ウン◯マン
「で、遅刻したわけは?」
朝礼から戻る担任とばったり会って、俺は「寝坊っす」と無愛想に返した。なのに隣に並んだ蒼が「違います」と俺の足元を指差した。
「光哉が犬のウンコ踏んで、ケンケンしてました」
「おま、それ、言うか普通!?」
「正直に言ったほうがいい」
「真面目か!?」
言い合う俺たちを見かねて、担任が「ったく」と持っていた名簿で、俺の頭だけを軽く小突いた。
「ま、来ただけマシだ。ほれ、一限の用意しとけよ?」
職員室に入る担任の背中を見送って、俺は小突かれた、痛くもない頭を軽く押さえた。
「なんで俺だけ」
「光哉は普段も不真面目だから」
「真面目だっつの」
二人で階段を上がり、三階の廊下まで出る。担任がいなくなったことで騒がしさを増していた教室へ入れば、友達の四葉幸太郎が「はよ」と椅子に座ったまま手を上げてきた。
アニメに影響されたとかでアッシュに染めた髪は、もうだいぶ痛んで紫になっている。染め直せばいいのに、と前に蒼が指摘したのだけど、金がないから今は染められないらしい。
「はよ、幸太郎」
「なんだなんだぁ、蒼がいんのに遅刻かぁ?」
からかってくる幸太郎に「遅刻してねぇって」と言いながら、幸太郎の後ろの席へと座る。一番後ろの、窓際の席だ。蒼を見れば、俺とは真反対の、一番前の廊下側に座るところだった。
よかった、これなら朝のウンコ事件はバラされなさそうだ。
「朝礼は俺の中じゃ遅刻にカウントされてねぇわけ。つまり、今年に入って遅刻はまだ二回しかしてない」
「二回もしてるんだよなぁ。あんまり蒼に迷惑かけんなよ?」
「うっせ」
別に起きれないわけじゃない。
ただ、理由が欲しいだけだ。
蒼が俺に会いに来てくれる理由を、フォークだとかケーキだとかではなく、だらしない幼馴染を起こしに来るだけ。という、ただシンプルな理由が。
学校生活で困ったことは腐るほどある。
例えば体育なんかはその最たるもので、フォークの俺は蒼の身体だけでなく、体液すらも甘美な食事として求めてしまう。それは汗も例外じゃない。
夏のあの日がそうだったように。
今は自覚もして、だいぶん抑えも効くようになったが、蒼から漂う香りは、正直涎が出るくらいには堪らない。
「まだ午前なだけマシか……」
男子は教室で、女子は更衣室に移動して、体育も男女別で受ける。
「だよなぁ、午後の体育って飯食った後でダルいんだよ」
「……だな」
本音は違うのだが、それを幸太郎に言えるわけがない。蒼は汗をかきにくい体質ではあるけれど、午後だと日差しがきついから、多少なりともかいてしまう。それが俺にとっては何よりもきつい。
なんて憂鬱な俺を知った上で、長袖半ズボンの蒼が「光哉」と近くまでやって来やがった。まだ夏前とはいえ、長袖で暑くないのかこいつは。
「何間抜けヅラ晒してるの。ただでさえ変顔なのに、尚さら馬鹿に見えるよ」
「蒼は俺に嫌味言わなきゃ気がすまねぇの?」
「嫌味? ほんとのことなんだから嫌味にならないでしょ」
「お前さぁ、ほんとさぁ……」
上着を脱いで半袖を頭から被る。
体育は男女別で、他のクラスと合同だ。着替えて校庭へ出れば、なんでも今日は、ペアを組んで千メートル走を測り合うらしい。こういう時に組むペアはいつも蒼だ。
「で、今日はどっち先走る?」
準備運動をしながら話を振る。
蒼は少し気怠げに、少しだけ考えてから「俺が先」とタイムウォッチを投げて寄越してきた。それを舌打ちと一緒に右手で受け取って「うい」とだけ返事した。
体育教師の合図で男子の半数が走り出す。
最後尾を走る蒼は、いつも通り手抜きをしている。汗をかかないよう、あれで気を使っているつもりなのか。長袖なのも、なるべく肌を見せないようにだ。
「……気ぃ、使いすぎなんだっつの」
いや、わかってる。
俺のせい、なのだ。俺の勝手なわがままを通した結果、蒼に窮屈な思いをさせてしまっている。
今ならまだ、少し遅くフォークが発現したと言えばいい。カチリと音がして握りしめたストップウォッチを見る。
「あ」
無常にもタイマーは止まり、蒼の走りは無駄になってしまった。




