エピローグ・雪、降り積もる夜に
旅人がその村を訪れたのは、雪の降り積もる夜のことだった。
この地方では毎年、冬になるとかなりの積雪量があり、近隣の村々との往来もすべて寸断されてしまう。
人々は冬に備えて薪や食糧を備蓄し、冬が到来すると、ただじっと春の訪れをまって過ごす。
よって、この時期に村へ旅人が立ちよるのは、かなり珍しいことだった。
旅人は雪の舞いおちる中、村の中央路を手元の小さな明かり一つを頼りにすすむ。
戸外にはすでに人気がなく、静寂につつまれた村に旅人が雪を踏みしめる音だけが響いている。
目深にかぶった外套全体にうっすらと雪がつもっていた。
しかし、それ以外にはザックを背負うでもなく、ひどく軽装でおおよそ雪道を旅してきたとは思えない出で立ちだ。
そして旅人は、村で唯一の鍛冶場に隣接する一軒家に迷うことなく到着し、その戸口にたった。
手元の明かりをけし、肩の雪をはらう。そしてドアを軽くニ、三回ノックして住人が出てくるのをじっと待った。
ややあってドアが開く。
顔をだしたのは中年の女性だった。
二言、三言会話をし、旅人はすんなりと家の中に招きいれられる。
部屋の中には薪のくべられた暖かい暖炉があった。
ときおり、木々のはぜる音が響き、火の粉が舞う。
少々隙間風の吹く古びたつくりの家ではあったが、呼吸をすれば喉が凍りつくかのような外の世界にくらべれば、ここは遥かに暖かく十分に快適といえた。
「上着をこちらへかけてくださいな」
女性の声に応じ、旅人は外套をぬいで手渡す。
同時に雪のように白く透きとおった肌と整った面立ちが露わになる。
腰まで伸びたブロンドの髪が暖炉の光をうけて、黄橙色の美しい輝きを放っていた。
「おじいさんにこんなに若くて綺麗な女性の知り合いがいたなんて」
彼女が外套を壁にかけながら、さも楽しそうに言う。
「今夜は特に冷えるでしょう? どちらの村からいらっしゃったの?」
「太陽の塔から」
旅人はそう短く言葉をかえした。
女性はしばし中空に視線を走らせ記憶をさぐる仕草を見せたが、特に思い当たることもなかったのだろう。気にする様子もなく、それ以上は聞こうとしなかった。
「さぁさ、暖炉にあたって暖まって」
あ、ありがとう。旅人は促されて、初めて寒さと暖炉の存在に気づいたかのように腕をさすり、暖炉へ近づいて炎に手をかざした。
「あの、ニムは……ニムさんの病状はいかがでしょうか?」
旅人の問いかけに反応したように、女性の足元からまだ幼い少年が顔をだした。
少年は魅入られるように旅人を見上げている。
「ニム!?」
旅人は思わずその名を呼ばずにはいられなかった。
「そう、この子はニムよ。じいちゃんから名前をもらってね」
紹介を受けると少年ニムは照れたように頭をかいて、小さなかわいらしい会釈をした。
「これっ、ニム。ぼーっと見とれてないで、じいちゃんを起してきな」
女性は少年を足で背後へ追いやる。
「まったく男ってやつはいくつでもおんなじだよ。ちょっとべっぴんさんだからって……」
あらやだ、そう言って女性は自分の手で口をふさぎ、そそくさと奥の間へ消えた。
ややあって、奥からニム少年が顔をのぞかせる。
「お姉さん! こっちこっち!」
手招きに従って旅人が奥の一室に進むと、やや薄暗い室内にベッドの上で腰を起した老人の姿があった。
「まさか君か。あの時の」
老人は彼女の姿を一目見るなり目を見開き、やや興奮気味に声をあげた。
寝たきりの生活が長いのか、白髪がみだれている。
やせた二の腕には、かつて鍛冶屋の棟梁として腕をふるったころの証しを示すかのように、いくつか火傷のあとが残っていた。
老人は雪の日の稀人に興味をそそられて、部屋の入り口から顔を覗かせていた少年にこう言った。
「おじいちゃんはこの人と大事なお話があるんだ。あっちで遊んでおいで」
後ろ髪を引かれながら少年が部屋をあとにするのを確認し、旅人は口を開いた。
「子供の頃のあなたにそっくりね。なぜだろう、会ったことはないのにとても懐かしい」
老人は彼女にベッド脇の丸椅子をすすめ、彼女もそれに従った。
「会っているさ。覚えていないだけだ」
老人の言葉に彼女は微笑みながら、そうねと答える。
「君はまったく変わらないな、あの時のままだ」
老人は遠くを見つめるように目を細め、そして懐かしそうに語りはじめた。
「あれは、不思議な体験だった。あの後、気がつくとみな森の中で眠っていたんだ……。翌朝、村へ到着すると子供達が元気に出迎えてくれたよ。マッコイは娘の足にすがって泣いていたな」
彼女は微笑みを湛えたまま、老人の話に聞き入っている。
「ティルパは村に居づらくなったらしい。母親の遺骨を墓から掘りかえして村をでて行ってしまった……」
彼は傍らの彼女の存在を確かめるように視線をむけ、ゆっくりと正面へもどす。
「あれ以来、どれだけ探しても塔へは近づくことができない。あれは夢だったのかと考える毎日だよ」
老人は弱々しく笑いながら昔話を締めくくった。
彼女も声をださずに笑い、「そうね、一人の少女のかわいい夢物語だったのかも」と答える。
「あなたは変わったわ。人間だもの仕方がないことだけど」
彼女は心配そうな表情で老人の手をとって自分の手を重ねた。
その雪のように白い手と反対に老人の手はしわがれて、しみだらけだ。
彼女は愛しげにその手をなでながら老人に問いかけの言葉を紡ぐ。
「病気の具合はどう?」
「君が今、ここにいるということは、そういうことだろう?」
老人は再び、笑みを浮かべてみせる。
自分の死期は悟っている、暗にそう告げているのが彼女にはすぐ理解できた。
「あなたはずるいわ。一人だけ幸せになって、一人だけ年をとって、そして一人で先に――逝ってしまうのね……。いいえ、違うわ。一人じゃない。あなたにはむこうで待っていてくれる人がいる」
彼女は壁にかけられた絵画を横目に見ながら、それが彼とその伴侶の若かりし頃であることを確信してそう言った。
「君も結婚すればいい。君の母親がそうしたように子を生み、そして育てるんだ」
老人がいうと彼女は冗談のように笑って言う。
「魔女の子に父親はいないのよ」
老人は、ぽつりとつぶやくように言った彼女の眼差しに一抹の寂しさを感じ、声を出して笑うことができなかった。
暫しの間、二人は何も語らず、その眼差しと表情で言葉で交わすよりも多くの想いを伝えあうことに時間を費やした。
それは重苦しいものではなく、思いやりとやすらぎに満ちた時間だった。
「そろそろ体に障るわ」
彼女が腰をあげ、老人がベッドに体を横たえるのを手伝う。
「最後に会えてよかった」
老人が柔和な笑みで告げると彼女は腰をかがめ、彼の額にそっと口づけをする。
「もう会うこともないでしょう、ゆっくりおやすみなさい」
彼女はそう言って老人の額に手をおいた。
彼は静かに目を閉じ、そしてそのまま深い眠りについた。
お読みいただき、ありがとうございました。
やっと終わりました!
本来はもっと短い話の予定でしたが、二人のサブキャラが予想外に暴れてくれたおかげで倍近いボリュームになってしまいました。
おかげで、主人公ニムは影が薄くなってしまい・・・。
今回、一番の目的だったメディの想いを遂げさせてあげられたので、それだけでも努力が報われたかな?
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。他の作品にも目を通して頂けるとうれしいです。
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それでは。