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――――幕間3「歯刷子(はぶらし)」

 時子お姉さまのお世話をするようになって、もう半年。

 私たちは、もと座敷牢らしきお屋敷の『はなれ』で、ふたりっきりで暮らしています。


 お姉さまのお秘密、その三――。

 当然のことながら、普通の人ならだれでもできるようなことでも、時子お姉さまには違います。

 ありとあらゆることで、私の手伝いが必要なのです。

 たとえば……。


「お姉さま、『いーっ』と、なさってくださいな」

「みぃーーっ」


 たとえば、歯磨き。

 背で壁にもたれかかって、ちょこんと座るお姉さまに、歯刷子はぶらしをかけるのです。


 いーっ、としているお姉さまの歯を、歯磨き粉をたっぷりつけて、しゅかしゅか、と。


 本当は、横に寝かせて歯磨きした方が簡単です。

しかし、それだと水や歯磨き粉が喉に入り、むせてしまうことがありますので、やむ得ず、こうして座ってもらっているのです。


 これなら、よだれかけさえかけておけば、服も汚れずに済みますしね。


 ちょこんと小さなお体で座り、よだれかけを掛けてるお姿は、まるで舶来ものお人形か、でなければお地蔵様のよう。

 いつにも増して、愛くるしいものでした。


 ただ、ご本人はあまりお好きな姿ではないようで、歯磨きのあとは、決まって少々不機嫌なお顔になっていました。

 もちろん、だからといって、歯刷子はぶらしの手をとめるわけにもいきませんが。


「はい、お姉さま。お次は、あーん、と大きく開けてくださいな」

「ふみゃあーーん」


 ふみゃーん、と開いたお口に刷子ぶらしを挿しこみ、今度は奥歯をしゅかしゅか、しゅかしゅか。

 外から見えない歯の裏側も丁寧に。


 しゅかしゅか、しゅかしゅか

 しゅかしゅか、しゅかしゅか


 この仕草は、まるで仏蘭西フランス人のするキッスのよう……。

 いつも胸がどきどきとなります。


 柔らかい唇に隠れた、この真っ白い真珠の歯。

 それを隅から隅まで、くまなくしゅかしゅか。


 お口から、唾液まじりの泡が零れて、私の手にぽたぽたと……。


 まったくもって、心穏やかではいられません。


 磨きすぎで歯茎が痛くなったのか、お姉さまは――、


「ふみ゛ぃ!」


 と、苛立った声を出しました。

 これでやっと、私は歯刷子はぶらしを持つ手を引っ込めるのです。


 このようなことは、私とお姉さまの歯磨きでは、よくあることでありました。


「ごめんなさい、お姉さま……。でも、もうすっかりお綺麗ですよ」

「ふみぃ! ふみっ!」

「そうおっしゃらず、ご機嫌直してくださいませ。――そうだ、ついでにお鼻のお手入れもいたしましょうか? どれだけ歯や御髪おぐしがお美しくても、お鼻ひとつで台無しになりかねませんからね」

「ふみぃ……」


 お鼻のお手入れというのは、その――。

 品良く説明するのが難しいのですが、つまりは、ええと……お鼻の毛のことでありました。


 鼻毛です。

 女学校なら、お調子者の子がこんな言葉を口にしただけで、皆、小一時間は笑っていれたことでしょう。


 とはいえ、これもそれなりに深刻な問題。

 両手のないお姉さまには、自分でなんともできないことですから。


 いまやお顔の美しさだけが心の支えとなっているお姉さまです。

 恥じらいながらも『ふみぃ』と、私にそのお鼻を差し出すのです。


「ふみぃ……」


 両目を閉じ、ほんの少しだけ上を向き――。

 百合のつぼみを思わす、高くて形のよいお鼻。そこに小さく開いた二つの穴を、この私の目の前に、なんとも無防備に晒します。


 そのお姿は、目をつぶっていることもあって、まるでキッスを待っているかのよう……。


 もちろん、目を閉じているのは、露わになった鼻腔が恥ずかしいからでしょう。

 しかし、なればこそ、その心理は口づけのときのそれと同じもの。

 ある意味、今のお姉さまは、私とキッスをしているのと、まったく同じ状態であると言えました。


 ――いいえ、むしろキッスを交わしているのです。今まさに。


 そうでないというのなら、より『すごいこと』を――もっと深いところまで立ち入った『秘密の行為』をしているのかもしれません。

 私は、お姉さまの左の鼻腔へと毛抜きをると、


 ぷつり


 と、毛を抜きました。




「ふみゃんッ! ふみぃっ! ふみぃっ!」




「よしよし、痛かったですか、お姉さま? 長いのがまとめて抜けましたものね。……でもね、これで終わりではないのですよ?」

「ふみぃ……!」


 本当は、はさみでやった方が、簡単であるとは思います。

 私も自分の鼻を手入れするのは、鋏でやっておりますし。


 しかし、お姉さまは、刃物を顔に近づけると、ぶるぶると震えて泣き出してしまいますので、

(やはり、お顔が傷つくことに、ただならぬ恐怖があるのでしょう)

 だから、やむ得ず、こうして毛抜きを使っているのです。


 また、これは口には決して出せないことではあるのですが――、



 私にとっては、やや愉しくもありました。



 私が再び毛抜きを用いてぷつりとやると、お姉さまはまた可愛い声をお上げになります。


「ふみゃんッ! ふみぃゃんッ!」


「まあまあ、また痛かったですか? ごめんなさい……。でも、本当にお厭でしたら、今、ここでやめてもよろしいですよ?」

「ふみぃ……ふみぃ……」


 お姉さまは、ふるふる、と小さく首を横にお振りになりました。


 そう答えるのはわかっていました。

 だって本当にやめてしまえば、いずれ、お顔の美しさという、お姉さまに残された最後のひと握りの宝物を損ねることになるでしょう。

 多少痛くても、途中でやめるわけにはいかないのです。


 なので、お姉さまは覚悟を決め、より固く両目を閉じます。

 そして、その震えるお顔に、私は毛抜きを持った手を伸ばし――、


 湿った粘膜の孔を、さいなむのです!


 もてあそぶように、じわり、じわりと。

 いたぶるように、ぷつり、ぷつり、と。



 ぷつり

「ふみぃっ!」


 ぷつり

「ふみゃあんっ!」



 ひと抜きごとに、小さなお姉さまの小さな悲鳴。

 胴体や短い手足は、びくり、と跳ね、

 つぶった目には、涙のしずくが浮かんでいました。



 ぷつり

「みぃいいいっ!」



 ぷつり

「ふみ゛ぃいいいいいっ!」



 さきほど、『キッスよりすごい秘密の行為』と申したわけがおわかりでしょう?


 こんなの、男女のまぐわいと同じこと。


 まさしくエロチカルという言葉そのもの。

 この世でいちばん淫らでいかがわしい行為です。






「ふぅ……。はい、おしまいです」

「みぃぃ」


 作業は、ほんの五分もせずに終わります。


 しかし、うんと長く感じる五分間。

 まるで永遠にも感じるほどの時間です。――お姉さまも私も、くたくたに疲れてしまいました。


「ふふ、いい子、いい子……。お姉さま、よく我慢できました。ご立派です」

「ふみぃ……」


 ああ、この時間が、本当に永遠であったらよかったのに。


 お鼻の毛のお手入れなどで、そのように思うのは可笑しいのかもしれませんが……。

 でも私は、心の底から、そう思うのです。



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