嫉妬なのだと、彼女はまだ知らない。
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一方その頃。
学院裏庭、レオンと共に並んで歩く青年がいた。
男の名はジルベルト・ロウエン。
侯爵家の次男であり、レオンの数少ない友人だ。
「……お前、ほんとにあの“骸骨王女”を妻にするのか?」
レオンは笑みを浮かべた。
「その呼び名を使うな、ジル。」
「悪い。だが、信じられねぇよ。
この国の女どもは、お前を神みたいに扱う。
それを全部捨ててまで、あの――」
「捨ててはいないさ。」
レオンは静かに言った。
「ただ、拾ったんだ。
この国が捨てた“本当の美しさ”を。」
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ジルベルトは息を詰まらせた。
その言葉は、どこか心の奥に刺さった。
(……拾った、か。)
男が女に支配されるこの国で、
“拾う”という行為は、すなわち“逆らう”こと。
それでも彼は、迷いなく前を見ている。
「……お前、ほんとに変わってるよ。」
「そうか?」
「いや……多分、羨ましいんだ。」
ジルベルトは苦く笑った。
男である自分が、自由を羨むとは思いもしなかった。
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王城の塔。
セレスティアは夜の闇の中で、再び鏡を覗き込む。
目の下に、わずかな影ができていた。
完璧に塗り固めたはずの化粧の隙間から、
不安が滲み出ている。
「……あの人が、見ていたのは私じゃない。」
唇を噛む。
紅がわずかに崩れ、白粉の上に赤い筋を描く。
醜い――。
その言葉が、初めて脳裏をよぎった。
そして気づく。
それが何よりも、怖かった。
誰かを羨むこと。
それは、美が崩れる始まり。
だが同時に――
人間になる第一歩でもある。
次回 第31話『傾く王冠』
――王家の均衡が、音を立てて崩れ始める。




