――――幕間5「牡丹餅(後編)」
時子お姉さまのお秘密、その五――。
お姉さまは、普段、私のお膝でお食事をします。
赤ん坊とおんなじです。
私が膝で抱きかかえ、匙を使って、
『――はい、あーん』
と、ひと口ずつ食べさせるのです。
お姉さまは、だいたいがお粥か、こまかく刻んだ煮物といった、病人食ばかりを口にします。
なので本当に、離乳食の赤ん坊を世話しているのと変わりません。
お姉さまの唇は、小さく、薄桃色で、柔らかくて、まるで散ったばかりの桜のよう。
そんな艶っぽい唇に、私はお粥を、ふうふう、と私が息で冷ましてから、『あーん』と匙を近づけると、お姉さまは、
『――ふみぃ、ふみぃ』
と、私の名を呼びながら、白いお粥をお口にするのです。
顎が弱って、お口を大きく開けられないらしく、わずかに開いたおちょぼ口で、まるで恥らうように、ちょっとずつ――。
私も根気良く、うんと時間をかけて、お姉さまにお粥を食べさせるのです。
それは、ふたりだけの時間。
こうして私が食べさせなければ、お姉さまは飢えてしまう――。このフミが時子お姉さまの命を守っているのだと、強く強く実感できるひとときなのです。
だれよりも強く、だれよりも格好良い、あの須永時子お姉さまが、私のもとで赤ちゃんになっているなんて――。
私なしでは、生きていくことさえできないなんて……。
きっと、本物の母親が、わが子に乳をあげているときも、このような幸福に浸っているのでしょう。
――ですが、それは『いつもなら』という話。
今日のお夕飯は違います。
「そうですか、今日はお床で食べますか」
「ふみぃっ、ふみぃっ」
たとえば、お姉さまのお機嫌が悪いとき。
――つまりは、この私の膝では、ご飯を食べたくないとお思いのとき。
そんなとき、お姉さまは、お床でご飯をお食べになるのです。
「はい、どうぞ。お召しあがれ」
私は、お葬式のように真っ黒な餡の牡丹餅を1個、皿に載せ、
そのまま畳に置きました。
すると、お姉さまは、
「ふみぃっ」
と返事をし、もぞもぞと短い手足で這い寄って、お皿に顔を突っ込むのです。
犬食い、という言葉がありますが、まさしくそれ。
本物の仔犬のような仕草で、皿に直接、口をつけ、牡丹餅をもぐもぐ、はぐはぐと食べていました。
お姉さまの白いお顔と、薄桃色の唇が、餡子でべとべとの真っ黒になっていきます。
良家の娘で、女学校にて作法を学んだとは思えない、ひどく品のない仕草です。
今回、お姉さまがお膝でお食事をしてくれないのは、私に対する抗議です。
昼間、私はいつものように、お姉さまの御髪の手入れをしたのですが――、
その際、櫛に毛が絡まって、3、4本の毛が、ぷちぷち抜けてしまったのです。
よくある普通のことです。髪に櫛を入れていれば、何度かに一度、そういうこともあるでしょう。
しかし、お姉さまはひどくご機嫌を損ねてしまい、ずっとぷりぷり怒っていました。
――これは、痛かったからではありません。
この黒い髪は、時子お姉さまに残された、数少ない『きれいなままの部位』。
なので、ほんの3、4本とはいえ、失うことをうんと怖れていたのです。
その意味では、私が悪かったと言えるのでしょう。怒るのは(お姉さまとしては)当然のことでした。
その点については、私も申し訳なく思っています。
しかし、その一方――、
(アア、お姉さまったら、なんて――)
なんて、『ぞくり』とさせてくれるのだろう。
私は、なんとも言えぬ気持ちになっていました。首の後ろの毛が逆立ちます。
だって、
あの、だれよりも強いと言われた須永時子さま。
あの、お美しく、凛々しく、だれからも恋をされた須永時子さま。
あの、徒競走で一等賞を取り、幼いころ男の子3人を相手に喧嘩で勝ったという須永時子さま。
あの、学問の成績でも優秀だった須永時子さま。
その彼女が、私に怒りを示すためにする行動が、『ぶつ』でもなく『怒鳴る』でもなく――、
『 床 か ら ご 飯 を 食 べ る 』
だけだなんて!!
それしか、できることがないなんて!!
皆さん、この私の『ぞくり』がおわかりでしょう?
ええ、そうです。その『ぞくり』です。
私は、お姉さまのお食事姿を、ただただ黙って眺めます。
口元は自然と緩んでいました。
お姉さまがお食事を終えたのは、小一時間も経ってから。
お顔はすっかり一面、餡子でべとべとになっていました。
(なんて、美味しそう……。お姉さま、食べてしまいたい――)
この、儚く小さな、餡子味の少女を、顔からばりばり齧りたい。
――私は、そんな欲求を抑えこみながら、お姉さまの汚れたお顔を、濡れ手ぬぐいで拭くのです。




