地獄入門
下駄箱をあけると、シューズの中にゴキブリの死骸とセミの首がたくさん入っていた。
チキショーとつぶやきながらも、少年は汚い字で岸本と書かれたシューズの中から、死骸をかき出していった。
が、かき出す場所が悪かった。
ここは下駄箱であって、皆が嫌でも通らなくてはいけない学校の入り口だったのである。
玄関に虫の死骸が転がる様を見て、女子はみんなひそひそと岸本の悪口をつぶやき始めた。
つぶやくといっても、当然本人に嫌がらせをするためにつぶやくのだから、ちゃんと聞こえる程度の音量を弁えてのことであるが。
素手でやってる、気持ち悪い。
腕や足がポロポロ取れてる、汚い。
虫をバラバラにして八つ当たりするなんて、残酷。
そんな野次を聞いても、岸本少年はそういうことに慣れていたので、何も感じることはなかった。
彼は既にそれ以上のことを今まで受けてきているのである。虫の死骸をシューズに入れられるのだってそうだ。泣く所かイライラすることすら馬鹿馬鹿しいのだ。
妙にしれっとした顔をして、彼はわざとらしく砂埃を払って野次馬を遠ざけると、死骸を拾い上げて犯人へ報復してやろうと考えた。
外野の適当な悪口は許せても、お気に入りのシューズを汚したことは許されない行為だった。
大好きだった祖父が、死に際に看護婦へ頼んでまで買ってくれたシューズ。もうかれこれ履き始めてから二年は経つ。
せめて小学校を卒業するまでは大事にしたいと思っていたのに、もうこんな様とは。祖父に申し訳がたたない。
彼は、いらないプリントを下に敷いてから、ゴキブリやらセミの死骸を集め、それを外に持ち出していった。
これを粉末にして、こっそり犯人の靴に入れて、素足でゴキブリの死骸を踏ませてやろうと考えたのだ。
が、そんな岸本少年の野望は、すぐに潰えた。
背中が思い切り蹴飛ばされたのである。
蹴り倒されて、玄関の引き戸式扉のレールにアゴをぶつけた彼は、その場で言葉なく悶えた。
が、そんな静かに痛みに絶える彼に対し、容赦なく複数の蹴りが入った。
「何やってんの?」
そこには、髪を逆立ている橋島と、その取り巻きがいった。
兄のワックスをこっそり盗んで髪を立てている、ちょっと大人ぶった彼は、同級生にとっては憧れであり、畏怖される存在だった。
よりもっとらしく言うと、つまるところガキ大将という奴であった。
だが昨今の虐めっ子とは、相当に性質が悪い。
もはや殴る蹴るだけでは飽き足らない。それと同時に精神的に標的を追い詰めるのだ。
しかし、あれだけ痛めつけられたのにも関わらす゛、岸本は涙一つ流さず痛そうにアゴを抑えるだけであった。
もうこれほどのことにすら彼は慣れてしまっていたのだが、そのことが橋島の逆鱗に触れた。
何故コイツは泣かないのか。
イジメ始めたころは、もう少し涙目を見せていたはずだ。
「泣けよ、クズ」
そして、容赦なく腹を蹴った。
サッカーゴールへシュートを決めるように蹴った。
ボールだったら、きっとそれは素晴らしいナイスゴールだったであろう。
これだけ追い詰められた状況でも、岸本は泣かなかった。
蹴られた途端、ぐふぅ、という苦しそうな声をあげたものの、涙目一つ見せない。
「だったらすぐ泣けるようにしてやらぁ」
橋島は、今度は頭を踏み潰してやろうと足をあげたが、それを取り巻きの一人が止めた。
眼鏡をかけ、ちょっと頭のよさそうな出っ歯が特徴の彼は、一味の中でも一番人を追い詰めるのが好きな、危ない少年であった。
「ここは、ゴキブリを食わせてやりましょうよ」
「いいねえ。そういうことを簡単に言えるお前、大好きだ」
取り巻きの提案に快く賛同した橋島は、早速転んだ衝撃で飛び散ったゴキブリの死骸を集めた。
素手で触るのは嫌だったので、掃除用具入れからビニール手袋を持ってのことだが。
周りの野次馬達も、これは流石にヤバイのではないかと騒ぎ始めていたが、彼等には聞こえていなかった。
橋島が、岸本少年の口に押し込もうとしたところで、岸本少年は橋島の油断した隙をついて、弁慶の泣き所に蹴りを入れた。
そして女のような悲鳴をあげた彼を無視して、上履きのままさっさと逃げてしまった。
「岸本ぉぉっ! 明日八つ裂きにしてやっかんなあ! ゴキブリなんかじゃすまねえぞ、お前がバラバラ死体になるんだぞ!」
脛を摩りながらも、橋島は顔を真っ赤にしながら、いつまでも岸本少年に対して怒鳴っていた。
「僕は生きているのに、ナゼこんなジゴクを味合わなければならないんだろう」
岸本少年は、頭の後ろで手を組みながら、空を見上げていた。
「それもまだこんな年だ。ハンザイシャみたいに罰を受けるだけの悪いことだってしてないはずなんだ」
自分に降りかかる理不尽さに、彼は辟易としていた。
最初はとにかく泣いて、先生にも縋り付いたものであった。
しかし、ここは都会とはかけ離れた田舎じみた学校。
子どもは最先端の感性を持っていても、先生はまだ二世代も前の古い頭しか持っていなかった。
結局生徒の「もうしません」に騙されて、担任なんかはそれからも岸本と橋島がちゃんと仲良くやってると勘違いしている。
まったく、この年でそんな夢のないことを悟るなんて、嬉しくもなんともなかった。
「神にも仏にも先公にもダチにも、そして母ちゃんにも頼れない。僕ァ一体誰に頼ればいいんだ」
いざ自分に味方がいないとなると、彼は目頭が久しぶりに熱くなってきた。
自分がこんな冷めた性格になってしまったのは、寂しさから逃れるためなんだなと気づいて、彼は鼻をすすった。
「チキショー。こうなったら悪魔と手を結んでやるぞ」
岸本少年が久しぶりに熱い心を取り戻し、鼻息も歩く歩き始めた。
向かった先は、この田舎町でも評判の変わり者。バケモノ爺さんのところであった。
バケモノ爺さんに会いにくる人間など、本当にいなかった。
言うことはへんちくりんだし、すぐに怒鳴るし、怒るとせっかく自分の育てた盆栽を投げつけてくる。
年相応の感性を持った子どもにすら「何考えてんだあのジジイ」なんて悪口を叩かれてしまうほど、バケモノ爺さんはモウロクしていた。
そんな性格だから、隣近所からも人がどんどん離れていった。
ついには町外れの夜逃げした古いお好み焼きだけが彼のお隣さんであり、すなわち、現在そこの周辺には、バケモノ爺さんの家だけしかないのだ。
正直なところ、岸本少年も彼のことは大嫌いだった。
死んだ爺さんとどうしても比較してしまうことと、昔ツバをかけられたという経験が、バケモノ爺さんのイメージをより悪くしていたのだ。
浮世離れした小僧の割には、彼は一丁前にこの家だけはずっと避けていた。
家は、一目でわかるボロ家だった。ボロ小屋といっても良いかもしれない。
嫌々でも彼はやらなくてはいけないと上がりこもうとするが、不意に腐ったような匂いがした。
まさかバケモノ爺さんが死んだのかと思ってあがりこんでみると、バケモノ爺さんはくさやを焼いているだけであった。
「岸本の小僧か。勝手に入ってきやがって! キェェェェッ!」
目を真っ赤にして奇声をあげるバケモノ爺さんに、岸本少年は腰が引ける前に少しだけうんざりした。
この爺さん、岸本少年のことを覚えているのだ。
無理も無い、このジイサンは、彼の死んだ爺さんとは旧友だった。
死んだ爺さんも余計なことをするもので、孫の写真を度々バケモノ爺さんに見せびらかしにいっていたのだ。
いきなり億劫な気持ちになったが、岸本少年の決意は固い。
爺さんを宥めた彼は、自分がイジメられているという影の部分だけを伏せて、何かそういう連中がいるから懲らしめたいのだと伝えた。
そして、そのためにはまず化け物伝説のようなものはないかと尋ねた。
「何て? バケモンだとう? そんなこと聞く奴は久しぶりじゃねえか」
バケモノ爺さんがバケモノと呼ばれる所以は、バケモノのように狂っているから、というだけではない。
この地には古くから異型の化け物の伝説が多く眠っている。
彼はかつて、それを研究していた“自称不思議研究家”だったのだ。
妖怪やら化け物の話をすると、バケモノ爺さんは途端に饒舌になる、というか普通になるというのは有名だった。
だからこうして今モウロクしていても、長年蓄積してきた知識と興奮は忘れられないのか、バケモノの魅力を延々と語っていた。
そして、話しているうちに、いよいよ岸本少年の興味をそそる話へと移っていく。
「向こうの山に、狸主というのがすんでいる。奴は遠く遠くにある狸の山を追われてこの地に流れ着き、そこで一族への恨みから、大妖怪になったとかいう奴だ」
「で、妖怪って、弟子入りとかは受付しているんだろうか?」
岸本少年にとって一番聞きたい部分をバケモノ爺さんに聞くと、爺さんはうーんと唸って細い腕を組みながら答えた。
「昔はそういうことを考える奴がいなかったから、前例は聞いたことがない。だが今の時代は妖怪にとっても変革の時代よ。話せばわかるかもしれんじゃないか」
「わかった。じゃあ早速話をつけてくるから、住所を教えてくれ」
岸本少年はそういって手を出したが、バケモノ爺さんはその手をパシンと叩いた。
「そんなところまで知らんわ、バカモン!」
最後の最後で、岸本少年は改めてこの爺さんにうんざりしてしまった。
とりあえず向こうの山にソイツがいるということで、岸本少年は上履きのまま山へと向かった。
途中のコンビニでオニギリを三つほど買い、ペットボトルの茶も持参して、準備も万端となった。店員は終始岸本少年の足元を見ていたが、本人は気にしなかった。
山に入ると、何分舗装されていない道の故、上履きだと歩き辛くてたまらなかった。
それが災いして、彼は何度か足を挫きそうになったが、それは今の彼にとって、何の苦でもない。
別にガキ大将に復讐したいからじゃない。
ただ、毎日の鬱屈さや、大事なものを壊される苦しみから開放されるために、相手にイジメをする気を無くせられれば、それで良かったのだ。
そのためには、奴をこらしめ、イジメをするための気力を無くさせれば良い。
それも、ただちょっと嫌な思いをさせるだけでは駄目だ。
死を垣間見るような、そういう肝を冷やすなんてもんじゃないくらいの恐怖感を味あわせねばならない。
そうでなければ、言葉だけの「もうしません」の後の、全く変わらない結果にしかならないのだ。
だから、誰の手でもない。己の手で彼等のイジメ精神を退治しなくては、意味がないのである。
そのためには、今の彼の力では到底無理だ。相手は複数人いるうえに、自分では太刀打ちではない力の持ち主ばかりなのであるから。
そこで、彼は妖怪に弟子入りして、妖怪が使うシャレにならない妖術を身につけようと考えたのだ。
別に力などなくても良いのだ。要は相手の腰を抜かせて、二度と暴力を震えないようにしてやればいい。
そんなことをしたら学校ではさらに気味悪がられるかもしれないなどとも考えたが、既に彼の評判など落ちようがないので、どうでもよかった。
これから白い目で見られたって良い。ただ、もう殴られたり、自分の大事なものを台無しにされたりするのだけはやめてもらいたい。それだけなのだ。
壮大な野望を抱きながら、彼は山を右へ左へさ迷い歩いた。
バケモノ爺さんは、明確にどこにいるかは知らないが、一応目印だけは教えてくれた。
山のどこかに、道から外れた森の奥の方に、“狸神社”なる神社があるらしい。
そこに狸主はいるらしいのだが、その神社の正確な位置までバケモノ爺さんは覚えていなかった。
役立たずと今更文句をぶちまけながら、彼は森の奥を見通すようにして、視線を遠くに向けた。
しかし、遠くを見ても何かが見つかるわけではなかった。
「腹が減ってきたな。チクショー」
空腹感を感じてイライラしてきた岸本少年は、その場に座り込んで、ビニールからおにぎりを取り出した。
おにぎりの包みを剥がしていると、腹の虫が突然ぐぅーと鳴り、ムカッとした彼はそれをペシッと叩いて黙らせると、剥がした包み紙を横において、おにぎりを一口で頬張ろうと、口を大きく開けた。
その時、風が少し強くなった。
すると同時に、おにぎりは急に彼の手から消えた。一瞬何が起こったかわからなかった岸本少年は、間抜けな顔を晒すも、すぐに自分のおにぎりが奪われたことに気づいた。
盗人を探すため、辺りを勢い良く睨み付けると、犯人はすぐ背後に立っていた。
信じられないことだが、二本足で人間のように立った狸が、鋭い目で岸本少年をジロリと見下ろしていた。
右手には錫杖を、左手にはおにぎりを持ちながら。
「この泥棒狸。僕の握り飯を返しやがれ」
そんな奇怪な生き物を見ても、岸本少年は動じずに、まずは怒りをぶつけた。
「それが人に物を頼む態度か?」
「それが泥棒の返す態度か!」
岸本少年はプンプンと怒りながら、腕捲りし始めた。いつでも喧嘩は買うということだ。
一方の泥棒狸は、相手のいきり立つ姿を見ると、鋭い目が少ししょんぼりしたかと思うと、何故か弱腰になっていた。
怒りに我を忘れそうになっていた岸本少年だったが、ここで相手の姿を見て、一つ冷静になった。
二本足で立つ、怪しげな狸。もしかしたら、こいつが自分の求めていた相手なのかもしれない。
とりあえず彼は、腕を捲くったまま、相手に聞いてみることにした。
「もしかしてアンタ、狸主か?」
「い? い、い、いか、にも。この私が、た、狸主である」
既にあの鋭い目は、丸っこいどこか可愛げのある目に変わっていた。
最初の威厳や殺気のこもっていた鋭い目付きは、彼の作ったものだったらしい。
今、力関係でいうと岸本少年のほうが有利だった。
こんな不可思議なことに出会っても、こうして彼が腰を抜かさずにいられるのは、日頃イジメに耐え忍び、簡単な嫌がらせに動じなくなった根性の賜物であろう。
とりあえず自分が優位に立っているらしいことを武器にして、岸本少年は話を進めていくことにした。
「僕は妖怪の不可思議な力を扱いたいと思ってここまでやってきた。つまり、妖怪に弟子入りしにきたんだ。バケモノ爺さんに聞いてやってきたんだけれども、君は弟子入りを受け付けているか?」
弟子入りにはあるまじき態度で、岸本少年は狸主に質問した。
狸主も腰が引けているものだから、一々彼の高圧的な態度にビクビクとしていたが、そういう用件かとわかると、ホッと胸を撫で下ろした。
「君は妖怪になりたいのかね」
「僕は、人間のまま、妖怪の不可思議な力を使いたいんだ」
「それなら無理だ。妖怪になるための修行ならともかく、人間が妖怪の術や技を使うなんて不可能だ」
「そうなんだ。がっかりだなあ」
岸本少年は、その事実を聞いて落胆してしまった。ああ、やはり自分はジゴクから逃れられないのかと。
しかし、狸主の話は、まだ終わってはいなかった。
「だったら、死神にでも会ったらどうだね」
「死神だって? そいつぁ妖怪なのか」
「妖怪ともいえるし、神様とも言えるし、むしろ神の使いとも言える。地獄とこの世を簡単かつ自由に行き来出来る、唯一の存在さ」
岸本少年は、よくわからなかったが、とりあえずすごい奴だというのがわかって、感嘆の声をあげる。
そいつに弟子入り出来たなら、自分は死神のように二つの世界を行き来出来るようになるしもいれない。それは魅力的なことだった。
一つの世界しか知らないよりも、二つの世界を知っていたほうがお得だし、何より人生飽きない気が彼にはしたのだ。
「で、どこにいるんだよソイツは」
「これ食っていい?」
「いいよ。一つならくれてやるから、早く教えてよ」
「よかろう。なら教えよう」
盗んでおいて偉そうに、と岸本少年は思ったが、ここは彼自慢の我慢を発揮するべき時である。
一口おにぎりを口にした狸主は、口に物を入れながら、それについて説明し始めた。
「まず、死神に会うには地獄を垣間見ないといけない」
「ジゴクを見るって、つまりは、死ねって?」
「そうではなくて、簡単に地獄を拝める方法を教えてやるよ。実際にいくわけじゃないから臨場感はないぞ。チラッと見ることが出来るんだ。とにかくそうしないと、死神にあってもお前に力は授けられないだろう」
「で、その方法はなんなんだよ?」
と岸本少年が聞くと、狸主は残りの欠片を全て口に放り込んで、ごっくりと喉が膨らむほど一気に丸呑みしてから、じっくり話しはじめた。
「それはな、子どものお前にはちょっとばかし辛いものかもしれないがねぇ」
それから二週間が過ぎた。
岸本少年は、自室にずっと引き篭もっていた。
流石に母親も心配して、度々呼びかけてきたが、決して岸本少年はそれに応えようとしなかった。
母親は、心配しながらも、彼がイジメられていることには、全く気づいていなかった。今でもそうであった。
そんな外面は積極的に見せておいて、内面は恐ろしく消極的な母親に、息子である岸本少年はまるで期待など抱いていなかった。
だからこそ、彼は未知の存在を頼ったのである。
「さて、もうそろそろ良いだろう。そろそろ来てくれよね」
母親がノックをやめたのを見計らって、岸本少年がつぶやいた。
彼は、この二週間。一口も飯を食わず、飲み物も飲んでいなかった。
自分の肉や、鉛筆をはじめとした筆記用具……はたまた枕まで食い散らしそうになるくらい、長い長い我慢の生活が彼を苦しめ、追い詰めた。
だけど、これを乗り越えれば自分は死神にあって、すごい術を習得することが出来る。
そして、その時がやってきた。
「あっ」
急に暗くなったかと思うと、岸本少年はサウナのような蒸し暑いところへと飛ばされていた。
まず気づいたことは、自分が宙に浮いていることであった。
天にマグマ、血に剣山が広がるおぞましい世界は、正に彼が想像していた通りの地獄であった。
しかし、どうしてマグマが落ちてこないんだろう? と考えて、自分が逆さまになっていることに気づいた。
自分のひっくり返った視点を正常にすると、人間界ではありえないような剣山谷が、一面に広がっていた。
草木はまったくない。岩と熱気だけに支配された世界。
これが地獄。
「はい、そこまで」
岸本少年は起こされた。
振り向くと、彼の横には知らない何かが立っていた。
身体は一応人型だが、妙に等身がアンバランスで、対峙しているだけで気持ちが悪い。
「死神さん?」
「そういうこと」
一番目を引くのは、やけに巨大な一つ目の目玉だ。
顔自体はこれでもかというくらいに青白く、どう見ても人肌ではない。
例えるなら、まるで岩肌のような色なのである。
服装は至ってシンプルで、ボロボロかつ渋い色の甚平服を着ている。
地獄の想像通りだった印象とは対照的に、この死神は、彼が想像していた死神とはまったく違う姿をしていた。
「イメージと違うって思っただろ」
「心が読めるのか?」
「慣れたからわかるだけだ」
やたら冷めている死神に対して、彼はやけに震えていた。
複数に囲まれてイジメに合う絶望感や恐怖感より、得体の知れない存在のほうが、ずっと岸本少年にとっては恐ろしいのだ。
「狸主センセから話は聞いている。早速忘れないうちに君へ地獄送りの術を教えてあげよう」
「地獄送り?」
「さっき君が見たような世界に行かせることが出来るということだ」
それを聞くと、岸本少年は歓喜した。
「それはすごい。あれを見たらアイツラだって腰を抜かす。きっともう懲りてくれるはずだ」
「喜ぶのは術を覚えてからだ。さあ、やるぞ」
死神は、岸本少年にその方法を教えた。
まず、地獄の世界をイメージする。そして、そこへの扉を開くため、手に念じるのだ。
地獄の扉よ、我が声を聞け。
地獄の扉よ、我が願いを聞け。
地獄に落とすべきものがここにいる。
地獄の扉よ、今こそ開け……。
ポコッ。
「あっ」
いきなり、地獄の扉は開いた。
「お前は筋がいいな。死んだら死神にならないかね?」
「それより、こんな簡単に開いちゃうのか。修行はもっと大変かと思ってた」
本当にそれは単純だった。苦労も何もなかった。
穴をのぞいてみると、真ん中に赤い点が見えるだけで、あとは真っ暗である。
「断食こそ、生物にとって一番辛い修行なのだ。そう狸主センセも言っていた」
すました顔で死神は言うと、岸本少年はウンウンと納得した。
指を水につけるような様子で、チョイチョイと死神が穴に触ると、それは静かに縮んでいき、やがて消えた。
「しかし、人間が使えるのは二回まで。本当は三回なんだが、一回目はこうして地獄を開くための予備練習で使ってしまうからね」
そう告げると、死神は床に寝転がってしまった。
「さ、後はご自由にしなさいって」
岸本少年は、言われた通り好きにすることにした。
橋島が岸本少年に呼び出されて、のこのことやってきた。
取り巻き達も、ニヤニヤしながらいつ殴りかかろうか探っているようだ。
「何のようだ岸本? 俺達にプレゼント?」
「ああっ。とっても珍しいものを手に入れたんだ。でも準備に時間がかかるから、ちょっと待ってくれ」
と彼等を引き止めた岸本少年は、あの術を唱えた。
地獄の扉よ、我が声を聞け。
地獄の扉よ、我が願いを聞け。
「おいおい、どうしちまったんだコイツ?」
「きっと俺達に呪いでもかけてるつもりなんですよ」
「プレゼントって呪いの呪文だったのか。良い度胸してるじゃねえか」
地獄に落とすべきものがここにいる。
地獄の扉よ、今こそ開け……。
ポコッ。
「うわあああああああああああっ!」
落とした本人が拍子抜けするくらい、彼等は簡単に地獄へと落ちた。
なんだ、いざやってみるとあんまり面白くないものだな。
そう彼が思っていると穴が消えて、あの死神がやってきた。
「ついにやったんだな」
「はい。ありがとうございます。死神さんのおかげです。それで、あと一つ、彼等を引き戻す方法を教えてもらいたいんですが」
「何言ってるんだ。そんなこと出来る訳ないだろう」
岸本少年は、ギョッとした。
「そんな! 話が違うじゃないか。僕はアイツラを少し懲らしめたいだけで、地獄に落としたいなんて思ってない」
「知らんよ。彼等を地獄に落としたというだけの話じゃないか。お前がどういう気持ちで彼等を落としたかは知らないが、きっと彼等がこの世にいない方が良い理由なのだろう。気に病む必要がどこにある?」
「うるさい! そういうことなら僕にだって意地があるんだ!」
怒った岸本少年は、また精神を集中させて、あの呪文を唱え始める。
地獄の扉よ、我が声を聞け。
地獄の扉よ、我が願いを聞け。
地獄に落とすべきものがここにいる。
地獄の扉よ、今こそ開け……。
ポコッ。
「お前、何する気だい?」
「僕も地獄に飛び込むのさ!」
と言って本当に穴へ入ったきり、彼は戻っては来なかった。
「やれやれ。人間とは何をするかわからないなあ」
死神は、そんな感想を抱きながら、静かに密かに姿を消していった。
「橋島くん!」
「あ、岸本」
岸本少年が、大急ぎで彼等の元に追いついた。
橋島は顔を真っ青にして、取り巻きはワンワンと泣いていた。
「ごめんよ。僕が安易な考えで行動を起こしたばっかりに、君達の人生を台無しにしてしまった」
「そうだ! お前のせいだ! でも、どうしてそんなお前がここに?」
「オトシマエをつけにきたんだ。君達だけ一生地獄で苦しむなんて、やっぱり間違っている。僕はそんな卑怯なことはしたくない」
「岸本……」
ああ、自分達は本当に地獄へ来てしまったんだなあという実感を少しずつ沸かしながら、彼等はしんみりとしてしまった。
「さあ行こう。これからは地獄仲間だ」
「よせやい。岸本、今までお前を虐めてきた俺達と一緒に行ったら、お前にとっての地獄が増えるばかりじゃないのか?」
「ハハハ。地獄にイジメはないよ」
「あっ……」
橋島達は、涙を薄っすら流しながら、絶句する。
「ほら。あんまり無駄話していると、閻魔様に叱られそうな気がしてならないから、行こう」
「なあなあ。俺達本当に地獄の責め苦に耐えられるのかなあ」
「わからないけど、少なくとも他の孤独な人達よりかはマシだと思うよ」
「……そうかぁ、お前が一番強かったんだなあ」
子ども達は、地獄の入り口へと入っていった。
地獄は暗かったが、彼等だけはどこか明るく光っているみたいだった。
書きかけ短編消化シリーズ、開催。あと二作あります。本当はもう少しあるんですが、ほとんど書いてないし破棄しようと思ってます。
これは、夏頃「妖怪の弟子」というタイトルで書いていた、水木しげるテイストを目指した短編です。
しかし、軽く読み返していくうちに変だなと思って、今のタイトルにしました。
我ながら完成度低いなと思いつつ、書き直す気にもなれないので、ラストだけ書き上げて完成させました。
これを土台に、もっと怪奇小説とかホラー小説に手を染めていきたいなあ。