表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この世界の美しいは間違っている  作者: ゆう
第五章:選び続ける世界

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

100/112

第五章 第4話 名を取り戻す日

第五章 第4話 名を取り戻す日


 公爵領の学舎の裏庭では、朝露がまだ芝に残っていた。

 簡素な机が並べられ、紙と筆が配られる。集まっているのは、年齢も出身もばらばらな女性たちだ。誰も華やかな装いはしていない。だが、目だけは揃って前を向いている。


 彼女たちは、かつて“醜女”と呼ばれていた。


 言葉は軽い。だが、重ねられてきた時間は重かった。

 顔立ちが整っていない、肌が荒れている、体型が理想から外れている――それだけで価値を否定され、学ぶ機会を奪われ、選ばれる場から弾かれてきた。


 ここに来るまで、誰も彼女たちの名を覚えようとしなかった。


「では、今日の課題です」


 教壇に立つ女性が言う。声は柔らかいが、曖昧ではない。


「自分の得意なことを、一つ。

 “役に立つ”かどうかではなく、“続けられる”ことを書いてください」


 紙の上で、筆が止まる。

 得意なこと。続けられること。

 どちらも、これまで考える必要がなかった問いだ。


(……何が、できる?)


 指先が震える。

 誰かの視線を気にしてきた癖が、まだ抜けない。


 やがて、一人の女性が小さく息を吸い、書き始めた。

 文字は拙いが、止まらない。


「帳簿を付けるのが好き」

「子どもに字を教えるのが得意」

「布を織るのが、落ち着く」

「薬草の匂いを覚えるのが早い」


 内容は些細だ。

 だが、誰にも奪えない。


 ミリアは少し離れた場所で、その様子を見ていた。

 介入はしない。必要ない。ここで大切なのは、彼女たちが“自分の言葉で名乗る”ことだ。


(名を、取り戻している)


 王都では、彼女たちは一括りだった。

 “選ばれない女”“醜女”“余り物”。

 ここでは違う。名簿には、一人ひとりの名前があり、担当があり、役割がある。


 昼休み、裏庭の隅で数人が輪になって座っていた。

 食事は質素だが、会話は尽きない。


「最初は怖かったよ。ここ」

「私も。笑われると思ってた」

「でも、誰も顔を見ないね」

「見るけど、比べない」


 その言葉に、誰かが頷く。


「……比べられないって、楽だね」


 笑いが起きる。

 自嘲ではない、初めての笑いだった。


 午後、工房区画では新しい配置が始まっていた。

 布を扱っていた女性が、染色の工程に移る。帳簿が得意だと書いた者は、流通の補助に回る。教えるのが好きだと言った者は、学舎の補助員になる。


 適性は試す。

 合わなければ、変える。

 失敗は評価を下げない。情報として扱う。


 それが、この領のやり方だった。


 夕方、学舎の前で、ひとりの女性が立ち尽くしていた。

 名をサーラという。王都では、露骨に避けられてきた顔立ちだ。肌は荒れ、頬は赤い。ここでも視線は感じる。だが、それは値踏みではない。


「……私、向いてなかったみたい」


 ミリアに、サーラは正直に言った。


「何が?」


「帳簿。数字、苦手で」


「それで?」


「……やめても、いい?」


 問いは震えていた。

 “失格”を告げられる恐怖が、まだ体に残っている。


「いいわ」


 ミリアは即答した。


「別のを試しましょう。

 “向いてない”が分かったなら、前進よ」


 サーラは、目を見開いた。


「……怒られないの?」


「怒る理由がない」


 しばらくして、サーラは小さく笑った。


「じゃあ……料理、試してみたい」


「いい選択ね」


 その日の帰り道、サーラは市場の灯りを見上げた。

 胸の奥に、熱が灯っている。


(私、名前がある)


 それは大げさな発見だった。

 だが、確かな事実だ。


 夜、公爵邸の書斎で、レオンは報告を受けていた。

 数字も、配置も、順調だ。


「問題は?」


「ありません」


 ミリアが答える。


「……あるとすれば、慣れるのに時間が要ることくらい」


「それは、問題じゃない」


 レオンは首を振った。


「時間は、使えばいい」


 窓の外、学舎の灯りはまだ消えていない。

 誰かが、今日初めて自分の名を書いた夜だ。


 選ばれなかった者たちが、

 選ばれなくても生きられる場所で、

 名を取り戻していく。


 その積み重ねが、公爵領の静かな力になっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ