第一話、1日目
猿渡洋介こと俺は、一言で言うと順応性が高い。
小学生の頃は転校することが多かったが、大抵は初日で馴染んだ。その日の夕方には「転校生? うちのクラスにいたっけ?」と約半数に言わしめた。
中学生の頃は有名な不良クラスに入ってしまったが、一度も絡まれることはなかった。気配を絶つ術を身に付けたのはその頃だ。
高校生の頃に京都で迷子になった際は、同じく修学旅行で来ていた他の高校に紛れ込んだ。意気投合した彼らと枕投げを楽しんだのはいい思い出だ。
詰まるところ俺は、周りに溶け込むのが非常に上手いのだ。誰にも負けない特技と言って良い。
周囲の環境に合わせる『順応性』をステータスに換算するならば、俺のそれはカンストしていることだろう。
だが――。
「ウホッウホッ!」
「ウォッホ、ウォッホ!」
「ウホッウホッ、ウホッホ!」
部族民に囲まれているこの状況は、溶け込むには些かハードが過ぎるのではなかろうか。
今の状況に至るまでの流れを説明するならば、以下の通りだ。
何の脈絡もなく、どことも知れぬ草原で目が覚めた俺。呆然としていると、槍を持った部族民に周囲を囲まれてあっという間に捕縛。俺は着ていた服を全て剥かれて全裸に。あれよあれよと村に運ばれた後、両手足を棒に縛り付けられて、背中を火で炙られているところである。
豚の丸焼きならぬ、人間の丸焼きにされそうな勢いだ。
縄を解こうと身を捩ってみるが、宙吊りにされた身体が振り子のように揺れるだけで、解ける気配はない。
俺の周囲には「ウホウホ」と吠える半裸の部族民たち。俺を焚き火で炙りながら、神様にでも捧げるかのように奇怪な舞いを踊っている。
男は腰巻き、女は加えてサラシ。男女共に口を窄め、顎を上下させながら「ウホウホ」と吠えている。
もう一度言おう。俺は順応性が高く、周りに溶け込むのが上手い人間であると。
だが敢えて言おう。限度があると。
さすがに捕らえた人間を炙りながら踊り狂う人種と交わす言葉など、俺は持っていなかった。
「あ、あの……」
俺は恐る恐る部族民たちに話しかける。
一応は村をこしらえているし、何かしら信仰心もある。文化がある証拠だ。
ならばコミュニケーションを取り、誤解を解くことができれば、きっと解放してくれるはず。
「ウホッ?」
当の部族民たちは「何か言いたいことでもあるのか?」とでも問いかけるように首を捻る。
俺はその反応に一縷の希望を見出し、なるべく穏やかな口調で話しかけた。
「あの。何か行き違いがあったようですけど、俺は怪しい者じゃありません」
部族民たちはじっと俺の言葉に耳を傾けている。
言葉が通じているかは定かではないが、どうやら俺の話を聞く気はあるらしい。この様子だと、敵意がないと訴えれば何とかなるかもしれない。
届け、俺の思い!
「もしかしたら縄張りを侵してしまったのかもしれませんが、それはたまたまなんです。皆さんに害を加えるつもりもありません。無害な一般人です。
今からでも仲良くなりましょう? そりゃ出会い方は最悪かもしれませんが、その分だけ絆はより深まると思うんです。あ、そうだ。何か困ってることありませんか? お手伝いさせ――」
「ウホーーッ! ウホーーッ!」
「ウォッホッ! ウォッホッ!」
懸命に説得をしていると突然、部族民たちが天に向かって雄叫びを上げ始めた。
一斉に胸を叩いてドラミングする様子はまるで威嚇。興奮状態にあることは明らかだ。
出会い方が最悪って言ったのが悪かったのか?
困ってないか聞いたのが癪にさわったのか?
ていうか多分言葉通じてない! 長話にイラついただけだコレ!
「や、やめろ! 追加で薪を焚べるのはやめてくれ!」
何人かが焚き火に木の切れ端を放り投げる。
燃料が増えたことで火の勢いはさらに増し、俺の背中を炙ろうと一層に燃え盛る。
「ウホッ、ウホッ。ウホッ、ウホッ」
部族民たちが再び舞いを踊り始めた。
どこからか鳴り響く太鼓の音。槍の柄底で地面を叩く規則的な音。俺の背中から漂ってくる体毛が焦げた匂い。
これはマズい。いよいよ死ぬ。殺される。
死のカウントダウンに気が狂いそうになった俺は、やぶれかぶれになって絶叫した。
「う……ウホーーーーッッ!!」
苦し紛れの叫び。
これで事態が好転するなどとは露とも思わない。
だが無駄だとは分かっていても、叫ばずにはいられなかった。
「……!」
数秒ほどして気付く。
あれほど騒々しかった部族民たちが、一様に動きを止めている。困惑を隠せない様子で、お互いに顔を見合わせている。
俺はそこに僅かな活路を見出した。
「ウホウホッ! ウホッウホッ! ウホゥウホゥ!」
俺は畳み掛けるように言葉を繋ぐ。
自分では「俺は敵じゃない、君たちの友人だ、危害は加えない!」と伝えているつもりだ。
彼らの顔色を見たところ、どうやら言葉の意味は通じているらしい。少なくとも敵意がないことだけは分かってくれたような気がする。
この機会を逃す手はない。俺はさらに友好を伝えようと口を開きかけた。
が、ちょうどその時、村の奥から一人の男が歩み出てきた。周りの部族民たちが道を譲るのを見るに、村の中でも相当地位が高いのだろう。もしかすると村長かもしれない。
「ウホッ?」
男は精悍な風貌に相応しい、重低音の言葉で俺に話しかけた。
今度ははっきりと分かる。彼は今、「それは本当か?」と聞いたのだ。
ならば返す言葉は決まっている。
「ウホッ。ウホウホッ」
――本当だ。俺は敵じゃない。
村長は俺の瞳をじっと見つめる。
その眼力に負けそうになるが、ここで目を離せば先の言葉は嘘だと判断されてしまうだろう。俺もじっと村長を見つめ返す。
暫しの沈黙の後、先に視線を外したのは村長だった。
「ウホッ」
その言葉を合図に、何人かの部族民たちが俺の方に近付いてきた。
火に砂をかけて消火し、俺の手足を縛り付けていた縄は石器ナイフで切断。俺は晴れて自由の身になる。
本当ならこのまま一息つきたいが、とにもかくにも礼は尽くさねばなるまい。
俺は村長と思しき男の方に向き直ると、その場に跪いた。
ありがとうございます、と言いかけて、日本語では通じないだろうと思い直す。感謝は彼らの言葉で伝えねば。
「ウホゥ」
俺が短く謝辞を述べると、男はゆっくりと頷いた。
どうやら俺の気持ちは伝わったらしい。
「ウホ。ウホウホウーホゥ?」
お前はどこから来た? そう言っているのだろう。
残念ながら俺自身、なぜこんな場所に来てしまったのか心当たりはない。気付けば草原で目が覚めて、そのまま彼らに拉致されてしまったのだ。
そもそもここが一体どこなのかも分からないし、日本から来たと説明しても話が拗れるだけだろう。質問の答えになるようなことは何も言えそうにない。
俺は分からないと答えることにした。
「ウホウホ。ウホッウホッ。ウホホホゥ」
――分からないならそれでもいい。大事なのは言葉が通じることだ。敵でなければお前を歓迎しよう。
意外なことに、村長らしき男は俺を歓迎すると言ってくれた。てっきり出自不明の俺は、良くて追放、悪ければ再び縛り上げられて殺されるかだと思っていたのに。
先程までとは違いすぎる対応に戸惑ったが、俺は大人しく感謝の言葉を述べる。
歓迎してくれるというのなら断る理由はない。断るのはむしろ失礼だ。
「ウホッ」
部族民の一人が獣皮の腰巻きを手渡してきた。これを身に付けろということか。
元から来ていた服は全て剥かれて、俺は現在全裸。直前まで炙られていたこともあって別段寒くはなかったが、ありがたく受け取ることにする。
腰巻きを紐で縛り、とりあえず格好を整えた俺は、村人たちの案内で住居の一つにお邪魔した。
住居は藁を重ねた円錐形で、床は五人も座れば一杯になるほど狭い。イメージとしては、森の奥深くの先住民が住むような竪穴式住居といったところか。
俺は村長らしき男の後に続いて、住居の下座に座る。
「ウホウホ、ウホッ。ウホウホウホッ」
――この村に近付く者は、言葉も通じぬ蛮族ばかりでな。お前もその同類かと勘違いしたのだ。
なるほど、だから問答無用で俺を炙ったのか。でも言葉が通じると分かって、俺を受け入れることにしたと。
言葉が通じるだけで歓迎って、ハードルが高いのやら低いのやら。
蛮族うんぬんについては、とりあえずスルーだ。
敷き藁の上で二人、しばらく途切れ途切れに話をしていると、村人たちが大きな葉の包みを持って来た。葉が広げられ、中身が露わになる。
その中身を見て、俺は思わず呻きそうになった。
葉の上で蠢いていたのは、大量の真っ白い幼虫。寸胴な胴体を伸縮させながら、うねうねと親指サイズの身体をくねらせている。
「ウホッ」
食え、と言われましても……。
確かに昆虫食は人類全体で見れば珍しくはない。今後の食糧難を解決する手段として研究もされていると聞いた。
だが現代日本で生きてきた俺としては、かなり抵抗がある。
そもそも幼虫って生で食べるものだっけ? せめて焼いたりしないの?
だが、いや、しかし……。
「ウホッ?」
食わないのか? と村長が問いかける。
その語調に警告のようなものを感じ取り、俺は急いで「ウホッ!(食べます!)」と返す。
歓迎するとは言っていたが、まだ完全に警戒が解けたわけではないのだろう。
これはきっと俺が本当に敵じゃないことの確認。友人であることの確認だ。
ここで食べねば、結果は火を見るよりも明らか。
郷に入りては郷に従えという言葉もある。今こそ俺の才能である、順応性の高さを発揮する時だ。
俺は意を決して幼虫を掴んだ。よく見ると無数の足が生えている。
え、何これ本当に幼虫?
村長の視線を感じる。外から覗き込む村人の視線も感じる。
覚悟を決めろ。生きるんだ。幼虫を踊り食いして生き延びるんだ。
俺は皆に見守られつつ、うねうねと動く幼虫を口に運ぶ。
グチュ。
生きた幼虫を噛み潰す感覚。口の中一杯に、苦味やら酸味やらよく分からない味が広がる。
あまりの異物感に喉が反射的に吐き出そうとするが、俺は無理やり胃の中へと流し込む。
俺が幼虫を飲み込んだのを見て、村長は初めて笑顔を見せた。
「ウホッ。
(ようこそ、我が村へ)」
その笑顔に対して、俺は頬を引きつらせながら笑顔を返す。
こうして、俺の新たな生活が始まった。