【30秒で読める怪談】夏美さんのこと
群馬県に住む横山夏美さん(仮名)の話です。
病名は伏せます。
夏美さんは、ある病気を患っていました。
たいていは50歳を過ぎてからかかる病気。
でも、その病気だと判明したとき、夏美さんはまだ28歳でした。
携帯電話販売員の仕事がようやくおもしろくなりかけた頃。
なんとなく体が重いとは感じつつも、「まだ若いし」と思って検査にいきませんでした。
でも、虫の知らせというのでしょうか。
休む同僚の代わりに出勤する予定だったのが、その必要がなくなり、夏美さんに急な休みができたのです。
「じゃ、検査にいっとくか」
それくらいの気持ちでした。
2週間後、病院から電話がかかってきました。
「親御さんと一緒に来てください」と。
病院へ行く道すがら、ついてきてくれたお母さんは「大丈夫よ。もし病気でも、きっと治る!」とずっとはげましてくれました。
診察室へ入って、椅子に座っても、先生はまだ2人の方を見ません。
壁にはられたレントゲン写真を見たまま、こう言いました。
「〇〇という病気で、かなり進行しています。
でも治療法はあります。
一緒にがんばりましょう」
それから夏美さんの方を向き、「1週間後に手術できますか?」とたずねました。
夏美さんの平凡な日々が一変しました。
お母さんと一緒に、ネットでその病気のことを必死に検索しました。
調べてみると、手術する予定の県立病院は、その病気の手術例が少ない部類に入ります。
病院を変えようか。
県外へ行けば、もっといい医者がいるかもしれない。
でも、県外で手術を受けるということは、その後の治療もその県外の病院で受け続けるということ。
何年かかるかわかりません。
お父さんは「お金のことは心配するな」と言いましたが、その病気の「権威」と呼ばれる先生がいるのは東北でした。
車で片道5時間。
夏美さんは決めました。
「あたしが東北の先生に診てもらうってことは、あたし以外の誰かの手術が後回しになるってことでしょ。だったら別にいいよ。地元の病院で受ける」
結果は?
麻酔から覚めたとき、様子を見に来た執刀医の表情からピンと来ました。
うまくいかなかったのだ、と。
実際、その後の検査で数値はむしろ悪化していました。
のまなければならない薬が、十数種類に増えました。
吐き気も止まりません。
携帯ショップの同僚たちは、今頃、店頭で最新機種の説明をしてるんだろうな。
そんなことを思うと、涙が流れます。
急に長期休職に入った彼女を心配した同僚から、LINEが来たこともあります。
既読をつけませんでした。
今は、ただ治ることだけを考えていたかったのです。
そうして半年がすぎました。
ゆっくり、ゆっくり体がむしばまれていきます。
ふと。
夏美さんは悟りました。
もうすぐわたしは死ぬ、と。
それはよく晴れた、穏やかな日のことでした。
夏美さんは、いつもベッドのそばにいてくれるお母さんに言いました。
「お母さん、産んでくれてありがとう……」
そして2人で泣きました。
1ヶ月後、夏美さんは退院しました。
病院の先生もしぶしぶOKを出しました。
お母さんは退院に反対でした。
「もしも夏美の体調が急変したら……
病院にいれば、看護師さんがすぐ駆けつけてくれるけど、家だとそうはいかないし」
でも、実家の玄関をくぐって、リビングのソファーに座り、弱々しいながらもはしゃぐ夏美さんを見ているうちに、お母さんは思いました。
「たとえどんなことになろうと、夏美の望みをかなえてあげよう」と。
最後の2週間は、飛ぶように過ぎていきました。
毎日、笑って、少しだけだけれど、好きなものを食べて。
親子でいろんなことを話しました。
そして、夏美さんは眠るようにあの世へ旅立ちました。
ある朝、お母さんが夏美さんを起こそうと思ってベッドへ行ってみたら、亡くなっていたのです。
本当に信じられませんでした。
つい昨日まで、しゃべってくれていたのに。
でも、覚悟はできていました。
一度だけ。
安らかな顔をした夏美さんの遺体。
彼女を納めたお棺の蓋が閉じられるとき。
お母さんはすがりついて「なつみーーーーー!」と号泣しました。
その声は、まだ地上にいたであろう夏美さんに届いたに違いありません。
なぜなら火葬場の炉に棺桶を納め、火がつけられた瞬間。
炉の中でなにかが暴れているような、ものすごい音がしましたから……