第十五話:転生王子は冬の終わりを感じる
気温が高くなりはじめ、もうずっと雪が降っていない。
窓から差し込む陽の光が眩しく感じる。
ようやく、冬の終わりが見えてきた。
「アガタ兄さん、痩せたね」
「……まあね、色々と命がけだったからさ。さすがに今回はしんどかったよ」
二ヶ月ぶりにアガタ兄さんが帰ってきていた。
昨日の夜更けに帰還して、そのままぶっ倒れるようにして眠っており、明朝、カルタロッサ三兄弟を集めて朝食を取りながら会議をしたいと申し出たのだ。
「旅じゃ、ヒーロの持たせてくれた栄養剤と化粧に助けられたね。あれがなかったら持たなかった。錬金術とは便利なものだ」
「必要かと思ってな」
アガタ兄さんに持たせた栄養剤は特別製だ。
おおよそ人体に必要な栄養素を一通り備えつつ、栄養素を体がもっとも受け入れやすい状態に保つことで、すんなりと負担なく体に染み込ませる。
こういうものが必要なほど、アガタ兄さんの旅は過酷を極めた。
なにせ、雪が降り積もった山を越えて、何カ国もの旅をする。
雪が積もった道は馬車を使えず、この動きを隣国に知られないためにも移動はすべて徒歩。
いくら魔力持ちと言っても、この二ヶ月での歩行距離は千キロを軽く超える。それも平坦で舗装された道じゃない、雪が積もった獣道だ。
そして、たどり着いた国々では神経をすり減らす政治的な駆け引きを強いられる。
こうして生きて戻っただけでも凄まじい。
なんの比喩もなく、アガタ兄さんは命がけだった。
「あの栄養剤、もう少し作っておいてくれ。これからも世話になりたい。それと、化粧のほうは意外だったね。ヒーロにあんな気配りができるとは思ってなかったよ」
「あれはナユキのアドバイスだ」
「ははは、納得した。僕は色恋すら政治に使うからね、憔悴したところを見られるわけにはいかないんだ」
アガタ兄さんは美形だ。そして、その物腰は極めて優雅。歌や詩を得意とし、どんな貞淑な婦人だろうと恋に落とせる。
実際、各国の上流階級にファンがいるほど。
そして、アガタ兄さんは持っているカードはすべて使う主義であり、自らに惚れた上流階級の女性をうまく利用していた。
旅での疲れで美貌が陰ることは防がないといけなかった。そのあたりは俺にはない発想で、ナユキが気付いてくれて助かった。
「それでアガタよ。今日ぐらい休んでもいいにも拘わらず、俺ら全員集めたんだ。相応の理由があるんだろう」
タクム兄さんが燻製魚をほぐし、潰した芋と混ぜたものを頬張りながら問いかける。
これは最近、この国で流行りだした料理だ。うまいし腹持ちがいい。
「やらないといけないことが増えてね。動き出すなら早い方がいい。時間がないんだ。もうすぐ冬が終わる。ここからはいつ戦争になってもおかしくない」
全員が頷く。
山に深く積もっている雪は俺たちを冬の間守ってくれた。
だけども、一月もしないうちに溶けてなくなるだろう。
そうなれば、カルタロッサ王国が生まれ変わったことを隣国に知られてしまう。
あの、侵略欲の塊は豊かになったカルタロッサ王国を欲しがるだろう。
「時間がねえことはわかってる。だから俺らは冬の間備えてきたんだろうが。ヒーロとドワーフが武器と設備を作り、俺は自身と兵どもを鍛え上げた。そんで、おまえが各国に根回しした……まさか、根回しを失敗したなんて言う気じゃねえだろうな?」
「それこそまさかだよ。ちゃんと根回しが済んだ。我が国が侵略にあった被害者であり、なおかつ隣国が疲弊したとき、彼らは大義名分をもって攻めてくれる」
アガタ兄さんの能力に疑いの余地はなかったが、そんな交渉をやりきったことに感嘆する。
俺には絶対にできない芸当だ。
「なら、さっさと本題に入れ」
「そうだね。……現状の問題はいつ隣国が攻めてくるかなんだよ。隣国の気質を考えれば、すぐにでも攻めてきてもおかしくない。でも、それは僕たちの想定だ。もしかしたら、様子を見てくるかもしれない。それはまずい、確かに僕は各国を回って根回しをした。だけど、あまり時間がかかると心変わりされかねないし、情報が隣国に漏れる恐れがある……いいかい、改めて前提を話すけど、僕たちと隣国では国力が違いすぎる。ただ、局地的に勝っただけじゃ意味がない。他国の干渉によって、隣国が戦争できない状態にならない限り、いずれはこちらが力尽きるよ」
アガタ兄さんの言っていることは正しい。
こちらは全国民でようやく千人に届く。
対して相手は、街によっては万を超える人口が存在し、そんな街を複数持っている。
局地的に勝っても、延々と増援を送られ続けるだけだろう。
だからこそ、アガタ兄さんは隣国を囲む国々に対して、戦争で疲弊したところを、侵略された国を救うという大義名分を持って襲わせ、その領土を切り取らせるという策を用意した。
「難しいな。なんせ、俺らから攻めたら、周辺国は大義名分を失う。にも関わらず、さっさと戦争をはじめさせなきゃなんないんだろう?」
「まあね。だから、餌を使って食いつかせることを提案したい。幸い、ヒーロがそういう餌を用意してくれてたしね」
兄二人の注目が俺に集まる。
……なるほど、そういうことか。
俺たちは今まで、この国が豊かになったと隣国に思われてしまえば、襲われると怯えており、豊かになったことを隠してきた。
だけど、状況が変わり、早く襲わせたくなった。
なら、簡単だ。今までと逆をすればいい。
「わかった。雪解けしたら隣国の王都へ行商に行ってくる。お膝元で盛大にやらかしてやるさ。そうだな、商品は塩とメロンと金塊なんてどうだ?」
「いいね、どれも隣国が喉から手がでるほど欲しいものだ。一発で、戦争だ」
「はっ、面白えな。護衛の人選はどうする?」
「俺の騎士たちだけで十分だ。ヒバナとバルムートの二人がいればなんとでもできるさ。目的が戦いじゃなくて、無事に帰還することなら少数精鋭のほうがいい。馬車と積荷は捨てることになるだろうけどな」
まず金山なんてものは世界各国、どこだろうと欲しがる分かりやすい宝。
そして、メロンも甘味に飢えているこの大陸において同じ大きさの金に匹敵する価値があると言われている。
そして、意外にも塩も隣国が欲しがる品物の一つ。
隣国は内陸にある国であり、塩は岩塩の発掘と海に面した国からの購入に頼っている。岩塩はいつか尽きるし、よそから買うのは高くつく。
隣国は海に面した領地がほしいと思い続けていたのだ。
今までは魔の森の向こうなんてことは誰も意識していなかっただろうが、今まで塩を高値で買っていた俺たちが大量の塩を売り出せば、魔の森の向こうに海があること、そして魔の森を越えられるようになったことに気付く。
金、メロン、塩。それらを見せびらかせば、確実にこの国に手を伸ばしてくるだろう。
「じゃあ、頼むよ……とは言っても、ヒーロ自身がいく必要はないんじゃないか?」
「現地で柔軟な対応ができる人間が一人は必要だ。ヒバナは論外、バルムートは頭の回転は早いし抜け目はないんだが、あくまで武人としての思考だ。俺が適任だろう?」
「僕が行くのは……まずいね。荒ごとになったら足手まといになってしまう。たしかに、ヒーロしかいない。よろしく頼む。必ず帰ってきてくれ。君はこの国の王なんだ」
「そのつもりだ」
「……おまえら、ナチュラルに俺を候補から外しやがって」
「だって、タクム兄さんは武力担当だからな」
「脳みそまで筋肉のタクム兄さんにこういうことをとても任せられる気はしないね」
「ちげえねえ」
三兄弟で笑い合う。
一見当たり前の光景。
でも、ちょっと前までなら想像もしなかった光景だ。
「君が行くということは、もう準備は終わったと思って良いんだね」
「ああ。城壁は完成したし、地下農場回りも問題ない。……切り札も完成した。強いていうならクロスボウの数が足りないけど、それは今ドワーフたちが必死に作ってくれている」
サーヤを始めとしたドワーフたちが本当によく頑張ってくれた。
この時期にここまでの進捗は想定外だ。
「そうか、なら気をつけて行ってきてくれ。じゃあ、話は終わりだ。僕は部屋に戻って寝るよ。そろそろ意識が落ちそうだ」
「おつかれ様、アガタ兄さん」
「……僕がしてやれることはここまでだ。あとは頼れる兄と弟に任せるとするよ」
「おうよ、任せとけ」
「問題ないさ」
アガタ兄さんが帰っていくのを見届ける。
たしかにアガタ兄さんはアガタ兄さんにしかできない、難しい仕事をやり遂げた。
ならあとは俺たちの仕事だ。
……隣国の王都か。あそこに行くのは初めてだ。ついでにいろいろと買い物をしよう。あそこでしか手に入らないものも多いのだ。