エピローグ:転生王子は戦争を始める
半日ほど、グリニッジ王国軍が山を進んだ段階で、タクム王子は通信機を使い、部下に指示を出した。
『この通信機ってのは使えるな』
作戦参加者は、それぞれ携帯型の通信機をもっている。
こんなもの、この世界に本来なら存在しているわけがない。ヒーロの錬金術によって生み出されたからこそここにある。
動力は魔力であり、効果範囲はわずか一キロ弱。音声は送れず、信号音だけ。
それでも圧倒的に便利なのだ。
予め符丁を定めており、信号音の数と間隔だけで十分に意思疎通が可能。
だからこそ、タクム王子率いる精鋭たちは、ちりぢりになりながらのゲリラ戦を連携しながら行える。
『ヒーロの奴もとんでもないものを作りやがる』
タクム王子はほくそ笑んだ。
彼は政治面では並でしかないが、将軍としては極めて優れた才覚を持つ。
この通信機の価値を正しく把握している。
情報伝達の重要性、精度と速度差が生み出すアドバンテージも。
隠れている部下たちが指示をもって動き出す。
タクム王子自身も部下も異様な格好をしている。金属鎧は身に着けずに、魔物の皮で作った服を着ており、その服は草と土の色にペイントされていた。
動きやすく、薄暗い森では極めて視認が難しい迷彩色。
騎士としてはあまりにも不格好ではあるが、見た目にこだわるような騎士はカルタロッサ王国にはいない。
なにせ、日頃相手にしているのは魔物だ。見栄を張ることになんの意味もなく、殺すか殺されるかの世界にいる。
草木に一体化した、部下たちが狙撃を始める。
「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああ」
「足があああああああ、ひっあああああああああああああ」
「痛い、痛い、熱い、痛い」
悲鳴が響き渡った。
グリニッジ王国兵の悲鳴だ。
タクム王子の場所からでも、クロスボウの短矢が兵に突き刺さっているのが見えた。
……そして、兵の苦しみ方が尋常じゃない。
その理由は短矢に塗られた毒だ。
魔物を原料にした特別製。傷口がただれ、激痛にさいなまれ、一月ほどは高熱に見舞われる。
『クロスボウってのは便利だな。弦を引いたまま走れるのがいい。……毒も注文通りだ。殺さず、無力化できる』
ヒーロの腕なら、傷口に入れば即死させる毒だって作ることはできた。
だが、タクムはあえてこういう無力化させるための毒をオーダーした。負傷兵を抱えさせるために。
それから、何人もの兵たちの悲鳴が響く。なにせ、相手はパニックになっているため、打ち放題だ。
しかし、相手が冷静さを取り戻し、矢の飛んで来た方角から射手の位置を特定し、追手を放つと、即座に撤退命令を出す。
まず、追いつかれることはない。
理由としては練度と森への慣れもあるが重量差が大きい。
グリニッジ王国兵の面々は大荷物を担いでいる。これから城攻めをするため、重い装備と兵糧をそれぞれが運んでいるのだ。
城攻めの場合、矢が雨のように降り注いでくることを想定しているため、金属鎧が必要になる。
今回の遠征のように、山越えとなると馬車による物資の運搬が困難になるため、兵士たちが自身で装備を運ばなければならず、鎧などは背負うより着たほうが楽なのだ。
そして、狙撃手を追いかけるのだから、鎧を脱いでいる暇もない。
そんな重り付きで、山や森のエキスパートである、カルタロッサ王国の精鋭に追いつけるはずがない。
そして、街道から一歩外れれば、組織だった行動なんてとりようがない。草木が生い茂り、並んで歩くスペースなどなく、視界も最悪。
当然、一人ひとりが孤立する。
「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああ」
「助けて、助けてくれえええええええええ」
「どこだあああああああああ! どこにいる!」
そうなれば、罠の洗礼と精鋭たちによる各個撃破が待っている。
精鋭たちは、徹底して、隠れ、逃げ、一人になったところを死角から襲う。向かい合うことすらしない。
迷彩色が最大限に効果を発揮し、ブッシュに潜めば隣にいても、グリニッジ王国兵は気付かず、素通りして後ろから撃たれるありさま。
追手に選ばれたのは優秀な魔力持ちがほとんどだというのに、その実力を発揮せず無様に散っていく。
そして、手傷を与えた相手は殺さずに放置していく。どんどん敵軍にお荷物兵が増えていく。また、そのお荷物は餌にもなった。
毒の激痛で悲鳴をあげ、それを助けに来た奴を後ろから射る。これほど楽な狩りはない。
ここでも通信機が活躍していた。
散り散りになった精鋭たちは、通信機によって、お互いの位置と、各々が見えている敵の位置を共有していた。
そうすることによって自らの死角を消し、敵の死角をつける。
完全に手玉にとっている。
また、精鋭たちはある程度の無茶もできた。大きく二つにグループをわけ、それぞれにタクム王子とバルムートがいつでも駆けつけられる距離にいる。
万が一、規格外の存在がやってきても通信機で彼らを呼ぶことで対処できるのだ。
そして、今活躍しているのはバルムートが中心のグループだった。
『さて、俺たちを追い立てるため、本隊は足を止めたか……上々だ。まあ、せいぜい、遊んでやろう』
タクム王子はほくそ笑む。
そして、部下に指示を出し、街道を挟んで反対側ばかりを気にかけている、敵の本隊に矢を浴びせかけた。
またもや悲鳴が響き渡る。
向こうのグループばかりにいい顔をさせていられない。
こちらも削れるだけ削ってやらねば。
……武人としては、矢でちまちまするなんてのは性に合わない。だが、ここでもっとも大きな戦果を上げるには、剣を片手に大暴れするより効率がいい。
この戦いは己のプライドのためでなく、国を守るための戦い。
そのことをタクム王子はわきまえているのだ。
◇
~ヒーロ視点~
自室にいるヒーロのもとに伝書鳩が届く。
通信機のレンジは一キロ弱がせいぜいで、タクム王子からの連絡用に伝書鳩を用意していたのだ。
「ヒーロ、何が書いてあるの?」
剣を振っていたヒバナが興味深そうに聞いてくる。
「初日の成果の報告だ。敵の負傷者は百名ほど、こちらはゼロらしい」
「大戦果ね」
大戦果というのは喜ばしい。
しかし、もうこれで完全に後戻りはできない。
百名もの負傷者を出した以上、今から降伏しても熾烈な報復が待っている。
『傷が浅い負け方』をする選択肢が消えた。
「ああ、たった一日でこれだけの戦果を上げるなんて、さすがはタクム兄さんだ。……それから、午前中にもう一度襲撃して、午後には切り上げて戻ってくるらしい」
「これだけ、戦果を上げているのだから。もう少し頑張ってもいいと思うけど」
「いや、良い判断だと思う。十人で二千人の軍隊に喧嘩を売っているんだ。消耗が激しいはずだし、無理はしないほうがいい。この戦争は持久戦だ」
理想を言えば、小隊を作り交代制で常にプレッシャーをかけるのだが、確実に捕まらないほどの人材はそうそういない。
「……たしかにそうね」
「ヒバナも向こうに行きたかったって顔に書いてるぞ」
「初戦で戦果を上げるのは騎士の誉れよ」
「それはそうだが、守りだって重要だ」
向こうが少数精鋭で強襲をかけてくる危険性があるというのも、交代制にできなかった理由。
魔力持ちという存在は最強の飛び道具であり、集団戦のセオリーを無視して、単騎がけで敵将の首をとりにくるなんて無茶も可能だ。
うちで言えば、タクム兄さん、バルムート、ヒバナ。その最強の三駒、そのうち一つは手元に置いておかねばならない。
「でも、もうちょっと数を減らしておきたかったわね。向こうの兵数は二千でしょう? 百も減らしたのはすごいと思うけど、まだ千九百人もいるわ」
「十分過ぎるな。百人殺したわけじゃない、百人を負傷させた。そいつらが重荷になってくれる……それ以上に相手の士気をボロボロにしてくれた」
「むしろ、仇をとってやるって燃えないかしら?」
「普通のやられかたならな。だが、あの矢に塗った毒は特別性だ。傷口が醜くただれて、地獄のような激痛と高熱。なまじ死なないからいつまでも悲鳴が響き渡る。あそこまで悲惨なありさまを見ると、怒りより恐怖が勝るんだ。次は自分の番だとな。森には死角が山程ある。『ああはなりたくない』、そう考えて気を張り詰め続けて、こっちに来るころにはぼろぼろだ」
百人の負傷者の世話に二百人。合計三百人もの戦力を削った。
行軍中だというのが尚更いい、その三百人と、三百人が運ぶはずだった荷物を運ぶための負担は非常に大きい。また、毒矢を警戒しての行軍は足を鈍らせる。二千人もいれば数日の兵糧はバカにならない。
そして、いつ飛んでくるかわからない、地獄の苦痛を与える矢という恐怖を脳に刻み込んだ。
それは、こちらにたどり着いてからの戦いでも活きる。
初戦でこれは、大戦果と言っていい。
「……えげつないわね。戦争って、真正面から軍隊と軍隊がぶつかりあうようなものだと思っていたわ」
「そういうのは大国の戦い方だ。それを俺たちがやると一瞬ですり潰されて終わりなんだよ。正々堂々負けるぐらいなら、どんな卑怯な手を使っても勝つ」
負ければ終わりだ。
俺を始めとした王子たちはさらし首にされて、民たちは奴隷に落とされる。
だから、俺はどんな手も使う。
「そのとおりね、甘いことを言っていたわ」
「いや、ヒバナはそれでいいさ。そういう当たり前の感性をもっているのが一人ぐらいいないと、バランスが取れなくなる」
行き過ぎると、勝つために手段を選ばないというのではなく、必要もなく残虐な手を使ってしまう。ストッパーが必要だ。
「そう、なら私はそうするわ」
「そうしてくれ。それから、ヒバナの出番も近い。そのつもりでいてほしい」
「わかっているわ。例の作戦ね」
「ああ」
森でのゲリラ戦はあくまで、ジャブに過ぎない。
これから、本命が待っている。
それにはヒバナの力が必要だ。
「もし、この戦争が無事に終わったらキスをしてくれないかしら?」
「……前も言っただろう。俺は、姉さんを救うまでは恋人は作らない」
「だからキスだけ。駄目、かしら?」
ヒバナが上目遣いに見てくる。
こんなヒバナを見るのは初めてだ。
「わかった。でも、それでいいのか。恋人でもない男にキスをされて」
「いいのよ。私はヒーロのことが好きだし。……ちゃんとそういう気持ちを伝え続けておきたいの」
その理由をヒバナは言わずに黙る。
言わなくても、その続きはわかった。『死ぬかもしれないから』。
「大丈夫だ。アガタ兄さんに、タクム兄さん、それにバルムートにヒバナ、サーヤがいる。負けるはずがない」
「それに、ヒーロもいるしね」
茶化すようにヒバナが笑った。
「そうだな。これは勝ち戦だ。十分に勝つための布石は打った。それをこなせる人材もいる。だから、これからは当たり前のことをやって、当たり前に勝つ。それだけだ」
不安はある、落とし穴があるかもしれない。
それでもやれることはすべてやり、今も油断せず落とし穴がないかを見続けている。
だから、俺は勝つと言い切る。
それが王たるものの役目だ。
あとはこの言葉を嘘にしないために全力を尽くし続ける。
勝つために用意した布石を、惜しみなく使うとしよう。
すべては、俺自身と俺の大事な人達を守るために。




