11 いじわる(中編)
「――さ、お尻をお上げくださいな。おしめ、ちょっとだけきつく締めますね。
私、午後まで留守にしますので、緩んだりしないよう、きっちり巻いておきませんと」
「ふみぃ、みぃ♪」
私が外出すると聞き、お姉さまは嬉しそう。
というのも、私は留守にするとき、鏡を床に置いていくからです。
畳の床に、壁に立てかけて置くのですが、こうすれば畳を這って暮らしている時子お姉さまにも、自由に鏡を見ることができますので。
鏡で自分のお顔を見るのは、お姉さまにとって、ほとんど唯一の楽しみであると言えるでしょう。
最後にたったひとつ残った綺麗な部分である、そのお顔を――といっても、よく見れば細かい傷はいっぱいついているのですが――うっとりと、何時間でも眺めるのです。
なので、私が留守にするというのは、その間、なんの邪魔も入らず、鏡に没頭できるということを意味していました。
それでお姉さまは、こうして喜んでいたのですが……、
(お姉さまたら、小憎らしいこと……)
これほどの愛情をもってお世話をしているのに、いなくなることを喜ぶだなんて。
私は、むっ、と不愉快になると同時に、
(まったく、お姉さまったら、もう……)
なんとも言いようのない気持ちが、胸の奥からわき上がるのです。
自分でも、正体のわからない、その感情が。
私がいなければ、一日だって生きていけない、お気の毒なお姉さま。
私がいなければ、だれも構ってさえくれない、お可哀想なお姉さま。
なのに、私の留守をよろこぶ―― みのほどしらず なお姉さま……。
(アア、なんて憎らしい。でも――、
お姉さま、なんて可愛らしい……)
なぜだか背筋が、ぞくぞくと疼くのです。
「ふみぃ、ふみぃ♪」
時子お姉さまは、擦り寄るような仕草をしながら私の名前を呼びました。おそらくは、
『はやく、鏡を置いてくれ』
と言いたいのでしょう。
しかし、私はこのように言ってやるのです――。
「駄目です。今日はお鏡なしです」
この残酷で無慈悲な言葉に、お姉さまはびくりとなりました。
まるで、大声で叱られたかのように。
手足のないお体で、背中だけで、びくっ、と跳ねて。
綺麗なお顔も、すっかり青ざめてしまってました。
「ふみぃっ! ふみぃっ、ふみぃっ!」
「駄目ですよ。だってお姉さまは昨夜、床からごはんを食べたでしょう?」
時子お姉さまは、私に気に食わないことがあると、抗議の意味でそのようになさります。(※幕間5「牡丹餅(後編)」を参照)
「そんな悪いお姉さまには、罰としてお鏡はおあずけです。
――それに、お医者の先生も、おっしゃっていたじゃありませんか? 昼間はもっと安静にしていた方がいい。あまり、ものを考えずに時間を過ごした方がいい、って」
実際、鏡を見たあとは、お姉さまは微熱を出すことがしばしばありました。いろいろなことを考えて、頭を使うためなのでしょう。お医者さまから叱られたこともありました。
ですから、私のしたのは、まったくもって正しい処置であると言えます。
なのに――、
「ふみぃいいっ! ふみぃっ! ふみっ、みっ、ふみぃいいっ!」
お姉さまは私に、噛みつかんばかりに泣き叫ぶのです。
それは、まるで弱いのにきゃんきゃん吠える、狆の仔犬のようでした。
「うふふっ。お姉さま、すごんだって駄目ですよ? これは、お姉さまのためなのですから。
帰ったら、私のお膝で鏡を見せてあげますので、いい子で待っててくださいな」
「ふみぃいい……」
お姉さまは、しょんぼり、としたお顔をしていました。
それは、いつもいっしょの私でさえも、滅多に見れないお顔です。
「では、仕度ができましたので、私はお出かけしてきますね」
「ふみぃ、ふみぃ……」
私が履物をはいて出ていくと、はなれの中からはお姉さまがめそめそ泣く声が聞こえてきました。
(アア、お姉さま……。泣いていらっしゃる。私のせいで……)
私が、お姉さまを泣かしたなんて……。
アア、なんという! なんという!
なんという、うれしみ! なんという素敵!
空はいつもより澄みわたり、お日さまは歌っているようにも見えました。
ただの青空が、普段よりずっと綺麗な景色に見えたのです。
まるで、世界が私に微笑みかけてくれているかのよう。
今日はなんて素晴らしい日! 心に残る記念日です。
そうです。
私は、この日、このとき、うまれてはじめて時子お姉さまに、なんと
『 いじわる 』
をしたのです!!
アア……。
当然ながら、ずっと背中はぞくぞくしていました。
今さら言うまでもないことでしょう。