10 いじわる(前編)あるいは、前回までのあらすじ
前回までのおはなし。
私、フミはお屋敷のはなれで“お姉さま”のお世話がかりをしています。
「ふみぃ、ふみぃ……」
「はいはい、お姉さま。フミなら、ちゃんとここにいますよ」
須永時子お姉さまは、世界でいちばん綺麗な女性。
――かつては『女学校でいちばん綺麗』といった程度でしたが、兵隊に行って手足を失い、世界一綺麗になったのです。
私がいなければ、一日だって生きていけない、お気の毒なお姉さま。
私がいなければ、だれも構ってさえくれない、お可哀想なお姉さま。
そんな時子お姉さまとの日々は、まさしく幸福せそのものでした。
ですが……、
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「――ヤアヤア、フミさん。よく来てくれたね」
女学校時代の同窓生、明智はなさんとの再会で、私の日常は大きく変わってしまうのです。
「――ふえええんっ! おねーたんっ! おねーたんっ!」
「――この子は体が弱いから、僕が面倒見ないと生きていけない。……で、その対価が、これさ。
かわりに、この子は、ぼくがいじめるのを甘んじて受け入れる。八百屋で大根買ったら、お金を払うだろ? 同じだよ」
明智はなさんと、その幼い(?)妹のみどりさん。
ふたりとの出会いによって私の胸に、ある想いが芽生えたのです。
それは、とんでもない“ひとでなしの気持ち”といえました。
(ああ、なぜかしら。
お姉さまを、いじめたい……)
私がいないと、生きていけない。
世界で唯一、私しか頼れる者がいない。
そんな時子お姉さまを、ぽこんと蹴りとばしてやりたい。
ほっぺたをつねってやりたい。水の中に落としてやりたい。
そんな非道な気持ちが、まるで竈でくすぶる火がごとく、暗く静かにじゅわじゅわと点っていたのです。
(アア、お姉さま、おねえさま……。
いきなりお尻を蹴ってやったら、いったいどんな声を出すのかしら……)
まったくもって、おそろしい。
自分の中にこのような極悪人の部分があると、私は初めて知りました。
これはきっと、はなさんの所為。
あの明智はなさんが、印度の催眠術師ででもあるかのように、私に間違った性根を植えつけたに違いありません。そうでなくては説明がつかないのです。
そんな理由でもなければ私がお姉さまを虐めたいなどと、思うはずがないのですから。
絶対に。そう、ぜったいに……。
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「ふみぃ……?」
時子お姉さまのお声で、はっ、と私は我に帰ります。
「――っ!? い……いえ、お姉さま! なんでもありません!」
(マア嫌だ、私ったら……。おめしかえの途中なのに――)
いけない。ぼうっとしていました。
ちょうど今、お姉さまのおしめを取り替えている真っ最中であったのに――。
お姉さまの小さなお体を、まるはだかにして布団に寝転がしまま、私の手は止まっていました。
それで不思議に思って『フミ』と私の名を呼んだのでしょう。
さすがに、どんなことを考えていたのかまでは、お気づきではないのでしょうが……。
「本当に、なんでもないのです。――さ、お尻をお上げくださいな。おしめ、ちょっとだけきつく締めますね。
私、午後まで留守にしますので、緩んだりしないよう、きっちり巻いておかないと」
「ふみぃ、みぃ♪」
『――私、午後まで留守にしますので』
そう聞いたお姉さまは、なぜだか嬉しそうな顔をしていました。
そんなお姿に――、
(……マア、小憎らしいこと)
私の胸のうちで、また例の“ひとでなしの気持ち”が、暗くじゅわじゅわとくすぶるのです。
くちびるは自然と笑っていました。