第五章 第9話 取り残されるという結末
第五章 第9話 取り残されるという結末
王都は、表面上は何ひとつ変わっていなかった。
石畳は磨かれ、噴水は絶え間なく水を噴き上げ、社交場には香油と笑い声が満ちている。昼も夜も、光は絶えることがない。
だが、その光の下で、人々の視線は以前ほど前を向いていなかった。
どこか、遅れている。
理由は誰も口にしないが、空気だけがそれを告げている。
セレスティア第一王女は、その中心にいた。
王城の私室で、彼女は長い時間、鏡の前から動かなかった。
丸みを帯びた頬。白く柔らかな肌。吹き出物さえも“若さの証”として評価される容姿。
この国において、それは絶対的な美だった。
それなのに――。
「……おかしいわ」
小さく呟く声は、次第に苛立ちを帯びる。
社交場での反応が、明らかに変わってきている。
男たちは彼女を見て、礼を尽くす。だが、以前のように集まらない。会話は続くが、深入りしない。選びに来る目ではなく、“確認する目”になっている。
(私が、劣ったとでも?)
そんなはずはない。
基準は変わっていない。王都では、美の価値は揺らいでいない。
――揺らいでいないはずだ。
だが、噂は否応なく耳に入る。
「公爵領では、化粧をしない女が普通だそうです」
「働く女が、誇らしげだとか」
「選ばれなくても、生きていけるらしいですよ」
馬鹿げている。
そんな考えが広まるはずがない。
だが、それを笑い飛ばす者が、減っている。
王城の小会議室では、側近たちが沈んだ顔で並んでいた。
誰もが言葉を選び、誰もが責任を避けている。
「公爵領への移住者数ですが……」
老臣が切り出す。
「減るどころか、増え続けています。
特に、学舎関係者と医療職、経済官僚が顕著です」
「女ばかりでしょう?」
セレスティアは、興味なさそうに言った。
「……いえ」
老臣は一瞬、言葉を詰まらせた。
「男も、です」
会議室の空気が、目に見えて変わった。
「男が?
働く必要もなく、尊ばれる身分を捨てて?」
「ええ。
理由は……」
老臣は目を伏せる。
「“尊大でいなくていいから”だと」
セレスティアは、思わず笑った。
「冗談でしょう」
だが、誰も笑わない。
それが、彼女を苛立たせた。
「結局、公爵は何をしたの?」
問いは、詰問に近い。
若い側近が、震える声で答える。
「……何も、していないそうです」
「何も?」
「命令も、強制も、罰もない。
ただ、“基準”を示しただけだと」
セレスティアは言葉を失った。
何もしていない?
そんなことで、国の秩序が揺らぐはずがない。
――それとも。
(揺らいでいるのは……こちら?)
考えが浮かび、すぐに否定する。
ありえない。
王都は正しい。
王家は正しい。
夜、私室に戻ったセレスティアは、酒杯を重ねた。
甘い酒が、舌の奥で苦くなる。
「私は……選ばれる側よ」
その言葉は、祈りに近かった。
選ばれる女。
それ以外の価値を、彼女は持たない。
持つ必要もないと、教えられてきた。
だが、公爵領では――
選ばれなかった女たちが、堂々と歩いている。
選ぶ立場だった男たちが、並んでいる。
(そんな世界……)
理解できない。
理解してしまえば、自分の立場が崩れる。
同じ夜、公爵領の丘で、レオンは街を見下ろしていた。
灯りは穏やかに広がり、人の営みは静かに続いている。
彼は、王都の混乱を詳しく知らない。
知ろうともしていない。
(救わない。
裁かない。
ただ、引き留めない)
選択肢は、最初から平等に置かれている。
変わるか、変わらないか。
公爵領は、誰かを排除していない。
だが、立ち止まる者のために速度を落とすこともしない。
セレスティアは、今も王城にいる。
最も高い場所で、最も正しいと信じる世界の中に。
けれど、その世界は――
もはや彼女を中心に回ってはいなかった。
取り残されるという結末は、罰ではない。
敗北でもない。
ただ、
変わらないことを選び続けた者に訪れる、静かな結果だった。




