12 いじわる(後編)
――めそめそ、ぞくぞく。
――めそめそ、ぞくぞく。
はなれで泣いているお姉さまを想像し、私はずっと胸をうちふるわせていました。
アア、お姉さま、お姉さま……。
足どり軽く、私は目的地にたどり着きます。
町にある、明智はなさんの住む家へと。
「ごめんください」
私が玄関の外にて声をかけると、戸の向こうから、
「――? その声、フミさんかい? 入っておいでよ」
と、はなさんの返事が聞こえてきました。
(マア、客が来たというのに横着な)
あきれながらも言われるままに、家の中へと入ります。
小じゃれた外観にもかかわらず、相変わらず中は散らかり放題でしたが、そんな汚く埃っぽい部屋で、明智はなさんは――、
「ヤアヤア、よく来たね。ぼくになにか用なのかい?」
なぜか素裸で、敷きっぱなしの布団に胡坐をかいていたのです。
しかも、その横には、
「おねーたん、おねーたん……」
やはり裸の、妹さんの姿がありました。
「はなさん、どうして裸で……? しかも、妹さんまで」
それと、どうして裸なのに『入っておいで』などと?
いろいろ道理が通りません。
「こんな格好で失敬したね。実はさ、妹と寝ていたんだ」
「裸で? なんだか、まるで卑猥なおはなしみたい……」
我ながら品のないことを口走りました。もしかすると、はなさんの影響であったのかもしれません。
彼女は女学校の出でありながら、うんと品のない人でありましたから。
しかし――、
「いや、誤解しないでくれたまえよ。――実際、その『卑猥なおはなし』なのさ。
退屈していたのでね、妹を性のはけ口にしてたんだよ」
本人は、私の想像するより、ずっと下品下劣な人間であったのです。
「マア!? どういうこと? 貴方、ご自分の妹に……!?」
「遊びさ。ただの遊び。退屈しのぎさ。閑だと、そういうこともしたくなるんだよ。最近は遊びにいく金もないしね。わりかし、よくやっていることさ」
妹のみどりさんは、陰気な目をした女の子。
実際の歳まで知りませんが、たぶん十歳かそこらの幼い童女でありました。
しかも体が弱く、他人の世話を必要とする身の上。
実の妹ということを抜きにしても、はなさんが言うようなことをしていい相手ではありません。
「ふぇぇ……おねーたん、おねーたん……」
妹さんは泣いていました。
――とはいえ、それなりの落ち着きを見せていることから察するに、はなさんの言う通り『わりかし、よくやっていること』であったのでしょう。
「アア、女学校時代はよかったなあ。まだ家が裕福だったということもあるけど、それ以上に――簡単に女と寝れたからさ。
フミさんは、ぼくが陰でけっこうもててたの知ってたかい? よく教材倉庫に後輩やクラスメエトを引っ張り込んでいたんだよ」
「その噂はたまに聞いていたけれど……。まさか、本当だったなんて」
ただの根も葉もない誹謗と思っていたのに……。
「本当だったとも。君を誘ったことはなかったけどね。あのころの君は、本当に垢抜けない女だったからね」
「マア!」
ここ最近の私にとって、明智はなさんとの再会はもっとも厭なことでありました。
女学校時代たったひとりのお友達だと思っていたのに、彼女はその思い出をかたっぱしから台無しにしていくのです。
「はははッ、そう気を悪くするもんじゃないよ。今のフミさんなら、ぜったいに教材倉庫に誘ってたはずさ。なんなら今からでも遊んでいくかい?」
「いいえ、結構! 本日は、須永の奥さまからお手紙を預かってきただけですから」
いつぞやの、借金の申し込みの返事です。
はなさんは須永家にお金を借りようとしていたのですが、その件について奥さま(時子お姉さまのお母さま)が私にお手紙を持たせたのです。
「一度、須永の本家に挨拶に来なさいと書いてあるわ。そうしたらお金を貸してくれるって」
「ヤレヤレ、面倒臭いな。本家の奥さまと顔を合わせたら、時子さまの世話をさせられるんだろう?」
「そんなの、ぜったいにさせません! 私ひとりで間に合っています!」
柄にもなく、つい大声を出してしまいました。
ですが、はなさんの心配は無用のものです。
なぜなら、時子お姉さまのお世話がかりは、この私。
あの美しいお姉さまの面倒は、私が見ると決まっているのですから。
この栄誉、どうして他人に譲れましょう。
ましてや、こんな下品な女になど!!
「ははッ! わかった、フミさん。悪かったよ。そう怒らないでくれたまえ。
――しかし、おかしいな? 今日のフミさんはなにかが違うね。女学校時代はもちろん、こないだ来たときとも全然違う」
「そうかしら?」
「アア、違うとも。フム……」
そう言って、はなさんは私のことを、頭のてっぺんから足元まで、まるで着物の生地でも値踏みするかのように、顔を寄せじろじろと見つめるのです。
「フム……? なんでだろうね。君、前より自信に満ち溢れてる。きらきらと笑顔が輝いているようだ。
それに、やたら機嫌がいい。ぼくのせいで怒ってはいるが、それでもなんだか妙に楽しげだ。――ここに来る前に、なにか嬉しいことでもあったのかな?」
「ふん、だ……。そんなの、はなさんの知ったことじゃあないわ」
「オヤオヤ。つれないこと言うもんじゃない。もしかして君、処女でも失くしたかい? そういう類の顔をしている。
いや、待て……ははあ、わかったぞ! さては、君――!」
そして、なぜか彼女はぷふっと笑いを零したのち、このように言葉を続けるのです。
「さては君、だれか他人をいじめたね? それも、生まれて初めて!
そのきらきらした笑顔は、そういうことだ!」
なんという勘! あるいは、なんという洞察力!
どうして、そんなことがわかるのでしょう? 私はあらためてこの明智はなさんを、不気味で怖ろしい存在に感じました。
「おめでとう、フミさん。今日から君は“いじめっ子”。
ぼくらの仲間――ぼくらと同じ生き物だ」
背中はぞくりとしていましたが、これは今までとは違います。
ただただ、ひたすら不快なだけです。




