第九話:転生王子は好物を諦める?
サーヤを工房に案内し終えた。
城壁の詳細設計をする際に役立つ、資料や発明品、設計図などを選んで渡してある。
サーヤはさっそく目の色を変えて勉強をし始めていた。
凄まじい集中力。
サーヤは、明るくて人懐っこい性格で、頭が良さそうなタイプではないのだが、異様に頭の回転が速い。
凡人が一年かけて学ぶことを二日、三日で理解し切ることすら可能。
……問題はひどく気分屋であり、興味がないことは一切頭に入らないことだが、今回はその心配がない。
俺はさっそく、地下農場に移動する。
地下農場で今育てている作物は三種類あった。
一つ目は小麦、カルタロッサ王国の過酷な環境でも育つように品種改良を行い実験を進めていたもの。
二つ目は芋。姉が自らを犠牲にしてもたらした救世主。
しかし、糖が少ないためほとんど甘みを感じられず火を通せばぼそぼそで腹は膨らむが、栄養がなくまずいという代物。
これをなんとか前世でいたころのジャガイモに近づけようと四苦八苦しているが、まだ未完成。代を重ねながら、少しずつ改良を加えており、今で第三世代、原種よりはだいぶ良くなってはいるが、完璧なものを作るにはあと二世代は重ねたいところ。
錬金術による品種改良は万能ではない。一度に弄りすぎると作物がダメになる。だから、こうやって少しずつ世代を重ねて良くしてきた。
小麦の場合、納得がいく出来になるまで非常に苦労し、六世代目でようやくというところだったのだ。
「……とはいえ、時間がないか」
地下は生育にもっとも適した温度を保った温室であり、その土は魔物を肥料にして栄養が潤沢。
それでも芋の収穫には三ヶ月弱かかる。あと二世代なんて言っていられない。
第三世代の芋を収穫し、それを品種改良した第四世代を大量に仕込む。
完成一歩手前でも既存の芋よりもずっと栄養価も味も収穫量も良くなっているのは間違いない。
そして、最後の三つ目。
そこは別の部屋に用意されていた。
「こいつは嗜好品の類だからな……もったいないが、諦めてそのリソースを他に回すしか無いか」
そこにあったのは、特殊な施設。
俺の世界では水耕栽培と呼ばれるものを行うために作った。
水耕栽培とは土を使わない農業だ。肥料を溶かした水を循環させて、そこに植物の根を這わせる。
メリットがいくつかある。通常の農法では植物は土をより分けながら根を伸ばし、土から栄養を吸い上げる、これらはどちらも植物にとって非常に重労働なのだ。
しかし、栄養たっぷりの水に根をつけているだけなら、いくらでもストレスなく根は伸ばし放題、栄養を吸い上げるのは土相手よりずっと楽で、作物は早く、大きく育つ。
しかも、土を使わないから虫が発生しない。虫がいなければ農薬を使う必要もない。
さらには、きっちりと密封しているから雑草が入る余地はなく、水の循環システムさえ整備していれば水やりの手間はないし、肥料を撒くのだって液体肥料を定期的に流し込むだけだから自動化できる。
設備さえ整えば、土の農法より、水耕栽培のほうがよっぽど優秀。
そして、ここで育てていたのは、メロンだ。
メロンというのは恐ろしく育てるのに手間がかかる作物であり、だからこそ転生前の世界でも高価だった。
だが、水耕栽培では楽に育てられてしまう。
非常にメロンと水耕栽培は相性が良く、メロン栽培では普通一株から数個しか収穫できないが、水耕栽培であれば30~40個収穫可能。それほど土が植物に与えるストレスは大きい。
「魔道具で、これだけの設備を作るのには苦労させられたな」
たわわに実ったメロンを一つもぎ取る。
そして、それをナイフで四分の一にカットするととんでもなく甘い香りが広がった。
かぶりつくと同時に口の中に濃厚な甘さが広がる。
脳がしびれるほどの幸福感。
甘い。幸せだ。
このあたりでは寒すぎて、サトウキビが育てられない。ハチも肉食ばかりでミツがとれる種がおらずハチミツもとれない。
果物は育てられているが、原種であまり甘くないうえ、カルタロッサ王国ではそのあまり甘くない果物すら育てる余裕がない。
寒い地域でも育てられる砂糖の原材料、砂糖大根は存在するものの、まだそれを砂糖にする手段が見つかっていない。
誰もが甘さに飢えている。
このメロンも、まだ第三世代であり、俺の前世である地球のメロンには劣るが、それでも至高の甘露だと思える。
……このメロンの種は、とある大国のパーティで、その主催者が己の富と力を誇示するため、遥か西方から取り寄せた。
メロンは温度管理、水質・水分管理が非常に難しく、ごく一部の地域でしか育たない上に、病気、虫害や雑草、ありとあらゆるストレスに弱い。
そのため、育てるのには特殊な気候と熟練の技の両方が必要かつ、その製法は門外不出。
この大陸ではとある小国が完全に独占し、メロンは同じ大きさの金よりもずっと高い。
しかも、生産量が絞られているせいで、世界中から注文が殺到し、金を積んだからと言って手に入るわけではない。
その大国で行われたパーティでは、参加者に一切れずつしか振る舞われなかったが、それでも力を見せつけるには十分。そういう作物。
アガタ兄さんが、出されたメロンの果肉にくっついていた種を持ち帰り、俺なら育てられるんじゃないかと言って渡してくれたのだ。
誰もが甘さに飢えた時代に、これだけの甘さと高貴さは、それだけで国一つを支えるだけの強大な武器になる。
「このメロン、戦争が終わったあとには、カルタロッサを支える柱の一つにしようと思っていたんだがな。金になるし、メロンそのものをちらつかせて取引もできる」
なにせ、遥か西方の小国がメロンだけで世界を相手に戦えている。
そして、俺が育てているメロンは品種改良をした上に、水耕栽培によってさらに大きく甘くなっており品質でその小国のものを上回る。
この水耕栽培設備では、一度に収穫できるのが百個ほど、温度管理と水耕栽培による生育の速さで四ヶ月に一度収穫可能なため、年間三百個。
同じ大きさの金と同じ価値があるメロンが大玉で三百個というのは、この貧乏国において希望だ。
それはわかっている。
「……ただ、どうしてもマナ消費とスペースの問題がな」
地下の空調、水の循環、温度管理は大気中のマナを収集して集めるシステムを利用している。
マナは無限に流れてくるものではあるが、流れる量は一定なのだ。
問題は、水耕栽培は消費マナの量が小麦や芋の栽培と比較するととんでもなく大きい。
辺り一帯のマナ量を考えると、千人分の食料を作るには、こいつを維持させるだけの余力がない。
水耕栽培装置自体は残すにしても、同じ設備でトマトやレタスにすると出力をだいぶ抑えられる上、収穫量は跳ね上がる。
加えて、メロンというのは完全に娯楽の類であり、穀物がある以上、欲しいのは糖ではなく各種ビタミン。
トマトやレタスを優先するべきだ。
俺たちが今欲しいのは、未来の収入ではなく目先の食料なのだから。
しかし、メロンはヒバナと妹のナユキが大好物だし、俺自信も甘さに飢えており、手放したくない。
「あっ、こんなところにいました! くんくんくんくん、甘い匂いがします! これは、やばいです。匂いだけで天国にいっちゃいそう!」
「サーヤか、もう勉強はいいのか?」
「まだまだですよ。資料だけじゃわからないところがあって聞こうと思って、ヒーロさんの匂いをたどってきました」
「すごい鼻だな」
「キツネ、ですから。……そして、鼻がいいだけに、じゅるり、その不思議な果物が気になって、気になって仕方ないですよ」
サーヤの目が、カットされたメロンに釘付けになっていた。
「一切れなら食べていいぞ」
大玉のため、四分の一も食べれば十分どころか食べ過ぎだ。残り二つはあとでヒバナとナユキへのお土産にする。
「やった! キツネまっしぐらです」
サーヤがメロンに飛びつく。
凄まじい勢いで食べる。甘さに飢えていたのは、サーヤも一緒だ。
「あま~い、はううう、幸せの味です。甘いだけじゃなくて、すっごく高貴って感じがしますね。この果物でジュース作って、頭から浴びたいです」
「死ぬほどべたべたになって後悔するから止めておけ」
「それでも構いません……ふう、頭に糖分が回って、絶好調です。ふむふむ、あっ、質問はいいです。脳が全開になったら、自分でわかっちゃったので。甘いものって偉大です!」
……こいつは。
凄まじいマイペースだ。
サーヤが部屋に戻ろうとしているのを見て、ふとっ、サーヤなら妙案が浮かぶかもしれないと思い、引き止める。
「実はこの果実、メロンと言うんだがな、もう育てられないかもしれない」
「それは国家の一大事です! この不肖サーヤが知恵を貸しますよ! ドワーフ姫の名にかけて! メロン様を救う方法を一緒に考えましょう」
「なぜ、果物に様をつける」
「それだけ素敵だからです!」
「……そっ、そうか。とにかく、なぜ、このメロンが消えるかと言うとな、地下設備のほとんどがマナを集めて動力にしているんだ。だが、千人分の食糧生産施設を概算で設計した結果、それだけでマナがぎりぎり。メロンを作る装置はマナ消費が激しくて維持できなくなる」
「それ、どこが問題なんですか?」
「だから、マナを大量消費するから、こいつがある限り千人分の食料が育てられない。潰すしかないことだ」
「だったら、マナを使わなきゃいいじゃないですか。これやってるの水の循環と温度・空調管理ですよね?別に魔力充填式でも機能的な問題はないですよ」
……あれ?
たしかに言われてみればそうだ。
地下施設のほとんどをマナ収集式にしているのは、俺が不在のときが多く、魔力充填式だと、魔力が切れて、帰ってきたら作物が全滅していたなんて事態を防ぐため。
そういう配慮をしないなら、魔力バッテリーに数日に一度魔力を注ぐだけで済む話だ。
「私、メロン様のためなら喜んで魔力を差し出しますよ……見た感じ、他の設備に比べてマナ消費が多いって言っても、そんなでもないですし。私の魔力の五分の一も注げば、三日ぐらい持ちそうな感じです」
その計算は極めて正確だ。作動中の魔道具を見ただけでわかるのが恐ろしい。
「視野がせまくなっていたな」
言われてみれば、こんなこと当たり前だ。なのにどうして気付かなかったのだろう。
「というわけで、メロン様の存続は決定ですね!」
「そうだな……こいつがカルタロッサの未来で役立ってくれる。それに、民のストレス解消にもってこいだろうしな」
生産数が生産数のため、毎日のようにとは言わないが、節目節目で振る舞うぐらいはできる。
大玉なので、十六等分しても十分な大きさ。次の収穫タイミングに千人へ振る舞ってもお釣りがあるぐらいだ。
それだけでも籠城でストレスを抱える民たちにとって救いになる。
「民に美味しいものを食べさせたいという気持ちは私も姫なのでわかります。でもっ、ぐぬぬぬぬ、それだと数ヶ月に一切れぐらいしか食べられなく……そうだっ! この施設を増設しましょう! 魔力供給は任せてください!」
「それは駄目だ。俺たちの魔力は別の用途もある。ここにある分だけが魔力を注いでもいい限界だな」
「ううう、そんな、こんなに美味しいのが滅多に食べられないなんて」
サーヤが名残りおしそうに、メロンの皮を舐めた。
「戦争が終われば、地下農場も縮小する。そしたら、飽きるぐらいに食べれるようにしてみせる。なにせ、サーヤだけじゃなく、ヒバナもナユキも大好物だからな。それまで辛抱してくれ」
「わかりました。そのためにもまずは戦争に勝たないといけませんね! とびっきりの城壁を設計しますから。勉強に戻ります!」
サーヤが今度こそ戻っていく。
ようやく、地下農場の計画が見えてきた。
……苦労して育てたメロンを諦めずに済んだのは良かった。
それと同時に、視野が狭くなっていることを痛いほど実感させられた。
知らず知らずのうちに、追い詰められて眼の前のことしか見えなくなっていたのだ。
頬を思い切り叩く。
狭い視界じゃ大事なものを見落とす。
どんな状況でも、常に視界を広げて置かないと、サーヤのマイペースっぷりを少しは見習わないとな。……あそこまで振り切れるとそれはそれで駄目だが。
そう決意し、俺は新たな地下農場の図面を広げた。




