第五章 第14話 剣を置く場所
第五章 第14話 剣を置く場所
朝靄の残る訓練場で、金属の擦れる音が静かに響いていた。
カトリーナ・ベイルは、剣を振るのをやめ、ゆっくりと息を整える。
動きに無駄はなく、姿勢は凛としている。中性的で古風な美しさを持つその立ち姿は、女たちの憧れであり、同時に多くの男たちに敬遠されてきた理由でもあった。
この世界では、剣を握る女は珍しくない。
むしろ、女性社会において武は女の仕事だ。
だが、それでも――「強さ」を前に出す女は、どこかで距離を置かれる。
(……それでも、私は剣を置かなかった)
カトリーナは、地面に突き立てた剣の柄に手を置いたまま、過去を思い返す。
力を持てば、認められると思っていた。
誰にも奪われない価値を手に入れれば、居場所ができると信じていた。
だが、公爵領に来てから、その前提は静かに崩れていった。
ここでは、力は誇示するものではない。
必要なときに使い、終われば引く。
守る者が前に立ち続ける場所ではないのだ。
訓練場の端では、若い女性たちが模擬戦を行っている。
声を荒げる者はいない。勝敗よりも、連携と判断を重視している。
「今のは、私が前に出すぎた」
「ううん、私の合図が遅かった」
言葉は短いが、責任の押し付けはない。
(……強くなった)
カトリーナは思う。
剣の腕ではなく、距離の取り方が。
昼前、彼女は自警隊の詰所で報告を受けていた。
最近、巡回の回数を減らしても、問題は起きていない。
「隊長、今後は私たちで判断できます」
若い隊員の言葉に、カトリーナは一瞬だけ黙った。
「……そうか」
胸の奥に、わずかな空白が生まれる。
だが、それは喪失感ではなかった。
(役目が、変わっただけだ)
午後、公爵邸の回廊で、レオンとすれ違う。
「巡回、問題ないようだな」
「はい。
私が前に立たなくても、守れています」
「不安は?」
「……少しだけ」
カトリーナは正直に答えた。
「剣を握っている間は、分かりやすかった。
守っている、と言えた」
「今は?」
「今は……守られているのかもしれません」
レオンは、否定しなかった。
「守る者が減るのは、弱くなったからじゃない」
「ええ」
カトリーナは頷く。
「守れる者が増えたからです」
その言葉を口にした瞬間、胸の奥で何かが定まった。
夕方、訓練場に戻ったカトリーナは、剣を手に取ったまま、しばらく立ち尽くしていた。そして、ゆっくりと鞘に収める。
(置くわけじゃない)
剣を捨てるわけではない。
ただ、常に前に掲げないだけだ。
力は、必要なときに抜けばいい。
それまで、横に立てばいい。
夜、公爵領に灯りがともる。
街は静かで、騒ぎはない。
カトリーナは高台から街を見下ろした。
誰かが守られているわけではない。
皆が、それぞれの場所で立っている。
(……私は、剣そのものじゃなかった)
剣を持つ女でも、守る象徴でもない。
一人の人間として、ここに立っている。
そして、隣には――
命令を出さず、背中を預け合える存在がいる。
カトリーナは、そっと息を吐いた。
剣を置く場所は、
鞘の中ではない。
並ぶ場所の、すぐ傍らだ。
それが、カトリーナ・ベイルの選んだ立ち位置だった。




