第二十話:最強王子は先陣を切る
~タクム王子視点~
宣戦布告への返事を行うため、タクム王子は向こうが指定していた場所、つまりはカルタロッサ王国と、グリニッジ王国の国境付近にある敵陣へとやってきた。
今日は宣戦布告をグリニッジ王国の使者から受けてから十日目。明日になればもう戦闘を咎めるルールはなくなる。
あえて、そんな時間帯にたどり着くように調整をしていた。
その間、何もしていなかったわけじゃない。
続々と国境付近に集まるグリニッジ王国軍の情報収集、加えて彼らの規模から逆算した進攻ルート算出、そしてそれを前提とした罠を仕掛けていたのだ。
「さてと、いくか」
「いつでもいいですぞ」
「はっ、私も準備ができております」
タクム王子のそばに控えるのは二人。
一人は、瞬く間に誰もがこの国のナンバーツーと認めるようになった騎士、バルムート。それからタクム王子の右腕と呼べる副官ガロード。
条約により、返事をしに行ったタクム王子が襲撃される可能性は極めて低い。また、タクム王子本人がカルタロッサ王国最強。
この二人が付き従うのは、護衛ではなく別の役目があった。
敵陣に入ると、すぐに兵が飛んできてひときわ豪華なテントへと案内させられる。
あたりを見渡すと、しっかりと荷物や備品がまとめられ、いつでも出発できるように準備が整えられていた。
条約の効力が切れると同時に国境を越えようという腹づもりが伝わってくる。
そして、案内された先でタクム王子の前に現れたのは、フェイアル公爵その人。血のように紅い金属鎧を身に着け帯剣している。
タクム王子はほうっと感心したように息を漏らす。
(なるほど……バルムートが危険な男と言うだけはある)
「ヒーロくんが来てくれるかと思っていたがね。残念だよ」
「悪かったな、兄貴のほうで」
「いや、君は君でいい。また違った魅力があるようだ。ヒーロくんも君もとなると、あと一人の王子も美形なのかな?」
「アガタのことなら、間違いなくそうだな。俺は好かんが、あいつを見る女は黄色い声をあげやがる。自己紹介をしておこう。タクム・カルタロッサ。カルタロッサの長兄だ」
「これはご親切に。やはり君はタクム・カルタロッサか。噂はかねがね。十年前、騎士の国で君が見せた剣は未だに覚えている」
「若さ故の過ちだ」
ヒバナやバルムートがヒーロに推薦状を頼んだ騎士の国で行われる大会。
それに十代前半という若さ、いや幼さでタクム王子は出場した。
そのことをヒバナが知らないのにはわけがある。十年以上前だし、記録だけを見れば二回戦敗退であまり目立つような戦績ではない。
問題はその中身だ。
一回戦でタクム王子が倒したのは騎士の国ナンバースリー。
そんな子供に黄金騎士、その中でも三本の指に入る猛者が負けた。
それは騎士の強さを看板にしている、彼の国にとっては醜態以外の何物でもない。
騎士の国は怒りに震え、それ以上に恐れてしまった。
もし、こんな子供が優勝すれば騎士の国の名誉と誇りが地に落ちる。
だから、騎士の国はカルタロッサ王国に取引を持ちかけたのだ。金と食料を援助する代わりに、二回戦で自国の騎士に負けるようにと。
タクム王子は幼いながら頭が良く、自国の惨状を把握しており、その金と食料があるかどうかで、どれだけの命が救えるかを理解してしまった。
だからこそ、自らが強い剣士と戦い成長することより、その提案を呑み、負けることを選んだ。また、その借りがあったからこそヒバナが留学できた。
観客たちは、二回戦でのあっけない敗北を見て、あくまで一回戦のはまぐれ、子供だと油断した黄金騎士の自滅だと判断した。
……だが、見るべきものが見ればわかる。
武の心得があるものは、その少年の名と剣を心に刻んでいたのだ。
「過ちなんて言わないでくれたまえ。強さは美しさだ。どうだね、我が国にこないか、あんな貧乏国より、よほど豊かな暮らしを約束するし、その剣を振るう場所も用意しよう」
タクム王子は、声を押し殺すように笑う。
「買ってくれるのはうれしいが、俺が背負ってるもんは、あんたが買えるほど安くはねぇよ。鮮血のフェイアル」
「また、懐かしい名を。意趣返しのつもりかね?」
「まあな」
その名は、二十年以上前に、一騎士として剣を振るっていた時代のフェイアルの二つ名だ。だからこそ、彼の鎧は炎のような鮮烈な赤ではなく、血のような淀んだ赤に染め上げられている。
「このまま飲み明かしたいところだが。それぞれの立場もある。国同士の話をするとしよう。随分と返事が遅かったではないか。貴国にとって正しい選択肢など一つしかないと言うのに」
「まあ、そうだ。悩むまでもなかったさ。遅れたのは別の理由だ」
「うむ、我が国に勝てると思っているわけではあるまい」
そう言いながら、タクム王子から受け取った書状を、フェイアル公爵は広げる。 数分後には、コメカミに血管が浮き出て手紙を握りつぶした。
内容は『尻尾を巻いて逃げるなら許してやるホ○野郎』というヒーロの台詞をアガタ王子が詩的に書いたもの。
ただ、アガタ王子は三兄弟の中でもっとも性格が悪く、なおかつ人間心理というものを深く理解している。
そして、これからを考えるならトップにいる将軍様には冷静さを失ってもらえると都合がいい……となれば、それはそれは底意地が悪い手紙が出来上がる。
「よくわかった。帰るといい。三度目はないからよく聞け。タクム・カルタロッサ、その腕を無為に散らすのはあまりにも惜しい。俺の元へ来い。重いものを背負っていると言ったが、そんなもの戦争が始まればすぐに消えてなくなるだろう」
「いやだね。俺の剣と命は、あの馬鹿に預けてんだよ。あいつにならと思えた。だが、あんたを見てても、まったくそんな気がわいてこねえ。国のでかさはあんたらのほうが上だが、王の器はこっちのがでかいらしい」
フェイアル公爵の目に強い怒りが宿る。
それは、アガタ王子の手紙を読んだとき以上に。
「三度目はない。後悔しながら死んでいけ」
「まあ、せいぜいお互いがんばろうや」
タクム王子が帰っていく。
それを止めるものは誰もいなかった。
◇
国境を超え、タクム王子が山に入りしばらく歩くと、わずか十名ほどの精鋭たちが彼のもとへ集まった。
「タクム王子、みな戦闘準備はできております……この数日、敵の予測ルートに徹底的に罠をしかけておきました」
「ごくろうさん。予定通りだ。敵がこの山に足を踏み入れたら、各個撃破。削るだけ削るぞ」
「はっ!」
精鋭たちが声を張り上げた。
各国の軍にはそれぞれ色がある。
たとえば、グリニッジ王国の場合であれば多数の兵を使った平地での集団戦が強い。
それは圧倒的な兵力を背景に数多の国を踏み潰してきたからだ。
それに対してカルタロッサ王国の兵の強みは少数での戦闘とゲリラ戦。
その理由は、彼らのほとんどが人間以上に魔の森で魔獣を相手に戦ってきたものばかりというところにある。
むろん、方位磁石すら役に立たない魔の森の奥地へ足を踏み入れることはない、だが戦闘になると魔物は地の利を活かすために魔の森に逃げ込む、そのため、結局多くの場合は戦場が魔の森の浅いところとなる。
森というのは無数の障害物が存在し、数の利が殺される。なおかつ、正面きっての戦いではなく先に相手を見つけたほうが圧倒的に有利な先手の取り合い。
剣技以上に、索敵力と隠密性がものを言う。
しかも相手が魔物だ。正々堂々戦うなんて意識はカルタロッサ王国の兵からは疾うに抜け落ちた。罠だろうが不意打ちだろうが隠し武器だろうが使える手はすべて使う。
そんな環境が、カルタロッサ王国の兵をゲリラ戦のエキスパートへと変えた。
たった数日で無数の罠を仕掛けられたのもそのため。
……そして、グリニッジ王国の兵士たちは山という、カルタロッサ王国の精鋭たちがもっとも得意とするフィールドに足を踏み入れるのだ。
そこが既に戦場になっているという意識もなく。
戦争が始まるのは十四日後だと自らが設定したから、斥候からそうそうにカルタロッサ王国が籠城を決め込んでいると聞き、守りに入っていると信じ込んでしまった。
それに対して、カルタロッサ側は敵軍が国境を越えた時点で戦いが始まると認識している。
「おまえら、わかっていると思うが急所は外せ。可能な限り殺すなよ」
「はっ、心得ております」
その言葉は優しさや甘さから出ているわけじゃない。
殺して数を減らすより、負傷者を抱えさせるほうが長期戦では有効だからだ。
怪我をすれば戦力にならないくせに、飯を食って水と兵糧を消費する。けが人の運搬・治療のために労力をかけねばならない。
一人を殺しても、減るのは一人だが、重傷者一人出せば三人分戦力を削れる。
だから、殺さない。
タクム王子は、そのことを誰かに説明されたわけじゃなく、自らの思考でそう気付いた。
彼は強い個人ではなく、将軍なのだ。ここにいるのは十人だけだが、紛れもなく指揮官としてここにいる。
夜が空けた。
宣戦布告後で戦いを禁じられた十日が終わる。
国境を超えて、グリニッジ王国の進軍が始まった。
それを見届けたカルタロッサ王国の兵たちは散り散りになり、身を隠す。
野生の獣や魔物すら欺く、見事な気配の消し方。
まだ攻撃するには早い、もっとひきつけてからじゃないと駄目だ、身を隠して監視しながら、カルタロッサ王国の兵も移動する。
グリニッジ王国の兵は、自身が狙われているとまったく気付くことなく進軍していた。
そして、いよいよ攻撃予定ポイントまで進軍してきた。タクム王子たちが、クロスボウを構える。当然のように矢はたっぷりと毒が塗られている。
その矢を放つと同時に、山の奥に狙撃者は逃げ込み、その後に悲鳴が響く。グリニッジ王国の将兵がすぐに襲撃者を追うように指示を出すが、すでに距離をとった後な上、森に慣れきっているカルタロッサ兵のほうが数段速い。
そして狙撃者を追って街道から外れると同時にトラップが発動する。
この狙撃は罠へ誘い込むための布石でもあったのだ、犠牲者がいっきに増えて、そのタイミングで別方向からまた狙撃の被害者が出ると、グリニッジ王国の兵たちはパニックに陥る。
戦争における数の差というのは絶対的な不利。
だが、特定条件下によっては、その不利がひっくり返る。
まだ、地獄は始まったばかり。
軍を率いて、この山を超えるまでにどれだけ急いでも四日。だが、狙撃手を警戒しながら歩けば足が遅くなり、追手を差し向ければ足が止まってしまう。また、罠を警戒し、発見しながら進もうとするのも時間を取られる。到底、四日などでは不可能。
日数がかかるだけじゃなく、森という死角が多い場所で常に狙われ続ける恐怖は、疲れを何倍にもし、心を削る。
このとき、グリニッジ王国兵たちは想像もしていなかっただろう。
戦場にたどり着くだけで、どれだけの被害が出て、どれだけ自分たちが疲弊するかを。
そして、かつて一方的に虐殺したカルタロッサ王国の変化を。
過酷な環境によって、カルタロッサ王国は異質な強さを手に入れていたのだ。




