第1話 学院行きの支度
第一章 学院にて ――歪んだ楽園の門出
第1話 学院行きの支度
春の風が、アルディス公爵邸の庭を抜けていく。
白い花びらが舞い、朝の光の中で金の粉のように輝いていた。
その光の中に、ひとりの青年が立っている。
十五歳にして公爵家の当主――レオン・アルディス。
黒髪に灰銀の瞳。どこか冷めた表情が、大人びて見えた。
庭には十数人の侍女が整列していた。
みな緊張に顔をこわばらせ、息をひそめている。
今日は「学院への随行侍女」を選ぶ日だった。
同行できるのは、たったひとり。
選ばれた者は“公爵専属侍女”となり、名誉と家の地位を手にする。
それは女たちにとって――夢であり、同時に人生そのものだった。
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「学院行きに同行できる侍女は一名のみです」
銀髪の執事・セバスが、静かに告げた。
「……多いな。まるで選別会だ」
「ええ、“貞操法第十八条”に基づく正式な儀式でございます」
レオンは短く息をついた。
“貞操法”――この国の象徴的な法律。
男は“神聖な存在”とされ、守られる立場にある。
逆に、女が男に無断で触れることは罪。
たとえ偶然でも、訴えられれば罰を受ける。
この歪んだ制度のせいで、女たちはみな怯え、
男を崇め、愛するよりも“奉仕する”ことを教え込まれてきた。
(……あきれるな。守ってるようで、誰も救っていない)
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「それでは、順に前へ」
セバスの声に従い、侍女たちが一人ずつ進み出る。
香水の匂いが空気を満たし、濃い化粧が陽光を弾いた。
彼女たちは恭しく頭を下げ、練習した笑みを浮かべる。
「第六侍女、ミランダにございます。
おそばに仕えられるなら、この命を――」
レオンは黙って聞いていた。
どの顔も似ている。どの言葉も同じだ。
みな「選ばれる」ことしか考えていない。
そこに心はなく、ただ“制度”があるだけだった。
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最後に、一人だけ、場違いな少女が出てきた。
栗色の髪を束ね、灰色のエプロンドレス。
化粧も装飾もない。
そのせいで、かえって空気が静まった。
「清掃係の……イリナ・ノースと申します。
平民ですが、推薦を受けまして……」
侍女たちの間から小さな笑いが漏れる。
「平民が?」「みすぼらしいわね」「あんな薄い顔で」
レオンはその声を手で制した。
「なぜ立候補した?」
「……わたし、貴族の作法は分かりません。
でも、掃除や書類整理なら得意です。
それに――公爵様の“目”になれたらと思って。」
“目”。
その一言で、レオンの表情が変わった。
「……いいな、それは。君に任せよう」
ざわめきが走る。
誰も口にしないが、顔には不満がありありと浮かんでいた。
それでも誰も反論できない。
男の決定は、絶対だった。
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出立の日。
大理石の階段の上に立つレオンを、
屋敷の女たちが一斉に跪いて見送った。
その姿は壮観で――そして、どこか悲しかった。
イリナが小声で言う。
「……皆、羨ましいのです」
「羨ましい?」
「はい。殿方のそばに立てることは、女にとって栄誉です。
触れられなくても、同じ空気を吸えるだけで幸せだと……」
レオンは窓の外を見た。
馬車が動き出し、屋敷が遠ざかっていく。
まだ跪いたままの女たちが、小さくなるまで動かない。
「……守られてるのは、俺じゃない」
イリナが振り向く。
「え?」
「縛られてるのは、君たちの方だ」
短い沈黙のあと、イリナは小さく笑った。
春の光がその横顔を照らす。
柔らかく、けれど確かな意志のある笑みだった。
レオンはその笑顔を見て、ふと思う。
(この世界の“美しい”は、やはり間違っている)
馬車の音が遠く響く。
歪んだ楽園――王立学院への旅が、いま始まった。




