壊れた幸せ
ある村に一人の少年が居た。
その少年の名はハイル。
クレヴァロン王国とシャルトレナ獣人王国の国境近くの小さな村に住む少年は、冒険心に溢れ大人に言いつけを破っては度々叱られていた。
血を血である戦争が終わって早80年、昨年は戦争を終わらせた英雄初代国皇アルマがなくなり、広告を含む全ての国が悲しみに包まれた一年だった。賢皇でもあったアルマは皆に愛されながら、最期は家族に見守られながら亡くなったという。
しかし、時代の英雄が全ての者にとって英雄だったかというと、そうではなく一部の者にとっては嫌われてもいた。ハイルが住む村はアルマを嫌っていた一部の者たちである。確かにアルマは戦争を終わらせたかもしれない。だが愛する人たちは戦争が終わっても帰っては来ないのである。異種族に愛する人を殺された人達が集まって造られた村、それがハイルの住む村である。人種族の村にしては珍しく異種族との交流を禁じていたこの村では、人間至上主義が掲げられていた。
村の掟にある一文
異種族との交流を禁ず
このような掟を周知させ村人が掟を破ったのならばきつい折檻が待っているという。また異種族を嫌っていた大人達は自らの子供たちに彼らの悪い点ばかりを伝え、子供たちは異種族のことを恐れたため他の種族と交わることはなかった。
そう、これまでは……
「じゃあ母さん、いってきまーす!」
「あっ!こらっ!まちなさい!今日の畑仕事はどうするの!
…全く元気だけは良いんだから。…森には入っちゃいけないからね!」
遠くから元気のいい返事が聞こえる。しかし冒険心に溢れた子供は掟ごときに縛られるはずもなく、嬉々として村の近くの森の中に入っていった。そう獣人種族が住む森の中へと…
暗い森の中いい感じの棒を片手にハイルは進む。調子はずれの歌を歌いながら。そんな中ハイルは開けた場所に出た。そこには鳥の翼を背負った少女が陽の光を浴びていた。ハイルは己と違う姿をした美しい少女に見とれ思わず声をかけた。
「何をしているの?」
声を掛けられた少女は振り返り少年の姿を目にすると警戒の色を携えて答えた。
「別に何も。それよりなんでニンゲンがここに居るの?」
「僕はハイル。森で探検してたらここに出ちゃったんだ。」
「そう…なら早くここから出ていったほうが良いと思うよ。この近くには村があるから」
少女はそう言うと翼を広げ飛び立とうとした。しかしハイルはそれを遮るように声をかけ話を続けた。
「ねえ待ってよ。」
「なに、ニンゲン。」
「だからハイルだってば。それより君のことを教えてよ。君ってあの獣人種だよね、名前はなんて言うの。村って獣人種の村?」
少女は警戒しつつ答える義理は無いと言わんばかりに大きく翼を広げる。
「待っててば。せめて名前だけでも教えてよ。」
少女は小さくため息をつくと渋々と己の名を告げた
「私はカルナ。これでいい?それよりさっさと帰ってニンゲン」
「だからハイルだってば。そっか、じゃあねカルナまた明日!」
「もう私はここに来ないと思うけど…さよならニンゲン」
少女…カルナはそう言うと翼を広げ自分の村があるであろう方角へと飛び去っていった。
ハイルもまた自分の村がある方へと駆け出していった。
この交わりは後に世界を大きく変えていく者たちの初の交わりである。だがそれを知っているのはまだ誰もいない。
翌日、ハイルは再び森の中に入っていた。それは昨日会ったあの少女と話すため。ハイルは森の中を進む。あの広場に再び出るため。しかしハイルが今進んでいるこの道は、昨日とは違う道を進んでいた。
カルナが見つけたのは偶然だった。たまたま窓の外を見ていたら、見覚えのある少年がこちらに向かって歩いてきているではないか。少女はわずかに逡巡し、少年を助けることに決めた。
「おかーさん、ちょっと散歩してくる」
「そう、森の外には出ないようにね。もしニンゲンと出会ったらすぐに帰ってくるのよ」
「わかってる」
村の者に見つからないように、いつも使っている抜け穴から抜け出すと、カルナは飛び立ち少年…ハイルの元へ向かった。そしてハイルの背後に静かに降り立つと、ハイルの口を抑え囁いた。
「なんで昨日のニンゲンがここに居るの?…このまま昨日のところに行くよ」
ハイルは初めに驚き、自分を押さえているのがカルナだとわかると暴れるのを止め小さくうなずいた。
昨日の広場に着くや否やカルナは激高した。
「なんでここに居るの!ここには来たらいけないってば!」
「だってまだこの森の探検が終わってないし、君にも会いたかったから」
「それでも!」
「そんな事よりさ、お話しようよ。君…カルナはこの森のこと知ってる?実はうち少し貧しくてさ、木の実や食べられるものがあったら教えてほしいんだけど」
少女は絶句した。このニンゲンは話を聞かないのかと。それでも答えなければニンゲンを止める術は無く、またしても渋々と答えた。
「……この森に住んでいるから少しは知ってる。私が知っている食べれるものは教えるから教えたらさっさと帰りなさい」
ハイルは喜んだ。実はハイルの家は決して裕福とは言えないものの、それでも毎日を送れるだけの貯蓄は十分にあり、厳しい日々を送っているわけでは無いのだ。ハイルはカルナと
話すことができたと喜び、その横にいるカルナはハイルのペースに巻き込まれうんざりしているという、実に対象的な二人だった。
この邂逅は数日で終わるはずもなくハイルは毎日森の中に進んでいった。村の大人達はそのことに気づきつつも、毎日森の恵みを持ち帰るハイルを厳しく叱ることはできず、気づかぬふりをする他なかった。カルナもまた自分を慕ってくれるハイルのことを無下にはできず、結局ハイルに付き合い森の中で逢瀬を交わしていた。
それは二人の邂逅から数週間がたった頃だった
「ハイル、今日は何をする?」
それを聞きハイルはとても驚いた。なぜなら昨日まではニンゲンとしか呼ばれて居なかったからだった。たんび修正していたものの、カルナからは「ニンゲンで良いでしょ」と言われ「良くない」と返す、これが日常だったため初めて名を呼ばれ驚きつつも嬉しかった。
「なんで名前を呼んでくれたの?」
「別にもうただのニンゲンじゃなくなったから…」
それを聞いたハイルは頬を赤く染め思わず顔を逸らす。ただカルナは自分が告げた言葉の意味を深く考えていなかった。カルナは正しく言葉通りの意味を伝えたつもりだったが、その言葉をハイルは「自分がカルナにとって特別な人物になれた」と勘違いしてしまったのだ。
ある意味においては特別なニンゲンだったが、それはカルナの知識の中にある残虐で恐ろしいニンゲンとは異なり、自分に危害を加えないおかしなニンゲンという評価になり、それならばニンゲンと言い続けるのは失礼だろうとカルナは考え「ハイル」と呼ぶようになったのだ。
それからも二人は毎日逢瀬を続けた。二人で森を駆け回り、ときにはカルナがハイルを抱え空を飛ぶこともあった。
「ねぇハイル、私には夢があるの。いつかこの世界を飛び回って正確な地図を書く。そんな夢が。私のこと子供っぽいって笑う?」
「笑わないよ。すごくいい夢だと思う。僕には夢が無いから、夢があるカルナが羨ましいな」
二人が過ごした穏やかな日々は唐突に終わりを告げた。
ある日いつもと同じようにハイルは二人が出会った広場に行きカルナが来るのを待った。
木々の隙間から暖かな陽の光が差し込みハイルのことを照らす。
静かな森にはなんの音も響くことはなく、むしろ痛いくらいに静まりかえっている。
幾度か森の動物が通り過ぎハイルのことを見つめていた。
しかし太陽が昇り切り沈んでしまっても、ついぞカルナが現れることはなかった。
ハイルは嫌な予感がしつつも体調が悪かったのだろうと考えその日は家に帰った。
結局その日以降ハイルのもとからカルナは姿を消した。
カルナがハイルのもとに来なくなってから数年、ハイルは立派な青年になっていた。
あの日以降毎日森に入り今日こそはと願い続けるも、未だカルナは現れない。
森で叫んでみたこともあった。怒ってもみた。冗談と笑い飛ばし、探したこともあった。
それでも、ハイルのもとにカルナは現れなかった。
そんなある日ハイルは皇国に行く機会ができた。
今までにためたお金を持ち何を買おうとワクワクとした気持ちで準備する。少年だった頃の冒険心は消えることはなく、今なお続いているその気持ちは未知の塊である皇国に期待を寄せる。自分が皇国に行っている間にカルナが現れるかもしれない、そんな気持ちで広場には看板を残していった。
ハイルが皇国についたときの感想は一言「騒がしい」
一見すると悪い感想にも聞こえるこの言葉は実は肯定的な言葉だった。
あらゆるところから客引きの声が聞こえ、人々の顔には喜びが溢れていた。
しかし全ての人々がそうかと聞かれると否としか答えられない。
一部の人の首には重厚な首輪が付き、その人々の顔には絶望が浮かんでいた。
ハイルはその人たちが気になりついて行ってしまった。それが幸福へと繋がったのか、あるいは不幸となったのかは誰にもわからない。ある点から見れば、それは久しい出会いであり、また別の視点から見れば知りたくなかったものでもある。
そう、そこは奴隷商でありハイルは懐かしい顔が売られているのを見てしまった。
数年ぶりに出会ったその少女の肌は荒れ、美しかった顔は焼けただれ、夢を語ったときに輝いていたその瞳は深い絶望に飲み込まれもう何も写してはいなかった。
ハイルは思わず殆どの所持金をなげうち少女を買った。
「カルナ…久しぶり」
「っ!ごめんなさい!なんでもしますから、今度は売らないでください!」
ハイルは言葉を失った。カルナは自分のことを前の主人だと思っているらしい。
はたしてこれまでにどのようなことをされてきたのか。どのような仕打ちを受けてきたのか。ハイルは怒りで我を忘れそうになったが、わずかに残った理性で怒りを納めた。
宿を取りそこでカルナと二人っきりになっては話しかける
「久しぶりカルナ。僕だよハイルだよ」
「………」
こちらを見つめるカルナの目には光が差し込まず、答えることはなかった。それでもハイルは根気強く話しかけ続けた。
「…………は……い…る………?……っはいる!」
思考の海を漂っていたカルナは幼い頃を思い出したのか、ハイルに気づく。ハイルは駆け寄り抱きしめ囁いた。
「もう……大丈夫だからね……」
その言葉に安心したのかカルナは初めは小さな声で、そして徐々に大きな声で泣き始めた。
カルナは今まで押し殺し続けた感情が溢れ出したのか一晩中泣き続けた。その間ハイルはカルナを抱きしめ、頭を撫であやし続けた。
空が白みだした頃には泣きつかれたカルナはハイルの胸で眠ってしまった。
それからカルナは徐々に昔のカルナに戻りつつあった。感情を表にはあまり出さないけれど感情豊かなカルナに。しかしそれと同時に悩みも抱えているようだった。ハイルは悩みを抱えていることに気づきつつも、そのことは大丈夫と言われ追求することができなかった。
ある日ハイルはいつものように仕事から帰ってきた。しかしその日はいつもと違いカルナの返事はなかった。不思議に思ったハイルは部屋の中に進むと、奥から血が流れていることに気付く。そこには胸から血を流したカルナが倒れており、その手には包丁が握られている。カルナのそばには血に濡れた便箋があり、そこには謝罪の言葉と自分は汚れているということ、そして自分にとらわれず自由な人生を送って欲しいと言うことが綴られていた。
ハイルは言葉を失い、崩れ落ち涙を流した。
自分がしたことは正しかったのか、間違っていたのか。
ハイルだと告げずに幸せにしてやれば良かったのか。
幸せにしてやることはできなかったのか。
自分に問いかけるも答えが出ることはなかった。
しばらくしてハイルはゆっくりと立ち上がった。ハイルの目は深い絶望に包まれストレスからか髪は白く染まっている。男のたくましさが際立つその顔には悲しみが刻み込まれていた。
俺にはカルナがいた。カルナしかいなかった。カルナが居ない世界なんていらない
「俺は…カルナを壊したこの世界を破壊する」
ここでこの世界の情報を確認しよう。7種族のうち、人種族を除く6種族には種族固有の魔法がある。だが基本的に人種族には種族固有魔法は無い、しかしほとんどの魔法を使うことができる。だがしかしこの時ハイルは魔法を産み出し、自らの体に定着させた。
その名もディナイアル。
否定の名を冠したこの魔法は、通常の理から外れたイレギュラーな魔法だった。敵の存在を否定し死にいたらしめる。その魔法を防ぐことなど不可能。まさに理外魔法。
ハイルは最初にカルナと再会したあの奴隷商に向かった。カルナを傷つけたものを調べるため。奴隷商ではカルナの取引履歴が詳細に残っていた。
カルナは美しかった。そのため多くの貴族に目をつけられ、買われた。
貴族はクズの集まりだった。手や足を切り落としてはどのような声で鳴くのかを試す奴や、自分の魔法の標的にし逃げ切れば開放してやると言い実際には逃がすことなく、魔法で殺し嘘をつくような奴。
ハイルはカルナを買ったその一つ一つを潰して回った。自分の怒りの向くままに。
そしてカルナを売り飛ばした者がわかった。それはカルナと出会った場所のすぐ近くで、カルナが警告した場所。
カルナの出身の村。
ハイルはすぐにカルナの出身の村に向かう。森に入り進み続ける。二人が逢瀬を続けた広場は雑草に覆われハイルが立てた看板は風化し刻み込んだ文字が見えなくなっていた。しかしハイルはそれに目を向けず、いつもカルナが帰って行った方向へ歩み続ける。
やがて小さな村にでた。獣人達は驚き、戸惑い、それがニンゲンだとわかると武器を構え立ち向かう。
「何故カルナを売った」
ハイルの問いかけに獣人達はなんのことかわからず記憶を探る。やがて自分たちの村にそのような名をした少女がいた事を思い出すと、一人が小さく呟いた。
「ニンゲンと会っていたからだ」
そしてそれは大きな叫びとなった。
「ニンゲンなんかと笑い合っていた!」
「ニンゲンと会話していた!」
「村の掟を破った!」
「恐ろしいニンゲンの味方をした!」
その叫びを全て身に受けたハイルは大きくため息をつきつぶやいた。
「もう…いい……」
刹那、ハイル…いや悪魔から大きな魔素のうねりが生まれ獣人たちを襲った。
否定の魔力が込められたうねりはまたたく間に獣人たちを殺した。
数分後、一人を除きこの地から生きるものはいなくなった。
「こんな世界滅びればいい」
そう呟いた悪魔は、皇国へと行き殺戮を開始した。
多大な犠牲を出しつつも悪魔は捕らえられすぐに処刑された。その悪魔は処刑されたときに笑っていたと言う。
事の仔細を知った国皇は二度とこのようなことが起こらぬようにと奴隷制を廃止した。
しかし、それは表舞台から奴隷が消えただけだった。
今も国の陽が当たらぬところでは密かに奴隷として売り買いされている。
はたして次はいつ悪魔が産声をあげるだろうか。
それは神のみぞ知る、といったところであろう。