第十話:転生王子は観客になる
しっかりと準備をして、交渉に向かう。
場所は向こうが指定してきた。
見晴らしがいい場所に用意されたテントだ。ちょうど敵の陣と城の中間に用意されている。
罠の可能性が高い。
だからこそ、俺たち三兄弟の他に、ヒバナとバルムートという最精鋭、それにタクム兄さんの右腕という最強の布陣を用意した。
「ヒーロ、交渉の主導権は僕がにぎっていいかい?」
「ああ、こういうのはアガタ兄さんの仕事だ」
政治でアガタ兄さんに勝てる気がしない。
俺の力だけでは戦いに勝つことはできても、戦争に勝つことはできないだろう。
俺たち三兄弟は一人ずつでは完璧たり得ない。三人の長所を活かしてこそ、完璧たり得る。
「にしてもよ。交渉するにしろ、罠にしろ、俺まで呼ぶこともねえだろうに」
タクム兄さんがぼやく。
「だろうね。罠の場合、僕とヒーロだけのほうがよっぽど殺しやすい。交渉を行うタイプじゃないのも見てわかる」
タクム兄さんはカルタロッサ王国最強。
そして、この戦いで剣によるものであれば最大の戦果を上げている。
ヒバナもバルムートも獅子奮迅の働きをした。
だが、タクム兄さんはその上を行く。
タクム兄さんの強さは知っていたつもりだった。
だが、彼が戦場でこそ真価を発揮するタイプだったのだ。
訓練の場とは、すべてが違う。
ヒバナなんて少し落ち込んでしまっていたぐらいだ。
ようやく背中が見えて、追いつける。そう希望を持ったところで、本当のタクム兄さんの力を知ったのだから。
「交渉で戦争が終わるといいが」
別に俺たちは好きで戦争をしているわけじゃない。
生き残るために必要だからやっている。
グリニッジ王国だって、カルタロッサ王国の強さを思い知ったはずだ。
ここまでやれば、ここで戦争を終わらせてもうちょっかいを出されることはそうそうなくなる。
「相手の条件次第だね……いったい、どこまで妥協するか。二人には話したけど、今回、僕たちはかの領地と民の奪還。カルタロッサ王国への不干渉の二つ。ここは絶対に曲げないし妥協しない。これだけ優勢だと、賠償金なんかも狙うべきだけど。そこは、こっちが折れて諦めるように見せるから。そのつもりで」
交渉というのは、討論のように相手を打ち負かすことではない。
お互い妥協して、譲り合い、落とし所を見つけることを言う。だからこそ、何を譲り、何を守るか、そこだけは絶対に間違ってはいけない。
「納得している。金なんてものは、あとでどうにでもなる」
……正直、ドワーフたちを移住させたあの島の金山。あれ一つで財政難は解決しているのだ。
賠償金なんてものは要らない。
「迎えが来たようだね。行くとしよう」
一際豪華な家紋入りの鎧をまとった連中がこちらにやってくる。
そして、俺たちにお付きのものは一人につき一人までと告げた。
もともとそこは手紙に書いてあったからこそ、俺たちはこの三人を連れている。
テントの後方二百メートルには敵の軍勢がいた。
バルムートに目線を送る。
彼はこの中では一番、五感が鋭い。
たとえテントの中であろうと敵軍が攻めてくれば、気付く。
その際は交渉を放り出して逃げるとしよう。
◇
テントの中に入る。
その中央には、気位が高い三十代半ばの筋骨隆々とした漢、その後ろには八人の騎士たちが控えていた。
武人としての風格もあるが、それ以上に支配者としての空気を感じさせる。
フェイアル公爵、この戦争における敵のトップ。やっぱり生きていたのか。
最初のバリスタで死んでくれていれば……運がなかった。
「よくぞ交渉の場に来てくれた。カルタロッサの三王子よ。席についてくれたまえ。三王子全員が傑物と噂には聞いていたが、噂以上に難敵だった。いやはや、君等の父君が羨ましい」
へりくだる様子はない。
ここまで負けが込んでいて、向こうは対等。いや、上からの目線で対応している。
無理もない。もとの国力が違いすぎる。人口が千人しかいない国というより村である我が国と、正規軍だけで一万を超える大国。蟻と象ほども違う。
彼は笑っていた。……こちらの嫌がらせで相当苦しんだのにそれをまったく表に出さない。
感情で動かないタイプのようだ。
アガタ兄さんが前へでる。
今回の交渉では、話を振られない限り俺とタクム兄さんは口を開かないし、口を開いたとしても無難なことしか言わないと決めてある。
俺たちの仕事はアガタ兄さんの邪魔をしないこと。
「今日の交渉は僕が行います。ヒーロとは以前にそちらの街で、タクム兄さんとは戦場で会われているでしょう? なので、僕だけ自己紹介をさせていただきます。僕はアガタ・カルタロッサ。この国の外交官としてここに参りました」
「これはご丁寧に。私はフランルード・フェイアル。公爵にして、此度の将軍だ」
アガタ兄さんが座るのに合わせて、俺たちも座る。
「交渉の目的は、手紙によるとこの戦争を終らせるためとありましたね。さて、ではどのように終わらせましょうか」
「それについては我が方から提案がある。諸君らはこちらの想定より健闘した。それを讃え、我が国の植民地となっても、相応の裁量を認めよう」
そうして、資料を渡される。
そこに書いている内容は、かなりひどい。
まず、カルタロッサ王国の負担でグリニッジ王国の領事館及び、彼の国が信奉している教会を建設すること。
領事館も教会も見栄えと権威を意識してか、かなり金と時間がかかる作りだ。
そして、領事館で働く三十人と教会で働く二十人、その給料も我が国が負担するようになっている。それぞれが高給取りな上、人口千人の国にとって五十人ものお荷物を抱えることはかなりの負担になる。
それだけでなく、領事館の指示に拒否権はないし、我が国の法を捨ててグリニッジ王国の法に従うようにしろとある。つまりはグリニッジ王国の植民地になるということ。
さらには、この国すべての国民が稼いだ額の四割を上納金としてグリニッジ王国に捧げろとあった。
「なかなか、面白い提案です。……これが健闘を讃えた結果ですか」
「むろん。これほどの高待遇で我が国に迎えられた国はかつてない」
「お話になりませんね。この戦争、長引けば我がカルタロッサ王国が勝つ。そちらの死傷者は数千人。こちらは怪我人はいても死者は未だにゼロ。優勢である我が国が、このような条件呑めるはずがない。我が国の出す条件はこちらです」
今度はアガタ兄さんが資料を提示する。
そこに書かれているのは、事前に話していた通り、我が国への不干渉と、隣接する領地と民の返却。そして、今回の侵略戦争に対する謝罪と賠償金の要求。
謝罪と賠償金の要求について書いているのは、交渉の中、こちらも相手に妥協したという姿勢を見せるためであり、ハナから取り下げるつもりだ。
要求して当然のものは盛り込み、こちらは妥協したからおまえたちも妥協しろと言う交渉の基本テクニック。
「少々、驕りがすぎるようだ。我が国とこの貴国が対等だとでも」
「対等ではないでしょうね。僕らの国のほうが強い」
「一度や二度の戦いで勝ったからと言って調子に乗らないことだ。我が国には数十万の民がいる。数千失ったところで痛くも痒くもない。代わりの兵を次々と送れば事足りるのだ。逆にそちらは亀のように引きこもって、餓死を持つのみであろう?」
「さあ、どうでしょう? 戦場で会う我が国の民はそう見えましたか?」
不敵にアガタ兄さんは笑う。
地下の食料生産施設のことを言いはしない。だが、余裕があることは匂わせる。
ただのはったりでないことは、フェイアル公爵も理解していた。
兵の栄養状態や絶望にとらわれているかなど、見ればわかるのだから。
「今はそうであろうな。だが、一年後は二年後は? どれほどの備蓄があろうといつかは底を尽きる。断言しよう、我が国が包囲を緩めることはない。何年でも包囲し続ける……今だからこそ、これほどの好条件を出した。もし、この温情をければ、そう遠くない未来におまえたちは降伏するだろう。そして、我らは慈悲を与えない。三王子は見せしめに殺す。そして、すべての民から絞り尽くす」
将軍という立場は飾りじゃない。
凄み、そうとしか言えない得体のしれない何かが、俺たちを貫く。
鍛え上げられた軍人ですら縮み上がって萎縮するだろう。
しかし、それをアガタ兄さんは飄々と受け流す。
「敵が我が国だけであれば、それもできたかもしれない。包囲しての兵糧攻め、実に理にかなっている。しかし、判断が遅い。その策を使うなら第一陣、遅くても第二陣でするべきでした。短期決戦に拘り、損害を出し続けたあなたたちにそんな余裕はないでしょう? 本当に勝てるのであれば、こんな交渉の場は用意しない。戦争を一刻も早く終わらせたいのはそちらだ」
フェイアル公爵の目が据わる。
彼は気付いたのだ。
こちらに戦力を回すために緩んだ守備にハイエナのごとく食いついてきた国々、それらがアガタ兄さんの差し金であること。
「さて、なんのことやら。だが、たしかに戦争は終わらせたい。時間も金も無駄にはしたくないのは確かだ」
「であれば、我が方の条件を呑んでいただきたい」
「そちらがこちらの条件を呑むべきだろう」
そこから舌戦が始まる。
お互いの条件をぶつけ合い、それぞれが妥協しながら落とし所を探る。
ここまで持ち込めただけでも十分だ。
なにせ、すでにグリニッジ王国とカルタロッサ王国は戦争を終らせるという点では同意している。
そして、一方的に条件を押し付けられるのではなく、ちゃんと相手にも妥協させていた。
この国力差で対等になっている時点で異常。
しかし、問題が出ている。
『この、交渉はまとまらない』
妥協し、落とし所を見つける作業を交渉と呼ぶ。
しかし、絶対に譲ってはいけないというラインが存在しているのだ。
それがお互い噛み合っていない。
例えば、グリニッジ王国は、上納金を収めさせるという部分については、四割というラインを大きく下回ってもいいと思っている。こちらも額によっては受け入れられる。
領事館と教会の設置も許容範囲内に関しては向こうは必須だと思っており、こちらも受け入れられなくはない。建築費と給料部分に関しては向こうに折れる気配がある。
だが、グリニッジ王国の法を押し付け、領事館の連中が命令するという点に関しては一切妥協をしてこない。こちらも絶対に受け入れるつもりがない。
逆にこちらの主張のうち、不干渉というのは受け入れられないが、侵略をしないという条約を結んでもいいと向こうは言っている。
賠償金の支払いについては、かなり渋られているが、これについてはこちらが折れていい。
しかし、領土と民の返還は絶対に呑めないと向こうは言っている。だが、こちらも領土と民は絶対に諦められない。
そう、絶対に呑めないところでぶつかりあっていた。
なにせ、すでにフェイアル公爵もアガタ兄さんも、絶対に通したいそれ以外の条件を緩め、さらには別の相手国に有利な条件まで出し始めているのに話が進まない。
「ふむ、困った。このままでは戦争が終わらせられないではないか」
「でしょうね。仕方ない……なら、このまま戦いを続けましょう」
アガタ兄さんは強気だ。
強気で出られるのは、アガタ兄さんがさきほど口にしたように、本当に戦争を終わらせたいのは向こうだからだ。
交渉とは、その事前の準備こそがものを言う。アガタ兄さんの仕込みのおかげで有利な交渉が出来ている。
長い時間、二人はにらみ合う。
そして、ふとフェイアル公爵が表情を緩めた。
「ふう、ではこういうのはどうかね? 最後は決闘で決める。お互い、もっとも消耗が少ないクリーンな決め方だと思うがね」
「具体的にはどうなるのでしょう?」
「お互いの代表を選び、一騎打ち。敗者は相手の言い分を受け入れた上で、この戦争を終結させるのだよ」
突飛なことを言っているように見えて、最強の騎士同士で一騎打ちを行って戦争の勝敗を決めるというのはこの時代では割とありがちな手段だ。
戦争が長引けば双方、無駄な血を流し、消耗する。それは双方望まない。
決闘という手段であれば、最小の被害で戦争を終らせることができる。それも、誰もが納得できる形で。
極めて効率がいい、決着の付け方と言える。
だからこそ、騎士、その中でも最強の騎士というのは絶対視される。
ただ単に、敵を人より多く斬れる優秀な者というだけではない。戦争の結果をも左右する存在であるが故に。
「僕たちはこの戦況を有利だと考えている。なのに、そんなイーブンな戦いを呑めるとでも」
アガタ兄さんが切り込む。
「イーブン? とんでもない。最初に言っただろう。君たちの健闘を讃えていると。だからこそ、わざわざ君たちに有利な決着の付け方を提案したのだよ。タクム・カルタロッサ王子。君は最強なのだろう?」
フェイアル公爵の目が、アガタ兄さんではなくタクム兄さんを貫く。
言葉では尊敬しているように見せて、目には挑発の色が混じっている。
……相手もうまいな。タクム兄さんの性格が良くわかっている。
俺たち三兄弟を呼んだのは、端からこういう決着の付け方を考えていたからか。
アガタ兄さん一人ならこの提案を断っただろう。だが、タクム兄さんなら乗せられてしまうかもしれない。
タクム兄さんに注目が集まる。
そして、口を開いた。
「交渉はアガタに一任してある。おまえが決めろ」
「へえ、驚いた。タクム兄さんなら僕の言葉なんて聞かずに受けると思ったけど」
「こういうのはアガタに任せるって三人で決めたろ。俺は一度口にしたことは曲げねえよ」
淡々と、そうタクム兄さんが言う。
……どうやら、彼もまた成長しているらしい。
「では、そうですね。勝ったときと負けたとき、その条件を決めましょうか。それ次第で決闘をするかどうか決める」
「いいだろう。負けたときのことを考えるのは、タクム王子に対する侮辱ではないかね」
「それが僕の仕事です。そして、受けることに前向きなのは兄が勝つという信頼から。兄が僕を信頼するから交渉を任せてくれたようにね」
そうして、再び交渉に入る。
そして、最終的に話がまとまった。
アガタ兄さんは最後まで、こちらが有利だというアドバンテージを捨てず、勝ったときの旨味を吊り上げ、負けたときの痛みを減らした。
この場で捺印を交わし、お互いに写しを持ってこの場を去る。
そう、この戦争の決着はあとたった一回の決闘で決まるのだ。
◇
帰路につくが、やはり襲撃者は現れない。
想定していた不意打ちはなかった。
しかし……。
「さて、どんな化け物を向こうは用意しているかな? 楽しみに思わないかい?」
「騎士の国から黄金騎士あたりを連れてきているってのがくせえな。それも聖剣付きの。腕がなるぜ」
「……意外だ。タクム兄さんがそういう予想をするなんて」
「俺は政治は苦手だ。だがな、戦いに関しては頭が回る。じゃなきゃ、この国の将軍なんて務まらねえよ」
たしかにそのとおりだ。
いつだってタクム兄さんの指揮は正確無比。豪快な本人の気質とは裏腹に冷静にことを運ぶ。
敵から決闘を持ちかけた以上、向こうには必ず勝算があるだろう。
しかし、タクム兄さんなら俺の魔剣で、その全てを切り裂くと信じられる。
なにせ、我が国最強の騎士であり、ヒバナの目標だ。
ヒバナが追い抜くまで負けてもらっては困る。
最高の教科書として思い切り剣を振るってもらおうじゃないか。