勇者たちの怠惰な日々
ノルディア王国の王都ロフォーテン。
魔族とノルディアの間で交渉がおこなわれていたクアムートに関わるすべて案件が片付いてしばらく経ったある日、勇者一行がその地に姿を現す。
そして、いつものように彼らが泊るのは安宿。
といっても、しばらく滞在することになるこの地でそこを実際に宿として使用していたのは三人だけだったのだが。
「アリストは今日も王宮か?」
ロフォーテンにやってきて三日目。
非公式なものではあるが「勇者」というこの世界でもっとも名の知られた肩書を持つ若者が口にした不満が滲み出すその言葉に、彼よりも少しだけ若いもうひとりの男が戦斧の手入れをしながら致し方なしと言わんばかりの表情で答える。
「まあ、そうだろうな。アリストは腐ってもブリターニャ王族。さらに言えば、その第一王子だ。身分があきらかになれば高慢なノルディアの奴らでもそれなりの扱いをしなければならない。しかも、軍資金を取りに王宮に戻ったところを父王に捕まり、急遽押しつけられたものとはいえ、アリストはブリターニャ王国を代表して今回の人質返還に関してのノルディアの申し開きを聞くという公務を兼ねてここにやってきている。心証を悪くしたくないノルディア側は盛大なもてなしをするのは当然だろう」
「だが、そういうことであればアリストひとりだけはないだろう。俺たちも同行者として同じ扱いにすべきではないのか」
つまり、俺たちも同等に扱え。
勇者の口は言外に、いや、はっきりとそう言った。
だが……。
「……いや。やはりそうはならんな」
勇者とは思えぬレベルの低いクレームにそう答えたのは先ほどと同じ兄弟剣士の兄。
それに続いたのは彼の弟だった。
「そうだな。特に身分間格差が激しいノルディアではファーブが『俺は勇者だ』と威張り散らしたうえ、自分がその勇者であることを証明しなければ、たとえ王宮に入れたとしても、俺たちはよくてアリストの従者だ。だが、そうなれば……」
三人の脳裏に浮かぶのは言葉にもしたくないアリターナ王国で味わった馬小屋生活と「3K」の見本のようなさまざまな雑用を命じられたあの屈辱。
そして、その三人を眺める、色目ひとつで首尾よくアリストと同等の好待遇を受けることができるようになったフィーネの嘲りに満ちた黒い笑み。
「……アリストから食うに困らない程度の金は貰っているし、なによりもこちらの方が自由だ」
「そ、そうだな」
「堅苦しい王宮など、こちらから願い下げだ」
忘れたい過去を思い出し、一瞬で前言をなかったことにした三人は矛先を隣の部屋にいることになっているもうひとりの同行者に向ける。
「ところで、随分静かだがフィーネは寝たのか?」
「さあな。だが、少なくても隣にはいないだろう」
「……そうだな。あの病的なくらいに綺麗好きなフィーネがこんな汚い宿でおとなしくしているわけがない。今頃うまいものを食って酒をたらふく飲み、それから暖かい風呂に入り、フカフカなベッドで寝る。隙間風でガタガタ震えながら安酒を飲む俺たちとは大違い。これを差別だと言わずに何を差別と言う」
「まったくだ。魔法が使えるだけでこの差とは酷すぎる」
彼らがロフォーテンどころか、宿屋まで一緒にやってきた自分たちより少しだけ年長の女性魔術師は隣の部屋にいないと断言し、ついでに大いに憤慨する理由。
それは……。
転移魔法。
つまり、彼女はその魔法を使用して遥か南にある自らの屋敷かブリターニャの王都にある別邸に戻っているというのだ。
いつものように。
残るふたりの口から延々と流れ続ける待遇への不満に聞き飽きた三人のうち二番目の年長者である男はわざとらしい大きなため息をついたのに続き、渋い顔をしたまま言葉を放つ。
「ファーブよ。そんなに羨ましいのならいつぞやのようにブランと一緒にフィーネにドゲザをしてお願いしたらどうだ。フィーネ様。どんなことでもしますから、どうぞ私たちを一緒にお連れくださいと。ちなみに、俺はそこには加わる気はまったくないから仲間にはしないでくれ。絶対に」
言うまでもないことではあるが、これは過去の悲しい経験に基づいた大いなる嫌味である。
そして、男の最後の言葉はそれをおこなった場合には自慢できない悲しい結末は必ずやってくるということも暗示していた。
もちろん、忘れもしないその悲惨な体験を彼とともにたっぷりと味わっているふたりがそれを察しないわけがない。
弟剣士はすぐさま口を開く。
「俺だって嫌だよ。やるなら、ファーブひとりでやれ」
もちろんもうひとりも……。
「言っておくが、俺だってそこまで馬鹿ではない。そんなことをフィーネに頼んだら最後。毎日今以上にこき使われるのがわかっているのだから、そんな最初から大穴の開いた泥船になど絶対に乗らん。だが……」
ファーブという名の若者がつけ加えるように口にしかけた懸念の言葉を引き継いだのは先ほどの男だった。
「言いたいことはわかるがアリストの公務が延びる可能性がある以上、無駄な出費は抑えなければならないのも事実」
「だが、水で薄めたような、というより酒の香りがかすかにする水のような安酒を飲んで寝ているだけではやはりつまらん。楽しく、さらに実益も兼ねた時間つぶしの妙案はないか?」
「では、その金を増やしにいくというのはどうだ?」
ふたりの不満を解消できそうな案を持ちだしてきたのは最年少者だった。
だが、これはいつものことである。
だから、この男が何を言いたいのかは残りのふたりにはすぐにわかる。
そして、当然辿り着くその結果もよく知っているしかめ面の兄が弟に尋ねる。
「ブラン。一応聞く。どうやって金を増やすのだ?」
「いうまでもないこと。賭博場に行く。そして、勝つ」
外れようはないのだが、案の定である。
そして、こちらもいつものことながら、その話に賛意を示す者がすぐに現れる。
「いいな。持ち金が倍になればうまい酒がたらふく飲める」
「そうだろう」
「では、有り金全部を持っていざ出陣……」
「待て」
それは同じ脳筋ではあるが、三人のなかでは少しだけ計画性と学習能力があり、見た目と、それから日頃の言動からはまったく想像できないのだが、実は金には細かい兄弟剣士のもうひとりからのものだった。
百匹ほどの苦虫をまとめて噛んだ時のような顔をしたその男の言葉は続く。
「ブランよ。おまえとファーブは同じ失敗を何度繰り返せばいいのだ。あのような場所は必ず損をすることになっているのだ」
もちろん兄剣士の忠告は世間一般の常識であり、誰もが知る事実である。
だが、世の中にはそれがわからず、気合と根性があればあのような場所でも大金を稼げると心の底から信じている者もたまにはいる。
そして、彼にとって残念なことに目の前のふたりはそこに入る稀有な人物だった。
そのひとりが口を開く。
「いや。兄貴。それは違う。今までも少しだが儲かったことはあった。それにフィーネは博打でいつも大金をせしめている。つまり、俺たちだって運があれば勝てるということだ。そして、今日は勝てる。俺の勘がそう言っている」
もうひとりである勇者がすかさずそれに続く。
「そのとおり。今日は勝つ。絶対に。そして、俺たちは大金持ちになる」
固い握手とともに賭博場に行く気満々のふたりが誇示する何を根拠にそこまで断言できるのか皆目見当がつかない妙な自信。
残念な弟とその同類である同僚を持った哀れな兄剣士は先ほどよりさらに大きなため息をつき、それから決意に込めた言葉を吐きだす。
「最初に言っておく。そのようなものは永遠にやってこない。だが、どうしてもと言うのなら、所持金を三分割してそれぞれが好きに使うことにしよう。そうであれば、俺は何も言わない。だが、おまえたちが賭博場に有り金を全額寄付し、パンを買う金がなくなり餓死しようが、宿代が払えず寒空の下に放りだされて凍死しようが俺は関知しないことだけは忘れるな。たとえドゲザして泣いて頼まれても俺の金はおまえたちのためには使わん。それから、ついでに言っておけば、フィーネのあれは間違いなくイカサマだ」
「イカサマ?」
「そうだ」
「つまり、魔法を使ってズルをしているということか?」
「いや。魔法以前の問題だ」
「では、なんだ?」
「色仕掛け。しかも、くれてやるのはその香りだけ実質見返りはゼロ。つまり、正真正銘本物のイカサマだ」
結局、硬軟取り揃えた兄剣士の説得に渋々ながら同意し賭博場行きを諦めたふたり。
そのうちのひとりに、この世界でもっとも有名な肩書をもった剣士とその仲間で自らの弟でももうひとりが餓死するか凍死するかするのを食い止めるという偉業を成し遂げた真の英雄が自らが助けたひとりに声をかける。
「ところで、この町の様子をどう思う?ファーブ」
「それはこの町に漂う雰囲気のことか?ちなみに、マロはどう思う?」
楽しみを奪われ不機嫌さを隠し切れない勇者という肩書を持つその若者が口にしたのは問い直しという形をした言葉。
マロと呼ばれた相手がそれに応じる。
「北方の大都ロフォーテン。貴族どもが威張り散らす物の値が高い気取った町だが、治安が良い華やかな場所と聞いていた」
「だが、実際は違った?」
「そのとおり。たしかに大きな町だが、兵士崩れのゴロツキがたむろするろくでもない場所だった。噂どおりだったのは物の値が高いというところだけだ。それだって、その値の高さは噂以上だ」
「まったくそのとおり。聞くと見るとでは大違い。と言いたいところだが、実はそうでもないらしい」
「どういうことだ?」
「こうなったのは最近のことらしいのだ」
その言葉に続いて、賭博場に行けず、結果として稼ぎそびれたと思っている勇者が仲間に語ったものは先ほど宿屋の主人から聞いた話だった。
「……つまり、魔族に捕らえられた自国の兵士たちを取り戻すのに莫大な費用がかかり、その費用を賄うために国中の金貨の強制接収がおこなわれ、さらに税金が高くなっているということなのか?」
兄弟剣士のうちの金に細かい方からやってきた言葉に頷いた勇者がさらなる説明を加える。
「もちろんそれだけではない。当然国庫だって空になっているので大軍を仕立てた再度の出撃ができなくなっているそうだ。それどころか兵士たちに給金も支払えず食料を支給できない状態になっている。当然無給で死地に赴く者などおらず、兵たちは続々と家に戻っている。つまり、軍は解体に向かっている。これまでの占領地を維持するのだって難しいという噂も流れているそうだ。さいわい魔族が攻めてくる様子がないので助かっているが、この状況で魔族がやってきたらあっという間に王都まで落とされる」
「なるほど。軍解体の過程で零れ落ちた兵士のなかに野盗になった不届き者がいたわけか」
「だが、それにしてもあまりにも多すぎないか」
苦みを込めてそう言ったのは弟剣士だった。
そう。
彼らはクアムート近郊で三千人の魔族の兵士を葬ったあと、ブリターニャの王都を経由してここにやってくるまで数多くの小規模な戦いを経験していたのだが、実を言えば、その相手はすべて人間だった。
そして、それらの大部分は野盗と化した旧ノルディア軍兵士だった。
もちろん魔族の王を倒すために旅をする彼らにとってそれは大変不本意なことである。
だが、相手が略奪を目的に襲ってくる以上、応戦せざるを得ないわけだし、彼らの性格上、目の前にいる悪はすべて倒さなければ気が済まない。
それがたとえ人間であったとしても。
思い出したくないものを思い出したかのように渋い表情を浮かべた勇者が口を開く。
「今まで締め付けていた分、箍が外れたらそうなるのは当然だ」
「なるほど。だが、大局的なものにはともかく、徴兵される側の平民たちは家族のもとに帰ることができるのは悪い話ではないだろう。それなのに華やかだった王都がなぜこれだけすさんだのだ?」
兄弟剣士の弟の問いに答えたのは彼の兄だった。
「分断だな」
「分断?」
「たとえば、捕虜返還のためにノルディア国民が等しく対価を払う。それによって戻ってきた兵士の家族はいいだろう。だが、すでに死んだ兵士は戻ってこない。当然その家族は金を取られただけという気持ちになる。まだある。魔族は何を思ったのか解放時に下級貴族と平民出身の兵士に対してひとりあたりノルディア金貨二枚を慰労金として支給したそうだ。だが、それは帰国すると国に没収されたため金貨を取り上げられた兵士たちは大いに不満を持っている。まあ、これも当然だな」
「精強を誇ったノルディア軍だけではなくノルディアという国そのものが一度の敗戦でガタガタになったわけか。ところで、マロはこれを偶然の産物だと思うか?」
「思わん」
「ブランは?」
「俺も兄貴と同じ意見だ」
「理由を聞いてもいいか」
自らの問いに答えた兄弟剣士にもう一度問いかける勇者の言葉に対し弟剣士が安酒で湿らせた口を開く。
「まずは唐突な捕虜返還。対魔族連合軍もそうだが、これまで魔族軍は捕らえた兵士は奴隷にする以外はすべて殺してきた。それが身代金との交換とはいえ今回に限り捕虜を返還しただけではなく本来は払う必要などない少ないとは言えない額の慰労金まで捕虜たちに手渡した。しかも、噂ではこの捕虜返還の話を持ち掛けたのは魔族だという。どれをとってもおかしな話だ」
弟の話を補足するように兄が引き継ぐ。
「そして、この提案の辛辣なところは罠の存在を疑っていてもノルディア王がこの申し出を断れないということだ。もちろん断ることはできなくない。だが、そうなると、金を惜しんで助けられるはずの自国民を見殺しにしたと非難される。実際にどこからとなくそのような噂が国中に流れ、それがきっかけになってブリターニャもノルディアが内密に魔族と裏取引をしている事実に気づいた。では、やはりその申し出を受け入れたことが正解だったかといえば、結果は現在の惨状だ。これらすべてが意図的におこなわれたものではなく単なる気まぐれやその思いつきの結果なら驚き以外の何物でもないな」
……なるほど。
……マロたちの言葉は筋が通っている。
小さく頷いてから勇者の肩書を持つ若者が口を開く。
「つまり、これは頭の切れる魔族の誰かがハズレしかないクジを用意し、ノルディア国王に引かせたということか」
自らの心にもやもやと漂っていたものがすべて晴れたような勇者の言葉に、兄剣士が完璧と呼べる苦笑いで応じる。
「ファーブらしくもない文学的表現だが、そのとおりだ」
兄のその言葉に弟が続く。
「どういう奴なのだろうな。魔族らしくもないよく練られたこの悪辣な策略の設計図を描いたそいつは」
そう言いつつ、その言葉を口にした本人を含む彼ら全員、その人物について凡そ見当はつけていた。
……間違いなくそいつはアリストの待ち人。
そして、思う。
……こいつは単なる魔術師などではない。
……アリストと同じ種族。
……甘く見たらやられる。
兄剣士が口を開く。
「さあな。それに、そのような地味で面倒な仕事をするのは俺たちではない」
その言葉に勇者が続く。
「そのとおり。俺たちを置き去りにしてひとりで豪華なただ飯を食っているのだ。それくらいの仕事はしてもらわなければならないだろう。もっとも、アリストのことだ。俺たちが考えていること以上のことはすでにやっているだろうが。そういうことで、アリストがアリストにふさわしい仕事をしている間、俺たちは俺たちらしい仕事をしようではないか」
「俺たちらしい仕事?なんだ、それは」
「もちろんこの町の清掃だ。せっかく来たのだ。王都に蔓延るゴミ虫の駆除くらいしてやろうではないか」
勇者の肩書を持つ若者の言葉に残るふたりも頷く。
「……それはいい」
「ああ」