第五章 第13話 ソフィアが残すもの
第五章 第13話 ソフィアが残すもの
工房の朝は、いつも騒がしい。
歯車の噛み合う音、金属を叩く乾いた響き、誰かの失敗を笑い飛ばす声。秩序正しく整えられているわけではないが、止まることはない。ここでは、完成よりも更新が優先されていた。
ソフィア・リンドは、その中心にいながら、少し離れた位置で全体を見渡していた。
(……私、前より手を動かしていない)
以前なら、真っ先に工具を握り、誰よりも早く試作品を組み上げていた。失敗しても構わない。自分がやるのが一番早かったからだ。
だが今は違う。
「ソフィア、これどう思う?」
声をかけてきたのは、十代の少女だった。まだ技術は拙いが、目は真剣だ。手には、ソフィアが昔考えた構造を元にした設計図がある。
「……いいと思う」
ソフィアは、すぐに答えた。
「ここ、もう少し軽くできるかも。
でも、それはあなたが決めて」
「え、いいの?」
「うん。
私が決めると、“私の発明”になるから」
少女はきょとんとした顔をし、それから嬉しそうに頷いた。
その背中を見送りながら、ソフィアは胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
(私がやらなくても、進む)
それは、寂しさではない。
誇らしさに近い。
昼前、工房の一角で簡単な講習が始まった。
集まっているのは、年齢も出身もばらばらな女性たちだ。かつて“醜女”と呼ばれ、学ぶ機会すら与えられなかった者も多い。
「これは、正解を教える場じゃない」
ソフィアは、そう前置きしてから話す。
「失敗して、理由を考える場所。
うまくいったら、誰かに渡す場所」
「渡す……?」
誰かが、不思議そうに聞き返す。
「うん。
抱え込むと、止まるから」
それは、経験から出た言葉だった。
ソフィアは、かつて一人で走り続けていた。
発明は楽しかったが、孤独でもあった。理解されないことより、理解される前に次へ進んでしまうことの方が多かった。
今は違う。
誰かが引き継ぎ、誰かが改良し、誰かが壊す。
その循環が、未来を作っていく。
午後、学舎の中庭で、子どもたちが簡単な装置を囲んで騒いでいた。
歯車を回すと、小さな旗が上がるだけの仕掛けだ。
「すごい!」
「もう一回!」
その声を聞きながら、ソフィアは思う。
(これが、残すってことなんだ)
自分の名前が残る必要はない。
仕組みだけが残ればいい。
夕方、レオンが工房を訪れた。
視察というほど堅苦しいものではない。ただ、様子を見に来ただけだ。
「最近、静かだな」
「うん。
私が前に出てないから」
「問題は?」
「ないよ」
ソフィアは笑った。
「むしろ、面白い。
私が思いつかなかったやり方が、いっぱい出てくる」
少し間を置いて、彼女は続ける。
「……前はね。
あなたがいるから、ここにいられるって思ってた」
レオンは黙って聞いている。
「でも今は違う。
ここに“残したいもの”があるから、いる」
「それは?」
「人」
即答だった。
「私がいなくても続く人たち。
私がいなくなった後も、作り続ける人たち」
それは、発明者としての到達点だった。
夜、工房の灯りが一つずつ消えていく。
最後に残ったのは、学舎の一角の明かりだ。誰かが遅くまで図面を引いている。
ソフィアは、その光を見つめながら思う。
(未来は、もう私の手を離れている)
だが、それでいい。
手を離したからこそ、広がっていく。
守られる存在だった少女は、
未来を残す者になった。
それが、ソフィア・リンドという選択だった。




