究極の治癒魔法
「……それで、彼らは現在どうなっているのですか?」
彼女、つまり勇者一行のひとりであるフィーネからの話を聞き終えたアリストはそこで起こった惨状を想像し、盛大なため息をついてから文字通り「フレンドリーファイア」を起こした大貴族の令嬢に最重要案件をそう問い質す。
「もちろん生きていますよ。今回はお仕置きですので随分と手加減しましたから。まあ、予想に反して十分に焼け焦げて虫の息ではありましたが」
すまし顔のフィーネから戻ってきたその言葉に眉間の皺が数本増やしたアリストがもう一度口を開く。
「それで?」
「動かしても死なない程度まで治癒魔法で手当をした後に転移魔法で彼らの部屋に戻り、傷口を杖で弄りまわしながらじっくりと話を聞いて、それからアリストの出迎えに来ました」
「……なるほど。ちなみに、一緒にいらした方々は?」
「すでにかわいそうなことになっていました」
……つまり、間に合わなかったということですか。
……ということは、三人もすぐに処置しなければ死んでいたということになるわけですね。
……もっとも、彼女の場合は奥の手があるわけですが。
それを暗示する言葉を少しの苦みとともに噛みしめた口には出さないアリストの言葉はさらに続く。
……死者蘇生。
……それは魔術師を志した者が一度は目指す魔法のひとつ。
……だが、それと同時にそれは手に入れるのは不可能とされているものでもある。
……治癒魔法を含む技術系魔法を手にするには、それに相応しいだけの知識と経験がなければどれだけ魔力量があっても習得できないという避けることができない理がある。
……いうまでもないことだが、片手間で仕入れた薄っぺらな知識などでは手に入れられる魔法もそれに相応しいものだけで、相応の技術系魔法を習得するためには結局その道を極めなければならない。
……そして、この世界の医術を極めた大魔術師ファン・ファーレンでさえ辿り着けなかったということは、その魔法を習得するには人知を超えた知識が必要であることを示している。
……つまり、事実上会得は不可能。
……その不可能と思われた究極の治癒魔法である死者蘇生をおそらくこの世界で唯一行使できる者。
……それが彼女、フィーネ・デ・フィラリオ。
……そして、それは彼女がこの世界の人知を超えた医術を心得ている者であることを意味する。
……だが、彼女がその知識と経験をどうやって手に入れたのかは全くの謎だ。
……それこそ、本人の言葉どおり、この世に生を受けた瞬間に神から与えられた加護のおかげとしか説明しようがないくらいに。
……なにしろ、彼女は自身が魔法を使えることを偶然知ったのは幼少時。そして、それからすぐに誰にも教わることなくほとんどの魔術師が到達できない高度な治癒魔法を使いこなせるようになっていた。それどころか彼女は時を置かずに破損したものを完全に修復するという魔法を使用したという。もちろん私はその場にいたわけではないのだが、彼女のこの言葉は本当のことだろう。そして……。
……そのとき使った完全復元は死者蘇生の応用魔法。
……つまり、その気になれば幼少期に死者蘇生を行使できたことを意味しており、それだけの知識と経験はすでにあったということになる。
……どれもこれもあり得ないことばかりだ。
……だが、ひとつだけ手がかりはある。
……彼女が時々呟くこの世界のどこでも使われていない不思議な言葉。
……あれが彼女の知識の源である可能性は十分にある。
……いずれにしても、死者蘇生、そしてその応用魔法である完全復元。それにもうひとつの応用魔法である完全再現を使えるフィーネは……。
……羨ましい。いや、妬ましい存在。
……それが彼女に対する同じ魔術師としての私の率直な評価だ。
「アリスト。アリスト」
闇の世界へ誘う感情に支配されかかったアリストを現実に引き戻したのは自分の名を呼ぶ女性の声だった。
……いかんな。私としたことが。
アリストはすぐに正気を取り直し、声の主に何もなかったかのように応える。
「なんでしょうか?」
もちろんアリストはその言葉だけで十分な対応できたと思ったのだが、それが間違いであったことは大きなため息をついたその女性の表情であきらかだった。
好意的とは言えない感情が籠る女性の冷たく、そして少々大きな声が空白の時間を遡る。
「どのような妄想に耽っていたのかは知りませんが、私の質問を聞こえていなかったようなのでもう一度言います。これからの予定を教えてください。もちろん宿に戻るとか、今晩何を食べるかなどという話ではありません」
……つまり、私は目の前にいる彼女から話しかけられていたことさえ気づかなかったということですか。
……私もまだまだ修行が足りないようですね。
心の中でそう反省し、それからフィーネの問いに対する考えをまとめ始める。
だが、方針はすでに決まっている。
それほど時間はかからず、アリストの口が開く。
「まず、ノルディア王に対しておこなった聴取内容を報告するためカムデンヒルに戻ります」
カムデンヒル。
それはこの世界で最大の都市であるブリターニャ王国の都サイレンセストの中心部の名であるとともに、そこに建つ王宮を示すものでもある。
……まあ、そうでしょうね。
アリストの言葉に心の中でそう呟きながら女性は頷く。
「私たちがここに来た主たる目的はあなたが父王に押しつけられた仕事をするためだったのですから、当然そうなりますね。それから?」
「ミュロンバに戻り、魔族の王都への旅を再開します」
「やはりクアムートにいる強敵はそのまま放置していくのですか?」
「ええ。それに彼はすでにクアムートを離れていると思いますよ」
「彼が率いる最精鋭の部隊をたいした仕事が残っていないこの辺境の地に張り付けておくほどの余裕は魔族軍にはありませんから」
「なるほど」
……本当に攻める気がないのであれば精神的にも物理的にも動けないように相手を縛れば十分。ここにいる理由はたしかにありませんね。
アリストの短い言葉を自分になりに補足説明を加えた女性は薄い笑みを浮かべる。
「つまり、それを理由にファーブたちを説得するわけですね」
「いえいえ。それは先ほどまでの話です。フィーネの話を聞いた今はさらに有効な案を思いつきました」
「伺いましょう」
「あなたの名前を使って交渉……いいえ。違いますね。脅します。駄々をこねるとまたお仕置きされますよと」
「……なるほど。それは名案です。もし、そのような場面が実際に訪れることになったら、よろこんで協力させていただきます。そして、今度は先ほど以上の厳しいお仕置き方法を披露することにしましょう。まあ、それはそれで楽しみですが」
「では、そのときはよろしくお願いします」
……ところで……。
その女性との話が一段落するとアリストは瞑り、まだ出会わぬ敵に思いを馳せる。
……クアムートを離れたあなたはいったいどの戦場に現れるのですか?
……もっとも、それを決めるのは一部隊の指揮官であるあなたではないのでしょうが。
……どうか私たちの前に立つような命令が出ませんように。