第五章 第9話 取り残されるという結末
第五章 第9話 取り残されるという結末
王都の朝は、変わらず華やかだった。
石畳は磨かれ、噴水は水を噴き上げ、通りには香の匂いが漂う。だが、その中心にある王城の空気だけが、どこか重く淀んでいた。
セレスティア第一王女は、鏡の前に立っていた。
丸みを帯びた頬。吹き出物の残る肌。
この世界の基準では、それは疑いようもなく“完璧な美”だった。
だが、鏡に映る自分を見つめる視線は、苛立ちに満ちている。
「……遅いわ」
侍女に向けた言葉は鋭い。
返事を待たず、セレスティアは椅子に腰を下ろした。
最近、王都で囁かれている噂が気に入らなかった。
公爵領。
選ばれなくても生きられる女たち。
そして――“美しいだけでは足りない”という考え。
「馬鹿げているわ」
吐き捨てるように言う。
男が少ない世界で、女が選ばれるために磨くのは当然だ。
それが秩序であり、常識だった。
その常識を否定するなど、ただの反逆に過ぎない。
だが、現実は苛立ちを無視して進む。
最近、社交の場で男たちの態度が変わった。
以前なら、彼女が姿を現すだけで集まってきた視線が、今は散漫だ。
敬意はある。だが、熱がない。
(……なぜ?)
理由は分からない。
誰も彼女を醜いと言わない。
ただ、以前ほど“求められない”。
それが、何よりも耐え難かった。
王城の会議室では、重臣たちが報告を続けている。
「公爵領への移住者は、依然として増加しています」
「周辺国でも、似た制度を試す動きが……」
「止めなさい」
セレスティアの声が、空気を切った。
「模倣など許す必要はないわ。
あれは一時の流行よ」
誰も反論しない。
できないのではない。する意味がないからだ。
王家は、これまで常に“正しい側”にいた。
世界がそれに合わせて動いてきた。
だからこそ、変わる必要がないと信じている。
会議が終わり、長い廊下を歩きながら、セレスティアは窓の外を見た。
遠くに見える街並みは、以前と変わらない。
だが、その先にある公爵領は、もう見えない。
(……見えなくなった?)
気づいた瞬間、胸がざわついた。
公爵領は、敵ではない。
だが、従う存在でもない。
こちらを見上げていない。
それは、初めて味わう感覚だった。
夜、王城の私室で、セレスティアは一人で酒杯を傾けた。
甘い酒のはずなのに、舌に苦みが残る。
「私は……選ばれる側なのよ」
誰に言うでもなく、呟く。
そうでなければならない。
選ばれなければ、価値が揺らぐ。
だが、公爵領では、選ばれない者たちが立ち上がり、歩いている。
その事実が、彼女を苛立たせ、恐怖させる。
――もし、選ばれなくなったら?
考えが浮かび、すぐに振り払う。
「ありえない」
そう言い聞かせても、胸の奥の違和感は消えなかった。
同じ夜、レオンは公爵領の丘に立っていた。
遠くの灯りを見下ろし、風の匂いを吸い込む。
(……取り残されるのは、誰だ)
彼は答えを口にしない。
救うつもりも、裁くつもりもない。
選択は、すでに与えられている。
変わるか。
変わらないか。
それだけだ。
世界は、誰かを置き去りにするために進むわけではない。
だが、進む以上、立ち止まる者は自然と後ろに残る。
セレスティアは、まだ王城にいる。
玉座に近い場所で、最も高い位置に。
それでも彼女は、気づいていなかった。
世界はすでに、
彼女のいない場所で動き始めていることを。




