幕間6「湯浴み(中編)」
「ふみぃー、ふみぃー」
時子お姉さまは、お風呂好きです。
もとからお風呂が好きだったとは聞いていますが、最近は――、
手足を失ってからは、特にそう。
ご自分のお美しさだけが、心の支えとなっているからでしょう。
お医者からは『ろくに動かないのだから、何日かに一度、体を拭いてやればいい』と言われているのですが、
「ふみぃー! ふみぃー!」
ほら、この通り。
二日に一度は湯に入れてあげないと、こうやってぷんすか怒るのです。
今も、私がお風呂のことを忘れていた素振りを見せたため、
お姉さまは、ほとんどない手足を振り回し、私をぽかぽか叩くのです。
――いえ、本当は『ぽかぽか叩』いているおつもりなのでしょうが、実際には、そのようにできるはずもなく、
お饅頭のようになった四つの傷口で、ぺたぺたと私を触るだけにすぎません。
これは、お姉さまのする仕草のうち、五本の指に入るほどの愛らしさでありました。
アア、なんという可愛さ、愛くるしさでありましょう。
「うふふ、ごめんなさい、お姉さま。反省していますので、そんなに怒らないでくださいな。
さ、お風呂に入りましょうね」
私がくすくすと笑っていることに気づいたらしく、
お姉さまはますます、お饅頭でぺたぺたしました。
お姉さまのお風呂は、それなりに手間がかかります。
(もちろん、私は手間や苦労などと感じてはいないのですが)
お部屋の真ん中に大たらいを置き、そこにぬるめの湯を張って、お湯浴みをさせるのです。
本物のお風呂ではお姉さまは溺れてしまいますから、当然のことでありましょう。
――つまり、お風呂というより、行水に近いものでありました。
本当は、表でやった方が、後始末が楽であるのでしょう。室内では、飛び散ったお湯を拭き取らなければいけませんので。
しかし、お姉さまは、年頃のご婦人。
さすがに、それは恥ずかしく――、
また、以前、偶然通りがかった母屋の使用人が、お姉さまのお裸を目にして、
『ひいっ』
と怯えた顔をしたことがありました。
それ以来、お姉さまは、外で湯浴みをするのを心底嫌がるようになったのです。
なので、お湯浴みは“はなれ”のお部屋の中でします。
「はい、お着物、脱ぎ脱ぎしましょうねぇ」
「ふみぃ!」
いけない、また余計なことを言いました。
私は子守りの経験もあるため、こんなとき、つい子供ことばが出てしまいます。
ですが、当然ながら、お姉さまは赤ん坊扱いされるのは気に入らないらしく、それで『ふみぃ』とご機嫌を損ねるのです。
(お風呂のときに、怒らせてしまった……。これは、今日は面倒になるかも)
お姉さまはお風呂好きではありますが、だからといって『お風呂のときにおとなしくしてくれる』というわけではないのですから。
着物を脱がすまでは簡単です。
もともと着物というのはお姉さまのような人には向いていない衣類らしく、ときどき私が直してやらないと、勝手に脱げてしまうほどなのですから。
帯をほどけば、あとは葡萄の皮を剥くように、ころり、と裸の『中身』が出てきます。
(これもまた、『ころり』をあまり乱暴にすると、ずっとむくれて厄介なのです)
中身――つまりは、着物の中の、傷だらけの裸が……。
このお姿を見ると、お姉さまがお顔に固執するわけが、よくわかります。
お腹はずたずたと切り裂かれたあとに縫い合わされて、まるで下手糞な雑巾のよう。
しかも、傷はどれも大きく長く、一本一本が毒のあるムカデのようでありました。
肌は、あちこち色が違っており、これは火傷のせいなのでしょう。
真っ白く、つるつるしている部分は、もとの肌。
赤や桃色や黒ずんだ部分や、白くても皺の寄った部分は、火で灼かれた痕の肌。
かつては、全身の肌一面が、白くてすべすべつるつるだったかと思うと、なんとももったいない話です。
もとから控えめだった乳房なんて、ひどいもの。
左側だけ、半分近くが爆弾で吹き飛び、肉が大きくえぐれているのです。
そんな中で、手足の傷痕は、むしろ愛らしくも感じます。
なくなった手足の付け根は、傷を覆うように皮膚や肉が盛り上がり、
つるりと丸く、大福餅かお饅頭のよう。
左手だけ傷が深かったのか、それとも手術が下手であったのか、シウマイのようにくしゃくしゃとなっていましたが、それもまたご愛嬌と言えました。
――そう、『ご愛嬌』! 今、いい言葉が出てきました。
この手足は『愛嬌のある傷口』である。そのように私は思っているのです。
欠けた乳房のかわりに、丸くふっくらと鎮座まします傷饅頭。
それがぴこぴこ、愉快に動いています。
さて、力仕事は、ここからです。
「さ、お湯に入れますよ?」
「ふみぃ……!」
私がお姉さまのお体を持ち上げると――、
「ふみぃ! ふみぃ! ふみぃ!」
お姉さまは、身をよじりながら、急にじたばたと暴れるのです!