村娘の恋
初投稿です。よろしくお願いします。
今週も領主様が村を訪れた。
見事な馬に乗り、みなに笑顔を向け変わりがないか確認している。
そして私の前で少し驚いた顔をし馬を止めこう言うのだ。
「こんにちは素敵なお嬢さん。よければお名前を教えてもらえないだろうか。」
なんていうことは起こらない。
領主様を乗せた馬はそのまま私の前を並足で通り過ぎた。
想像するのは無料だ。そんなことはありえないなんてわかってる。
でも村中の娘は同じようなことを考えているのだってわかってる。
それくらい領主様は素敵なのだ。
領主様は若くしてこの領地を受け継ぎ、遠い地へ留学していた知識を生かして
びっくりするくらい私たち農民の生活の改善をしてくれた。
しかも定期的にお菓子をふるまってくれる。
好きになる要素しかない。
さらに時間があるとこうやって顔を見せに来てくださるから
ますます親しみを感じてしまう。
いつもは遠くから眺めているだけだったけど、今日は思い切って通りまで出てみた。
やはり近くだと吸い込む空気すら違う気がする。
妄想の余韻に浸っているとふいに馬の蹄の音が戻ってきた。
何事かと顔をあげると領主様の素敵な顔を真っすぐ見てしまった。
なんということだ。これで一週間は寝ても覚めても領主様の顔を思い出すことができてしまう。
今日はなんてついているんだろう。
あまりの幸福にぼんやりしていると、領主様は馬を私の前で馬をとめこう言った。
「こんにちはお嬢さん。良かったらお名前を教えてもらえないだろうか」
なんということだ。妄想が現実のように目の前に現れてしまった。
私は起きながら夢を見ることができるようになったのか。
こんなニヤついている顔をウィルに見られたらなんて言われるか分からない。
気を引き締めてこの余韻を楽しまなければ。
「お嬢さん?聞こえているだろうか?」
ついに私の妄想を越えて独自のセリフを言い出してきた。優秀な幻覚だ。
「おい、どうした?お前大丈夫か?」
ウィルの言葉に我に返る。
周りを見ると心配そうに村の人達がこちらをうかがっている。
そして目の前には馬から降りた領主様が、目の、前に
「うーーん」
私は倒れた。
ウソ。倒れたのは妄想。ご領主様の質問に答えていないのは本当。
妄想と現実よ逆になって。
もちろんそんなことにはならず、私は慌ててラニという名だと答え、
そのままモゴモゴと口の中で謝罪やら言い訳やらをつぶやきながらその場を逃げ出した。
急に声をかけたことを詫びる領主様の声を背中に受けながらあまりの恥ずかしさに涙をにじませる。
あとこれが不敬罪にならないことを祈った。
「具合の悪そうなお前に領主様が心配して声をかけたってことにしといたけど大丈夫か?」
「・・・ありがと。私にも訳が分からないよ」
次の日、家で籠を編んでいた私のところにウィルが訪ねてきた。
きのうも来てくれたけど、会うのを拒否したのだ。
人と会話できる精神ではなかった。
結局頭の中がぐちゃぐちゃで一睡しかしていない。
恥ずかしすぎてこのまま消えてしまいたい気分だけどそれでも生活はある。
今は収穫が落ち着いたところだから内職でも良いが
ずっと引きこもることはできないだろう。
それでも2,3日せめて1日だけでも世間から離れていたい。
きっとニヤニヤしたしまらない顔をしていた!
さらに返事すらしなかった!
あの領主様に!!
外は明るいのに目の前が真っ暗になる。
でも領主様はなぜただの村人である私の名前を知りたがったのだろう。
端正なあの顔を思い出し表情が緩みかけるが直後に自分の失態を思い出し
編みかけの籠を思わず叫びながら潰しそうになる。
私はもしかしてこれを一生背負って生きていかなければいけないのか。
私が何をしたというのです。ただの妄想じゃないですか神よ。
打ちひしがれる私を見て流石のウィルもいたたまれなくなったのか
「これ、お見舞い」と揚げ菓子を置いて帰っていった。
少し気持ちが温かくなる。我ながら現金な性格だ。
2つ年上のウィルは昔からの気の置けない友人というやつだ。
だから今日は彼以外の人が訪ねてきませんように。
そんな願いも空しく玄関をノックする音が聞こえる。
居留守を使いたいけどさっきウィルが出ていったばかりだ。
居るのはバレているかもしれない。
彼は勝手知ったるで遠慮なく窓からでも入ってくるから今更なのだ。
ノロノロと玄関のドアを開けるとそこに後光の差す天の使いがいた。
違った領主様だ。
「こんにちはラニ。体調は大丈夫だろうか?」
あまりの衝撃に倒れそうになるがなんとか踏みとどまる。
これ以上黒歴史を増やすわけにはいかない。
「ご、ごりょうしゆさまどうなさったのですか?」
どうなさったじゃない、
目の前で倒れかけて不信な動きをした村人の心配をしてくださったのだ!
しかも名前も憶えてくださっている!!
「せ、せんじつはたいへんしつれいなことを」
「いや、責任を感じてね。今日も突然押しかけてしまってすまない」
「いいえめっそうもございませんこちらこそすみません」
沈黙
辛い。憧れの人の前だから余計この沈黙が辛い。
つい目を合わせないように下を見ていた視線をチラッとあげると
領主様は熱心に私のことを見つめていた。
やめて!穴が開いてしまう!
顔を赤くしてさらにうつむく。
「ラニ、突然こんなことを言う私のことをおかしいと思うかもしれないが私は君を見て運命を感じた。よかったら2人で話ができないだろうか」
私はやっぱり倒れているんだろうか。そして夢を見ているのだろうか。
私の妄想は領主様に微笑んで声をかけてくれる止まりなのに
夢が私の手を離れ思いもしないストーリーを作り出してしまっている。
もはや自分の頭すら信用できないものになってしまったのか。
まったく動かなくなってしまった私の顔を心配そうに覗きこむ天の使い。
私は倒れた。
が、今回も踏みどどまった。農家を甘くみないでほしい。
ちょっと妄想過多なところはあるが体は丈夫なのだ。これくらい乗り越えてみせる!
「な、なぜごりょうしゅさまがわたしに?」
体は丈夫でも心は乙女。ドキドキしないわけがない。
そんな私に領主様はにっこりと微笑まれながら
「君のことをもっと知りたいんだ。あと私のことはクリストファーと」
気が付くと部屋に一人で立っていた。
そして手元には小さな花束と、
次の視察の後森の池で会おうと書かれたメモを持っていた。
クリストファー様のサイン付きだ。
目を開けたまま気絶していたのかな。
倒れるのとどっちがマシだったんだろう。
しかしそんなのはもうどうでもいい。
ご領主様、いえクリストファー様と接点ができてしまった。
しかも会いたいと。
普通だったら詐欺だと思って行きもしなかっただろう。
でもあの人はクリストファー様ご本人だったし、私を騙すメリットは何もない。
なんだろうと私に断る選択肢はない。
私は勢いよく洋服タンスを開け、来る日のための服を吟味しだした。
「お前、思ったよりも元気になるの早かったな」
「おかげさまで。揚げ菓子おいしかったよありがと」
そうだろうというように口の端を少し上げるウィル。
この人にも心配をかけてしまった。
今日は夕飯のための魚を釣りに来ていた。
ここなら人に会うことも少ないし食材もゲットできる。
数日引きこもっていた私に必要な環境だ。
「しかしなんだったんだご領主様は。心当たりあるのか?」
「いやさっぱり。でも今度2人であ・・・」
ふと、このことは言わないほうがいいのではないかと気が付く。
傍からみたら密会だ。傍から見なくても密会だ。つまり密会なのだ。
口止めはされていないけど、秘密にしておいた方がいいのかもしれない。
首まで赤くなった私を見て怪訝な顔をするウィル。
しかし黙ってしまった私を問い詰めるようなことはせず、
目の前の魚に集中することにしたようだ。
助かった。
「ご領主様は確かに素晴らしい人だけどそんなにいいものなのか?」
「あっったりまえだよ!そんなこと村の中で言ったら村中の女性が敵になるよ!今聞いてたのが私だけだったからよかったけど、ボッコボコにされるよ!」
「暴力ふるわれるのか」
「言葉の暴力だよ。しかも小さい頃のことを蒸し返す系」
「それは怖い」
「でしょう。気をつけるといいよ」
「そうだな」
しばらく川面を見ながらぼんやりする。
ここ連日刺激の強いことばかりだった。こういう時間は久しぶりな気がする。
「で、どこで会うんだ?」
「森の池・・で・・」
忘れていた。ウィルの察しの良さを。
さっき言いかけたことと雰囲気から答えを導きだし、油断したところを突いて答えをもぎ取る。
昔からそうだった。何度煮え湯を飲まされたことか。
「お前、ほんとに領主様とどうこうなれると思ってるのか?」
なれるわけがないし、なるわけがない。そんなの分かり切ったことだ。
あの後タンスの中にドレスの一着もない自分に絶望し、
クリストファー様とまともに喋れていない自分に絶望し、
マナーのひとつもわからずお辞儀ひとつ満足にできない自分に絶望し、
こんな機会を持ってしまった自分に絶望した。
そもそもなぜクリストファー様は私に興味を持ったのか。
一応当事者である私には知る権利があると思う。
今度会う時にしっかりとそのことを確認するつもりだ。
ぽつぽつとウィルにそんなことを話した。
ふーんと言ったっきり黙ってしまったウィルとそこそこの釣果を上げて帰路につく。
「じゃあ、またな」
そう言ってウィルは帰っていったがその日から彼と会うことはなかった。
「どうしよう・・・」
今日は視察の日。
来ていくドレスが、そもそも服がない、ということはどうでもいい。
ウィルに嫌われてしまったのかもしれない。
さらに悪いことに村を出て行ったのかもしれない。
1日会わないことくらいはあるが、3日以上続くことはなかった。
風邪を引いてたってお見舞いだと窓からお菓子を投げ合って交流していた。
なのに家に行っても留守で誰も行先を知らないという。
こんなこと今までなかった。
ウィルがいないということを自覚してからはもうだめだった。
冷静に考えなくても他の男にきゃあきゃあ言う女に好感を持てるはずがない。
それが村中となると出ていきたくもなるだろう。
「確かに田舎と都会じゃ全然違うな。俺もこの人と出会ってよく分かったよ。
お前はお前の幸せを追いかけてくれ」
私とは似ても似つかないゴージャスな女の肩を抱きながら歩き去るウィル。
こんな妄想嫌だ。
鉄の塊でも飲み込んでしまったかのように体も心も重い。
私は何であんなにクリストファー・・領主様にのぼせ上っていたのだろうか。
確かに領主様は救世主だ。天の使いだ。
今まで大変だった労働がやり易い方法になり、
新しい加工の仕方を教えてくれ劇的に収入が上がった。
今度外国の野菜の苗も買ってくださるそうだ。
そろそろ出稼ぎに出ている両親も呼び戻せるだろう。
そして本人は村人にはない洗練された空気と佇まい、
にじみ出る教養の高さはまさに上に立つ者の風格。
そして顔が良い。
でも、ラニの人生に必要なのはウィルなのだ。
今更になって自分の恋心を知ってしまった。
この気持ちと比べたら領主様への気持ちは感謝と憧れだった。
全然違うものだった。
「素敵だね」というと「そうだな」といつも返事をしてくれていた。
どんな気持ちで話を聞いていてくれていたのだろう。
いつも当たり前に近くにいてそれを当然と胡坐をかいてしまっていた。
失ってからでは遅いということを無くしてから知る。
それを知るために手放してしまったものは
二度と元には戻らないということじゃないかと怒りが沸くが
すぐに悲しみに満たされる。
もうどうしたらいいか分からない。
気が付くと日が傾きだしていた。
そういえば領主様はもう視察を終えただろうか。
せめて真意を知ることくらいは私にもできるかもしれない。
ラニはフラフラと約束の場所へ向かった。
「大変申し訳なかった!私の軽率な行動があなたを混乱させてしまった」
森の池に着くとご領主様がラニをを見るなり頭頂部しか見えなくなるほど直角に頭を下げた。
「え、は、いや、あ、頭をあげてください・・・」
まったく想像していなかった展開に訳も分からずなんとか言葉を出す。
「君にその気があるような態度をとってしまっていた。しかしそういう意味合いはなかったんだ。でも君に魅力がないということではもちろんない。」
「で、ではどういう意味が・・?」
「話せば長くなるが・・・」
要約すると留学先でできた恋人がラニに見た目や雰囲気が似ていた。
名前もラーニャで似ている。
国元を離れる決心がつかないと泣く恋人と別れ、傷心でいる時にラニと出会い運命を感じたのだそうだ。
ラーニャとやり直すという運命を。
もしかしたらラーニャと同じ国の出身かもしれない。遠い親戚の可能性もある。
そういう話をしたかったのだが、呼びつけて仕事の手を止めてしまうのは申し訳ない。
だからといって堂々と会いに行くのも最初のお見舞い以降は人の目が気になるかもしれない。
だからこっそり会おうとした結果がこれだった。
心が浮ついていて配慮が足らなくなってしまったと
心底申し訳なさそうに謝るクリストファーを見て
この人は天の使いではなくただの人なのだとラニはようやく悟った。
勝手にこちらが神格化して騒いでいただけで、失恋もするし頭だって直角に下げるのだ。
「彼に言われたよ。その気もないのに大事な女性をたぶらかさないでほしいと」
彼、という単語に心臓がはねる。
もしかしなくてもここで出てくる彼は1人しかいない。
「恋人と寄りを戻すのは結構ですが、
ちゃんとラニをダシにしたことはその人に説明してくださいよ」
横手からのっそりとウィルが出てくる。
たまらずラニはタックルするように抱き着いた。
多少むせさせてしまったが3日ぶりのウィルだ。
「こ”め”ん”ね”ぇぇぇえ」
「いや分かってるし大丈夫だから」
「ううん、ご領主様にのぼせ上ってウィルをないがしろにしてた。
本当に大事なのはウィルって分かってた!知ってたのに!!
ウィル結婚して!!!好きだからずっと一緒にいてえええ!!」
「待て展開が速い」
「本当にすまない、私のせいで破局の危機を作ってしまっていたとは」
「いや、危機じゃないですし。俺らは大丈夫ですし」
「胸がえぐられるようだ・・」
クリストファー様は私と出会ったその日に
ラーニャ様へ自分の思いのたけをつめた手紙を早馬で送っていた。
本当は会いに行きたいけれど簡単に行ける距離ではないので
行くにしても領主代理を立てて安心できてからのつもりだったそうだ。
「彼女も大事だが、君たちのことも同じくらい大事なのだよ」
やっぱりクリストファー様は素敵な人だ。この領地に生まれてよかった。
釣りをしたあの日、ウィルはクリストファー様に抗議するために一人お屋敷へ乗り込んでいた。
ただ思っていたよりも遠かったのと徒歩だったのもあり時間がかかってしまった。
しかもウィルの異議申し立てを受けショックを受けたクリストファー様が
そのまま恋愛相談を始めてしまい帰るに帰れなかったらしい。
後日、ラーニャ様から分厚い返信の手紙が届いたそうだ。
いなくなって初めてその大切さを知った、あなたも同じでいてくれて嬉しいと書かれていたと
クリストファー様が幸せそうに話に来てくれた。
どこかできいた話だ。本当に血の繋がりがあるのかもしれない。
2人は手紙のやり取りを続け、
自分に似ている女性に会ってみたいとこちらへ遊びに来てくださることになった。
そのまま結婚とはいかないが、そのつもりで話は進んでいる。
切っ掛けになったのならダシとしても本望だ。
ラーニャ様としては恋愛成就の天使と感謝しているらしい。
柄でもなくてなんだか体がかゆくなる。
私もこれからはちゃんとクリストファー様のことは人間扱いしていかないと。
到着したラーニャ様は大層美しい方だった。
確かに髪の色や雰囲気は似ているのかもしれない。が、あちらは貴族のお嬢様。
ランクが違う。肌なんて内側から光を放っているようだし髪の毛もツヤッツヤだ。
ラーニャ様に会いたすぎたクリストファー様が
何を見てもラーニャ様に見えてしまっていただけなんじゃないか。
それでも「まぁ、私に妹ができたようね」と目を丸くして嬉しそうにされるとまんざらでもない。
「不甲斐ない私のせいで迷惑を被らせてしまって申し訳ありませんでした。しかし今私が幸せを感じられているのはお二人のお陰でもあります。感謝の念に尽きません」
柔らかく微笑むラーニャ様の後ろに花が見える気がする。
空気まで清浄化されているに違いない。
ふと横に立つウィルを見ると
耳を真っ赤にしながら「いや、そんな、俺なんて」となにやらつぶやいている。
衝撃だった。浮気だと思った。
しかしクリストファー様にのぼせ上っていた過去のある私には何も言うことはできない。
むしろ私と何が違うというのだろう。
私は自分の日に焼けた肌とパサパサの髪を痛いほど意識していた。
今からでも遅くないだろうか。磨いたら少しでもラーニャ様に近づけれるだろうか。
暗い顔をしている私に気が付いたのか、ウィルがこちらを見て口の端を上げる。
「俺だってお前じゃないとダメなんだからな」
「でも耳が赤かった」
「お前も顔中真っ赤になってただろ」
「じゃあお相子だ」
「そうだな」
こうやってまた彼と一緒に過ごしていく時間がとても嬉しい。
「そうだ、結婚の話なんだけどあれ先延ばしにしてもいいか?」
「えっ確かに勢いと唐突さはあったけどやっぱり私じゃ・・・」
「いや、そういう意味じゃなくて仕切り直したい。あと今までの距離感が居心地が良くて友人のままだったけど、一回恋人を体験してから結婚しても遅くないだろ」
「確かに!デートとかしてみたいかも!あれ?でもデートって毎日してることと何か違うの?」
「あんまり変わらないかもな」
でも、とウィルの顔が近づき口になにか柔らかいものが触れる。
「こういうことが今までとは違うかもな」
そして耳元で愛してると囁かれる。
今度こそ私は全身を真っ赤にして倒れた。
ラニは磨くと光りますが、ウィルはそれを望んでいません。