第五章 第6話 追いつこうとする世界
第五章 第6話 追いつこうとする世界
公爵領の名は、もはや噂ではなくなっていた。
かつては「妙な領地がある」「変わり者の公爵がいる」程度の話だったものが、今では具体的な数字や成果として語られる。流通量、出生率、治安指数、識字率。どれも王国の基準を静かに、しかし確実に上回っていた。
そして人は、成果を見ると必ずこう言う。
「――真似できないのか?」
その問いは、公爵領の外で、あちこちから生まれていた。
中央庁舎の応接室には、この数日で三組目となる来訪者が座っていた。周辺国の中規模領主に、その随行。彼らは威圧も懐柔も用いず、ただひたすらに“聞きに来た”という態度だった。
「女性が主に働き、男性が必ずしも働かない社会。
その中で、なぜ不満が噴出しないのですか」
質問は率直だった。
ミリアは即座に答えない。代わりに、窓の外を指した。
「見てください」
そこでは、倉庫の前で数人の女性が荷の仕分けをしている。指示役はいるが、命令口調ではない。話し合い、決め、動く。その中に男が一人混じっているが、特別扱いはない。
「不満はあります」
ミリアはようやく口を開いた。
「ただし、それは“抑え込まれる不満”ではありません。
言葉にされ、選択に変えられる不満です」
「選択、ですか」
「ええ。働き方を変える。役割を変える。
あるいは、ここを離れる。
どれも禁止していません」
来訪者の一人が眉をひそめた。
「それでは、人が減りませんか?」
「減ります」
ミリアは即答した。
「特権を手放せない人は、居心地が悪くなりますから」
その言葉に、応接室が静まる。
彼らが欲しかったのは“増やし方”だ。だが、示されたのは“選別される仕組み”だった。
「……それでも、成果が出ている」
「ええ。残った人が、責任を引き受けるからです」
同じ頃、公爵邸ではレオンが別の報告を受けていた。
マリアが資料を差し出す。
「二つの国が、制度の一部を導入しました」
「一部?」
「学舎と職業配置だけ。
ただし、評価基準は従来のままです」
ソフィアが肩をすくめる。
「うまくいかないよ、それ」
「当然ね」
マリアは冷静だった。
「“何をするか”だけ真似ても、
“どう考えるか”を変えなければ、形だけになる」
リリアナが静かに言う。
「追いつこうとしているけれど、
同じ道を歩く覚悟はない、ということですね」
「それでいい」
レオンは短く答えた。
「無理に同じになる必要はない。
追いつけないなら、追いつかなくていい」
その言葉は突き放しているようで、拒絶ではなかった。
基準を示すだけで、引きずらない。それが彼の一貫した姿勢だ。
夕方、街を歩くと、見慣れない服装の一団がいた。
視察ではない。滞在型の調査員だ。
「しばらく、こちらで生活を見せてほしい」
そう言って頭を下げたのは、他国の女性官僚だった。
「制度を写すのではなく、
空気を知りたいのです」
その言葉に、ミリアは少しだけ表情を緩めた。
「それなら、歓迎します。
ただし、答えは出ませんよ」
「それでも構いません」
夜、レオンは丘の上から街を見下ろしていた。
灯りは増え、人の流れは太くなっている。
(世界が、こちらを見ている)
だが、それは羨望でも敵意でもない。
“追いつけるかもしれない何か”を前にした、戸惑いだ。
公爵領は、世界を引っ張っていない。
ただ、立ち止まらずに歩いているだけだ。
追いつける者は追いつく。
追いつけない者は、別の道を選ぶ。
その選択が重なった結果として、
世界は少しずつ形を変えていく。
レオンは、確信していた。
――もう、この流れは止まらない。
それでも、急がせる必要はない。
追いつこうとする世界に合わせて歩調を変えることも、また選択なのだから。
公爵領は今日も、いつも通りだった。




