第十五話:錬金王子と協力者
ヒバナと共に食事に向かう。
一度分かれて、お互い、体を清めて着替えてきた。
ヒバナの私服は機能性重視でいかにも彼女らしい。
お洒落よりも動きやすさ。
それだけにヒバナがお洒落をしたら、どんなふうになるのか気になる。
いつか、必ずヒバナに似合うドレスを用意しよう。
ひそかにそう決める。
そう言えば、ヒバナから妙にいい匂いがする。
「香水をつけてきたのか」
「ええ、キナル公国のお土産よ。特別な日につけると決めていたの」
「今日は食事をして、必要なデータを集めるだけだが」
「もしかしたら、欲情したヒーロに押し倒されるかもしれないもの」
「それはない」
そこまで人として終わっていない。
「そう。意外にいくじなしなのね」
「ただのけじめだ」
そんなこんなで目的地に着く。
「ここ、王族が住んでいるフロアよね」
「相手も王族だからな。今からあってもらうのは俺の妹だ」
カルタロッサ王国には、三人の王子と二人の王女がいる。
タクム兄さん、アガタ兄さん、俺。
それから、メアリ姉さんにナユキ。
「そういえば、いたわね」
「この国の姫だぞ、忘れるな」
「ナユキ姫はあまり表に出ないから仕方ないわ」
たしかに、ナユキは表舞台にでることは少ない。
そういうのに向いていない。
それにメアリ姉さんのことがあったから、意図的にナユキのことを隠している部分もある。……ナユキまで連れ去られてなるものか、タクム兄さんや、権謀術数に長けたアガタ兄さんですらそう思っている。
それぐらい、ナユキは俺たち兄弟から好かれている子だ。
ノックをすると、返事が聞こえ、扉が開かれ、騎士服を纏った二十代後半の女性が出迎えてくれた。
「レベッカ、この前は助かったよ」
「ナユキ姫の命ですから。……ですが、使用人の真似事をさせられた屈辱忘れませんよ。ふふふ」
「おっ、おう」
レベッカは昏い笑みを漏らしている。
彼女はレベッカ。ナユキの近衛騎士。
実力的には俺と大差がない。つまり、超一流には勝てないが、一流には勝てる程度の腕前だ。
ヒバナがレベッカの前に出る。
「レベッカ、久しぶりね」
「お帰りなさい、ヒバナ。さっそく、ヒーロ王子の近衛騎士に収まるなんてやりますね。ヒーロ王子は今まで頑なに近衛騎士をつけなかったんですよ」
「へえ、そうなの。もしかして、ヒーロは私を待ってくれたの」
「……なんのことかわからないな」
二人で交わした約束、ヒバナはとっくに忘れているだろうと思っていた。
それでも、わずかな望みにかけて、近衛騎士のポジションは空けていた。
しかし、そのことを口にするほど俺は素直じゃない。
「ふふ、うれしい。ありがと、ヒーロ」
「さて、なんのことやら」
「それと、レベッカが主と決めたのなら、きっとナユキ姫は素晴らしいお人なのでしょうね」
さきほどから、レベッカとヒバナは仲が良さそうなのは当然だ。
親戚だし、なによりレベッカはヒバナの祖父であるヒースの弟子。
つまり、俺たちにとっては姉弟子にあたる人だ。
昔はよく可愛がってもらった。いろんな意味で。
「ナユキ様は私のすべてです。この国の至宝! この命にかけても守り抜きますわ!」
ナユキは俺たちとは違う意味でレベッカに可愛がられている
……ナユキはあまり表にでないので知名度は低いが、一部のものたちからは猛烈に愛されている。
なんというか、彼女は天性の人たらしというか、庇護欲を誘う。その気はないのに、相手を骨抜きにして尽くさせるという、ある意味兄たち以上の危険人物だ。
「レベッカのナユキへの愛はわかったから、いい加減中にいれてくれ」
「これは失礼しました。どうぞこちらへ」
そうして、俺たちはナユキの部屋に入る。
本人の愛くるしさとは対照的な部屋で、壁一面が本棚。もともと、この部屋は父の書斎だった。
今でこそ、人口千人の小国だが、領地を切り取られる前はそれなりに国力があり、そのときに集めた本。
父は、知こそ力だと、勉強家であり金を惜しまず知識を集めようとした。逃げ延びながら、芸術品などよりもこちらを優先したほどだ。
本の虫のナユキは、その書斎にベッドと最低限の家具を持ち込み自分の部屋にしてしまった。
いちいち取りにくるのが面倒で、こちらのほうが都合がいいらしい。おかげで、同じく本好きな俺やアガタ兄さんは、頻繁にここを訪れる羽目になり、その度、ナユキに捕まり、質問攻めにあっている。
……まあ、俺もアガタ兄さんも悪い気はしないが、むしろナユキと会う口実に本を使うことすらある。
そのナユキが銀の髪を揺らしながら駆け寄ってくる。その仕草すら愛くるしい。
ナユキを一言でいうなら、とても品が良くて人懐っこい子犬というところだ。
人の心には当然備わっている、心の壁がなぜかナユキには働かない。
「いらっしゃいませ、ヒーロお兄様、そちらの方はヒーロお兄様の騎士ですか」
「そうだ、ヒバナという」
「やっぱり! ヒバナさんのことは、たくさんヒーロお兄様からお話を聞きました。お友達なんですよね」
「……この子に、そんなことまで話しているの?」
「ナユキは肌が弱くて、あまり外にでれないから、外の話を聞きたがってね」
本を取りにくるたび、ナユキに捕まっている。話題はそう多くないので、ヒバナのことを昔からよく話した。
「ヒバナさんに憧れてました。私、弱いから、レベッカやヒバナさんみたいな強い女性がうらやましい」
「私は逆にナユキ姫のような可愛らしい子が羨ましいわ。同性の私ですら抱きしめたくなるもの」
「それは遠慮してください。そういうのはレベッカだけで十分です」
「そうですわ。私だけの特権ですから」
そういうなり、レベッカは二人の間に割って入り、ナユキを抱きしめ頬ずりする。
微妙にナユキが嫌そうにしているのは黙っておこう。
この二人が、俺の隠れた協力者だ。
ナユキがパンを焼き、使用人に変装をしたレベッカがパンを運んでくれた。
今の段階だと、あまり秘密を知る人間は増やしたくない。
だから、彼女たちの力を借りた。
「話を戻そう。俺を呼んだということは、アレができたんだな」
「はい、見てください。えっと、ヒーロお兄様に頼まれていたパスタです」
「うん、良く出来てる」
ナユキが出してきたのは乾燥パスタだ。
「それ、何かしら?」
「麺の一種だよ」
「硬そうで、ちっとも美味しそうじゃない」
「それはそうだ。なにせ、これは乾燥させた保存食。茹でて食べるものだからな」
「びっくりしました。保存食ってあまり美味しいイメージはないですけど、このパスタはたくさんのお水で茹でるととっても美味しいんです」
小麦ができた。
なら、それを有効活用したい。
パンにするだけでは芸がないと思い、パスタを作ろうと決めた。
それも長期間の保存ができる乾燥パスタ。
通常、小麦というのは保存期間がせいぜい半年~一年。
だけど、乾燥パスタはうまく保管すれば三年持つ。
つまるところ、豊作のときにパスタを作りだめしておけば凶作の備えになる。
美味しくて、長期間の保存ができるのなら作らない手はない。
「麺料理はキナル公国ならたくさん食べたけど、こんなかちかちのを見るのは初めてね。是非、食べてみたいわ」
他国では乾燥パスタより、生パスタが主流だ。
保存食の役割は乾パンが担っている。
生パスタのほうが美味しいのだが、いかんせん保存ができず、毎回パスタを作るのは非常に面倒。そういう意味でも一度に作り置きできる乾燥パスタは優秀といえる。
「たくさん用意していますよ。お腹いっぱい食べてくださいね。ささ、部屋をでましょう」
ナユキが微笑み俺の手を引く。厨房に使っている部屋に移ると、ナユキが調理を始め、しばらくするとレベッカと共に奥から茹で上がったパスタと、いくつかのソースを持ってきてくれる。
「これが私のパスタです」
「ささ、どうぞ皆様。熱いうちにナユキ姫が丹精込めて作りあげたパスタを楽しんでくださいませ」
なぜか、レベッカがすごいどや顔をしている。
まあ、レベッカにとってナユキは娘以上の存在だ。ナユキが褒められるのが嬉しくて仕方ないようだ。
さて、ナユキが作ったパスタはどんなものだろう。
まずはシンプルに塩だけを振って食べる。
「うまいな、俺が作ったのよりずっと」
「あのカチカチが、こんなつるつるしこしこになるのね。びっくりよ! 麺自体が美味しいから塩だけでも美味しいわ」
「たくさん、練習しました。これなら、みなさんもきっと気に入ってくれると思います」
塩を振っただけだが、品種改良を繰り返して栄養たっぷりの小麦は糖も多く、自然な甘さがある。
それに、ナユキの調理がよく歯ごたえものど越しもいい。
もともとレシピ自体は俺がナユキに教えたし、パスタを楽に作るために、パスタマシーンもこしらえた。
ただ、俺が作ったときは一応食べれる程度しかなかったのだ。 まさか、こんなにも美味しくなるなんて。
ナユキの料理の腕だろう。配合を変えたり、麺の熟成時間を変えたり、さまざまな試行錯誤の果てに、この味が出せるようになったのだ。
「ヒーロお兄様、塩パスタだけでお腹いっぱいになったら、せっかく苦労して作ったソースが無駄になっちゃいます。ちゃんと、他のも食べてください」
「そうだな。じゃあ、まずは白いほうから……これはジャガイモのソースか」
「はい、ジャガイモをすりつぶしたものにキノコの出汁をくわえて、塩で味を調えました」
「どろっとしたソースが麺によく絡んでいいな」
俺は前世の記憶があるから、ジャガイモのポタージュ、ビシソワーズを知っていてこういうソースが思いついても不思議じゃない。でも、この子は違う。
この国では茹でて食べるくらいしか使わないジャガイモをソースにするという発想にたどり着いた。
料理の才能がある。
「もう一つのソースは何かしら、あら、とってもすっぱいわ。これ、もしかして酢なの。この国で酢なんて作っていたかしら? でも酸っぱいソースとパスタってとっても合うのね、するする入っちゃう。美味しいわ」
「実は、あるものを作るときに失敗してたまたまできたんです。でも、お酢はお酢で便利なので、その偶然をもとにちゃんと作ることにしたんです。そっちはお酢と油と塩と干し肉で作ったソースです」
酢と油のソースもパスタとの相性が抜群。
干し肉は具としてだけじゃなく、出汁にも使っているな。無駄がない。
ジャガイモソースのパスタも、酢と油と干し肉のパスタもどちらも素晴らしい。
けっして贅沢ではないが、豊かな味だ。
「よくやってくれた。ナユキのレシピ、もらっていいか」
「もちろんです。たくさんの人に教えてあげてください!」
俺の錬金術で何かを作ることができる。だけど作るだけ。
美味しくするにはナユキのセンスと努力が必要だった。
ナユキのレシピがあれば、民たちは今まで食卓にあがらなかった小麦も美味しく食べられる。
ナユキはいい舌を持ち、手先が器用。
むかしから、料理や裁縫が得意で、なにより凝り性であり、そんなところに目を付けて協力してもらった。
「それから、あるものを作ろうとしたときの失敗作で酢ができたと言ったな。……そのあるもののほうは成功したのか?」
だいぶ前から俺が作ろうとしたもの。
それは俺が掲げる、興国の象徴でもある。
ただ、時間がかかるので、そっちは自分で作ったことはない。ただ、基礎レシピと必要な道具一式をナユキに預けて、すべてを任せていた。
「ちゃんとできましたよ。改良の余地はありますけど、今でも美味しいです」
「ナユキ姫の近衛騎士として味見しましたが、とても美味でしたわ。まさか、あれがこの国で手に入るとは思ってもみませんでした」
「そうか、できたか」
頬を緩ませる。
それはいわゆる嗜好品だ。
飢えないようになる、ただ生きていくことを目標にする救国では必要ないもの。
だが、俺が目指すのは救国じゃない、興国だ。
ただ、生きていくだけじゃなく、幸せで豊かにする。
その姿勢を示すために、民に振舞いたかった。それが形になったのは福音だ。
「ねえ、あれとか、それとか言われてとても気になるのだけど、そろそろネタばらししてもらえないかしら」
「そうですね。レベッカ、もってきてください」
「かしこまりました、ナユキ姫」
レベッカは、水差しをもってきた。
そこには黄金の液体。
それを俺とヒバナのコップに注ぐ。
「ねえ、もしかして、これって」
「飲めばわかる」
俺はそう告げて、黄金色の液体を飲み干す。
こいつは舌じゃなく、喉で楽しむべきだ。
まずはがつーんと苦みが走り、その奥から甘さが顔を出す。
麦とホップだけで作った力強い味。
うまい!
飲んだあと、心地よい酩酊感が体を包む。
「信じられないわ。これエールね、それもとっても上質な」
「ああ、そうだ。小麦ができたから、酒を作りたいと思っていた。だが、ここまでのエールが出来たのは予想外だ」
「私もびっくりしました。私もがんばりましたけど、ヒーロお兄様の小麦がとても素敵だから、こんなに美味しくなったんだと思います」
「……すごいわ、キナル公国ではエールって日常的にふるまわれて珍しくもなかったけど、こんな美味しいのは初めてよ」
味がいいのは、俺が【回答者】で得た基礎レシピの優秀さ、小麦の品質、凝り性のナユキのセンス、それらの複合だ。
これは幸せの味だ。
ただ、生きていくためだけじゃなく、豊かな暮らしを目指すことを頭じゃなく、体で感じさせるには十分。
「ナユキ、収穫祭で俺は王になると宣言する。そのときに、このエールを国民全員に振舞いたい。それだけの量を収穫祭までに用意できるか?」
「材料があればなんとかしてみせます。こう見えて、力持ちなんです」
頼もしい。
さすがは俺の妹だ。
ナユキは、とても愛くるしい、それは兄たちも認めている。だけど、武器になるとは思っていない。
いくら可愛くても素直すぎて駆け引きができないから、政略結婚に使えない。同様に素直さが災いして頭がよくても政治には向かない。
魔力持ちで身体能力はあっても、肌が日に弱いし、運動神経は壊滅的で戦えず、優しすぎる性格も足を引っ張る。
だから、ナユキは戦力としてはカウントされていない。
でも、俺はナユキを評価していた。そして、彼女の力が俺の目指す興国を形にしてくれた。
……こんど兄さんたちにもネタばらしをしないとな。
兄さんたちが絶賛したパンを誰が焼いたのか。
その後にパスタとエールを味わわせてやろう。
きっと、ナユキのことを見直すだろう。
タクム兄さんとヒバナの決闘は重要だが、国を豊かにしていくことも重要だ。こちらも前に進めていこう。
さっそくアガタ兄さんと協力して小麦畑を広げながら、ナユキのレシピを広めていかないと。
そうすることで、この国は前に進むのだ。